戦後ですが、僕たちが生まれる前の日本。
昭和35年、父とふたり、池袋のドヤ街で、その日暮らし。
支えてくれたのは、パチンコ屋のお兄ちゃん、やくざのお兄さん、床屋のお姉さん・・・・・普通の人たちがやさしかった時。
以下はメモ。
(成東にある浪切不動こと不動院長勝寺)
ケネディーは、43歳で、大統領。同じ歳か。
親がなにをしてくれるのか、ではなく、親のために子がなにをできるのか。
やくざが弱いもん助けんで、どーそんだ。
人からバカにされる仕事でも誇りだけは失わない生き方を。
お父ちゃん、一人でどうすんの?病気したとき、なこがいなきゃ、困るでしょ。パチンコして、ご飯を買ってくるなこがいなくなったら、どうするの?
学園に布団を送るんだけど、大正琴を質屋に入れたよ。布団なくちゃ、困るだろ。
早苗は、父がパンの代金を払ってる間に、父のボストンバックの中に森本さんからもらった百円札をそっとしのばせた。これがあれば、どんなことがあっても一晩はベットに泊まることができるだろうと思った。
「これ、フランスの貴族が飲んでいるワインと一緒よ。」母の言葉を大学生になっても信じていましたが、これは母がついたうその中でいちばんうれしいうそでした。