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上條さなえ著『10歳の放浪記』
児童文学作家として活躍する著者が、自らの少女時代の壮絶な体験を綴ったノンフィクション。
複雑な家庭の事情から、彼女は10歳の一年間を学校にも行けず、父と2人で「ホームレス」として暮らしたのだった。
といっても、野宿してゴミをあさるような暮らしではなく、いわゆるドヤ(=日雇い労働者向けの簡易宿泊所)を泊まり歩くのだが、家もなく、収入もないに等しいのだから、「ホームレス」という言葉に誇張はない。
ホームレスの父子が億万長者になった実話を描いた『幸せのちから』という映画がつい最近あったが、あちらは父親が懸命に努力してその境遇から抜け出す話だった。
対照的に、こちらの父親はとんでもないダメ親父である。酒に溺れ、たまに収入があれば競馬に使ってしまい、あまつさえ10歳の娘・早苗に、「お父ちゃんおまえを育てるのに疲れちゃったよ」などという言葉まで吐く。
では、この親子はどうやって生きのびたのか? なんと、10歳の早苗がギリギリの生活を支えていたのである。
時は1960(昭和35)年――。
テレビのニュースで、ケネディ大統領が就任演説で「国が何をしてくれるかではなく、国のために自分が何をできるのかを問うてほしい」と述べるのを見て、早苗はその言葉を自分に置き換える。「親が何をしてくれるか、ではなく、親のために子が何をできるか」を考えるのだ。
そして、ダメ親父に頼らず、自力で生きのびる術を探し始める。それは、パチンコ屋で拾った玉でパチンコをしてわずかな金を稼ぐという方法だった。
昭和30年代。人々は貧しくとも、心はやさしく豊かだった……などというといかにも陳腐な物言いになるが、この本を読むとやはりそう感じざるを得ない。
親子が生きのびられたのは、ドヤ街に暮らす人々がみなで早苗を守り、助けてくれたからだった(いま10歳の少女が街をさまよっていたら、たちまち鬼畜ロリオタの餌食となるだろう)。地回りのヤクザやパチンコ店員、床屋の女店員などが早苗に向ける思いやりは、感動的である。
悲惨な体験にもかかわらず、早苗がたくましく生き抜いていく姿にはどこか冒険物語のような趣もあって、気持ちよく読める。筆致に過度の湿り気がないのだ。
たとえば、父親がポツリと「死のうか…」という場面。早苗は父に、「やだ。まだマティーニを飲んでないもん」と言葉を返す。
彼女は映画館に行っては、「父が中にいるので、探してもいいですか?」とモギリ嬢にウソをつき、タダで映画を観ることを愉しみにしていた(実際には、モギリ嬢が早苗を哀れんで黙認してくれていたのだろう)。そして、『アパートの鍵貸します』でジャック・レモンがマティーニを飲む場面を深く心に刻み、「いつかマティーニを飲むこと」を夢見たのだった。
このように、父親が娘に「死のうか」と言うようなギリギリの場面でさえ、作者の筆は十分に抑制が効いている。自らの血を流すような体験を、冷静に、客観的に、一つの物語に昇華しているのだ。
児童文学作家だけあって、文章はすこぶる平明で読みやすい。むずかしい言葉をまったく使わず、それでいて深いところまで表現した文章。小学校高学年くらいから読めるだろうから、いじめなどに悩んでいる子どもたちにぜひ読ませたいと思う。
たとえば「おわりに」の次のような一節は、子どもたちの心に深々と刺さるに違いない。