花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

みなさんは改憲派?それとも護憲派?

2018年01月05日 00時00分00秒 | あさひの六法全書

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こんにちは。

突然ですが,みなさんは,憲法の改正について反対ですか?それとも賛成でしょうか?

先日,とある方のブログを拝見していましたら,元旦深夜に放送されていた討論番組に出演していたお笑いタレントの発言について怒っているようでした。なるほど!私もその方の情報に基づき,その討論番組を見てみましたが確かに,尖閣諸島を寄こせと言われたら白旗あげて,手も挙げて引き渡すようなことを実際に述べておりました。これには私も?です。どうしたの?と心配レベル。

国家を形成する要素には3つの確定的要素が必要「大前提」であるとされています。

1.領土 2.国民 3.権力 この3つの要素の内,最も大切な要素は「権力」と言われているのです。

したがいまして,日本固有の領土を白旗あげて引き渡しても良いなどと言ったら国家ではなくなります。

そう言った大前提を知らずに,討論番組に出てしまい,挙句の果てに世間から叩かれている様子は気の毒に思いますが,出演をさせたテレビ局に対しては,もう少し厳しい目線でなければなりません。東京大学大学院の井上教授からは「少し自分の不知を恥じなさい」と言われていましたが,はじめからそんなことはテレビ局側も当該番組に出演している司会者も論客も理解していたのではないでしょうか?政治家や学者の中でどれ程の議論が出来るかなんてこと解り切っていることです。そちらの方がムッとしました。

私たちが今後,憲法を議論して行く上で決して忘れてはならない定義は「国家」と「国」とは全く違った概念だと云うことを確認して置かなければなりません。国家と云うのは,人員的につくり上げられたものを指します。要するに,ガバメントです。しかしながら,国と云うものは大地や海や山などの自然を含むカントリーと云う考えですから全く意味が違うのであります。

もちろん,憲法改正は前出の国家についての議論ですから,国云々ではありません。

国を統治する×です。国家を統治する〇です。

国を統治すると言ってしまうと自然を支配することになってしまいます。

そのお笑いタレントの男性のことは,深夜明けの当日からインターネット上で拡散され,掲示板などでも格好の標的にされている様でした。しかし,私は,このお笑いタレントの男性が発言したことと同じような気持ちでいる人は,今のこの日本には多い様に思えるのです。同時に,自分が何故?いろんな人たちから叩かれているのかさえも理解出来ていないのではないかと感じています。

こっちの方が余程,問題ではないでしょうか。何で?叱られているか解からないのですから。気の毒でなりません。私たちの国の憲法は,ある意味特殊な憲法であることは確かです。それは,9条に示す所謂,戦争についての条文解釈が極めて曖昧な表現であるからです。それを今回の改正で,正しく表記することが改憲派の人たちの主張になっていますが,その前に,なぜ憲法が必要なのかを国民が理解出来なければ,特に若い人たちは憲法とは戦争定義だという前提で判断してしまう気がします。

憲法が最も要求するものは何にか?それは13条に見る「個人の尊重」です。行き過ぎた個人主義なんて揶揄されたりしていますが,個人の尊重なくして立憲主義憲法はありえないのです。又,すべての法律も憲法の許容する範囲内でしか許されずなのです。

まぁ~。憲法尊重擁護義務を負う現役の総理大臣も知らないくらいですから,今回の発言で袋叩きにされてしまったタレントさんには,これを切っ掛けに沢山,勉強して頑張ってもらいたいと思います。憲法だけであれば条文も少ないですし十分勉強できると思います。東京大学大学院の井上教授に「少しくらい自分の不知を恥じなさい」と一喝され,口をポカーンとしているのではなく,1年後には井上教授に憲法の一部でも良いから「井上先生!議論しましょう!」と言って挑戦状を叩きつける位になれるように成長してもらいたいものです。私だったら悔しさのあまりそうします。自分よりも強い人間に挑戦することは悪いことではありません。

花咲 あさひ 拝


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝



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