特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

ランダウ・リフシッツが間違えた事

2023-05-24 01:33:54 | 日記

「LL(ランダウ、リフシッツ)の一般解」の意味とランダウ・リフシッツの主張の相違点。

それを考えるにあたり、まずはランダウ、リフシッツの説明に戻る所から再出発しましょう。

1、ランダウ、リフシッツによる「時間の遅れはお互い様」の説明

それでこのページでは具体的に『ランダウ、リフシッツ著「場の古典論(増訂新版)」東京図書(1964年刊)1章§3“固有時間”(p9~11)』から再度本文を引用し、その内容を検討したいと思います。(注1)

さて§3“固有時間”の章より

『与えられた対象と一緒に動いている時計の示す時間をこの対象の固有時間という。(3.1)および(3.2)は、運動を観察するのに準拠する基準系の時間によって固有時間を表すための式である。(注2)

(3.1)および(3.2)から分かる様に,動いている物体の固有時間は、常に、静止系における対応する時間間隔よりも短い。

いいかえると動いている時計は静止している時計よりもゆっくりと進むのである。



慣性系Kに対していくつかの時計が一様な直線運動をしているとしよう。これらの時計に結び付けられた基準系K'も慣性系である。

さてK系の観測者からすると、K'系の中の時計は遅れる。逆にK'系の立場から見ればKの中の時計が遅れる。

しかし、次の事に注意すればここに矛盾が無い事が確認される。

K'系の時計がK系の時計より遅れている事を言うためには、次のような操作をしなくてはならない。

ある瞬間にK'の時計がKの時計のそばを通り過ぎ、その瞬間には2つの時計の読みが一致していた、とする。KとK'の2つの時計の歩みを比較するには、もう一度、動いている時計の歩みをKの中の時計の歩みと比較しなければならない。

しかし、今度動いている時計の歩みと比較できるのはKの先ほどとは別の時計ーーこの比較の瞬間にK'の時計とすれ違う時計である。

そうしてK'の時計は今それと比較したKの時計と比べて遅れている、と言う事をみいだすのである。

2つの基準系の時計を比較する為には、一方の基準系では数個の時計、他方の基準系では一個の時計を必要とする事が分かる。

従ってこの操作は両方の系について対称ではない。遅れると判断される時計は常に同一で、それが他の系の異なったいくつかの時計と比べられるのである。・・・』

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ええとまずは「一方の基準系では数個の時計」と言ってますが、これは「2個の時計」で十分です。

それでランダウとリフシッツの主張は「遅れている、と判断されるのは、常に『観測者が動いていると判断した系=相手の系』にあるたまたま注目した一個の時計(=時計B)の方」であって、その時計を『観測者が静止していると判断した系=自分が立っている系』にある2個の時計(=時計Cと時計A)と比較する事で、BがAに対して遅れている事を見出す、と言っています。

それでまずはBとCがすれ違います。

この時に観測者はBの時計の針の位置とCの時計の針の位置を記録します。

それでランダウとリフシッツの前提では「この時にBとCの時計の針は同じ時刻を指していた」となっています。

そうして次にBはAとすれ違います。

この時も観測者はそれぞれの時計の針の位置を記録します。

こうして時計BについてはCとすれ違った時からAとすれ違う時までの時間経過=時間間隔が分かります。

それでその時間間隔をΔT(B)とします。

他方で時計Cと時計Aは同一慣性系内にありますから、アインシュタイン ポアンカレ同期の規則によって同期させてあります。(つまりCとAの時計の針は、その慣性系内での観測では何時も同じ位置を示します。)

従って時計Bが時計Cとすれ違った時の時計Cの針の位置から時計Bが時計Aとすれ違った時の時計Aの針の位置を比べる事で、時計CとAが存在している慣性系での時間で計った時に、時計Bがどれだけの時間をかけて時計Cの位置から時計Aの位置まで移動したかが分かります。

それでその時間間隔をΔT(AーC)とします。

そうしてランダウとリフシッツの主張は「常に時計Bの方が遅れている事を観測者は見出す」つまり「ΔT(B)<ΔT(A-C) となる」となります。



そうしてこの話に矛盾がない=「時計のおくれはお互い様である」が成立する理由は「この操作は両方の系について対称ではない。」という所にある、と主張しています。

つまり「観測者は動いていると認識している相手の慣性系から一つの時計を選び出して時計Bとすることができ、そうして自分の慣性系にある時計Cおよび時計Aと時計Bは順次すれ違う事になるのだが、そのときに相手の時計(=B) の針の位置と自分の時計(=CとA) の針の位置を記録することでΔT(B)とΔT(A-C)の値を計算することが出来、その結果はいつも「ΔT(B)<ΔT(A-C) となる」と主張しています。

そうしてこの観測者はK系に立つ事もK'系に立つ事もでき、そのたびに「自分が立っている慣性系よりも相手の慣性系の時計が遅れている事を見出すのだ」としているのです。

「そうであるから」とランダウとリフシッツは言います。

「時間の遅れはお互い様なのだよ」と。

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2、ランダウとリフシッツの主張に対する「LLの一般解」の回答

観測者が立つ慣性系αの方に時計Cと時計Aを距離Lだけ離して設定し、それに接近してくる相手の慣性系βの中に時計Bを置いておく。

そうして時計Bと時計Cがすれ違うイベントをイベント①とし、次に時計Bと時計Aがすれ違うイベントをイベント②とする。

時計Cと時計Aは同一慣性系内では時刻合わせが済んでいて、時計Bと時計Cがすれ違う時にはランダウとリフシッツが主張するように「その瞬間には2つの時計の読みが一致していた」とします。

そうであればイベント①からイベント②に至るまでに2つの時計、時計Bと時計Aはそれぞれ固有時間、経過します。

そうしてその値は「LLの一般解」で計算ができます。

そうしてその結果と言えばランダウとリフシッツが主張するように「時計Bの固有時間は時計Aの固有時間よりも短くなる」というものです。

そうしてまたこの状況はランダウとリフシッツが主張するように「慣性系αに時計Bをおき、慣性系βに時計CとAを置いた場合も時計Bの固有時間は時計Aの固有時間よりも短くなる」という事になります。



さてそれで、この時に注意しなくてはならない事は「時計Bの固有時間<時計Aの固有時間」であったとしてもその事が「時計Bが属している慣性系の時間が遅れている、という事にはならない」という事です。

しかしながらランダウとリフシッツは「動いている物体の固有時間は、常に、静止系における対応する時間間隔よりも短い」という主張の証明として「動いている、と観測者が認識している慣性系にある時計Bの固有時が、観測者が立つ慣性系にある時計Aの固有時よりも常に短く観測される」という事を上げています。

でもこの事実はランダウとリフシッツが動いていると観測者が認識している慣性系の方にいつも時計Bを置く事により生じている結果である、と言えます。

「LLの一般解」によれば「観測者が動いている、と認識した慣性系に時計Cと時計Aを置き、観測者が立つ慣性系に時計Bを置いても、時計Bの固有時間<時計Aの固有時間となる」となる事が分かります。

つまりは時計Bの固有時間の大きさと時計Aの固有時間の大きさを決めているのは、観測者が「そちらの慣性系が動いている様に見える」とか「こちらの慣性系が止まっている」とかいう「観測者の主観的な判断とは無関係」であり「それ以外の要因ですでに決まってしまっている」という事です。(注3)

そうであれば時計Bの固有時間と時計Aの固有時間を比較する事からは、それぞれのその時計の属している慣性系の時間の遅れは把握できない、という結論にいたるのです。



注1:ランダウ、リフシッツ著「場の古典論(増訂新版)」東京図書(1964年刊)1章§3“固有時間”(p9~11)
http://fnorio.com/0160special_theory_of_relativity/Landau_Lifshitz_classical_field_1-7/Landau_Lifshitz_classical_field_1-7.html#01-003

の §3 固有時間 での議論

「K系とK'系が相対運動している時には、お互いが相手の時計が遅れている事を確認する」と書かれてあります。

注2:ここで「運動を観察するのに準拠する基準系」=観察者が立っている慣性系=「静止系として扱う」=「静止系である」とランダウ・リフシッツは宣言しています。

注3:「ランダウ・リフシッツが見逃していた=間違えた」のはまさにこの事実です。

ランダウ・リフシッツは「慣性系に属する時計の時刻を観測しその時間経過を比較する事で慣性系の時間の進み方を把握できる」という立場でした。

しかしながらその事は「LLの一般解」によって否定されてしまいました。



追伸:互いにすれ違う2つの慣性系の間の時間の遅れの測定について

ランダウとリフシッツがいう様に、2つの慣性系に置かれた時計の遅れを測定するには原理的に3つの時計が必要となる様です。

ただし、同一の慣性系内に置かれた2つの時計はその慣性系内で時刻合わせを済ませておきます。

そうして一方に一つ、他方に2つの時計を設置し、それぞれの時計がすれ違う時にお互いの時計の針の位置を記録しあう。

これで時計の時間の経過が計算できます。

しかしながら「LLの一般解」が主張している事は「確かに時計の経過時間には差が生じるが、それはそれぞれが属している慣性系の時間の遅れをそのまま直接には表してはいない」と言う事であります。

「LLの一般解」によれば「2つの慣性系に置かれた時計の経過時間に差が生じるのは静止系に対する2つの慣性系の運動により、2つの慣性系に置かれた時計の時刻がローレンツ変換される事に起因している」という事になります。

その結果は「確かに時計の経過時間には差が生じる」のですが「それは2つの慣性系の時間の遅れを直接には表現しない」=「時計の経過時間を比較しても、その時計が属している慣性系の時間の遅れは把握できない」と言うのが結論となります。

しかしながら静止系に対する2つの慣性系の運動によって、それぞれの慣性系の時間が静止系の時間に対して遅れを生じている事は確かなのであります。

さてそう言う訳で「ここでもまた自然は、宇宙は巧妙に静止系を隠す」と言う事ができます。



追伸の2:ランダウ・リフシッツが説明した「すれ違う2つの慣性系の間で時間の遅れを3つの時計を使って観測する方法」は一番原理的でシンプルであると思われます。

そうしてその方法はミンコフスキー図をつかって動いている対象物の時間の遅れを説明しようとすると自然に・自動的に行き着く方法でもあります。

従って従来の考え方によれば「この方法で2つの慣性系の間の時間の遅れは測定できる」とされていました。

しかしながら「LLの一般解」によれば「そうやって測定された時計の固有時は慣性系そのものの時間の遅れを表してはいない」と言う事でした。

さてその状況を強く表現しますと「すれ違う2つの慣性系の間でランダウ・リフシッツの方法で時間の遅れを測定する事は原理的に不可能である」となります。(注4)

それで以上のような内容は「LLの一般解」によって初めて知る事が出来た重要な認識であると言えます。



注4:すれ違い距離がゼロでの横ドップラー効果を測定できれば「2つの慣性系の内でどちらの時間が遅れているか」判別可能となりそうです。

但し2つ+1つの時計をそれぞれの慣性系に設置してそれで慣性系の時間の遅れを測定する、と言う方法は「LLの一般解によって不可能である」とされる為に却下されます。



追伸の3:ランダウ・リフシッツのもう一つの主張

それは「時間の遅れはお互い様」という主張です。

さてこの主張に対しては「LLの一般解」は「それは単なる誤解だ」と言っています。

まあそうなのではありますがこの件、ページを改めて再検討する事と致します。


PS:相対論・ダークマターの事など 記事一覧

https://archive.md/UEsgW

https://archive.md/RG3zQ