花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

神から預かりし日本とおほみたから 天皇の祈り

2016年08月09日 19時25分40秒 | 謙虚の心柱

上の写真は,東名高速由比サービスエリアで撮影させて頂いた早朝の太陽神と山神,海神です。

こんにちは。昨日は,天皇陛下におかれましては,おほみたから(国民)へ向けて御言葉を宣べられました。又,多くのおほみたから(国民)も天皇陛下の御言葉を素直な気持ちでお聞きなっていたのではないかと思います。私はテレビを観ませんので,天皇陛下の御言葉はインターネット上に掲載されている文面で拝見させて頂きました。今日は,昨日の天皇陛下の御言葉を聞き,若輩者の私も日本国のいち国民として感じた素直な感想を2日間に分けて記事にしたいと思います。

その前に,以前からこのブログでも歴代の天皇陛下が何故,ここまで国民の安寧を祈り続けてきたのかを記事にしておりますので是非とも読んで頂きたいと思います。ちなみに「おほみたから」と言うのは私たち国民をさします。「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」「伊勢神宮と出雲大社 国津神と天津神」です。天皇陛下の祈りと云う意味が判って頂けると思います。

昨日の天皇陛下の御言葉にも多く出てきた「象徴」「祈り」「国民」そして「務め」と云う御言葉ですが,私はこの御言葉の真の意味は,国津神と天津神を代表する天照太御神から預けられし日本と云う国土と国民の安寧を本とした祈りと務めを現行憲法下での象徴と云う位置付け(枠組み)の中で,天皇としての務めを如何に果たすかを最も重要次項と据えた御言葉であったのではないかと思っております。又,神武天皇をはじめ歴代天皇から絶えることなく承継され続けられて来ている祭祀を御高齢となられた天皇として今後,どのようにして次の天皇に承継して行くかを御考えになられている御気持ちが伝わってくるようでした。

そして,何よりも天皇は国民と常にともにいると云う強い意志も感じることが出来ました。

天皇陛下の御言葉の中で「象徴」と云う言葉が出て来ますが,この象徴云う言葉は現在の憲法典に明記されているものです。したがって,現行憲法下においては,天皇は国政に関する権能を有していないことが判ります。しなしながら,この象徴と云う言葉がとても抽象的であります。つまり,国家,国民のシンボルのような意味合いですから具体的性が見えにくいと言えるのです。又,日本国憲法は立憲主義と云うものを前提としていますので,天皇であっても憲法の精神に反してはならないと云うことなのです。要は,法が国を統治することを指しています。そうなると,法は絶対であり,法を尊重し,順守することは当然の前提次項となります。

そもそも,天皇と云う存在と法との関係は如何なっているのでしょうか。たとえば,立憲主義が発祥した西洋などでは,国王の独断や暴走を止める手段として頭が冷静な時に,国王と云えども憲法即ち,立憲主義に反してはならないと云うことで主に貴族の地位や利益を守るために出来上がったものであります。ただこれは憲法「立憲主義」の発祥のプロセスであり現代における立憲主義の本質ではありません。現代における憲法立憲主義の本質とは個人としての人権(尊重)にあります。最近,よく国会などでも取り上げられている個人の人権です。具体的に云うと人間としての尊重ではなく,ひとりの人としての尊重です。行き過ぎた個人主義などとも揶揄されることもあります。何ら国政の権能を有しないとまで憲法に明記された天皇陛下が国民に対し御言葉を宣べられることは,とても大変な事であろうと思います。少しでも政治的な発言や国家としての在り方を宣べられただけで,敏感に反応し拡張,拡大解釈する勢力もある事ですから事前に御言葉を選び,宮内庁と入念な事前協議のようなものがなされていたのではないでしょうか。

また明日続きを書きたいと思います。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


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