集団ストーカー・・・・気付かない弾圧

集団ストーカー活動を行っている「ある圧力団体」の告発。独裁を目指すために批判する者は口封じ・・裁判員も狙われています。

「裁判員」の「評決」をかえる「圧力団体の集団ストーカー」の手口研究

2009-07-29 22:09:46 | Weblog
■ 

 こんばんは。
 もう、全国的にせみが鳴いているのではないでしょうか・・・

 子供のときの思い出と一緒だからでしょうか、蝉の声を聞かないと「夏」という
 感じがしません。

 夏 と 蝉の声
 入道雲 と 麦藁帽子
 泥だらけのランニングシャツ と おじいちゃんの怒る声・・・・「こらっ!!!またか。台所から入れ!!」

 ・・・懐かしい

 なんだか、組み合わせで記憶されているようです。
 
 
 最近、私にとって「組み合わせ」といえば・・・

 「圧力団体」と「人権犯罪」
 「集団ストーキング」と「圧力団体」

 「人権犯罪銀行」と「圧力団体」
 これらは、セットとしてしか考えられないもの・・・
 

 しかし、セットで浮かんできてはならないことがあります。

 「裁判員」と「集団ストーキング」
 「判決」と「圧力団体」

 これをセットにしてはなりません。阻止しなければ、民主主義日本がなくなる。
 「圧力団体」の「独裁」・・・・それが、深く浸透したときなのですから・・・・

 

■ 前回のブログでは・・・・

 前回のブログでは、「圧力団体」では「ガスライティング」という手法を使う話をしました。
 
 「ガスライティング」・・・聴きなれない言葉だと思います。
 昔むかしの映画「ガス燈」(1943年)からきています。


  ある女性がいました。この女性は、自分の周囲で不思議な現象が起こることに気づきます。
  「あれっ・・・おかしい」
  そう思い、周囲のものに話したのですが、
  「そんなことはない。ありえない。」といわれ続けます。

  しかし、実際にはおかしなことが次々と起こる・・・・その話を周囲のものにすると、
  「気のせいじゃないの・・・あなた、ちょっとおかしいかも。。。」

  女性は、自分の感覚に自信がもてなくなり、ついに、まったく正常な精神に異常を来たしてしまった。
  自分の感覚に自身がもてなくなってきたのです。そのため、精神に異常を来たした・・・・

  実は、この女性は、周囲のものの「わな」。
  周囲の者が、「ありえない」ことを演出していた・・・・女性が、精神に異常を来たすように・・・

  
 簡単にご紹介しましたが、怖い話でしょ??

「ガスライティング」・・・・いまでは、「圧力団体」が「人権犯罪」をした時に
 「言い逃れる」ためにある・・・といっていいくらいの手法になりました。


 「圧力団体」では、このブログを書いている私のことをこう説明しているそうです。
 「そんなこと、ありえないのに・・・あまたがおかしいんじゃないの。こんなブログを書いて・・・」

 これが「ガスライティング」の手法の一部です。
 
 「圧力団体」は、
 ・このブログで書いているような「人権犯罪」をするはずがない。
 ・「圧力団体」が「裁判員制度」を狙い、「判決」を思い通りにすることなんかあるはずがない。
 ・「圧力団体」が独裁を狙っているはずがない。

 ・「圧力団体」が「集団ストーキング」をするはずがない・・・・(この「ほのめかし」はなかったなぁ・・・)
 つまり、私は、あるはずのない話を書いているのだから、「頭がおかしい」というのです。

 以前のブログでも書きましたが、私が精神に異常を来たしているものかどうかは、
 読者の方々のご判断にゆだねます。

 ただ、ご判断いただく前に、気に止めていただきたいことがあります。
 
 「圧力団体」の「人権犯罪の手口」や「独裁」を狙う活動を
  ・自分が体験した事実を挙げ、
  ・「圧力団体」の根本思想や活動など、さまざまな角度から分析して、立体的に浮かび上がらせようとし、
  ・民主主義の危機を訴えていたものがいたこと・・・・
  ・「圧力団体」は構成員に「マインドコントロール」強化の一環もふくめ、
   「集団ストーキング」を行い、「どんな批判にたいしても闘え」と指示している
   それが「独裁」につながっている

  と訴えていた者がいたことを・・・・
   

■ 「多数決」が民主主義的国民の声の反映??

  日本が導入した「裁判員制度」は、非常にあいまいな決着の付け方をする制度であると・・・
  思います。

  導入の経緯や、歴史、考え方が違うということもありますが、
  米国の陪審員制度など見てみますと、はっきりします。


  「怒れる12人の男たち」という映画をご存知でしょうか。
 
   ある殺人事件がありました。
   この事件の裁判のために、12人の陪審員が選ばれる。
   みな、この事件は、簡単に結論がでると思っていた。
   証人もいる。

   しかし、その陪審員の一人が、疑問に思った。引っかかることがある。
   「そのまま有罪でいいのか・・・」
   その疑問から、その男は「有罪」に賛成できなかった。

   他の陪審員は、疑問には思わない。早く決着を付けてしまいたい。
   
   そんな不満がある陪審員に対して、その男は、疑問をぶつける。
   疑問点を検討するうちに、証人が見間違えたのではないか・・・
   それまで「有罪」と意見をいつていた陪審員が、一人一人無罪判決に
   傾く。最後は「無罪」・・・

   自分が疑問に思ったことを、貫き通し、一人の無実の人間を救った。
   

   そんな映画・・・・
       
   陪審員制度では、全員一致で「有罪」か「無罪」かを決める。。。。
   日本の裁判員制度では、多数決で決める。

   「怒れる12人の男たち」の裁判を多数決で決めたとしたら・・・・
   「有罪」ですね。多数決で負ける。
   はじめは、「疑問」に思った男が、孤軍奮闘していたのですから・・・・

   こういう話を見ると、裁判員制度はいかがなものか・・・・
   確かに、一般の国民を裁判に参加させた・・・その意味では、国民の声は反映している。

   しかし、それは、一部の国民の声で、日本国民全体の考え方ではない。
   多数決で決める・・・数が多いものが、必ずしも、正しいわけではない。
   
   
■ 多数派工作できる・・・「裁判員制度」

  裁判員制度が多数決を導入したことに、非常に疑問を感じるのです。
  量刑に踏み込んで判断を下すととうところから、多数決という制度になったのでしょうが、
  これでは、判決があいまいになる。当然の帰結。回数も少ないのですから・・・

  
  「裁判員制度」裁判では、感情論が支配する・・・というだけならまだしも、判決は多数派工作が
  利くという話になります。

  「判決」は、多数決で決めることになっていますが、決定される意見には、最低一名以上の
  裁判員が同意することが必要であることにはなっています。・・・・しかし、これも疑問。

  「裁判官」だって人間です。間違いもあるはず・・・・間違いがない判断を下せるのだったら、
  はじめから、裁判員制度はいりません。



  裁判官が「かくれ圧力団体構成員」・・・選ばれた「裁判員」が「圧力団体構成員」だつたら、
  押さえは利きません。

  政治家が仲介にはいり、一見、「圧力団体」に関係なさそうな事件の「判決」をコントロール
  しようとしたら・・・・もう、誰もわかりません。

    ※ 私の場合「人権犯罪銀行」 ⇒ 「政治家」 ⇒ 「圧力団体集団ストーキング」の
       経路です。  表向き「人権犯罪銀行」は出てこない仕組みです。 
       いまは、かなりの人たちが「人権犯罪銀行」がからんでいることを知っていますが・・

  「圧力団体」の利益にそう・・・つまり、勢力拡大に有利になる判決が出てくる可能性が大きい。
  小集団独裁・・・・「圧力団体」の意見以外は排除する活動があるのですから・・・・
   
  さらに見逃せないのが、裁判所以外の場所での「圧力」です。


■ 「裁判員」の意見をコントロールできたとしたら・・・
  
  「判決」をコントロールするためには、「裁判員の考え方」をコントロールすればいい。
  

  「裁判員」は、それまでに培ってきた価値基準を持っています。意思決定するときの「ものさし」です。
  それまでの人生の中で得た考え方や考える際の「ものさし」・・・

  かりに、そのものさしを変えることができたとしたら、どうでしょうか・・・・

  「評議」の時の意見を変えることができる。。。。。。


  いままで、「それは有罪。実刑判決出なければなりません。悪質きわまりない。」
  という意見を言っていたものが、いつのまにか
  「いえいえ、それは、被害者がかなり悪い・・・加害者に同情します。。。」
  という意見に変わりかねない。

  私は、なにも、「意見を変えることはけしからん。」といっているのではありません。
  意見が変わっていい。問題はない。
  「評議」をかさね、証拠や証人の話を吟味した上で意見がかわる・・・・これは、正しい。

  街中で、たまたま、聞いた話をヒントに意見がかわる。こういうこともあるでしょう。

  「なるほど・・・そういう考え方もあるな。」
  「そういえば、反対意見でもそういうのがあったなぁ・・・」
  「自分は、そうかんがえるけれど、けっこう、そういう話をしたり、反対意見の人と同じ
   考え方する人が多いんだな。意見を変えよう」
 
  という人もいるかも知れません。それも「あり」です。

  しかし、あってはならないことがある・・・
  「マインドコントロール」されて意見が変わってしまう・・・・・知らないうちに「刷り込まれ」て・・・・
  
  ・多くの人の意見だと思っていたら、「圧力団体の集団」が自分の周りで「ほのめかし」ていた・・・
  ・該当する裁判によくにた話を聞くと思ったら・・・・圧力団体構成員が「ほのめかし」ていた・・・

  考え方を「刷り込む」ために・・・・


  変え方・価値基準の「刷り込み」・・・これが問題であるといっています。

  「集団ストーキング」で「圧力団体」の意向に従った「評決」にすることができる。
  全員でなくていいのです・・・・多数決ですから。。。。。

  しかも、これは、仮説ではない。いま、現実に起こっていること。

  私は、毎日のように、「集団ストーキング」から「ほのめかし」「ほのめかしの脅し」を受けています。
  未来の話しじゃない・・・いま、そこにある現実の話なのです。

  決して、頭がおかしいからいっているのではありません。
  
  「圧力団体」は私に圧力をかけ、ブログを閉鎖するように仕向けようとしました。
  ただ、対象を「私」から「裁判員」にするたけのことなのです。 
  
  わたしが、「ガスライティング」の話をした理由がわかりますか???
「集団ストーキング」では、ちょっと、考えられないことが現実に起きるからなのです。

  
 

■ なぜ、裁判員の周囲に「集団ストーカー」が集まれるのか・・・

  次回のブログては、この話をしていきましょう。

  「集団ストーキング」の
  ・圧力手段分類
  ・具体的事例

  など、
  組織的に行う「集団ストーキング」の活動の実態を明らかにします。
    

   
 

 
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