片山修のずだぶくろ Ⅰ

経済ジャーナリスト 片山修のオフィシャルブログ。2009年5月~2014年6月

豊田章一郎さんは、いまなぜ「私の履歴書」を書くのか

2014-03-31 17:55:24 | トヨタ

日本経済新聞の文化面の名物コラム、「私の履歴書」に、
明日から、トヨタ自動車名誉会長の豊田章一郎さんが登場します。
章一郎さんは、トヨタ創業者の豊田佐吉の孫で、
せんだってのドラマ「LEADERS リーダーズ」の主人公のモデル、
豊田喜一郎の息子にあたります。
そして、現社長の章男さんの実父にあたります。

章一郎さんの略歴は、まず、
1952年にトヨタ自動車前身のトヨタ自動車工業に取締役として入社。
81年にトヨタ自動車販売の社長に就任。
82年からは、トヨタ自動車工業と自動車販売が合併して誕生した、
トヨタ自動車の初代社長に就任します。
92年に会長に退くまで、10年間にわたってトヨタトップを務めました。

私は、章一郎さんは、トヨタのグローバル時代の基礎をつくったと思います。
三代目社長だった石田退三さんの時代は、
1950(昭和25)年の労働争議が集結したばかりで、
石田さんは、トヨタは「三河の田舎侍」でいいのだと公言していました。
東京に出ていくなんて、考えられなかった。

しかし、四代目社長の豊田英二さんを経て、
五代目社長の章一郎さんの時代になると、82年の工販合併、
そして同年に“東京本社”を構え、この頃からトヨタの社風は
「田舎侍」を完全に抜け出し、国際化の歩みを始めました。
そして、章一郎さんは、94年に経団連会長を務めました。
トヨタは、これを機に日本を代表する企業へ、
また、グローバル企業へと変身します。

しかし、章一郎さんご本人は、大変謙虚な方です。
私は、章一郎さんにインタビューしたとき、こんなセリフを聞きました。
「私は、先人がつくりあげたトヨタのおいしいところを食べただけです」
じつに謙遜な方です。

真偽のほどは定かではありませんが、
「私の履歴書」の執筆をめぐっては、
「郷土の大先輩の平岩外四さんを差し置いて、私が書くわけにはいかない」
といって、断っていたとか聞きます。
平岩さんは、同じく愛知県出身で、東電社長、会長を務め、
章一郎さんの前に経団連会長を務めていた人物です。
ちなみに、その平岩さんは、2007年に亡くなっています。

章一郎さんが、「私の履歴書」の執筆を決断された背景には、
何か理由があると思います。以下は、あくまで私の推論です。
息子の章男さんは、トヨタ社長に就任して5年近くが経ちます。
この間、リーマン・ショック後の大赤字、米国での品質問題、
3.11
によるサプライチェーンの寸断など、難局を乗り越え、
社長業が完全に板についてきました。
章一郎さんが、安心して過去を振り返る心境になったことは、
容易に想像されます。
これから、どんなエピソードが語られるのか、楽しみです。


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