ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

ウィーン医科大学(心臓胸部外科)に留学して一年

2007年06月30日 | 病院
いつの間にかウィーンに住んで1年が経とうとしている。

ふと振り返ってみると、1年住んでようやくいろいろな面で慣れた気がする。生活環境、食事や、大学病院にも。仕事は実際に患者さんを診察することは少なく、成人心臓手術助手と研究が中心である。手術に関しては、それぞれの教授のクセややり方があり、教授の人数が多いため慣れるにはある程度の時間が必要だった。

と言うよりは、こちらの実力を認めてもらうのに時間が要したのかもしれない。最初と間近の3ヶ月間を比較すると、自分が出来る範囲にかなりの差があることに気づく。

若いナースは英語を話してくれるがベテランナースはドイツ語のみだ。こちらは下手な英語と、単語だけのドイツ語。そのためナースと2人きりになるとイライラされることがあるのは事実だが、それでも何とやっていけることが分かった。


また振り返ってみると、一番はじめに自分の名前を覚えて頂いたコメディカルは手術室の秘書の方たちだった。いつも手術の準備が整うと彼らから電話がくる。自分の担当手術がない時間でも何か興味ある手術が行われていないか気になるから、しばしば彼らに尋ねに行く。術後も彼らの部屋を必ず寄るからもっとも自分がコミュニケーションを取った人たちだった。

Dr間でのmeetingはドイツ語だからなかなか会話には入れない。手術室で二人になると話をするが、術中に長話をするわけでもないし、案外と多くDrとはコミュニケーション不足であるのは残念だ。ふと会話に入るためドイツ語を勉強しようと思うこともあるが、実際家に帰ると寝てしまう日々が続いている。

医師留学の辛いところか、やっと慣れたのにそろそろ帰国準備をしなければいけないようだ。半年先の話だが帰国後のポストを獲得する必要があるからだ。損得を考えずにヨーロッパの、ゆっくり空気の中、もう少し長く異文化を味わうか、それとも型のごとく帰国し元の生活に戻るか、決断をしなければいけない。


(AKHと5階カフェの屋外席)

たぶん、多くの先輩先生方も悩んだのではないかと思う。そろそろ日本が恋しくなる反面、一度帰国するとその後長期海外滞在は、かなり難しくなるだろうから。日本は多方面で優れた国だと再確認するが、一方欧州で生活して感じる開放感は、日本が単一民族かつ島国であることの閉塞感も再確認してしまう。

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