特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

「時間の遅れはお互い様」成立の歴史的経緯

2023-05-30 04:52:50 | 日記

1、何時、誰が何を言ったのか? 「時間の遅れはお互い様」成立の年表

・アインシュタイン

1905年「動く物体の電磁気学について」で

『2つの時計が一緒に持ち寄られ、同期され、その後、1つの時計が移動して戻ってきた場合、移動した時計はその間に滞っている時計よりも遅れていることが推論されました。

1911年

アインシュタインはこれを特殊相対性理論の自然な結果と考えましたが、他の人々が示唆するような逆説(パラドックス)ではなく、1911年に彼は以下のように結果を再述し詳細に述べました(物理学者ロバート・レズニックのコメントも続いています)。

アインシュタイン: 生きている有機体を箱の中に入れたとしたら…その有機体は、任意の長時間の飛行の後、ほとんど変化のない状態で元の場所に戻ることができ、一方、対応する有機体は元の位置に留まっていた。すでにずっと前に新しい世代に道を譲っていました。移動する生物にとって、その動きがほぼ光の速度で行われる限り、長い旅の時間はほんの一瞬でした。

レズニック: 静止している生物が男性で、移動している生物がその双子である場合、旅行者が家に帰ると、自分よりもはるかに年老いた双子の兄弟が見つかります。このパラドックスは、相対性理論において、双子のどちらかがもう一方を旅行者とみなす可能性があり、その場合、それぞれが相手を若く感じるはずであるという主張に焦点を当てていますが、これは論理的矛盾です。この主張は、双子の状況が対称的で交換可能であると仮定していますが、この仮定は正しくありません。』

そうしてまた

1911 年ポール ランジュバン

『ローレンツ係数γ = 100で旅行する旅行者の話を説明することにより、「印象的な例」を示しました。(光の速度の 99.995%)。旅行者は 1 年間発射体の中に留まり、その後方向を反転します。帰還すると、地球では200年が経過しているのに、旅人は自分が2歳老けていることに気づくでしょう。旅行中、旅行者と地球の両方が一定の速度で相互に信号を送信し続けるため、ランジュバンの物語は双子のパラドックスのドップラー シフト バージョンの 1 つに位置づけられます。信号レートに対する相対論的効果は、さまざまな経年変化レートを説明するために使用されます。旅行者のみが加速を受けたために発生した非対称性は、なぜ違いが存在するのかを説明するために使用されます[16] [17]のは、「速度の変化や加速度には絶対的な意味がある」ためです。【A3】』(注5)

結論として

『アインシュタインもランジュバンも、そのような結果は問題があるとは考えていませんでした。アインシュタインはそれを「奇妙な」とだけ呼んだのに対し、ランジュバンはそれを絶対加速度の結果として提示しました。[A 7]

両名は、双子の物語によって示される時間の差異からは、いかなる自己矛盾も構築できないと主張した。言い換えれば、アインシュタインもランジュバンも、双子の物語が相対論的物理学の自己矛盾への挑戦であるとは考えていなかったのです。』

以上は英文ういき「双子のパラドックス」: https://archive.md/L1VhD :からの引用です。(注1)

そうして上記の情報からは「アインシュタインが直接的には『時間の遅れはお互い様』とは主張していない事」が分かります。

アインシュタインの主張はあくまで『2つの時計が一緒に持ち寄られ、同期され、その後、1つの時計が移動して戻ってきた場合、移動した時計はその間に滞っている時計よりも遅れている』という事でありました。

 

・1908年 ミンコフスキー

1908年9月21日にKo¨ln(ケルン)のドイツ自然科学者医師大会で行った講演「空間と時間」での主張。

以下「ミンコフスキーの4次元世界」 : https://archive.ph/Cvvyf :を参照します。

それで同上資料の「(7)時計の遅れ」第37図から始めます。それで第37図によってミンコフスキーは「相対運動している慣性系同士はお互いに相手の時計が遅れている事を確認する」と説明しています。(注2)

さて状況がはっきりしてきました。

記録に残っている範囲で最初に「時間の遅れはお互い様」と明言したのはミンコフスキーの模様です。

まあしかしながら1905年のアインシュタインの論文で記述された推定『2つの時計が一緒に持ち寄られ、同期され、その後、1つの時計が移動して戻ってきた場合、移動した時計はその間に滞っている時計よりも遅れている』に対しては多くの議論・反論がなされたものと思われます。

しかしながら当方の情報収集力では「その時にだれが何を言ったのか」までは残念ですがわかりません。

まあそれもありましてここでは「ミンコフスキーに一同を代表してもらう」という事にします。

つまりは1908年にミンコフスキーが初めて「時間の遅れはお互い様と言い出した」としておきましょう。

 

1951年 ランダウ、リフシッツ

ランダウ、リフシッツによる「場の古典論」は、1951年に出版されました。

その §3 固有時間 での議論で

K系とK'系が相対運動している時には、お互いが相手の時計が遅れている事を確認する」と主張しております。(注3)

 

2、「時間の遅れはお互い様」という通説の完成
・2022年~23年現在の状況

こうしてそれに続く事態はすべてミンコフスキーとランダウ、リフシッツのコピペという事になり、相対論の通説「時間の遅れはお互い様」が出来上がり現在に至った、という事になります。

たとえば ういき「特殊相対性理論」: https://archive.md/Tsk4p :の「時計のパラドックス」章では

『今、ここに一組の双子がおり、二人は慣性運動しながら次第に離れているとする。このとき兄から見ると、弟の時計は遅れてみえ、逆に弟から見ると兄の時計は遅れてみえる事が特殊相対性理論から帰結される。

これは一見奇妙に見えるため、時計のパラドックスと呼ばれることもあるが[46]、実は特に矛盾している訳ではない。なぜなら慣性運動している二人は二度と出会うことがないので、もう一度再会してどちらの時計が遅れているのかを確認するすべはないからである。』

と書かれてあり、ういきを信頼する人は「そうなんだ」となり、こうしてますます「時間の遅れはお互い様」という通説は「ネットロアとして拡散してゆく」のでした。

ちなみに[46]は「佐藤勝彦 著、長岡洋介、原康夫 編『相対性理論』岩波書店〈岩波基礎物理シリーズ〉、1996年12月18日。ASIN 4000079298。ISBN 4000079298。 NCID BN15591416。OCLC 675345203。全国書誌番号:97049882。」となっています。

加えてういき以外でのネットでの状況は以下の記事にて確認可能です。

 ・素人が正しいのか、玄人が正しいのか

 ・「時間の遅れはお互い様」を主張するネット記事一覧

 ・その2・「時間の遅れはお互い様」を主張するネット記事一覧

こうしてアインシュタインが「言外にほのめかし」そうしてミンコフスキーが明言した「時間の遅れはお互い様」という主張は確固たる通説として現在もこの業界では信じられているのでした。(注4)

 

注1:英文:「双子のパラドックス」

https://en-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Twin_paradox?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

ちなみに最後の章に次のような「基準静止系あるいはエーテル」に対する「興味深い文章」が乗せられています。ご参考までに。

『アインシュタインが行った実際の時計の時間差(または年を取る速さ)の結論によって、ポール・ランジュバンは実際には実験的に検出不可能な絶対的な基準枠を仮定しました。

1911年、ランジュバンは次のように書きました。「エーテルにおける一様な平行移動は実験的な意味を持ちません。しかし、それによって結論されるべきではありません。それが時折早まって行われることもあるが、エーテルの概念を放棄しなければならないということ、エーテルは存在しないか、実験できないということではありません。エーテルに対する一定の速度は検出できませんが、速度の変化は絶対的な意味を持ちます。」(注5)

1913年、アンリ・ポアンカレの遺著『最後のエッセイ』が出版され、彼は自身の立場を再述しました。「今日、一部の物理学者は新しい慣習を採用しようとしています。それは彼らが強制されているわけではありません。彼らはこの新しい慣習がより便利だと考えているだけです。そして、この意見に同意しない人々は合法的に古い慣習を保持することができます。」

ポアンカレとヘンドリック・ローレンツの相対性理論では、実際には実験的に識別不可能な基準枠が仮定されているため、双子のパラドックスは発生しません。時計の遅れ(および長さの収縮と速度)は実在と見なされるため、再会した時計の間には実際の時間差が存在します。

ジョン・A・ウィーラーが「エーテル理論B(長さの収縮と時間の収縮)」と呼ぶその相対性の解釈は、アインシュタインの解釈と比べてはるかに注目を集めませんでした。アインシュタインの解釈では、慣性系を超える対称的な測定の背後に深層の現実を無視しています。これらの解釈を区別する物理的なテストは存在しません。

2005年、ロバート・B・ロフリン(ノーベル物理学賞受賞者、スタンフォード大学)は空間の性質について次のように書きました。「アインシュタインの最も創造的な業績である一般相対性理論が、空間を媒体として概念化することになるとは皮肉なことです。彼の特殊相対性理論では、そのような媒体は存在しないという原則に基づいていました...「エーテル」という言葉は、それが相対性理論に対する反対意見と関連しているため、理論物理学の文脈では非常に否定的な意味を持っています。これは残念なことですが、この意味を取り除いた場合、それは実際にほとんどの物理学者が真空について実際に考えている方法をうまく捉えています... 相対性理論自体は、宇宙に普及する物質の存在または非存在について何も言っていません。ただし、そのような物質は相対性の対称性(つまり、測定による)を持たなければならないということだけです。」

1968年のA. P. フレンチの『特殊相対性』には次のように書かれています。「ただし、ここではAの加速度の実在性、およびそれに関連する慣性力の観測可能性に訴えています。固定された星や遠い銀河の枠組みがない場合、双子のパラドックスのような効果は存在するでしょうか?ほとんどの物理学者はそうではないと言うでしょう。我々の最終的な慣性系の定義は、宇宙全体の物質に対して加速度がゼロであるフレームであるかもしれません。」』

注2:この件、内容詳細につきましては「その3・ ミンコフスキー パラドックス」: https://archive.md/K5C3C :を参照願います。

ここでミンコフスキーはMN図をつかって「相対運動している慣性系同士はお互いに相手の時計が遅れている事を確認する」と主張していますが、その確認手段については明示していません。

そうしてもちろん「物理学は現物勝負」でありますからこのままではミンコフスキーの主張は実は「そのように考える事ができる」という「ひとつの仮説の提示」という状況でした。

注3:この件、内容詳細につきましては「ランダウ・リフシッツが間違えた事」: https://archive.md/UEsgW :を参照願います。

上記のミンコフスキーの主張に対してランダウ・リフシッツは「時間の遅れはお互い様」を確認する実験手順を明示しました。

そうしてそれによって「ほら、時間の遅れはお互い様だよ」と主張したのでした。

しかしながらその主張は「LLの一般解の導出」によって否定される事になりました。

そうであればランダウ・リフシッツの測定方法は否定されましたので、「K系とK'系が相対運動している時には、お互いが相手の時計が遅れている事を確認する」というランダウ・リフシッツの主張は「検証されていない仮説」という立場にもどりました。

つまりはミンコフスキー提示の仮説と同じ位置に戻った、という事になります。

さてそうなりますとこの勝負はやはり「実物勝負」つまりは「実験して白黒つける」という事になりそうです。

ちなみに個人的には横ドップラー効果の存在そのもの、そうしてまた静止衛星における時間の遅れの存在がすでに基準慣性系の存在を示しているととらえております。

そうであれば「観測者が勝手に静止系を決めれる」という「時間の遅れはお互い様」と言う主張は「すでに実験的な検証によって否定されている」となります。

くわえてランダウ・リフシッツの測定方法が「LLの一般解の導出」によって否定されましたので、基準慣性系の存在に対する確信はさらに増えたと言えます。

まあしかしながら「それらの事実を確認してもまだ通説が主張されている」のであれば「もっと明白にこのテーマに白黒つける実験が必要である」という事になりそうです。

注4:アインシュタインは今にして思えば「奇妙な事に」なのか「賢明な事に」なのか分かりませんが「時間の遅れはお互い様」とは明言していません。

但しアインシュタインの立てた前提とそうして特殊相対論の結論からロジックによって導き出される主張は「時間の遅れはお互い様」とならざるを得ず、それゆえにミンコフスキーもランダウ・リフシッツも「時間の遅れはお互い様」と主張し、それぞれが独自の思考実験によって「時間の遅れはお互い様を立証できた」としたのです。

ここでミンコフスキーが始めたMN図による表示方法についてコメントが必要でしょう。

その方法は「状況を目に見える様にした」という事ではとても大きな貢献でした。

しかしながら同時にそれによって「距離が離れているにも関わらず、比較が必要な2つの時計の指し示す時刻を『ちょうど神の目の様に俯瞰的に瞬時に2つの時計の指し示す時刻を確認できる』様な誤解」を招きました。

そうしてその様な比較は現実には不可能なのですがミンコフスキーは「ほら、こうやって比較できる」と示しました。

その結果はミンコフスキーの後に続く者達はすべてその『間違った比較方法』を「これでいいのだ」として来たのです。

それからもう一つ、ミンコフスキーが示したのは「計算の途中で、問題を検討している途中で(自分に都合の良いように?)静止系を切り替える事が出来る」という事でした。

これによって「時間の遅れはお互い様」となりさらには「光の速度を超える通信が起こると因果律違反が起きる」という事になってしまったのであります。

しかしながらこのミンコフスキーの主張に対してアインシュタインは「そこまでは言ってはいない」、「静止系は主観的に決めてよい」とは言いましたが「計算の途中で静止系を切り替えてもよい」とは言ってはいないのであります。

そうであれば「計算途中で静止系を切り替える、というやり方を始めたのはミンコフスキーである」という事になります。

注5:ポール ランジュバンの主張する所は「加速度が時間の遅れを引き起こす」と言うもの。

しかしながら「横Gも縦Gも時間の遅れを引き起こさない」と言うのは実験的な事実です。

 

PS:相対論・ダークマターの事など 記事一覧

https://archive.md/wBAdd

https://archive.md/WHcRX