花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

高天原とは自分自身の心「心界」のことです。

2016年10月05日 22時15分51秒 | 反省の心柱

こんにちは。心配していた台風18号も今夜には温帯低気圧に変わるとの予報が出されていますので安心しました。左の写真は,京都の貴船神社に御鎮座される相生杉であります。堂々とした風格をいつも感じます。奥宮の少し手前に位置しています。

 

今日は,現在の神道に伝わる祝詞に大祓詞と云う祝詞がありますがその大祓詞の中に登場する高天原について記事にさせて頂きたいと思います。今日でも全国の神社で毎朝,宮司さんや神職さんがお祀りされている御祭神へ奏上されています。この大祓詞については,以前,私もブログで記事にさせて頂いたことがありました。「大祓詞は神様からの音の波動です。」もし,宜しければお読みください。大祓詞の中には「高天原」と云う言葉が登場してきますが,この高天原には神様がいる世界だと考えられていて神界と呼ばれることもあります。しかし,その高天原がどこに存在するのかを知っている人は誰もいません。稀にいるようですが。

私は,この高天原は人それぞれの心に存在するものであると考えいて,外の世界には存在していないと思っています。つまり,外・外観に高天原と云われる世界や場所を特定させようとか探そうとしても永遠に探すことは出来ず,きっと気付くこともないのではないかと感じているのであります。神道でも仏教でもよく死生観を述べられる場合があります。神道ではこの様に考えているとか仏教ではこの様に考えていると云うようにです。又,臨死体験を経験された方も同じように死後の世界を語られることもあります。

しかし,話している人の内容をよく聴くと皆さん違います。一体,この違いはどこから来るのか?何を意味するものなのか?なぜ,人によって違う風景や景色と異なった空間「世界観」を観るのか疑問でした。しかし,ようやく少しだけ音霊を言霊に変換出来てきたように思います。それは,自分自身の心が見せているものではないかと考えたからです。つまり,生前中の行い(業)の一切すべてを自分自身の心が観ています。心が観ていると同時に,高天原を創り上げていると感じているのです。自分の心(高天原)に坐します神様(御分霊)がすべてを観ていて,記録していると云うことがあるようです。その膨大な記録に基づいて心と云う高天原の建設をその人の生前の行いに応じて創り上げていると考えています。例えば,生前に愛情を以てお花を育てていた方は,死後,お花畑が一面に広がる世界を観ると思います。また生前に山や川,海などの自然を愛していた方であれば,自然の風景を観るようになると考えています。したがいまして,こう云った世界を創り出しているのは自分自身のようです。だからこそ人それぞれに違った世界観を観ることに繋がる訳です。もしかすると,神界とは心界とも言い換えることが言葉では出来るかもしれません。


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設115日目 記事数第125記 反省の心柱 編 


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