花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

誓約と契約 古神道的発想

2019年12月05日 07時37分30秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

リスクマネジメントを追求していくと,その先には和の仕組みがありました。そして,さらに和の仕組みを追い求めて行くと日本古来の古神道に行き着くのであります。日本人は再び,日本人であることの誇りも自信も自覚も取り戻さなくてはなりません。右翼だ左翼だのそんな次元の話ではなく,又,好きだ嫌いだの勝手なことでもありません。暗く冷たいと云う日本人は本当の日本人ではありません。日本人は,明るく温かいと云うのが本来の太陽の子でもある日本人であるはずです。太陽神の分魂を宿しているのです。

先日の記事で,六法の中に民法と云う法律があって,その民法典の中に契約と云う分野があると書かせて戴きました。さらに,契約と約束の違いは何かと云うところで終わりましたが,先ず,後者の方の契約と約束の違いは,法的拘束力と云う効果をもたらすか否かを当事者同士で予め予定しておくことであります。契約は当然,法的拘束力が伴います。しかしながら,約束と云うものは法的拘束が伴わないものを指すのであります。したがいまして,契約も約束も当事者の意思によってもたらす効果が違ってくるのです。

勘違いしている弁護士と議論していると契約書は自分を守る大切な手段だ!などと真剣な顔で話しているのを見るとなんだか可笑しくなってしまう時があります。なぜならば,契約と云うのは性悪説に立脚して締結するものではありません。それでは相手をはじめから疑っている証になってしまうからです。契約書を締結する本当の意味は相手に損失を与えないようにするために予め目に見えるカタチで書き記すことに在るのであります。自分を守ることを最優先した思いやりのない契約を本当にしたいと思いますか?

何年か前に,お寺の住職さんに契約書の作成を頼まれて作成した時がありました。その契約書は,お寺の工事に伴う工事請負契約書でした。契約書を作成する上で必要なカンファレンス「会議・検討・協議」を何十回と行い,契約内容を作り上げて行きます。そしてようやく契約書を作り上げる時に,住職さんから「あさひちゃん。契約書はこちらの有利に作ってね」と言われたことがありました。きっと,住職さんも私が双方対等な契約書を作って来ることを予見していたのだと思います。わたしも当然,どちらかに偏った契約書など作る気はありませんでした。わたしもハイハイと軽く受け流して住職さんには解からないように契約当事者双方が対等な立場で目的が達成できる契約書を作成しました。自分のことだけ考え,有利に機能するような契約書は契約書ではありません。

この世の仕事とは,どんな仕事であっても祭事なのであります。

大切な契約書を締結する場合の大事なポイントは,契約書に書かれている言葉の羅列そのものではありません。そんなことよりもどういった経緯で契約締結までに至ったのかを示せる方が大事なのであります。経営者の方であれば,たくさん契約書を作成すると思います。しかしながら,契約書は保管していても契約を締結するまでの経緯書面を契約書に添付してある経営者はほとんどいません。大切なのは,契約書ではなく契約に至るまでの経緯です。契約書が完成されるまで,どういった話し合いがされて来たのかの方が重要な事なのです。紛争や訴訟などになるような契約書を見るとだいたいどちらかに偏った身勝手な契約書が多いのが特徴です。

したがいまして,海を渡った和の仕組みが外国でリスクマネジメントとして変化して,再び日本に戻って来ました。リスクマネジメントと呼ぼうが和の仕組みと呼ぼうが,その根本となる精神は自分に主眼を置いたものではなく,すべての出発点「土台」は相手のことを思いやることから考えられたものなのであります。どんなに人間が進化を遂げようが普遍的なことは存在するのであります。相手の立場を思いやることも相手の立場を考えながら人との付き合いをして行くことも人が生きて行く上でとても大切なことであるはずです。そう言った大切な事を忘れて行く先には,やはり,豊かで幸せな生活は予定されていないのではないでしょうか。

洋服を着ていても心の中は「和」でいたいものです。拝



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