※ この記事を書いているのは、2010.06.24 15:00 現在です。
■ 由々しき事態
由々しき事態が起きた。
昨日のブログで、
「インターネット選挙が解禁されると、ブログでの言論活動が制限されるのではないのか。。。」
という危惧について書いた。
あるブログの読者の方から、そのブログ記事がRSSで更新されていないという連絡があった。
調べてみると、確かに・・・・更新されていない。
「言論活動が制限されるのではないか・・」という危惧についての記事
そのものがRSSで更新されていないのだ。
私が、昨日、懸念していたことは、単なる危惧ではなく、実際におきいてる。
すでに、「危惧」ではなくなっている。
「おきてはならないこと・・・」が実際におきたのである。
※ 当然、投稿されたが、RSSが更新されていないことを示す資料は入手した。
■ ブログのどこが問題になるのか・・・
今回のブログ記事がrssで更新されないことは、「言論弾圧」が存在する証左になる・・・・
そう断定するすることは可能である。
RSSに登録している読者は、この問題に対して意識が高い方である。
その方々に、更新したことを伝えないというrssとは・・・・
意図的なものを感じざるを得ない。
とはいうものの、今回更新分のブログ内容を分析・検証してからでないければ、
「言論弾圧」の「証左になる」と断定することはいかがなものか・・・・と思う。
ブログ自体、更新を、一般国民に連絡できない何かの問題が存在していれば、
それは、言論弾圧というより、私自身の問題になる。
では、さっそく、昨日の記事の内容をみてみよう。
今回のブログでは、何が、どのように問題になっているのか、分析することとして、
「集団ストーカー」に対峙する考え方については、その次のブログで取り扱いたい。
■ ブログの内容
昨日のブログでは、次の項目について書いている。
・監視されている方からの質問
・「政治は、政治家だけのものか」・・・・・
・政治を考えるように教育すること・・・民主主義の基本
簡単に、内容をまとめると、
先日、「集団ストーカー」に監視されているという方からの質問があった。
どのように対処したらいいのか・・・というものだ。
この問題を取り上げるとき、どうしても「言論弾圧」という話を避けて通れない。
特に、いま、「インターネットによる選挙活動」が検討されているからである。
仮に、「インターネットでの選挙活動」が解禁になると、政治の話題を取り上げているブログ
に制限が加わることが懸念される。。「誹謗中傷している。」という名目での制限である。
そのために、「言論の自由」が損なわれることはないだろうか・・・・
政治家ではない一般の国民が、政治的な発言をすることが、制限される
ことになるのではないか・・・・
「政治」は、国会議員のためだけにあるのではない。一般国民も考える。
考えて、ブログで発信している。
ブログが制限されるということになったら・・・「言論の自由」にとって、問題だろう。
どういう基準で、誰が、「誹謗中傷」の線引きをするのか問題だ。
インターネット選挙活動が解禁されたとき、特に、問題がないブログやサイトが
「更新されない」危険性がある。
「特定の圧力団体」が、自らの団体に都合が悪い情報を押さえ込むために、
ブログに対して制限を加える口実になる。
ある「圧力団体」では、批判する言動を押さえ込むために、「集団ストーカー」行為を
している。「圧力」をかけ、批判言論を抑え込む活動を展開している。
「言論の自由」がおびやかされることにならないか懸念される。
■ どこが問題なのか
こうして、まとめてみても、いったい、このブログのどこが問題なのかわからない。
・書いている内容に問題があるのか・・・・・
⇒ 問題があるとは考えられない。
・「集団ストーカー」が存在するという話を書いているからか・・・・
⇒ このブログは、1年以上にわたり、私がうけた「集団ストーカー」の人権犯罪の事実を
集め、その活動実態を明らかにしてきたブログである。
手口を公開し、分析しているブログである。
その手口を分析すると「裁判員制度」そのものが危機にさらされていることがわかる。
民主主義が危機に陥ることがないように警鐘を鳴らすもの・・・
制限される理由がわからない。
内容から考えて、選挙が間近いからの制限ではなさそうだ。
とすると、次に考えられるのは、「集団ストーカー」を取り上げているブログだから・・・
としか考えられない。
RSSでの更新をする、しないに関して、何らかの、制限する基準があるはずだ・・・
なんら基準がないとすれば、今回の制限は、単なる「差別的取り扱い」に過ぎない。
■ インターネットでの自主規制?基準を公開すべき
1年ほど前から、インターネットでの言論に対して、プロバイダーが自主規制という
名目で、制限を加え始めている。
では、今回、このブログがRSSでの更新がされない理由は何か・・・・
プロバイダは、当然、その理由を明らかにすべきである。
いったい、このブログのどこに問題があるのか、明示して、
筆者に対して、修正を求めるべきである。
さらに、
自主規制の基準とは、どういうものであるのかを明らかにすべきである。
先に、書いたように、ブログは、一般国民が、自らの体験や考え方を表現できる場である。
それだけに、その健全性を確保することが重要であるということは理解する。
ブログによる「言論の自由」は公益性が高いからだ。
ならは、プロバイダは、自主規制の基準を公開すべきである。
ブログというひとつの文化の健全な育成を心がけているのであれば、
基準を公開し、ブログ文化の健全に発展の一助にすべきなのではないのか。
逆に言えば、基準が公開されない自主規制は、自主規制の名を借りた「言論統制」と
言われても、弁解の余地がないだろう。
とくに、これからは、「インターネットによる選挙活動」がはじまる。
政治の世界を目指し、立候補したものの記事が更新通知されない。
それでは、いくら、立候補者が、何かを訴えても、更新された事実がわからなければ、
見ることはできない。
しかも、更新する候補者と更新通知されない候補者を作ることができる。
システム、公開する、公開しないの基準など、自主規制といわれるものの
取り扱い基準を明示すべきだ。
「言論の自由」が守られなければ、日本の民主主義はゆがんでいく。
■ 由々しき事態
由々しき事態が起きた。
昨日のブログで、
「インターネット選挙が解禁されると、ブログでの言論活動が制限されるのではないのか。。。」
という危惧について書いた。
あるブログの読者の方から、そのブログ記事がRSSで更新されていないという連絡があった。
調べてみると、確かに・・・・更新されていない。
「言論活動が制限されるのではないか・・」という危惧についての記事
そのものがRSSで更新されていないのだ。
私が、昨日、懸念していたことは、単なる危惧ではなく、実際におきいてる。
すでに、「危惧」ではなくなっている。
「おきてはならないこと・・・」が実際におきたのである。
※ 当然、投稿されたが、RSSが更新されていないことを示す資料は入手した。
■ ブログのどこが問題になるのか・・・
今回のブログ記事がrssで更新されないことは、「言論弾圧」が存在する証左になる・・・・
そう断定するすることは可能である。
RSSに登録している読者は、この問題に対して意識が高い方である。
その方々に、更新したことを伝えないというrssとは・・・・
意図的なものを感じざるを得ない。
とはいうものの、今回更新分のブログ内容を分析・検証してからでないければ、
「言論弾圧」の「証左になる」と断定することはいかがなものか・・・・と思う。
ブログ自体、更新を、一般国民に連絡できない何かの問題が存在していれば、
それは、言論弾圧というより、私自身の問題になる。
では、さっそく、昨日の記事の内容をみてみよう。
今回のブログでは、何が、どのように問題になっているのか、分析することとして、
「集団ストーカー」に対峙する考え方については、その次のブログで取り扱いたい。
■ ブログの内容
昨日のブログでは、次の項目について書いている。
・監視されている方からの質問
・「政治は、政治家だけのものか」・・・・・
・政治を考えるように教育すること・・・民主主義の基本
簡単に、内容をまとめると、
先日、「集団ストーカー」に監視されているという方からの質問があった。
どのように対処したらいいのか・・・というものだ。
この問題を取り上げるとき、どうしても「言論弾圧」という話を避けて通れない。
特に、いま、「インターネットによる選挙活動」が検討されているからである。
仮に、「インターネットでの選挙活動」が解禁になると、政治の話題を取り上げているブログ
に制限が加わることが懸念される。。「誹謗中傷している。」という名目での制限である。
そのために、「言論の自由」が損なわれることはないだろうか・・・・
政治家ではない一般の国民が、政治的な発言をすることが、制限される
ことになるのではないか・・・・
「政治」は、国会議員のためだけにあるのではない。一般国民も考える。
考えて、ブログで発信している。
ブログが制限されるということになったら・・・「言論の自由」にとって、問題だろう。
どういう基準で、誰が、「誹謗中傷」の線引きをするのか問題だ。
インターネット選挙活動が解禁されたとき、特に、問題がないブログやサイトが
「更新されない」危険性がある。
「特定の圧力団体」が、自らの団体に都合が悪い情報を押さえ込むために、
ブログに対して制限を加える口実になる。
ある「圧力団体」では、批判する言動を押さえ込むために、「集団ストーカー」行為を
している。「圧力」をかけ、批判言論を抑え込む活動を展開している。
「言論の自由」がおびやかされることにならないか懸念される。
■ どこが問題なのか
こうして、まとめてみても、いったい、このブログのどこが問題なのかわからない。
・書いている内容に問題があるのか・・・・・
⇒ 問題があるとは考えられない。
・「集団ストーカー」が存在するという話を書いているからか・・・・
⇒ このブログは、1年以上にわたり、私がうけた「集団ストーカー」の人権犯罪の事実を
集め、その活動実態を明らかにしてきたブログである。
手口を公開し、分析しているブログである。
その手口を分析すると「裁判員制度」そのものが危機にさらされていることがわかる。
民主主義が危機に陥ることがないように警鐘を鳴らすもの・・・
制限される理由がわからない。
内容から考えて、選挙が間近いからの制限ではなさそうだ。
とすると、次に考えられるのは、「集団ストーカー」を取り上げているブログだから・・・
としか考えられない。
RSSでの更新をする、しないに関して、何らかの、制限する基準があるはずだ・・・
なんら基準がないとすれば、今回の制限は、単なる「差別的取り扱い」に過ぎない。
■ インターネットでの自主規制?基準を公開すべき
1年ほど前から、インターネットでの言論に対して、プロバイダーが自主規制という
名目で、制限を加え始めている。
では、今回、このブログがRSSでの更新がされない理由は何か・・・・
プロバイダは、当然、その理由を明らかにすべきである。
いったい、このブログのどこに問題があるのか、明示して、
筆者に対して、修正を求めるべきである。
さらに、
自主規制の基準とは、どういうものであるのかを明らかにすべきである。
先に、書いたように、ブログは、一般国民が、自らの体験や考え方を表現できる場である。
それだけに、その健全性を確保することが重要であるということは理解する。
ブログによる「言論の自由」は公益性が高いからだ。
ならは、プロバイダは、自主規制の基準を公開すべきである。
ブログというひとつの文化の健全な育成を心がけているのであれば、
基準を公開し、ブログ文化の健全に発展の一助にすべきなのではないのか。
逆に言えば、基準が公開されない自主規制は、自主規制の名を借りた「言論統制」と
言われても、弁解の余地がないだろう。
とくに、これからは、「インターネットによる選挙活動」がはじまる。
政治の世界を目指し、立候補したものの記事が更新通知されない。
それでは、いくら、立候補者が、何かを訴えても、更新された事実がわからなければ、
見ることはできない。
しかも、更新する候補者と更新通知されない候補者を作ることができる。
システム、公開する、公開しないの基準など、自主規制といわれるものの
取り扱い基準を明示すべきだ。
「言論の自由」が守られなければ、日本の民主主義はゆがんでいく。