花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

天川行ったらこっちも寄ってよ。丹生川上神社下社。2

2019年10月16日 05時37分41秒 | 美しき水の国

こんにちは。

わたしが個人的に感じている丹生川上神社下社は古神道の祭祀場です。

古から伝わる古神道(自然崇拝に祖霊祭祀)を伝える神社もそして宮司さんも神職さんもすっかり存在しなくなってしまいました。神社に行ってもお寺に行っても御利益の話しや祈祷の受付ばかり大きくなって行き寂しい感じもしています。もうこれ以上,任せてはおけぬとすべての衆生を救うまで我,仏界には戻らずと救済の為に,山を下りた観世音菩薩は今でも裸足だと云うのに・・・。しかし,その様な中でも希望もあります。それは,最近の若い人たちが本来の日本信仰に目覚めはじめて来ていると云うことです。もしかすると,現在の宗教家よりも一般社会に居る若い人々の方が宗教家と云えるのかも知れません。わたしは個人的に古神道系の神社に期待している部分もあるのです。古神道を後世に伝えることで日本人の魂に再び息を吹き込めるのではないかと真剣に考えてもいます。このままでは日本人としての誇りだけではなく,民族そのものが存続できるかと云うくらいのところまで来ているように感じています。勿論,そんなことがあっては絶対にいけません。しかし,私たち日本人は少し資本主義に浸かり過ぎた感じもします。

それでは,昨日の続きです。

龍は,人間どうしの争いをとにかく嫌います。どうやら騒がしいのが苦手なようなのです。心優しい龍は,争いを嫌い里山の奥深くにその身を隠していると云う伝説もあります。人間が放つ憎しみや恨みや辛みの気が龍の身体を傷つけているようなのです。龍は,清らかな水を好みます。しかし,人間の激しい気が水の結晶を壊してしまっています。すると,龍は清らかの水を呑むことが出来なくなると云うわけです。丹生川上神社下社を数千年も前から守護している龍神も同じようにその身を隠してきた龍かも知れません。

龍は,清らかな水を呑むと書きましたが,正確には水の結晶を食べているのであります。

ですから,人間の争う気などで水の結晶が破壊されてしまい,龍は水の結晶を食べれなくなってしまうのです。

その後,数か月後にふたたび天河神社から今度は正式に参拝をさせて頂こうと予め予定して丹生川上神社下社へ向かいました。予定通り,神社の参拝者駐車場に車を止めて鳥居から境内に入ると「これか!」と思わず息を呑んでしまったのです。それは何かと申しますと龍神の正体が解かったのです。龍神の正体は建築物にありました。わたしは神社の建築物を撮影することができないので残念ですが写真はありませんが,龍神の正体は建物全体が龍神の身体になっているのです。つまり,拝殿が龍神の口に相当します。

そして,拝殿から裏手にそびえる御神体中腹に御鎮座される本殿まで続く階段が龍神の同体になります。したがいまして,拝殿の中に入ると龍の口の中へ,そして,本殿へと続く階段を登ると龍の同体の中に参拝者はいる事になります。これを観たときは正直,ビックリしたと云うか古来の宮大工の棟梁の霊性と霊格の高さを目の当たりにしました。さらに,完全(観世)に音霊を上手く観て建築されたと感服しました。ここまで正確に音霊「波動」を観れる人は,今では滅多に存在しません。ただ御見事の一言です。

まさに「世」の「音」を「観」る。観世音菩薩です。

わたしも若気の至りで棟梁に負けじと神社から放たれている音霊「波動」を集中して観てみました。すると,現在の拝殿の建築は比較的新しく,元の拝殿は今のような形状ではなく,龍神が大きな口を開けているような唐破風の拝殿であると確信しました。そして,後日,昔の拝殿を調べてみたところやはり,昔の拝殿は唐破風の構えをされていたようです。神社の建築物にも神さまの祈りが籠められております。丹生川上神社下社では大きな龍神が大きな口を開けて真の前の川をの水を呑みに行く姿を宮大工の棟梁が感じ取って建築されました。又,天河神社でも建築物に天河神社の神さまの祈りがちゃんと籠められています。天河神社の拝殿と本殿は親が子供を見守る姿を建物を通して表現して居るはずです。ですから,天河神社へ参拝すると母性を感じてしまうのでしょう。

そんなことを感じさせてくれる神社がこの丹生川上神社下社であります。

明日に続きます。


天川行ったらこっちも寄ってよ。丹生川上神社下社。

2019年10月15日 05時00分20秒 | 美しき水の国

 

こんにちは。地震が少し気になっています。防災意識を高めて行きましょう!

先日まで書かせて戴いて来た,奈良県吉野郡天川村とその天川村に御鎮座される天河大弁財天社「通称:天河神社」をご紹介させていただいたら,やはり,ここの神社もご紹介させて戴かなくてはなりません(笑)。そして何と言っても,宮司さんと神職さんが素晴らしい御方なのです。宮司さんは,古神道タイプの御人ですから御蔭信仰や祈願信仰などの所謂,ご利益話などは一切されない方です。これまでの宮司歴で言いますと近畿圏の名立たる神社の宮司を歴任した後,平成21年の秋に丹生川上神社下社に赴任することになりました。

日本最古の水の神さまをお祀り申し上げる。丹生川上神社下社で御座います。

ここ丹生川上神社も凄い神社で,国家の重大事や天変地異などの国家に危険や危難が及ぶと朝廷から特別な奉幣を賜る国家にとってはなくてはならない重要な神社で,神社の社各を示す二十二社中の一社であるのです。何回かブログでも記事にさせて頂いてきた神社でもあります。わたしが初めてこちらの丹生川上神社下社を目にしたのは,やはり天河神社への参拝後,秘水ごろごろ水を採取した帰りがけに何気なく自動車を走行中に目に飛び込んできた神社でした。今でもその時のことをハッキリとよく覚えております。

天川村から国道か県道を自動車で走行し,室生龍穴神社へ向かっているときでした。その日はわずかながら小雨が降っていました。その走行中,なにげなく右側をフッと見てみると大きな龍が大きな口を開けてこっちを観ています。おもわず急いでブレーキを踏んで引き返して見てみると,そこには古神道系だと瞬時に解かる神社があり水への感謝拝礼所と書かれた立て看板が設置してありました。水と聞くと思わず身体が反応してしまう水マニアの私としては参拝させていただくしかないと思っていたのですが,室生龍穴神社へ着く時間も迫っていたので,その日は,正面の第1鳥居前から礼拝だけを済ませて室生方向へと再び自動車を走らせました。

しかし,そこからが凄い体験をしました。何かと申しますと先程まで小雨であった雨が,丹生川上神社下社を出発したとたんに大雨に変わり,さらに猛烈な雨になってしまったのです。運転するのがやっとなくらいで途中,あまりの猛烈な雨で車を停車させるほどでした。今までにあれ程の雨は経験がないほどでした。きっと,丹生川上神社下社の龍神が外出する時にちょうど私は鳥居に立っていたのかも知れません(笑)。わたしの気枯れに潤いを与えて下さっているような感じもします。その猛烈な雨は,室生の手前でピタリと止み,室生龍穴神社付近では嘘のように青空が広がっていたのであります。それにしても凄い体験をさせて戴きました。

そんな初めての体験をさせて頂いたのですが,家に帰っても丹生川上神社が気になって仕方がありません。そこでいろいろとあの神社の醸し出す雰囲気は何だろうと調べてみると,なんと二十二社中の一社であることが判ったのです。これまでも丹生川上神社下社と云う名称は二十二社の一社でもあると云うことでよく知ってはいたのですが,まさか天河神社の帰り道に存在するとは思ってもいませんでした。しかも,あれほどの強烈な気を放つ神社ですから,時代の古さと先人たちが如何にして神社を護持して来たのかを感じさせます。(創建は飛鳥時代)数千年と龍神が守護する正真正銘の水の神さまをお祀りする神社だと思いました。

龍は,人間どうしの争いをとにかく嫌います。どうやら騒がしいのが苦手なようなのです。心優しい龍は,争いを嫌い里山の奥深くにその身を隠していると云う伝説もあります。人間が放つ憎しみや恨みや辛みの気が龍の身体を傷つけているようなのです。龍は,清らかな水を好みます。しかし,人間の激しい気が水の結晶を壊してしまっています。すると,龍は清らかの水を呑むことが出来なくなると云うわけです。丹生川上神社下社を数千年も前から守護している龍神も同じようにその身を隠してきた龍かも知れません。

そして,2回目に参拝したとき,その龍神の正体が解かりました。

明日に続きます。拝


水の神から。穢すなかれ,汚すなかれ。再掲載

2019年10月14日 05時55分33秒 | 美しき水の国

御覧下さい。そして,次に備えてください。

 

こんにちは。

この度の台風19号の影響により,お亡くなりになられた御霊に心よりお祈り致します。

これまで,このブログで何度も何度も水に関する記事を掲載してまいりました。

その記事の中は,今思い返すと警告にも受け取れる記事や私たち人類への警戒に相当する内容がとても多いものです。 

やはり,繰り返し、繰り返し水に関する記事は今後も書き続けることが私のひとつの使命です。

水を汚せば大空は怒り荒れん。以下は,先月9月28日に掲載した水に関する記事の一つです。

一日の降水量が2000mを超える。こんな言葉を私たちはもうすぐ耳にして行きます。

一日も早い復旧が整いますように祈念します。

 

こんにちは。

昨日は,鹿島神宮にて御神水を賜り,すぐ近くの海で海の神さまにお祈りをして参りました。

帰りがけに,時間がありましたので麻賀多神社にも参拝させて頂くことが出来ました。

麻賀多神社では,いつも通りたくさんの方々が参拝に来られていてにぎわっていましたが,今回の台風での影響なのか境内の鎮守の木々が数本倒れていました。先日の台風から数週間経過した今でも茨城県や千葉県の一部の地域では,復旧作業に追われています。何年か前から,このブログでも水に纏わることを書かせて頂いて来ました。水に関する災害は,これから増々巨大化していくだろうと云う感じがしています。日本と朝鮮半島は,10月から台風シーズンに入っていきますので十分な備えを怠らず,事前の準備と避難想定をして行くことが大事なように思います。

一日も早く,もとの日常生活に戻れるよう祈念します。

 

水の神より

夜空に輝く星々たちは 水に恋をし光り輝く

太古の人はそれを知り 星の輝き目印に

水の湧き出る大地を求め 種々の種植え鎮守の森に

水を穢さず 水を汚さず

人の出入りを固く禁じ 水に感謝し 水奉る。

水が如何ほど尊いか 水は人の命の源

知る人少なき哀れなことよ。

水は万物恵みを与え 誇らず競わず素直に流るる

下へ下へとその身を任せん。

なれど必要あればすべてを祓い 必要あらばすべてを清めん。

穢すなかれよ 汚すなかれ

水を穢せばその身も気枯れ

水を汚せば空も荒れん。

水の如く素直に生きよ 水の如く謙虚であれよ。

逆らわず 競いもあわず 争わず

ただ己の身を低くして

多くの人に恵みを与えよ。


防衛省・自衛隊災害 災害対策Twitter開設

2019年10月12日 08時29分22秒 | 美しき水の国

 


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。8

2019年10月11日 05時10分50秒 | 美しき水の国

こんにちは。

天川村と天河大弁財天社「通称:天河神社」をテーマにした記事も今日で「その8」になりましたので,末広がりと云う意味でも今日で結びにしたいと思います(笑)。そして,その1からその7まで長々とダラダラと書いてしまったのでその内容を少しだけ整理しながら今日も書かせて戴きたいと思っております。インターネットなどで天河神社を検索するとさまざまな情報を入手できますが,難しいことはさて置き天川村一帯と天河神社は古神道の神域中の神域であると云うことです。参拝すれば何か良いことがあると云った次元ではありません。私はむしろそう云った所謂,願掛け信仰では参拝されない方が良いのではないかとさえ感じています。

南朝の天皇家が吉野を本拠地とした理由もここに在るのかも知れません。

そして,役行者さんや空海さん,日蓮さんの最大の修行の場となったのも解かるような気がします。

大自然や自然のエネルギーが強いところほど本来,易々と人間が立ち入って良い場所とは限らないのです。このブログでもこれまで書かせて戴いて来た御神体への入山にしてもそうです。その証拠に天川村一帯からは平安時代以前の遺跡物が見つからないと言われている所以なのです。流行りのスピ云々,霊能云々と云った御一行での興味本位の参拝はくれぐれもご注意された方がご自身の身の為です。さわらぬ神に何とやらと云う言葉もありますから。願いを掛けるという「願掛け」の言葉を一旦,ぜんぶ「ひらがな」にして,ご自身で別の漢字を当て嵌めて見て下さい。漢字を当て嵌めると本来の言葉の意味とは全く違うものとなることもあるのです。

それでは,その1からその7までの記事を整理しながら書かせて戴きます。

その1では,奈良県吉野郡に天川村と云う自然に恵まれ,水の聖地があると云うことを書かせて戴き,その水の聖地には太古から水の神さまをお祀りしている天河大弁財天社「通称:天河神社」と言う古神道系の神社が今も御鎮座されていることをご紹介させて頂きました。又,たくさんの芸能人や芸能関係者,企業経営者の参拝者も多く,神社を運営する為に必要な資金が不足しているようにも感じていましたので,神社を運営するには護持を司る総代会の組織を改革し,崇敬者さんの中から総代会に参加してもらい一般の参拝者とともに古神道の成り立ちや歴史,国家神道と神社神道の違いを学べる機会を設けることを強調させていただきました。

その2は,無視して頂いて結構です。つい,私事を書いてしまったので,あまり面白い話でもありませんので(笑)。

その3では,天河神社だけに限った事ではなく,現在,神社の運営は実に厳しい環境下に置かれていて,これからも人口の急激な減少も相まって増々,神社を運営して行く環境は厳しい状況下におかれて行くということを書かせて戴き,記事の最後に神社を運営・護持して行く上でもっとも資金が必要になるものが神社の祭祀施設「建築物」に在るのだと云うことも書かせて戴きました。

その4では,上記,その3の内容に基づき,特に自然災害のような場合になると突発的な資金的困難に陥ることがあるので,そういった困難な事柄に直面した場合,はたして氏子さんだけで神社を護持「御守り」することが出来るか否かと云ったことを問題提起させて頂きました。その為には,やはり全国に存在する崇敬者さんの力添えがなければ難しいと云うことも書かせて戴きました。

その5では,あらためて天川村と云う場所の素晴らしさを伝えさせていただきました。星々の輝く光がとても強く,わたし達の祖先は,天空に光り輝く星々で水の聖地であることを感知していたのではないかと云う私なりの感想も書かせて戴きました。天川村は世界に誇る水の聖地であります。そして,神社の護持には3つの役割「柱」があることをご紹介させて頂きもしました。3つの護持とは「神社本体の運営」と「祭祀施設でもある建築物」そして何よりも大切な「氏子崇敬者と一般参拝者」の3つの護持でした。

その6では,上記の3つの護持をバランスよく意識して神社の運営に役立てて行くことが大切なことであり,さらに,人の護持をより具体的に具現的にするために法律家などの専門家と提携して,予め氏子さんや崇敬者さんの生活に万が一の不測の事態が起きた場合も事前に想定し対処できる仕組みを書かせて戴きました。そして,不定期ですが法律家による無料法律相談会を開催することを提起させて頂きました。これはとても大切なことで,わたしも実際にお寺ですが実例が幾つか御座います。最後の方で少し,神社が護持を司るようなことはせずにあくまでも神社の護持の主体となるのは氏子崇敬者さんであると云うことも書かせて戴きました。

その7では,護持の話をメインに,天河神社の祭祀行事に日本古来から伝わる重要な祭祀の一つでもある祖霊祭祀を神道に復活させてはどうかと云うことを書かせて戴きました。祖霊祭祀「先祖供養」は,本来お寺の役割ではなく,神道の役割であったと云うこともお伝えさせて頂きました。そして,祭祀の祭は氏子さんや崇敬者さんが担う護持にあり,祭祀の祀は神社の宮司さんや神職さんの役割であると書かせて戴きました。つまり,祭祀には祭と祀と云うそれぞれ別々の役割があるということをお伝えいたしました。

ざっと,その1から昨日のその7までを少しだけ整理しながら再度,書かせて戴きましたが,やはり,今の神社神道に必要なのは温故知新であります。神社本庁を頂点として全国に都道府県神社庁を傘下に置いて,各地域の神社を統括して行くような組織形態の意味はどこにあるのでしょうか?神社庁に所属している地域の神社の宮司さんは神社本庁や所属する神社庁の顔色ばかり窺いっているのではないでしょうか?ましてや,政体「統治」を司る政治に口を出したり,一方,政治家が祭祀に口を出すような姿勢は,日本本来のまつりごとではありません。宗教団体が政治政党を結成し,国政に関与すると云うことがどう言ったことであるのか?

以前にもこのブログで天皇陛下の国体論と政治家の政体論を書きましたので宜しければ参考にお読みください。国体とは「祭祀」であり政体とは「統治」を意味します。この2つが合わさって結びとなります。なにか国体と政体と云うと概念が大きいですが,たとえば神社「祭祀」と氏子崇敬者さん「統治」の関係も同じであります。祭祀を執り行う国体には国体としての務めがあります。統治を行う政体にも政体としての役割がちゃんとあります。何かその大切なことを忘れてしまっているように思えてならないのです。

声を大にして言いたいのですが「統治は祭祀に付き従い,祭祀は君臨すれども統治せず」これが日本と云う国家です。

これまで天河大弁財天社には,何度か参拝をさせて戴きましたがとても優しい波動をいつも感じています。まるで自分の母親のような波動です。京都にも天河大弁財天にとてもよく似た波動を感じる神社が御座います。それは京都に御鎮座される貴船神社であります。貴船神社の奥宮と天河大弁財天社の波動は本当に良く似ています。貴船神社も天河神社も共に水の神さまをお祀りしております。以前から,このブログでも何度か天川村の秘水でもある「ごろごろ水」をご紹介して来ました。我が家の神棚の神さまへ天川村のごろごろ水をはじめて奉納できた時の感動は未だに忘れることが出来ません。御水マニアの私としては,ここ天川村の秘水は唸るほどの名水であります。水そのものから発している波動がもの凄いのです。満天の星々がキラキラと輝き恋するほどの御水です。

近年は,山道の整備も実行されて天川村へ行きやすくなっています。

奈良県へ旅行などに行かれる方には是非ともおススメしたい場所であります。

水の神さまへ。感謝。


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。7

2019年10月10日 06時00分35秒 | 美しき水の国

こんにちは。

今日は,神社側(宮司や神職)が護持を司る主体となってはいけない理由を少し書かせて戴きます。祭祀の祭と祀を意識して読んで頂ければと思います。祭祀とは極端な言い方をすれば,この世とあの世と云う大きな意味でも捉えることが出来ます。目に見えるもの(対象)と目には見えないもの(対象)で祭祀であります。神社の護持は祭祀の「祭」の方に属します。つまり,氏子さんや全国の崇敬者さんは祭を司る側にいる事になるのです。したがいまして,昨日も少し書かせて戴いたとおり神社側は祭祀の「祀」の側ですからそもそも役割が違うのであります。ただ,祭祀ともにその中心に居られる御方が居られます。それが天皇陛下であります。

祭祀の頂点ではなく,祭祀の中心です。ピラミッド型は西洋。日本は円。つまり,和型です。

日本の国を表現するのに和の国と云う言い方をしたり,日本製の物を和物と呼ぶのは,ここれから来ています。

昨日の「その6」では,人の護持について考えて見ました。神社と云うのは,不特定多数の人々が集う場所でもあります。その人と人との繋がりを大事にする場でもあります。そこに集う人々が互いに助け合って,支え合って行く姿を神さまに奉納することも大切なことであります。たくさんの金員や豪華な物品を奉納するだけが奉納ではありません。天河神社も同じですが,神社にはさまざまな人々が訪れます。純粋に感謝だけを神さまへ奉げる人もいれば,金員と引き換えに自分や家族の健康を願いに来る人。自分だけの願いを叶えて貰おうと祈願をしに来る人。本当にさまざまな不特定の人々が参拝に来られます。中には流行りのスピや霊能云々の御一行で来ることもあります。その中でも,自分の死に場所を求めてさまよいながら来る人もいるのです。神社の宮司さんや神職さんは,こう云った人にこそ神さまの祈りを伝える役目を本来,担っています。これも大切な祭祀の1つであると私は考えます。

祭祀と云うのは,見えない対象に祈りを奉げることだけではありません。目に見える対象にも祈る(奉仕や慈悲)ことが出来てはじめて祭・祀になるのであります。祭と祀で祭祀ですから,目に見えるものと目には見えない両方を祈りの対象とするのが本来のわたし達が暮らす日本の本当の神道であります。つまり,陰と陽の両方を知ることが大切なのです。そんな訳で,昨日の記事は「目に見える対象」でもある人の護持について書かせて戴きました。※人の護持とは「ボランティア」ではありません。奉仕と慈悲です。

これをゴッチャにして混同してしまうとあとで趣旨と違うと云うことになってしまいます。つまりどう云ったことかと申しますと単なるお金儲けになってしまうのです。収益勘定・損得感情で行動するようになり神社運営の趣旨が根本から変わってしまいます。たとえば,お守りなどの授与品を安く仕入れて高く売ることに主眼を置くような行為は商行為であります。神社で商行為がいけないのか?と言われてしまうと思いますが,そうではなくて,商行為は「祀」の役割ではなく,護持「祭」の役割に相当するのです。

祭祀の「祀」に相当する神社側は「決裁」することだけで良いのであります。神社運営と神道に照らし趣旨に反しなければ「可」趣旨に反するようであれば「否」とすれば良い訳です。つまり,神社に求められるものは権力ではなく「権威」です。そして,神さまへご報告申し上げる。これが出来るのは,神さまに最も近くで仕える祭(氏子崇敬者)と祀(神職や巫女)の中心でもある宮司さんだけです。神社側が「権力」を手にするとどうなるのか?先般の東京深川で起きた悲惨な事件を想い出せば明らかであります。

単なる姉と弟の喧嘩ではありません。分を弁えず,役割を忘れ,神職が神社を私物化した末路です。

それと,天河神社では具体的に神社で執り行う祭祀に追加するべき行事があります。それは祖霊祭祀です。現在の天河神社でも旧暦の7月7日に七夕神事と云う祭祀の中で先祖の御霊を供養するものがありますが,解かり易く云うと,お寺で現在している先祖供養や追善供養を天河大弁財天社でも執り行えるようにするのです。本来,祖霊祭祀は仏教の役割ではありませんでした。神道の大切な祭祀であったのです。その証拠に,縄文時代の遺跡からも祖霊祭祀の遺跡が発掘されております。追善供養も既に確立されてもいました。つまり,神道の祖霊祭祀の復活です。一般の参拝者であってもいつでも祖霊祭祀が神社で供養を出来るようにするのです。

私の知る限り,祖霊祭祀を神社で積極的に取り入れている神社は同じ奈良県の春日大社くらいであります。天河神社のような神社は特に祖霊祭祀が大切です。なぜならば,何万年も前から先人「祖霊」たちが祈りを奉げ,数千年も前から神社を支えて来て下さったのですからその御霊に感謝申し上げる祀事はなくてはならないと考えるからです。これも先日の総代会の組織改革同様に神社の運営趣旨に反するものでもありません。天河神社でやれることはまだまだあります。天河神社の中に和の仕組みをつくり上げて行くのです。現代のピラミッド化した宗教団体は,日本の本来の信仰ではありません。私たちはそのことに気が付かなくてはなりません。

今日は,祭と祀の役割と神社で祖霊祭祀が出来る環境をつくることを書かせて戴きました。

明日で,天川村と天河神社の記事は終わりにしたいと思います。拝


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。6

2019年10月09日 05時46分26秒 | 美しき水の国

上の写真は,富士山を御神体とする富士山本宮浅間大社の湧玉池です。

こんにちは。

今週一週間は,天川村と天河神社について書かせて戴いて来ました。今日は「その6」になります。昨日の「その5」の記事では,神社の護持には3つの柱「役割」があって,その役割ごとに護持を進めて行くことだと申し上げました。又,どれか一つに偏るような護持をするのではなく,意識的にバランスを整え中道を心得ながら行うことがとても大切なことだと云うことも書かせて戴きました。ちなみに,3つの柱とは①「神社本体の運営」②「神社の祭祀施設」③「氏子崇敬者に一般の参拝者」の3つをまとめた総称として護持であります。その護持でもっとも大事なのが③になります。その③「氏子崇敬者に一般の参拝者」の護持に焦点を絞って今日は書かせて戴きたいと思います。この人の護持が神社であってもお寺であってもこれからとても重要になって来ます。

天河神社の護持政策の一環として,さらに,氏子総代会や崇敬会に所属する人々の日常生活をより過ごし易くするために,氏子さんや崇敬者さんの日常に万が一のことが起きることを事前に想定して法律の専門家などの専門職と提携しておきます。たとえば,無償法律相談のようなカタチを予め予定し弁護士と提携しておくのです。そして,はじめは不定期でも付近の自治会館などの施設を借りるか,天河神社の客殿などで無料法律相談会を実施します。税務や社会福祉についても扱います。神職さんにおいても地元の氏子さん並びに全国の崇敬者さんの日々の平穏な暮らしとより豊かな生活であることを日々,神さまへ祈られて居られると思います。

ですから,神社運営の趣旨に何ら反することでは無いと私は考えます。そこまでするのか?なんで神社で?と思われるとも想いますが,これが後にとても有効的に力を発揮して行くことになります。想像してみて下さい。自分の先祖が眠るお寺で無償法律相談などが出来ることを。昔の寺子屋構想に近いかも知れませんね。あと出来ればですが,一般社団法人を設立すると良いですね。たとえば,一般社団法人天河神社護持会などの名称です。この一般社団法人は天川村と天河神社の護持だけを目的として設立します。

役員の構成は,地元の氏子さんと全国の崇敬者さんの中から参加者を募り,現在の総代会と天河神社の責任役員会議で決議して行きます。又,一般社団法人としての強みを発揮し,天川村で暮らす村民の生活面でも役に立てられるような計画も立案して行きます。たとえばそうですね,買い物弱者や災害弱者などの立案なんかはどうでしょうか?情報の収集・分析・発信を天川村と情報を共有するのであります。そして,数年後には公益社団法人の承認を得れば良いと考えます。ちょっと大きな話になってしまいましたが。

現在の総代会や世話人会は,先日も書かせて戴いた通り,法律上の権利義務の主体性が御座いません。但し,この一般社団法人についての話しは,もっと深くやる必要があります。法律上の法人設立に関する要件も関係して来ますし,宗教法人との繋がりや関連性なども関係して来ますので。つまり,宗教法人が一般社団法人や一般財団法人を傘下に置くことが法律上,認められるのかどうかを分析しなければなりません。総代会は宗教法人の組織の中に存在しますが,社団法人となると宗教法人とは分離となるでしょう。

参考とするならば,おそらく神社界では,京都の伏見稲荷大社の講務本庁くらいではないかと思います。

ただ,ここで注意しなければならないことが御座います。

それは,神社の祭祀者である宮司さんをはじめ神職さんが実施するものではなく,あくまでも総代会と云う合議体で神社護持の為に決議された事実に基づいて,氏子総代さんや全国の崇敬者さんが自ら自発的に行動することに大きな意味があるのです。つまり,神社であってもお寺であっても護持の主体性と云うのは氏子さんや崇敬者さん,檀家さんに在るのであります。したがいまして,わたしの拙い経験則から言わせて戴ければ,宮司さんや住職さんが直接,護持を司り,陣頭指揮を執るようなところは,ほとんどの確率で失敗に終わっています。その理由は,とても簡単なことで,そもそも神社と総代会では務めるべき役割が違うからであります。

氏子さんや崇敬者さんと共に天河神社を守って行くと云う決意が何よりも大事なことであります。

続きは,また明日。拝


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。5

2019年10月08日 03時36分48秒 | 美しき水の国

こんにちは。

天川村と天河大弁財天社の記事を書かせて戴いて,今日で「その5」になります。

天川は,世界に誇れる水の聖地です。そのことは後で解かりますが,否定する専門家はいらっしゃらないことだと思います。その水の聖地によくあることが夜空になっても天空が光り輝いていることです。空は,地の映し鏡であると感じています。昼間の空が青いのは,海の水が空に反射しているからです。天川村だけに限った事ではありませんが,空気が澄んでいると夜間になっても夜空が光り輝く星々がハッキリとよく観えると思います。そのハッキリと見える星々の光が特に強い場所が水の聖地の特徴でもあるのです。

天川村も星を観測する場所でも有名であります。御存知の方も多いと思います。

わたしの勝手な解釈ですが,太古の人々は,夜空に光り輝く星々で水の聖地「場所」を探し出していたのではないかと想像しています。つまり,星の輝きが特に強い場所には,湧水があって,その周囲に木々を植えて鎮守の森とし大切にお祀りをしていたのだと思うのです。これが水信仰の発祥ではないでしょうか?さらに,時代を経て弁財天信仰へとなって行ったのではと考えております。

ほぼ水の聖地には弁財天を祀ります。琵琶湖や江ノ島など。

昨日の記事「その4」では,神社の護持の内,建築物に纏わることについて若干書かせて戴きました。そもそも神社やお寺の護持と云うものには3つの役割「柱」があるのです。先ず1つ目の護持は「運営」2つ目の護持は「建築物」そして,最後の3つ目の護持が「人」です。このうち,もっとも大切なものは何かなのです。わたしは,この3つの役割「柱」の内,もっとも大切なものは「人の護持」であるとずっと考えながら護持の仕事を務めさせて戴いて参りました。昨日の記事でも書かせて戴いたとおり,神社護持の根本は,祭祀と神社をお守りすることであります。これは人にしか出来ることではありません。神社の運営よりも神社の建築物よりも,何と言ってもそこに集う人々が何よりも大事であり大切なのであります。その為に態々,和の仕組みを作り上げる訳です。

ちなみに,先般の東京深川の神社で起きた悲惨な事件は,護持が機能していない何よりの証拠です。

護持を総代会などで議論すると結構,奥の深い面白い議論が出来るのです。なぜならば,そこにすべてが集約されて行くからであります。すべての学問の行き着く先に在るものは「生命」であるのと同時に,神社であってもお寺であっても護持もまた最終的には「人」に行き着きます。どこかの神社や寺院に縁があり,機会があれば総代会などで問題提起をされて見ると良く実感が伴い、凄い勉強になると思います。ただ,いきなり護持と言っても「えっ?」ってなりますから,氏子さんであれば神社の護持について考えたいと宮司さんへ話すと良いと思います。宮司さんや神職さんも護持と聞くと喜んで話をよく聴いてくれるかも知れません(笑)。

世界でもっとも永く続く伝統や文化があるとすれば,それは祭祀に纏わる護持でしょう。

神社や寺院の護持を考える上の基礎基本が3つ「3本柱」の護持でありますから,神社の護持を考えて行く場合,この3つのバランスを意識しながら行動して行くことになります。つまり,どれかに偏った考え方ではなく中道です。そもそも良いとか悪いとか言うことは,人がそれぞれの価値判断で決めつけてしまうことでもあります。その国やその地域と云った言葉があるように風習や慣行でもあります。そう云った善と悪ではなくて中道です。そのことを意識することが護持をして行く上でとても大切なことなのです。

天河大弁財天社の総代会でも護持とはなんだろう?と云う素朴な疑問や問いかけを氏子さんや崇敬者さんと一緒に考えることは大事なことでもあります。そのことで,何か新しいことやこれまで気が付かなかったことに気が付いたり,思い付いたり,また閃いたりするかも知れません。ただ,護持を司る人は表に出ることはなく,神社や寺院のお努めの中でも裏方中の裏方と云われていますから地味なのが苦手な人は無理かも知れませんね(笑)。たとえ,護持を司る人が考え思いつき,起案して総代会や責任役員会で可決されて実施されて行っても,護持人の名前は限られた人にしか解りません。神社であれば宮司さんと総代さんの数名であります。

お寺であれば,住職さんだけの場合も結構あるのです。

まして,一般の参拝者には解かることはないのであります。お祭り事にも参加しませんし,イベントにも参加はしません。お祭りやイベントなどの人々に紛れて清掃隊として居ることはありますが,段取(準備)が終われば,次の段取りに取り掛かります。段取だけで5年・10年は当たり前ですから。そこが一般の企業社会との違いでもあります。護持人は裏方に徹する。これが丁度,良いと思います。表の御用と裏の御用で「和」です。陰と陽の関係でもあります。企業社会では段取屋さんとでも言うのでしょうかね。

今日は,神社の護持を少しだけ深く書かせて戴きました。

続きは,また明日。天河神社の具体的な護持政策を考察して見たいと思います。拝


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。4

2019年10月07日 05時55分50秒 | 美しき水の国

 

こんにちは。今日も素晴らしい天空の地に御鎮座されている天河大弁財天社「通称:天河神社」の記事4で御座います。

昨日の記事では,神社を運営するにあたり最もお金がかかるものは建物即ち,建築物に在ると申し上げました。お金がかかると言っても中途半端な金額ではなく,半端ではない金額です(笑)。瓦葺きとかになりますと耐用年数も40年と短い上に瓦を葺き替えるだけで軽く豪華な新築の一般住宅が建つくらいの金額になります。つまり,数千万円です。そんなアホなと思われるでしょうが,これが現実です。近年は,自然災害の影響や資金難からもっと耐震性や耐久性がある銅板葺の屋根にすることが多くなっています。

昨日の記事の文末で,書かせて戴いたとおり建築に必要となる資金を何年も前から計画的に積み立てることを神社にしてもお寺にしても行って行きますが,ただ,もう1つ恐れる事象があるのであります。わたし達のような護持をする人たちにとってもっとも畏れるものであります。すでにピンと来られた方は天河大弁財天社から音霊「波動」が届いているのかも知れませんね(笑)。

それでは,以下より昨日の記事の続きになります。

さらに,自然災害などで被災した場合どうでしょう?突発的に建物の修復に必要となる資金が必要になります。そんなのは,建物の保険があるじゃないかと一般の我々は思ってしまいますが,それが,保険会社は,損害保険業界の統一したルールに基づいた保険金の支払いしか出来ません。それは,大まかに3つの分類で支払われて行きます。自然災害で被災した建物の状態が一部損壊の場合・半壊の場合・全壊の場合の3つです。しかし,日本ならではの建築物と云うのは柱と梁の組み合わせで成り立っておりますので,一部損壊のような場合,見た目はちゃんと建っていても微妙な変形によって本来の構造体ではなくなっていることが多いのです。

しかしです。保険会社が実施する損壊調査では,社寺建築の建築士が調査をする訳ではありません。したがいまして,保険会社からの保険金もたいして支出されて来ないので,ほとんど建物の原状回復に伴う費用の負担は神社側で工面しなければなりません。そうなると,地元の氏子さんだけの力だけでは限界があります。全国にいる崇敬者さんの力添えがなければ厳しさは増すばかりです。

たとえば,年間の参拝者が100万人の神社でも年間の参拝者が1万人の神社でも建設工事の面積が同じであればかかる費用はほとんど同じです。参拝者が少ないから工事費用も少ないないなんてことはありません。私は,この建設費用に対しても言いたいことは多々あるのですがここでは申し上げません。したがいまして,総代会の副会長に全国の崇敬者さんを選任すると云うのはとても大切なことなのです。天河神社でも地元の氏子さんと全国にいる崇敬者さんの人数を比較したら一目瞭然でよく解かると思います。

その天川村の氏子さんだけで将来の天河神社を護持「お守り」するのであります。いかがでしょう。可能でしょうか?

たとえば,京都に御鎮座される下鴨神社が何年か前に話題になった事がありました。覚えている方も多いと思います。あの下鴨神社であっても資金難で式年遷宮を斎行するために,境内地の一角にマンションを建設し,その収益の中から式年遷宮の資金を捻出して斎行しようとしているのです。そのことで近隣住民との間で訴訟にまでなってしまい,神社精神の根幹である和の仕組みが壊れてしまうような事態にまでなってしまっているのです。神社に関係する方や神社が好きな方であれば,京都の下鴨神社がどう云った神社なのか解かると思います。護持の根本は祭祀「自然崇拝と祖霊祭祀」と神社をお守りすること以外に存続理由は御座いません。

また明日に続きます。拝


個人主義と云う言葉の魔力。 

2019年10月06日 05時55分27秒 | 怒りの心柱

こんにちは。

今日も昨日の続きを掲載させて頂く予定でしたが,急遽,別の事柄を書かせて頂きたいと思います。

近年,よく耳にする言葉に「個人主義」と云う言葉を聞く回数がだんだんと多くなってきた気がしています。ですが,この「個人主義」と云う言葉の意味を理解している人は案外少ないようにも思えます。このブログを長く読んでくださっている方はご存知であろうと思いますが,私は,主に神社と寺院の護持をしています。ただ,神社と寺院の護持だけでは到底,食べていく事は出来ませんので郵便局で配達員の仕事も兼ねています。

神社や寺院の護持と云うものは,大きく区分けして3種に分類できます。

三本柱と表現する事も出来ますが,その1つは御本殿や本堂などの礼拝堂施設の護持,

もう1つは,氏子崇敬者さんや檀家さん,一般にお参りに来られる参拝者の護持,そして神社や寺院本体の護持です。

この内,どれが先で,どれが一番大切かと言った事ではなく,その時・その場・その状況で優先順位が変わってきます。

つまり,神社や寺院の護持は三本柱で支えられているのです。そして,護持をする上で,私たち護持司が最も気を使うのが,参拝者の皆さまに「また明日も生きてみよう」と感じて戴ける事です。この記事を読まれている方の中には,生きてみようなんて随分と大袈裟だなと感じるかも知れません。私もおそらく,護持司でなければそのように感じる事もあるのかなと思います。

しかしながら,生きる事に疲れ,生きている事が苦痛に感じている人々も神社や寺院には沢山参拝に来られます。そう云った方々が,神社や寺院に参って「また明日も生きてみよう」とほんの少しでも感じてくれれば良いなと考えながら護持をさせていただいています。ささえな事で元気になられる方もいらっしゃいますが,本当に残念な事ですが,亡くなった方もいます。

最近は特に,個人主義と云う言葉があちらこちらで平然と使われるようになりました。

確かに,個人主義と云う言葉は魅力的に感じるかも知れません。

ですが,私は,この「個人主義」と云う言葉に,とても強い魔力を感じています。世界の個人主義思想の元は,自然権思想や天賦人権説に基づいた思想です。つまり,人は誰であっても生まれながらにして人権と言う目には見えないものを宿し,その時の権力者によって人権を与えられるものではないと云った考え方です。当然,私たちの国の憲法にも書かれている憲法の核に相当するものです。それを「個人の尊重」と言います。しかし,私たちが日常的に口にする「個人主義」は「個人の尊重」と同じ意味で使われているでしょうか?私には,どうもそうは思えないのです。つまり,個人主義と個人の尊重を履き違えているように見えます。

私たちの住むこの日本は大変歴史が長い国でもあります。しかしながら,長い民族史を持つ日本に個人主義だの自己責任と言った時代は一度もありません。もし,一度でもそう云った時代が過去に存在していたら,きっと,日本民族は滅びていたと感じます。

個人主義が行き過ぎると,私たちは,自己責任と云う恐ろしい言葉を何の違和感も嫌悪感も抱かずに平然と使い始めます。

それが,今の日本ではないでしょうか?私たちの国には,自己責任と云う言葉は存在しないのだと言う事から改めて学んで行かなければならず,このままでは本当に滅びるのを待つのみです。 誰であっても,明日は我が身です。自分は安全だなんて言える人はもういません。先日も記事で書かせていただきましたとおり,今,日本が抱えるいくつもの問題は,すべて中途半端な状態のままです。

その一つひとつの問題や課題に個人主義や自己責任論を当てはめるとどう云ったことになるでしょう。考えるだけでも嫌になるくらいです。古神道の世界観では,日本の諸問題は,世界に先駆けて起きます。したがいまして,日本のとる対応が今後の世界で同様に起こる問題の悪い見本にならない様にしなければなりません。

なら,どうすれば乗り越えられるか?

それは,本来の日本人の姿勢である相互扶助でしか乗り越えることは出来ないと,わたしは考えます。


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。3

2019年10月05日 05時52分39秒 | 美しき水の国

上の動画は,現在の神社神道 筆頭社格 上賀茂神社です。

 

こんにちは。いにしえより水の神に守られし天川村。水の神への感謝の地と定められし天河大弁財天社。

昨日は,記事のタイトルと全然関係のない前書きだけで終わってしまいましたので,今日は,記事のタイトルに沿って書かせて戴きます。奈良県吉野郡天川村に御鎮座される天河大弁財天社「通称:天河神社」ですが,芸能人や有名企業の経営者にも崇敬者が多い神社です。そう云った神社であっても神社を運営して行くには運営資金が必要になって来ます。そして,一昨日にブログで具体的に神社を護持「御守り」するには,総代会の組織改革と日本の神道の歴史をはじめから学びなおすことが必要ですと書かせて戴きました。こんなこと書いてしまって良いのか解かりませんが,神社の神職さんでもあまり神道の成り立ちや歴史を御存知の方は少ないのです。そもそも祖霊の御霊を供養するのは,神社の役割ではなく,お寺の役割であると平気な顔で言われるのを聞くと残念です。

これは,とんでもない大間違いです。

わたしも宗教家の方と話をするとき,宗教家の方から「あさひちゃんはどんな信仰をしているの?」と聞かれることがあります。わたしは古神道ですと答えるのですが,ほとんどの宗教家の方がポカンとしています。お寺の住職さんに云うのですが,お釈迦さまも最澄さんも日蓮さんも古神道家ですよと云うと笑っています。そもそもお釈迦さまが太陽信仰の祭祀一族の家系ですから古神道家ですし,日蓮さんに至っては,伊勢神宮の外宮で3つの誓いの言葉を外宮の太神さまに奉納して宗教家になることを決意しました。

又,日蓮さんほど氏神(千葉県内に御鎮座)さまを大切に感じていた宗祖は居ませんでした。

神道「神社」と云うのは,時代によって変わって来たのです。大自然(神さま)と自然(精霊)を崇拝し,自分たちの祖先の御霊を供養する古神道が元にあって,その後,天皇を祭祀の中心とした国家神道や現在の神社神道に変わり時代と共に神社の在り方も変化して来たのであります。神社とお寺つまり,寺院の歴史から言えば寺院の方が古い時代から存在していました。飛鳥時代には法隆寺のような立派な伽藍建築がありましたが,神道と云うのは先ほども申しましたとおり古神道即ち,自然崇拝が主体であったのです。ですから,その当時は,神さまをお祀りする御宮ではなく,磐座「巨大な岩」や御神木「巨木」を祈りの対象としていたのです。

天河神社においても同様で,天河神社のある天川村は,古神道の重要な神域として縄文時代には人が住めるような場所ではなかったのです。つまり,信仰的側面において人間が容易く入ってはいけない土地と云うことでした。後に,役行者さんや弘法大師「空海」さんの最大の修行場所となって行ったのです。その天河神社がどうやら神社を運営するに必要となる資金を確保するために氏子さんと知恵を出し合い厳しい経済環境で奮闘しております。微力ながら私も何かお役に立てないかブログを通じて思案しております。

その為には先ず,先ほどのとおり神社を護持する中核組織「総代会」の組織を根本から改革し,総代会の会長には引き続き地元の氏子さんから代表者を選出して,副会長には全国にいる崇敬者の中から選出して行くことが必要と考えます。一昨日の記事でもこの崇敬者さんが会の副会長となる意味が重要なのですと書かせて戴きました。これまでの神社内部にあった護持組織「総代会」は,地元の氏子さんだけで構成されて来た神社がほとんどです。全国的に見てもそう言えると思いますし,それが氏神信仰でもあります。

しかしながら,天河神社の運営を多面的に見据えた場合,天川村で暮らす地元の氏子さんだけでこれからも天河神社の運営が出来るかと云うとハッキリと申し上げて「無理」です。なぜならば,これから猛烈な勢いで人口が減少して行きます。人口減少は待ったなしで到来します。観光地に立地する都市部の神社は未だ良いですが天川村のような地方の山間部に行くと解かりますが若い人が急激に少なくなっています。天川村でも住民を増やそうとさまざまな計画を立案し,特別村民と云うこれまでには考えて来なかったような政策も施行しています。奈良県の観光地は市街地だけではないですよ~。水の聖地で,自然がたくさんのどうか吉野郡天川村に立ち寄ってみて下さいと云う切実な思いが伝わってきます。天川村にとっては,いかに市街地の観光地から人を山間部に入れるかを考えているのではないかと思っています。奈良の市街地にはたくさんの人が観光旅行に来られています。山間行政の挑戦は続きます。

こうなると5年後,10年後さらに15年後の天河神社の神社運営「護持」を考えた場合どうでしょうか。地元の伝統的なお祭りはもしかすると,地元の氏子さんだけでも出来るかも知れません。しかしながら,神社を運営するためには,どうしても運転資金が必要となるのです。それだけではありません。神社とお寺で最もお金がかかるのは何かと申しますと,それは建築物即ち,建物であります。新築・修繕・補修に改修と云った場合,とてつもない資金が必要になって来ます。昨日の記事でも書かせて戴いた通りです。その資金「建築予算」の積立も何年も前からしなければなりません。しかし,そればかりではないのが現状なのであります。

続きは,またあした。拝


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。2

2019年10月04日 08時50分00秒 | 美しき水の国

こんにちは。

昨日,投稿した記事は,続きではありませんでした!

いないとは思いますが,続きを期待されていた方,すみませんでした。

以下の記事が,一昨日の記事の続きになります。拝

 

※今日の記事を書き終えて改めて読み返してみると,タイトルに沿った内容でないことをご了承ください。

あさひの摩訶不思議体験になってしまいました。これはこれで面白いかもです。

昨日は,いろいろと天河大弁財天社「通称:天河神社」の護持について考えながら書いていると,どこからか音霊「波動」が降りて来てしまい,ブログを途中で書くのを止めました。パソコンに向かって作業しているときは不思議なことなのですがよくあるのです。とくに仕事で神社やお寺の護持について起案「政策立案の原稿つくり」をしていると何十時間でもずっとご飯も食べずに集中してしまうのです。自分でもよく解からないのですが,自分には考え付きそうもないことも何の躊躇いもなく考え付いたり,自分の知らないことがいつの間にか判っていたりとすることもあります。朝になると閃いたり。ただ,多額のお金が絡むとないですね。

たとえば,お寺の本堂などの復興をする場合,建物の大きさにも勿論よりますが、通常建設費用などを含めると1億円とか2億円の資金が必要となり調達をします。文化財や国宝級になると軽く10億円以上は必要になります。そう云った多額のお金が絡む仕事となると最低でも5年から10年前後の事前準備と実施期間が必要になります。また,かかわる人も数百人にもなって来ます。

その5年から10年間の経費となる費用を計算して起案作業をしていると途中で作業が進まなくなるのです。きっと,自分の利益を勘定しながら作業しているからだと思っています。自分が儲けようとか,自分の利益を優先して考えていると途中で飽きてしまい続きません。つまり,妙案がまったく浮かばなくなってしまうのです。なんなのか?だからたくさんアルバイトをして行かないと食べて行けないし,家族に仕送りも出来ないのです。相手に稼がせることは出来るのですが,自分が稼ごうとするとダメになります。

だからいつもスズメの涙です。

 ガーン・・・。

前書きが長くなってしまった序に書いてしまいますが,わたしの事務所のお客さまで日蓮宗「総本山は身延山」に所属するお寺があるのですが,ある日,いろんな雑談を住職さんや寺族(家族)の方々と話しているとき「あさひちゃんは,なんでもっといっぱいお金を貰わないの?」「もっと,たくさんお金をお寺から貰って人を雇って事務所を大きくすれば良いんじゃない?」と住職さんに聞かれたことがあったのです。わたしも正直に,相手に稼がせることは出来るのですけど,自分で稼ごうとすると力が出なくなってしまうのですと住職さんへ答えたのです。すると,その住職さんが「うちの先代の住職と一緒だ」と笑いながら話していました。

わたしはその先代の住職さんにお会いしたことが一度もありません。わたしが生まれる前に他界されているからです。ですが,この先代の住職さんのことをとてもよく知っている自分が居るのです。会ったこともないのにすごく知っていると云う感覚的なものがあるのです。ですから,そのお寺に行くといつも先代の住職さんの気を感じています。もの凄く近くに居るような感じがして,いつもお寺と檀家さんを天国で守護しているのがよく解かっています。人としての温かみがあって優しくて,いつもニコニコして大笑いしていた住職さんであったと思います。今でも檀家さんを見守っていて,檀家さんに危難が及ぶと私を派遣しているようなのです。

実際に,なんどもお寺で経験しています。檀家さんがリフォーム詐欺に遭う寸前に住職さんと私で檀家さんの家に行ったり,離婚して養育費も入れない元夫の相談を受けて,その女性が電話で私と話すと別れた元夫から急にお金が振り込まれたり,メールが来たりと云った感じです。その女性もビックリして不思議そうに私に話すのです。「あさひちゃんと話すと何で毎回毎回,元夫からお金が振り込まれるの?」って言われてもちょっと困ってしまいます。ですが,わたしは,天国で先代の住職さんがちゃんと檀家さんのことを守護してくれているのを知っているのです。だから,その女性の檀家さんにもリフォーム詐欺に遭遇しかけた檀家さんにも自分の御先祖さまと先代の住職さんに感謝して下さいとだけ伝えています。信じられないような出来事がこの世にはあるのですね。

今日は,なんだか前書きだけで終わってしまいました。

先代の住職さん。天国で檀家さんを見守ってくれて「あ・り・が・と・う」。

摩訶不思議な体験談からでした。あしたからまた天河神社の護持政策の記事を書きたいと思います。


天川行ったらこっちも寄ってよ。丹生川上神社下社。2

2019年10月03日 13時32分23秒 | 美しき水の国

上の動画でも昨日の記事が観れます。

こんにちは。

わたしが個人的に感じている丹生川上神社下社は古神道の祭祀場です。

古から伝わる古神道(自然崇拝に祖霊祭祀)を伝える神社もそして宮司さんも神職さんもすっかり存在しなくなってしまいました。神社に行ってもお寺に行っても御利益の話しや祈祷の受付ばかり大きくなって行き寂しい感じもしています。もうこれ以上,任せてはおけぬとすべての衆生を救うまで我,仏界には戻らずと救済の為に,山を下りた観世音菩薩は今でも裸足だと云うのに・・・。しかし,その様な中でも希望もあります。それは,最近の若い人たちが本来の日本信仰に目覚めはじめて来ていると云うことです。もしかすると,現在の宗教家よりも一般社会に居る若い人々の方が宗教家と云えるのかも知れません。わたしは個人的に古神道系の神社に期待している部分もあるのです。古神道を後世に伝えることで日本人の魂に再び息を吹き込めるのではないかと真剣に考えてもいます。このままでは日本人としての誇りだけではなく,民族そのものが存続できるかと云うくらいのところまで来ているように感じています。勿論,そんなことがあっては絶対にいけません。しかし,私たち日本人は少し資本主義に浸かり過ぎた感じもします。

それでは,昨日の続きです。

龍は,人間どうしの争いをとにかく嫌います。どうやら騒がしいのが苦手なようなのです。心優しい龍は,争いを嫌い里山の奥深くにその身を隠していると云う伝説もあります。人間が放つ憎しみや恨みや辛みの気が龍の身体を傷つけているようなのです。龍は,清らかな水を好みます。しかし,人間の激しい気が水の結晶を壊してしまっています。すると,龍は清らかの水を呑むことが出来なくなると云うわけです。丹生川上神社下社を数千年も前から守護している龍神も同じようにその身を隠してきた龍かも知れません。

龍は,清らかな水を呑むと書きましたが,正確には水の結晶を食べているのであります。

ですから,人間の争う気などで水の結晶が破壊されてしまい,龍は水の結晶を食べれなくなってしまうのです。

その後,数か月後にふたたび天河神社から今度は正式に参拝をさせて頂こうと予め予定して丹生川上神社下社へ向かいました。予定通り,神社の参拝者駐車場に車を止めて鳥居から境内に入ると「これか!」と思わず息を呑んでしまったのです。それは何かと申しますと龍神の正体が解かったのです。龍神の正体は建築物にありました。わたしは神社の建築物を撮影することができないので残念ですが写真はありませんが,龍神の正体は建物全体が龍神の身体になっているのです。つまり,拝殿が龍神の口に相当します。

そして,拝殿から裏手にそびえる御神体中腹に御鎮座される本殿まで続く階段が龍神の同体になります。したがいまして,拝殿の中に入ると龍の口の中へ,そして,本殿へと続く階段を登ると龍の同体の中に参拝者はいる事になります。これを観たときは正直,ビックリしたと云うか古来の宮大工の棟梁の霊性と霊格の高さを目の当たりにしました。さらに,完全(観世)に音霊を上手く観て建築されたと感服しました。ここまで正確に音霊「波動」を観れる人は,今では滅多に存在しません。ただ御見事の一言です。

まさに「世」の「音」を「観」る。観世音菩薩です。

わたしも若気の至りで棟梁に負けじと神社から放たれている音霊「波動」を集中して観てみました。すると,現在の拝殿の建築は比較的新しく,元の拝殿は今のような形状ではなく,龍神が大きな口を開けているような唐破風の拝殿であると確信しました。そして,後日,昔の拝殿を調べてみたところやはり,昔の拝殿は唐破風の構えをされていたようです。神社の建築物にも神さまの祈りが籠められております。丹生川上神社下社では大きな龍神が大きな口を開けて真の前の川をの水を呑みに行く姿を宮大工の棟梁が感じ取って建築されました。又,天河神社でも建築物に天河神社の神さまの祈りがちゃんと籠められています。天河神社の拝殿と本殿は親が子供を見守る姿を建物を通して表現して居るはずです。ですから,天河神社へ参拝すると母性を感じてしまうのでしょう。

そんなことを感じさせてくれる神社がこの丹生川上神社下社であります。

明日に続きます。


知って下さい天河神社。行って見ようよ天川村へ。1

2019年10月02日 14時06分38秒 | 美しき水の国

 

こんにちは。奈良県吉野郡天川村と云うところを御存知ですか? 上の写真は,その天川村の天ノ川で水の聖地です。

今日のタイトルは何だか天川村の広報担当者みたいになっておりますが,天川村は太古より人が住めるような場所ではなかったと信仰的には言える場所なのです。それは何故かと申しますと,それだけこの天川村一帯が神秘に満ちた秘境であったからに他なりません。その証拠に,天川村一帯では原始遺跡がほとんど見つかっておりません。これまで経験したことが無いような少子高齢化の時代と言う厳しい財政的な面もあって天川村ではさまざまな広報活動が展開されています。天川村と聞くとやはり,天河大弁財天社「通称:天河神社」を思い浮かべる人も多いと思います。確かに,天川村は,その天河大弁財天社と共に繁栄して来たからです。

弁財天信仰の聖地でも有名な神社です。

天河大弁財天社「通称:天河神社」と言うと芸能人や企業経営者の参詣もとても多い神社でもあります。あの松任谷由美さん「ユーミン」も長渕剛さんもジャニーズの堂本さんもここ天河神社の崇敬者だと聞いたことがあります。きっと,芸事の神さまをお祀りしているということから芸能人の参拝が多いのだと思います。そう云った意味では,芸能人の隠れスポットなのかも知れません。

その内,アッキ―さん御一行も参詣に訪れるかも知れませんね。

わたしは特別,神社にお祀りされている御神名には拘りは全くありません。創建はいつで,お祀りされている神さまは〇〇神と云った神社の由緒書を見ることもほとんどありません。多数の有名人や有名企業の経営者が参拝する神社であっても,その反面,神社を運営する為に必要な資金がとても厳しいようにも感じています。神社を運営する側つまり,神社の宮司さんにとっては切実な思いでもあります。その為に,参拝者を多くするためにはどうしたら良いかを氏子さんたちと知恵を振り絞っているように思います。

たとえば,神社での祭事の参加者を積極的に募ったり,音楽や芸能と云った催事「イベント」を開催したりと考えられているようなのです。しかし,これは一時しのぎになります。わたしも仕事でこれまで培って来た経験を活かして無償で奉仕したいと考えてはいるのですが,こればかりは縁なので自然の流れにお任せしております。わたしが仮に奉仕人として参与するとすれば,数少ない貴重な古神道系の神社なのですから,一般の参拝者にも古神道とは何かを積極的に伝えることが大切だと総代会で主張します。

おそらく,総代会に出席している総代さんも古神道をあまり理解されていないと思いますので,宮司さん自らが講師となって総代さんに講義することからはじめる必要性を主張します。つまり,古神道の歴史や成り立ち,国家神道と神社神道の違いと云った基礎基本を学ぶ勉強会です。そして,それと同時に氏子総代会の組織改革を責任役員会と総代会に議案提出します。氏子総代会と言う組織は,よく耳にする言葉だと思いますが,神社の内部組織で,神社や寺院の護持「お守りすること」を目的とした任意団体です。お寺で言えば,檀家さんの中から住職さんが檀家総代若しくは檀家世話人を任命します。そして任命された総代さんや世話人さんが中心となって総代会や世話人会などを住職さんたちと相談しながら運営して行きます。日本ならではの伝統的文化の一つでもあります。

したがいまして,法律上の所謂,権利を取得したり義務を負うような組織ではありません。つまり,法律上の権利義務の主体にはならないと云うことですから,神社の債権を取得したり,神社の債務を負うと云うことがないのです。法律上の権利を取得したり義務を負うことになるのは法人即ち,宗教法人です。その宗教法人の最高意思決定機関が責任役員会と言います。会社で言えば取締役会に相当します。宮司さんや住職さんは責任役員の代表者と云うことになります。難しい話は横に置いといて,その総代会の事務管理を統括する総代会長を地元の氏子さんに副会長を「崇敬者」にします。この「崇敬者」が後に重要なポイントになってまいります。

つづく