花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

まさか!ツワコン?

2016年12月12日 22時09分10秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。知り合いの女性から「奈良に三泊四日で神社仏閣へ参詣に行きたいのだけど何処が良いか選んでくれない」とお願いされてしまいました(笑)まさか!旅行代理店やツアーコンダクターの様なことをお願いされるとは想ってもいませんでしたが,まぁ~,お金をいただく訳でもありませんので気が楽ですし,楽しく見どころのある最高の巡礼になるような場所をご紹介しようと考えています。しかも,宿泊期間も三泊四日ですから,通常ではあまり人が行かれない太古からの聖地も選抜できそうです。

歴史年表に沿って巡礼コースを組み込んで見ようと考えていますが,縄文時代から飛鳥時代や奈良時代までの聖地だけでも奈良にはたくさん存在しています。大神神社に玉置神社,天河大弁財天社や石上神宮などは日本と云う国家にとって重要な聖地中の聖地でもあり,天香久山や藤原京の周辺,天武天皇,持統天皇は日本と云う国の基礎を形成して来た人物や場所でもありますし,伊勢神宮の式年遷宮とも大きな関わりがあります。天武天皇持統天皇陵はそう云った意味においてはお進めの場所です。私も何度か参拝をさせて頂きましたが,第1回目の式年遷宮を制定された持統天皇に想いを寄せ感謝の祈りと同時に日本と云う国の壮大さが実感できる場所でもあります。多少の羨ましさもありますが,自分が行くつもりになっているせいか何だか楽しい気持ちになって来ます。

又,嬉しいことに,その女性はここ最近,古神道に興味があるらしく遙か一万年以上も前から続いている祭祀場(古神道系神社)に参拝することが多いようです。「故きを温ねて新しきを知る」ではないですが,古神道とは何か?国家神道とは何か?どのような過程を経て神社神道になって行ったのかを独自に研究や勉強することはとても大切なことですし,個人の見識や見解の幅を一気に拡げる良い機会だと思っております。何故なら,歴史の教科書や学術的な見解と実際の歴史は異なることが多いからです。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                               ブログ開設183日目 記事数第186記 奉仕の心柱 編


かみさまのみこころのままに。

2016年11月28日 21時21分28秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。この時期になると個人的に関係する神社から年末の大祓や新年の御祈祷の案内書が送られて来ます。それぞれ縁のある神社ですから全てに申し込みをしたいところですが,私的な祈願をしたことがないので困惑してしまいます。神社の護持と云う面では確かに大切な祭事でもありますし,一年に一度の収入が見込める時期でもありますのでたくさんの方々から申し込みがされることは神社側にとって切実なことであります。神社を運営するには,どうしても資金が必要です。祭事や建物の維持,職員への給与などなど収支決算は大変ですから仕方がないことかも知れません。神社寺院の決算資料や護持の為の資金集めも担当させて頂いて来ましたからとてもよく理解できます。一般的に神社やお寺は企業会計ではないから資金が豊富にあり,内部留保金も相当あるのではないかと思われていますが,それはごく一部の神社やお寺です。とくに,神社は収入源が限定的ですから厳しい現実があります。

この資金難は,今後も厳しくなって行ってしまうのではないかと思います。しかし,そのような厳しい現状から逆に多くの参拝者や崇敬者を集め,奉賛,奉納を受けて行くと思っている神社がいくつかあります。ありますと言っても,これは私個人が感じ,思っていることです。それはどう云った神社なのかと申しますとすべての宗教「精神面」の原形でもある古神道の形式や形態を残している神社です。つまり,自然崇拝と祖霊祭祀を主としていて,超太古から続いている神社です。今ではとても少なくなっていますが,私は古神道が復活すると思っています。神社でも二極化が起き,古神道を実践する人を現在の神社神道各社が取り込めるかが大きな鍵になると感じています。しかしながら,これだけでは未だ足りません。精神面に付加される現実面が必要です。その現実面を行(ぎょう)と云います。それは相互扶助です。要は,古神道と云うのは,大自然や自然と祖霊に感謝する精神面「祈り」と現実社会で互いに分かち合い,足りないものを補い,弱い立にある人を皆で助け合う現実面が兼ね備わった状態を纏めて古神道と云います。

古神道とは,日常の生活の中に存在するものです。そして誰にでも持ち合せているものです。自然の風景に感動したり,美しい景色を撮影したくなったり,夜に星を眺めたり,朝の太陽に手を合わせたりすること。これすべて古神道が元です。

そもそも古神道を実践している人に祈願や祈祷と云う概念は存在しません。理由は至って簡単で,大自然や自然と祖霊に感謝すること日常生活の中で実践するだけですから個人の願望や欲望を叶えて貰おうと云う発想そのものがないのです。実践そのものが自然と一体化していると云う訳です。ですから,神社や寺院でもお金を出して御願い事などをすると云うことはせず,寄附と云う形で感謝を顕すことが多いのです。神社側から御願いことを記入して下さいと言われると,とても困ってしまいます。祈祷や祈願の為のお金ではないからです。屋根が古くなってきたから皆で計画を立案して新しくしましょうと云う感じなのです。どうしても記載する必要があるなら世界平和か神恩感謝と書くくらいではないでしょうか。たとえば,前にもご紹介させて頂いた京都の貴船神社に観る御日供(おにっく)などは五穀豊穣に感謝することを趣旨として,崇敬者のみなさんで少額の資金を出し合う制度ですが,これは,古神道を現代に残す大切な進化形です。つまり「故きを温ねて新しきを知る」ですが,この御日供を崇敬者から募っている神社も少なくなっています。五穀豊穣は経済の原点。どんなに経済が発展しても変わりはありません。神恩感謝に毎朝毎夕祖霊に感謝。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設169日目 記事数第174記 奉仕の心柱 編


必ず御役に立てます。何かあった時にだけ私のことを思い出して下さい。

2016年11月17日 21時16分43秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。明日は,私の知り合いの人の誕生日です。18日は観音様の縁日ですから忘れません。知り合いと云ってもお互い個別に連絡を取り合ったりする間柄ではありません。ですが,立派なお母さんでもあり,子供を4人も育てている方で,少子化の日本にとって何よりも有難いことです。このご時世で子供を4人も育てているのですから,いろいろな面で大変なことがあると思います。私の存在を忘れてしまっているかも知れませんので,誕生日の明日,メールでも送って見ます。元気でいると良いです。

今日は,朝から現代社会の問題を世間に提起させた悲しい結末の事件のニュースを読みました。介護殺人と云う最近,テレビや新聞などでよく報道されるようになってしまっている事件です。私が読んだ事件は,ちょうど2006年に起きたものでしたが,主文を言い渡した裁判官も心の中で相当な葛藤があったのではないかと想像しておりました。判決当日,被告人である本人は裁判官の問いに対し「生まれ変わったらまた母親の子供として生まれたい」と云う趣旨の弁を述べたようです。この被告人の言葉に,判決を言い渡した裁判官も声を詰まらせ,目を赤くしていたらしいです。判決そのものは温情判決としてニュースでも取り上げられていたようです。しかしながら,この事件は,判決と云う裁判規範性や法的規範性の外で終結することになってしまいました。

社会に復帰した本人を待っていたのは,とても厳しい現実でした。結果,本人は自死してしまったのです。本人がいつまでも大切に保管していたものの中に,母親と本人のへそ緒が遺体に身に着けてあった小さいポーチから発見され,メモ書きには一緒に焼いて欲しいと書かれていたようです。本当にこの様な事件は辛い出来事です。これでもまだ自己責任と呼ぶのでしょうか。

昨日まで書かせて頂いてきた「神様との約束事 仕事とは祭事であるぞ。 5」でも触れましたが,神社やお寺の総代さんをはじめ護持組織をとにかく動こかすことが出来れば,自分の神社や寺院の中にいる人たちにだけでも光を照らすことが出来るのです。大きな組織や団体を形成する必要もなく。お金がかかるものでもなく,不特定多数を対象とすることもなく,自分たちの神社や寺院に所属する氏子崇敬者,檀家信徒だけで良いのです。これがはじめの一歩となって,その波は日本国中の神社や寺院に波及して行きます。

そして,年に数回,氏子崇敬者さんや檀家信徒さんに祭事の案内や法事などの手紙を郵送していると思いますので,その中に一言だけで良いので皆さんへ宮司さんと総代さんが語りかけて頂きたいのです。難しい話や用語は使わず必ずお役に立てることがあります。何か困ったことがあった時にだけ,神社(寺院)と私たちを思い出してください。それだけで十分です。」と氏子崇敬者,檀家信徒さんに言葉かけをするだけでも救われる命があり,また明日も生きてみようと思って頂けると真に感じています。

今回ブログで掲載させて頂いた起案は「買い物困難者」の情報を元に立案させて頂いた過去のものです。しかし,課題は何でも応用が出来る仕組みになっております。たとえば「災害弱者」「介護」「高齢者の交通事故」「子供の貧困」等にそれぞれ変えて起案が可能です。但し,民間の企業が主体となると失敗する仕組みになってもいますので注意が必要です。神社とお寺にいる総代を動かせと神様から教えて頂き,神様から授かったリスクマネジメントを駆使して活用してみて下さい。きっと,誰かの助け舟に成ります。

事件の本人も,自分の実の母親を自分の手によって死なせてしまったこと。自分も母親の死を見たあとに自死しようとしたが,自分だけ助かってしまった心の重み。本人にしか解らないことの苦しみと悲しみ。さまざまな苦悩があったと思います。これから日本は,人類が経験したことのない少子高齢化が本格的に訪れます。そして,あまり報道されていませんが,世界中の国が日本がどうのように少子高齢化を乗り越えて行くかをじっと観察しています。特に,中国は一人っ子政策によって,数十年後には超少子高齢化時代を迎えます。それに備える為にも日本の政策と問題点や課題を見つめているのです。最大のチャイナリスクは少子高齢化です。拝


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心優しき動物たちへのオウムの恩返し。物語後段

2016年10月26日 20時22分07秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。仏教の経典である雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の121物語中のオウムの恩返し「雑宝蔵経 天はすべてを観ています。」「オウムの恩返しと動物たちの優しさ。物語前段」を2日程,記事にさせて頂きましたが,このオウムの恩返しの前段部分は,鎮守の森で平和に暮らしている心優しき動物たちが,エサを探し求めて森の中で迷っている一羽のオウムに優しく声を掛け,木の実や美味しい御水などをたくさんあげて夜は,オウムが寂しくないようにと安心して寝ているオウムの回りを動物たちが囲んで寝ていましたと云うお話でした。そして,翌朝,たくさんの心優しい動物たちの愛情でグッスリと寝ることができたオウムは自分の故郷を目指し,たくさんの動物たちに見送られながら飛んで行きました。ここまでが,このオウムの恩返し物語の前段部分です。

そして物語は,後段に入ります。物語の後段では,

自分の故郷に何とか戻ることが出来たオウムは,鎮守の森で出会った沢山の動物たちの真心とその恩を感じ,鎮守の森での出来事を他の動物たちへ話していました。その様子を想像すると余程,オウムは嬉しかったようです。私たち人間でも自分の力だけではどうすることも出来ない事柄がたくさんあります。たった1人の力には限界もあります。そんな時,友人や知人などの協力者が居てくれるおかげで何とか問題を解決出来たり,難問を乗り越えることが出来た経験は少なからず誰にでもあると思います。助け合ったり,補いあったり,支え合ったりと本来,人間社会においてもお互い様のはずです。いつの間にか,私たちは臆病者になってしまったのかも知れません。このオウムの恩返しの物語は前段と後段で観ると興味深い点がたくさんあるように思えます。前段では,自分から率先して困っている存在に対し積極的に語りかけ,ひとり一人が自分の出来る範囲で皆で協力している様子を物語っています。又,後段では,困っている時に助けられた恩を忘れずに感謝し,相手が困った時に自分から率先して行動に移す様子を語っています。

つまり,前段も自分に置き換え,後段も自分に置き換えた場合の両面を考えることが出来る訳です。これは,神道で云うところの一霊四魂「魂の働き」と呼ばれる思想に似ていると私は感じています。機会があればまた記事で書かせて頂きたいと思いますが,一霊四魂と云う神道の思想概念には,人は誰でも「荒魂」(あらみたま)と云う働きと「和魂」(にぎみたま)と云う働きと「幸魂」(さきみたま)と云う働きと「奇魂」(くしみたま)と云う魂には四つの働きがあると言われています。たとえば,前段の勇気を以て,自分から率先して行く勇ましさは正に「荒魂」の働きですし,困っている人の役に立ちたいと云う思いと皆で協力する姿勢は正に「和魂」の働きそのものです。物語の前段を読んだだけでも,この作者は人間の本来の在り様を動物に例えて書かれたのではないかと思います。本当に,このオウムの恩返しに学ぶところは沢山あります。見方を少し変えるだけでもいろいろ勉強もできます。

そして後段,最後の箇所では,

親切にしてくれた鎮守の森が山火事になってしまい,いてもたってもいられないオウムは,とっさに川へ飛び込み自分の身体をビショビショに濡らして山火事を消そうと鎮守の森に向かいました。しかし,山火事の現場に着くころには身体の水が乾いてしまって,自分の身体をブルブル降っても数滴しか落ちて行きません。それでも構わず,何度もなんども川に飛び込み身体をビショビショに濡らし再び,山火事を消しに向かいますが,結果は同じで数滴しか水が落ちて行きません。無理だと判っていても助けたい一心で山火事に向かうオウムの姿は,災害活動に従事される警察・消防・自衛隊の救済活動によく似ていますし,私たちの日常生活の場や企業社会でも聞くことがあります。そして,一生懸命に努力している人を努力をしない人が嘲笑い,そんな利益にならないことをよくやるな。そんなことしても無理だ。無駄なことだよ。と云う場面はどんな社会でもあることです。それでも,諦めずにただ「助けたい」と云う一心で純粋な心が天津神と国津神,八百万の神々にも通じ,神様の御加護あったのです。神様が放って置くはずがありません。オウムも突然,これまで晴天だった空が曇りだして大雨が降って来たのですからビックリしたのではないでようか(笑)

オウムも自分が困っている時に優しく,助けてくれた動物たちの恩を忘れず,自分の力だけでは到底,為し得ない困難なことであっても決して諦めず果敢に挑戦する態度とその姿勢は物語とは云え,今の現代でも理想とされ求められる人物像であるのかも知れません。その姿は天津神,国津神,八百万の神々様もずっとご覧になられています。そして私たちの祖先もすべてを観ています。果敢に挑戦する勇者(子孫)を誇らしく思っているのではないでしょうか。もしかすると,天国で友人や知人に自慢しているかもしれませんね。又,祈るとは行ずることだと云うことはひふみ神示「日月神示」にも多く書かれています。祈りと行ずることで結びます。拝


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子供たちの未来に希望が持てる社会とは?

2016年10月20日 19時19分46秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。先日,仕事でお寺へ行って参りました。そのお寺は幼稚園を経営しているお寺ですが,実は私の母校(園)です(笑)私が通っていた当時とは本堂も境内も周辺の様子も区画整理や都市開発事業などで変わっていましたが山門は,私が通っていた当時のままでした。毎日,通園バスで幼稚園に到着すると山門をくぐり,本堂の御本尊様へ合掌をしてから教室に向かっていました。とても懐かしい想いに駆り立てられましたが,最近は,少子化の影響で神社やお寺が経営する幼稚園が減少しています。さて,今日は,今の社会問題でもある子供たちの貧困問題を記事にさせて頂きたいと思います。その子供たちの貧困問題の中でも特に,子供たちの教育問題が急速に拡大しているようです。子供の貧困は聴いているだけでも辛いです。

中学生から高校生へあがる為に通う塾などの費用負担が家計の収支状況などから捻出できず,塾へ通うことの出来ない子供たちが大勢います。又,高校へ進学しても授業料などの学校費用も同様に支出することが厳しい状況にある子供も多いと云うことです。何とか,早く高校の無料化を実現して頂きたいと思っています。家庭の事情で,高校にすら進学できないとすると,その後の就職する選択にも影響することですし中学卒業だけでは選択肢があまりにも狭くなってしまいます。わずか15歳で厳しい社会に放り出されることを想像すると何とか為らないものかと怒りのような感情が湧き上がって来ます。戦後直後では,中学卒業「中卒」は金の卵だと言われていた時代があったようです。実際に,戦後の焼け野原から国土を復興をするのですから判る気も致します。

しかしながら,今の日本では全く違います。ほとんどの子供が高校へ進学する時代でありますし,高校を卒業しても大学や専門学校へ進学して行く時代です。将来,何らしかの国家資格を取得しようとしても高校や大学を卒業することが前提条件になっていることが多いです。正直,中学卒業で就職するのはもの凄く大変ですし,賃金的格差で云っても歴然とその差はあります。つまり,生涯収入がかなり違いますし,厄介なことにその生涯収入が次世代の子供たちにも連鎖することです。経済的貧困は大人になっても続き,相続の有無にもハッキリと表れる事柄です。要は,たった15歳で,その後の人生が決まり,さらに次の子供にも連鎖するのです。

私のお客様のお子さんも正に上記に該当する環境にある方が何名かおります。又,過去にも該当する子供が何名かいらっしゃいましたが何とか家族を含め皆で知恵を出し合って無事に高校に進学し農業関係の専門学校へ入学できるお子さん,高校に入学してバイトをしながら看護師を目指して病院に就職できたお子さん等々,いろいろな子供たちがおりました。今の日本でお金がないから高校や大学に進むことが出来ないと云うのは,最近の政治家の金銭問題を報道で知るたびに悔しさと憤りに掻き立てられます。そのお金の一部でも良いから自ら学びたいと思って頑張っている子供へ資金の提供ができたら,その子供の将来に希望を与えてあげることが出来るのにと考えながら該当する個別の事案に取り組んでいます。本来,子供は国家の宝のはずです。縄文時代の遠い祖先は7代先の子孫のことを考えながら生活していたようです。せめて子供たちだけでも,何とか子供たちだけでも大難を小難へ小難を無難にして頂きたいと神様に御祈りしております。そして,国会と内閣には一日も早く,高校の無料化を実現して頂きたいと願っております。


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熊本地震から半年を経て。さぁ!尼僧さん出番です。

2016年10月16日 19時19分48秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。あの熊本・大分地震から6ヶ月が経ちました。それぞれの町や被災した家屋の復興,復旧もされていることだろうと思います。しかしながら,その一方で,地震の直接的影響で亡くなられた人を地震後の要因で間接的になくなられてしまった人が上回る現実が報道されていました。さらに,阿蘇山の噴火と云う不安な日々を送られていることだと思います。又,仮設住宅で生活を余儀なくされた世帯の内,熊本市内だけでも528世帯の75%(393世帯)が高齢者世帯だと云うことです。独り暮らしの孤独死や孤立死と言われ出して久しいですが,これも自己責任論と言われてしまうのでしょうか。被災自治体も社会福祉法人等の公益法人も様々な取り組みをされていることだと感じていますが,こういった時にこそ神道や仏教などの宗教家の出番だと思っています。

間接的に亡くなられてしまう主な要因はハッキリと解らないと思いますが,仮にその原因のひとつに心の問題や精神的な心労が少なからず関与しているのであれば,今こそ宗教家の出番です。先日の発言で物議を醸し出し,自らの発言を自ら訂正し,謝罪された尼僧さんの出番だと私は感じております。尼僧さんは確か,天台宗に所属されていると思いますから熊本の天台寺院で生命の尊さ,なぜ人は生きるのかを説法して困っている人や弱い立場に立たされてしまっている人たちの心の支えになって頂きたいと思います。体力的に大変であれば,ビデオやVTRなどでを活用されれば可能なことのようにも思えます。それも無理であれば,比叡山天台宗が推進されている「一隅を照らす運動」の一環でも取り組んで頂きたいです。こちらです。公式ページ:http://ichigu.net/

このまま評論家の様に社会の問題に理屈を以て人々を説得することではなく,もっと身近で,困っている人へ,弱い立場の人たちへ生命を伝えて行って頂きたいです。もう落ち込んでいる暇はありません。あの世へ帰るその日まで,前へ前へ。お釈迦様の教えを広め,仏法を唱え,観世音菩薩へお仕えすると決意為された日を思い起こして下さい。本来の仏教に原点回帰する為にも,数々の仏教界のスーパースターを輩出してきた比叡山一門の僧としても被災者の心の救済に立ち向かって頂きたいと切に願っています。祈。拝

記事中の「一隅を照らす運動」とは,比叡山天台宗が,信仰と実践によって一人ひとりが心豊かな人間になり,平和で明るい世の中を共に築いていこうという社会啓発運動です。「一隅を照らす,これすなわち国宝なり」という,天台宗を開かれた伝教大師最澄さま(767~822)の精神を現代に生かすために生まれました。一隅(いちぐう)とは,今,あなたがいる,その場所です。あなたが,あなたの置かれている場所や立場で,ベストを尽くして照らしてください。あなたが光れば,あなたのお隣も光ります。町や社会が光ります。小さな光が集まって,日本を,世界を,やがて地球を照らします。あなたの一隅から世界を照らしましょう!一人ひとりが輝きあい,手をつなぐことができれば,みんなが幸せになり,すばらしい世界が生まれます。(公式ホームページより引用)


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仏教界のスーパーヒーロー 観世音菩薩

2016年10月10日 22時51分10秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。先日,動画サイトにて宗教団体なのか宗教サークルなのか解りませんが「観音様に呼ばれる人」と云うことをテーマにした勉強会のような動画サイトがありました。動画でしたが映像はなく音声のみでしたが,私の思い考えることと相違があるなと云う意味で興味深いものでした。観音様はどんな存在ですか?と聞かれると,多くの人が困っている人を救ってくれる存在であり,願い事を叶えてくれる存在とお答えになると思います。確かに,仏教寺院の僧侶もその様に観音様の存在を伝えていますし,観音経と云う経典の一部にもその様に書かれております。今日は,私たちにとても身近な観音様の存在を少し書かせて頂きたいと思います。

まず観音様と云っても観音様には○○観音と云うようにたくさんの観音様がいらっしゃいます。たとえば,仏教の六道思想に観るように天界を担当する如意輪観音,人間界を担当する准胝観音,修羅道を担当する十一面観音,畜生道を担当する馬頭観音,餓鬼道を担当する千手観音,そして,地獄道を担当する聖観音を六観音と申します。その六観音の内,今日は,地獄の世界で人々を救済される聖観世音菩薩についてです。私たちが一般的に呼ぶ観音さまとは,この聖観世音菩薩を観音様と呼んでいます。仏教の経典の般若心経や観音経で唱える観音様も聖観世音菩薩です。つまり,仏教界のスーパーヒーローと云ったところでしょうか。

観音様は,困っている人や弱い立場にある人を救済することを唯一の任務とされております。つまり,困っている人や弱い立場にある人を救済できるだけ強いとも言い換えることが出来ます。さらに,地獄の淵まで降りて行くことが出来る存在です。したがいまして,本当の観音様と云うのは,観音様自ら地獄まで降りて行って困っている人や弱い立場にある人の元へ行き救済するのです。決して高い場所から声を掛けて叫び続けることではありません。まさに,着の身着のまま裸足で飛び出して行くのが,私たちが祈りを捧げる観世音菩薩の真の御姿です。いろいろと諸説ありますが,私個人的には,聖観世音菩薩は,神界のスーパーヒーローが人々を救済する際に用いる御姿だと思っています。蒼き神の素戔嗚大神様で御座います。黄泉の国を統治する神は,素戔嗚大神様です。

その動画サイトで話されていた内容は「普通の人は観音様のところで厄を落としに行くんだ」しかしながら「私たちは役を貰いに行くんだ」と云う内容でした。つまり,自分たちが観世音菩薩のように菩薩行をする人になるのだと云う趣旨の話でした。ここまでの話は,私たちもいろいろなところでよく聞く話です。新興宗教でも何かと多く引き合いに出されるのが観音様です。しかし,私が思い感じたことは,何故,そこで話を止めるのか?その奥の話をされないのか?が疑問でした。なぜならば,ここまでの話を聴いて実際に人の厄を貰い,人の役に立てると信じて菩薩行を実践しても実感が感じられないどころかこの世では厳しい立場つまり,環境に立たされることが多いのです。その主な理由は2つあります。1つ目は,物質世界に人の価値観を見出すことではなく,生き方や道徳,精神世界に真の価値を見出すからです。2つ目は,私たちは常に見返りを期待してしまう様になってしまっているからです。

先にも申したように,観音様は困っている人や立場の弱い人を救う尊い存在です。しかし,ここだけに着目してもその先にある本当の姿を観ることは出来ません。たとえば,細かい日常的な事柄ですが,自分から人に挨拶をして,相手から挨拶がなければ嫌な気持ちになります。何か人に良い事をして,相手から何も感謝もされない。ありがとうも言ってもらえないと寂しい気持ちになります。中には,人に良くしてもらったら感謝するのは当たり前だ。こんなに自分はしてあげてるのにと怒り出す人も居るかも知れません。

それは何故か?です。日常生活によく在りがちな話でもあります。どうして,私たちは,その様に感じてしまうのでしょうか。もし,その様な不平や不満を抱くのであれば,それは菩薩行とはかけ離れたものです。その様な気持ちはやがて,人を恨み心を穢すことになってしまいます。菩薩行には,感謝されること。ありがとうと言ってもらえることは,はじめから予定されていないことです。つまり,一方的な行為が観音様の菩薩行ですから,相手に感謝されるとか有難うと云ってもらうとか言う話にはならないのであります。物質的な見返りがないのが菩薩行であると考えていた方が,逆に,何ら見返りを期待せず,執着することなく済みます。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設120日目 記事数第130記 奉仕の心柱 編 


裸足の観世音菩薩

2016年10月09日 21時13分34秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。裸足の観音様がいらっしゃったので,下駄を奉納させて頂きました。ここ最近,雨や曇りの日が続き,これから寒い冬がもうすぐ来ますから履いて下さると有難いと思います。こちらの観音様は聖観世音菩薩です。

一昨日のニュースで,某尼僧さんが,日弁連「日本弁護士連合会」が開催する講演で死刑制度廃止論に伴って「ばかどもと闘ってください」と発言されたことが物議を醸し出しているようです。その発言の元になったことは何かは解りませんが,被害者側からの抗議が相次ぎ,日弁連は謝罪の意思を表明したようです。元々,日弁連は死刑廃止を提言する団体ですが,死刑制度は刑法第199条に規定された法律(実体法)です。したがいまして,日弁連は刑法第199条の廃止を要求していることになります。日弁連の提言は別として,なぜ,日弁連は尼僧である宗教家へ意見を求めたのか?

さらに,その尼僧は何故,日弁連の要求に応じたのか?そちらの方が,私としては気になるところでもあります。なぜならば,今の法律と宗教及び法律家と宗教家は対極に立つ立場であることが多いからです。交り合うことは,ほとんどありえないのです。私個人的には,交り合える接点を模索すると憲法か法哲学の分野ぐらいではないかと思います。法律家の役割とは理屈を組み立て理論付けを行い,事実と論理と言葉で相手を説得するものです。つまり,正義であるかどうかを実現することでは,残念ながらありません。

司法試験や法律系の資格試験の勉強をされるとよく解ると思いますが,道徳観を以て勉強すると内容が理解できません。まず問題の意味も解りませんし,なんで?こうなるのか?解らなくなると思います。それが随所に出てくるのが論文試験ではないでしょうか。理屈を組み立てることを起案と言いますが,道徳的な観念では理屈を組み立てることが出来ないのです。なぜならば,規範の元になるのは道徳ではなくて,法律だからです。それ故に,裁判などの訴訟は正義が勝つと云うことには結びつかないのであります。

たとえば,民法の勉強をすると最初の方に「善意」「悪意」という言葉が登場します。私もそうでしたが,これを道徳的に考えると「良い」「悪い」と云う解釈になります。これは普通の感覚だと思います。しかし,法律と云う学問で考えると内容も意味も全く違います。「善意」とは,ある事実を知らないこと。「悪意」とは,ある事実を知っていること。そのように考えるのです。

しかしながら,宗教家の役割と云うものは,人が人として道徳に沿って正しく生きて行くための教えを施すことを目的としています。要は,法律家は,法や法律と云う一部の人が多くの人間を支配する目的で作り上げた規範に付き従い,宗教家「僧侶」は,お釈迦様の唱えた仏法に付き随うことを目的としています。紛争や訴訟と云う「修羅道」の世界に身を置く弁護士と道徳や仏法と云う「仏道」の世界に身を置くもの同士が話をしても交り合うことは出来ないと考えています。仏様は良い人も悪い人もすべての人を救い,正しい道に導くと云われていますから,そもそも相手と闘うなどと言う発想や敵視,敵意を抱くことはありません。

確か,真言宗の豊山派と云う団体で,大変興味深い議論がされていたのを想い出しました。それは,もし,僧侶が裁判員裁判に選ばれた場合,選ばれた僧侶は被告人に対し,死刑と云う極刑を言い渡すことができるかというものでした。これは,私にとっても大変勉強になりました。普段は道徳を説く僧侶が,実際に裁判員として死刑を言い渡せるのかどうかとても興味がありましたし,この様な議論や勉強会が宗教家の間で広がると良いのではないかと思います。私は,この世で償える罪ばかりではないと考えています。

ですが,弁護士は常に相手に勝つことを前提にしていますから,敵視,敵意のような戦意がなければ仕事になりません。裁判は勝ち負けがハッキリとする場であります。ただ,民法などに見る私的自治や信義誠実の原則などは道徳を基礎基本としていますし,刑法の前提となっているのも宗教が元でした。以前にもブログで少し書かせて頂きましたが,科学も経済も医学も法律も元々は信仰の対象として存在していたものです。それを,人間が分離分割させて行った所に根本の深い問題点があり,その問題点が現在の様々な不幸をもたらしていると私は感じています。そして,その不幸は必ず弱い者に集中的に起こるものなのです。集中的に必ずです。

勉強が大嫌いの私ですが,憲法を深く勉強すると神道を学んでいる感覚がありました。憲法に見る天賦人権「自然権思想」はその最たるものです。憲法の基礎基本は神道にあるものだと感じるようになり,民法や刑法などの実体法も民事訴訟や刑事訴訟などの手続法も深く研究すればするほど神道や信仰に辿り着きました。つまり,入口はすべて信仰が元であることを知り,人間は古神道に始まり,古神道に戻るのだと感じています。宗教でも科学も経済も医学もどの学問でも行き着く先は生命だと私は思っています。

仏教者である宗教家の役割は,闘わせることではありませんし,葬儀をすることでもありません。元々,仏教に葬儀を司る目的もありません。厳しい修業をすることでもありません。本来は,人が人として生きるための道徳を説くことが目的であったはずです。しかしながら,時代と共にその姿は葬儀を司る仏教へと変わってしまいました。立派な寺院を建設するために,檀信徒から多額な資金を募ることはもう出来ません。今一度,多くの人に道徳を説く真の仏教者である宗教家が登場することを夢見ています。

いつも神様は「我こそはと想う者,自ら手を挙げ名乗り出よ」と申します。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


稲田防衛大臣に想うこと。がんばれ!ともちん!

2016年10月06日 19時52分38秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。国会が開会され,野党は予算質疑でターゲットを稲田防衛大臣に定めているようです。そして,野党から厳しい質疑が続いているようです。私も動画で一通り観ましたが,連日の質疑で少し疲れだしている感じが見て取れます。前にもブログで稲田防衛大臣の就任を受けて少しだけ書かせて頂きましたように,理屈を使いこなせるかどうかとシビリアンコントロール「文民統制」などと云う幻想を捨て去ることです。そして,有能な人材確保に努めるべきです。有能とはどの様な人物像が理想かと申しますと今は「リスクマネジメント」が使いこなせる人物です。そう云った人物を自分の側近として側に置くことです。これしかありません。

東京都知事である小池さんとはタイプが違いますので,相手を呑み込むくらいの器量はないのではないでしょうか。自分の大臣としてのスタイルを早期に確立すること。過去に自分が積極的に発信してきた発言に足元をすくわれないようにしなければ中々厳しいのではないかと思います。稲田防衛大臣の様な方は,前評判がとても凄い良いのです。つまり,期待値が高いのです。しかし,実際に大臣と云う立場になると評価が下がる傾向にあります。自分自身の考えと現実的に大臣としての考えでは雲泥の差があると実感されているかもしれません。又,自分の考えと大臣としての職責の狭間で苦しんでいる様にも見えます。野党からは格好の標的です。

しかし,自分の弱い部分を認識して,弱さを素直に認め,すべて受け入れることで防衛大臣としても政治家としても強くなれるようにも思います。万が一,稲田防衛大臣のマネージャー的なことを旦那さんがされているのであれば,止めることです。旦那さんには無理です。なぜなら,旦那さんも法律家だからです。つまり,思考回路は同じです。稲田防衛大臣以上のものはありません。

それは,法律家の弱点を理解することにあります。稲田防衛大臣も弁護士出身と云うことですから法律家であります。では,法律家の弱点とは何か?それは,質問「する」ことには優れていますが,質問「される」ことには弱いのです。どの法律家もそうです。ですから,法律家で大臣になった人で活躍された人はそんなにいないはずです。質疑に真正面から応じると負けるのです。この間まで,民進党の政調会長をされていた山尾さんが良い例です。山尾さんは元検事ですから国会質疑を聴いていても質問の趣旨や理屈などの理論を組み立てることに優れています。要は,尋問させると力を発揮することが出来るのですが,尋問されると答弁に説得力もないのです。稲田防衛大臣も野党の時代の方が輝いていた様に見えます。現在の民進党が与党時代に予算委員会などで展開されていた姿は多くの人をひき付けたと思います。しかしながら,今は違います。与党であり,防衛大臣であります。当然,攻める側から攻められる側になったのですから,これまでと同じ考えでは論戦にはならないと考えています。今の感じでは,仮に,民進党の山尾さんが質問に立ったら稲田防衛大臣は官僚の答弁書を読み上げるしか出来ず,多くのファンを失望させるでしょう。稲田防衛大臣も山尾さん同様に,尋問することでは力を見せつけることができますが,尋問されると訳の分からない答弁をすることで時間を稼ぐしかないのです。これではリスクマネジメントになりません。誰かの責任にするのが精一杯です。実に気の毒になってしまいます。

リスクマネジメントの基礎基本は「何の為にするのか」「誰が何をするのか」「そのことで誰が又は,何がどうなるのか」を起案及び立案できる能力のことを言うと私個人的には考えております。しかし,真に残念ながら,この能力は法律家にはありません。マッカーサーが言った言葉を思い出してください「日本人は12歳程度の能力しかない」と言ったことを。そして,このマッカーサーが言った12歳程度の能力とは何を意味するのか?これも私個人的な解釈ですが,マッカーサーが言いたかったことは「理屈を使いこなせる能力」と云う意味であったと思います。法律家の思考と云うものは常に「要件」と「効果」で出来上がっていますので,そこに当てはめられないと思考が停止状態になるのです。先日の予算委員会で質問に立った蓮舫さん,辻本さん,福山さん等の質問に応じた姿を御自分で再度ご覧になると良いと思います。本当は,秘書がするべきと思いますが,しないでしょう。

そうなると,官僚の作成した書き物を読み上げるしか出来ません。防衛委員会での会議中の動画にもありました。官僚は大臣を名大臣にすることも出来ますが,叩き潰すことも簡単にできるだけの力を持っているのです。これでシビリアンコントロール「文民統制」が出来ない理由が分かって頂けると思います。専門的な知識を有する官僚と何ら専門的知識を有しない素人の関係を受け入れ,そこから組み立てることです。愚者は経験に学び,賢者は歴史から学ぶと云う言葉を思い出して頂きたいと思っています。

気を付けよう甘い言葉と文民統制 がんばれ!ともちん!拝


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山の神が示すものから水の神が示すものへ。

2016年09月15日 20時17分07秒 | 奉仕の心柱

  

     上の写真は,室生火山帯の中心部です。          上の写真は,丹生川上神社下社です。

こんにちは。今回の参詣は,いつもの参詣とは違い,テーマはどうやら水にまつわることや水に関することであったようです。その音霊が意味するものは何なのか,もう少し時間を置きながら見つめて行きたいと思っております。音霊を直ぐに言霊に変換でき,答えを直ぐに見出すことは今は無理ですが,とても興味深い内容が込められているような気がしています。ここまで,水に関係する参詣を水を意識しないで御水への感謝を意識せざるを得ない参詣をさせられるとは思ってもいませんでした。これまでの参詣は,主に山でした。参詣させて頂く神社や寺院では必ずと言って良い程,後背には御神体である山が存在していました。

そして,私は,山そのものの存在を勉強して行くとそれは,神さまそのものでした。太古の人つまり,縄文人が山を畏れ,崇拝していた理由も理解出来ました。それを御神体であったり,禁足地であったり,鎮守の森と現代の私たちは呼んでいます。

そんなある日,何気なく音霊が言霊に変換された瞬間がありました。それが,このブログのサブタイトルでもあります「山を下りた観世音」でした。「ここに来ても観世音はもういない」「観世音は裸足で山を下りました」「仲間の菩薩も後を追って山を下りた」と言霊に変換された瞬間,世の中が新たな文明を迎えると感じました。新たな文明を迎えるのですから,当然,その前に今の文明は終焉することになります。その終わり方を巡り,様々な社会では混乱をきたしております。その終わり方にも容赦はなく,とても激しく,厳しいものになるから強い者は弱い者の面倒をしっかりと見ること。大きい者は小さい者を助けてあげること。

そのような警告に近いことが次々と現象として表立ってきています。私は,決して他人事ではないと感じていて,以前にも,記事に書かせて頂いたと思いますが,誰においても明日は我が身であると真剣にそう考えています。もっと云わせて頂ければ,もう既に今日は我が身になっているかもしれません。たとえば,経済と云う側面においては「資産を持っている高齢者」と「資産のない若者」ですとか一度,災害が発生すれば「元気で直ぐに自力で避難できる若者」と「他人の助けがなければ自力で避難することの出来ない高齢者」と云う具合に,強者や弱者と云う立場は簡単に環境によって左右されるものである訳です。したがいまして,明日は我が身と云う言葉の前に「環境の変化によっては」と云う言葉を前提にされると分かり易いのではないでしょうか。

きっと,大自然である神さまが私たち人類に繰り返し繰り返し音霊(波動)を送っているのですが,私たち人間の方が,神さまからあまりにも遠ざかってしまい,日々の生活や仕事,学業に追い込まれ神さまからの音霊(波動)を受信できないまでになったのではないでしょうか。中には,そんな話は馬鹿げていると考える方もいるかも知れませんが,人が人を支え合い,互いに尊重し合い,足りないものを互いに補うことにまでは反対しないと私は思っています。縄文文明は正にこれそのものでした。

以前,7月14日に書かせて頂いた記事です。「残された道は ただひとつ。相互扶助への道。」宜しければ読んでみて下さい。

私たちに残された道は相互扶助と奉仕が最大のテーマでもあり,否応にもその道を歩まざる得ないものになると思っています。大袈裟に受け取られるかもしれませんが,人類が生き残れると申しますか,これからもこの地球神の大地で生きて行ける唯一の方法だと感じています。それを私たちひとり一人が気が付けるかどうかの問題でもあるかのような災害・事件・事故がこれでもかと云うくらいに続いてしまいます。ここでもし,私たちが気が付かなければ,気が付くまで事象は繰り返されて行き最後には人類は滅んでしまうかも知れません。私も毎日,自分自身に明日は我が身と云い聞かせ,どうすれば相互扶助と奉仕の世界が実現するかどうかを想っています。たった御一人,私たちの先人で相互扶助立国を志した方がおりました。それは,世界的な企業を創業された松下幸之助さんと云う御方です。論書では慶応義塾の創設者でもある福沢諭吉さんが有名です。いまの保険制度の元だと云われています。拝


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八咫鏡を還せ!奪還に向かった蒼き観世音菩薩

2016年08月29日 13時13分49秒 | 奉仕の心柱

 

こんにちは。先日も書かせて頂いた「弱い者いじめは国賊の証です。」記事ですが,その後もいろいろな動きや思惑などもあり徐々に動き出しています。このような事が,社会では頻繁に起こり勝った負けたと喜び,悲しんでいる生活は,やはり正常ではありません。何とか争わずに終結させられる方法はないか?戦わずして勝つにはどうするべきかを模索していますけれども中々,思いつく節もありません。いくら表面は負けていても構わないのであります。最も最悪なのが勝って負けると云う愚策です。紛争をすれば必ず傷つく人が出て来てしまいますし,紛争は新たな紛争を産み出すだけのものです。そこには何ら生産性など存しない。

紛争することによって得られる利益と紛争することによって失われる利益をどう取り入れて行けるか。つまり,前者は経済的利益を優先するもので,後者は精神的利益を優先するものであります。所謂,比較較量論と云うやつです。紛争して勝った人は,後に容易く紛争を繰り返し行い,紛争によって金銭を得て行くことを無意識の内に選択して行く様になってしまう傾向があるのです。しかも無意識の内にです。そして,弱い者イジメを平気で平然として行く様にもなります。なぜか?簡単な理由です。自分よりも強い者と紛争すると負けることが分かっているからであります。だから,その様な人は自分よりも強い立場にある人とは決して争わないで,自分よりも弱い人をターゲットにして紛争をするのです。これも無意識の内にして行きます。

本当に霊能者の所業と云うものはたちが悪く,霊能者の発した無責任で抽象的な言葉で,どれ程の人たちが不幸を背負って行くのかを肝に銘じなければなりません。中には人生までも破壊することにも繋がってしまうかも知れない訳です。人は誰でも豊かに,幸せになる為に生まれて来る訳で,その為に厳しい修業を学業や仕事,家庭や社会で一生をかけて行くのであると私はそのように考えています。その厳しい修業と向き合っている人に神の言葉,仏の言葉とひょうして考えさせることを奪い,思考を停止させることがどういうことなのかを素直に考えなければならないのであります。困っている人や弱っている人がいれば,無償で何らその見返りなど期待せずに正々堂々と奉仕すれば良い訳です。私も霊能者とはよく戦いますが,長く話させると必ずボロが出ます。

わざと負けるのも1つの方法なのかもしれない,しかしながら,これでみすみす勝たせてしまうとまた次に弱い者イジメをする様になってしまう。弱い者イジメを繰り返しさせてしまう。ひと昔前とは違い,今の社会的に弱い立場にある人と云うのは本当に弱く,誰にも縋ることが出来ない状態にまで追いやられています。つまり,叫びの声すらも発することが出来ないのです。未だ弁護士や法律家などを頼れるだけの経済状況にあるのは良い方です。公的機関であるはずの法テラスなどは,同じ弁護士からもの凄く評判の悪いものになってしまい,単なる仕事がない弁護士の仕事斡旋の様なものだと言われ惨めなものであります。

戦わずして,争わずして収束させる方法と手段を祀り事の原点に回帰して考え行動しなければなりません。今の自分が持合わしている能力を最大限活用して進んで行かなければならないので,多少の不安もありますが仕方がありません。過去の歴史に学び,これまで生かされて来た中で培ってきた自分自身の経験を武器にしていよいよ鬼退治です。源 頼光さんみたいです。

これから観世音菩薩と共に行って参ります。観音様は今日も裸足です。

ならぬことは ならぬものです。拝


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国津神の御子と青き観世音菩薩たち。

2016年07月30日 04時44分52秒 | 奉仕の心柱

昨日,国津神の御子と出会いました。しかも3名です。同じ日に3名の御方とお会いできるなんて初めてかもしれません。御一人は,ガソリンスタンドで働いている若い女性の方,もう御二方も女性で世界的な某物流企業でトラックを運転されていらっしゃる御方です。3名の御方ともに正に神様の御子でありました。その態度,姿勢,礼儀,目付き,優しさ,愛情,謙虚さ,明るさ。すべてにおいて国津神の御子でありました。あの方たちが,この今の日本を陰から支えているのだなと心からそう思いました。それと同時に,あの御三方に比べたら私なんて未だ未だ赤ん坊のようなものです。自分自身の未熟さも同時に感じました。

いまの自由主義が優先し,優越する社会構造では誤解されたり,孤独を感じてしまったり,はみ出し者として扱われてしまったりされる人たちこそが実は,この日本を根底から支え,縁の下の力持ちであることが国津神の御子の特徴的な一つの面であり,家庭の中でも反抗者であったり,家族の輪から少しはみ出したり,学校や地域社会で問題児として扱われていた子供が大人に成長し,そして大人になって父親や母親をとても大切にする親孝行者として立派な成人に成長していることも多く実例としてあります。正に心優しき神の御子です。これから社会に,このような人がどんどん登場して来ます。もう既に出て来ております。

又,近代資本主義社会においても同様です。資本主義社会は1パーセントの富を握った者が99パーセントの人間を支配する目的で作られたものです。創られたものではなく,一部の人のために作成された作られたものなのです。そこに正しい神の御力はありません。いまの国津神の御子は,職業的地位や賃金面でも高いと言われている様なものではなく,むしろ多くの人たちが望まない「きつい」「汚い」「厳しい」と言われている仕事をされている方の中にとても多くの勇者がおります。そしてこのことは,前回もご紹介させて頂いたひふみ神示「日月神示」にも書かれている内容でもあります。上下ひっくり返るとまで書かれています。

あえて今日も話を飛ばしますが,仏教の開祖であるお釈迦さまが菩提樹の下で解脱されたのは,何も厳しくて,苦しい修行をされた結果ではありません。多くの宗教家は,そのように考え信じているようですが,それは極めて限定的な一面を観てのことであります。お釈迦さまが悟りを得ることが出来た最大と言いますか根本は,貧しい身でありながら牛乳を売りに歩いているスジャータと云う女性の優しさ,慈悲に触れたからであります。その心優しき女性から差し出された牛乳を飲み干した瞬間,すべての苦行や修行は無駄であったと云うことを悟ったのであります。宗教家の人にとっては信じがたいことだと思いますが,これは真実です。

このスジャータと云う名称,どこかで聞いたことあると感じされた方もいると思います。そうです,コーヒーに入れるミルクで有名なスジャータです。私個人的には,このスジャータさんは,観世音菩薩の化身ではないかと考えていますが,それはともかく,要は,どんな聖人であろうとも苦行では悟ることは出来ず,人の優しさに触れることで悟ることが出来ると云うことの様な気がします。そして何よりも大切なことは,人に優しくしてもらうことをじっと待っているのではなく,自ら手をあげ人々に奉仕するからこそ,自分自身が助けられることに繋がっているように考えます。これが宇宙の摂理であり,地球の仕組みなのです。

いよいよ終わりの始まりです。これから社会に続々と青き観世音菩薩が登場してきます。いよいよです。


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人々の想念が社会空間を創り上げています。

2016年07月28日 05時17分20秒 | 奉仕の心柱

そなたは死に方用意していればそれで良いぞ。死に方用意してどんどん生きて御座れよ。みろくの世の礎になるのぞ。自分助かろうと塵でも考えることならんぞ。もうすでに知っておろうが。未来の子供の笑顔が見たかろうが。どんなことがあってもビクともしない心に宮柱太しき立てるのだぞ。五柱の芯柱立ててくだされよ。感謝の柱と謙虚な柱と素直な柱と奉仕の柱と反省の柱じゃ。立派に成れよ。大きく成れよ。遠慮いらん。伝える御役も結構なれど,仕送りの御役忘れずにな。しかと心得よ。寂しくなったら訪ねて御座れ。伝える御役は誘惑が多いこと申し伝えておくぞ。よいな。みな誘惑に負け,金に負け,先生と言われ勘違いして御座るのぞ。正神との交流は先ず素直であることぞ。すべてに感謝すること。稲穂のように謙虚な姿勢でいること。国と人に奉仕することぞ。

これまでそなたの所に訪ねてきた者は,皆,神が用意したのぞ。苦しんでいる人,悲しんでいる人,霊能者さん,お坊さん,偉い学者さん,法律屋さん,皆々,神が用意して,そなたの力量見たのぞ。そなたがどれ程大きく成ったのか見たいぞ。それで,みなそなたに訪ねてくるのぞ。教えてください,教えてください。助けて下さい,助けて下さいと訪ねて来ようがな。誰が訪ねてきても判らんことなどないぞ。神に仕えるとはどう云うことか考えよ。どんなことがあってもビクともしない御魂授けてあるぞ。自分助かろうと思うなよ。申しておくぞ。どんどん相互扶助の道を伝え広めよ。必ずできる心配いらん。なれど,手柄を立てようなどと考えることならんぞ。自分が自分がと云う風潮もならん。手柄はすべて人に与えよ。そなたの住む世界に自分のものなど何もないぞ。

いくら学あっても米粒一つも作れまい。いくら金あっても犬小屋ひとつも作れまい。天狗ではならん。よいな。弱き者助けてあげて下されよ。みんなで守ってあげて下されよ。その民は神が直々に御守護致すぞ。よく心得よ。


紫色の文字は,私の心に御鎮座される神様からの音霊言霊を私の心柱で変換しました。青色の文字は,私自身の言葉です。

人々の想念が,社会と云う空間を創生すると云うことを以前,お寺の住職さんと話したことは先日も記事にさせて頂きました。その宗教家である住職さんは,人々の多くは自分たちが社会を支配していると考えているが,実は全く違う。我々人は社会に支配されているんだと真剣な面持ちで話されておりました。私も人々の想念がひとつの空間を形成し,創り上げると云う考えに同感です。多くの人々の悲しみに満ちた想いは,それ相当の社会空間を創り上げますし,喜びに満ちた想いは,喜びの社会空間を創り上げて行きます。話が逸れますが,縄文人はそのことを判っていたからこそ祖先の祀り事を絶やすことをしなかったのではないでしょうか。

私たちの多くが,先祖供養や祖霊崇拝は,お釈迦さまが広め仏教にあると信じております。しかし,そうではありません。日本では遥か太古の時代には,既に先祖供養や祖霊崇拝をしております。それだけではなく,実に丁寧な追善供養もされていました。自分たちの先祖に対する供養の想いが,先祖の御霊に必ず通じ,あの世で安らかに暮らしてくれることを祈っていたのではないかと私は考えています。その想いは先祖の御霊に届き,先祖の安心した念が生きる子孫へ波動となって伝わっていたのではないでしょうか。もうすぐ御盆ですから,せめて自分の先祖の御霊へは悲しみの念ではなく,感謝の念を送ってお盆期間中は過ごしたいですね。

関連記事「祖霊祭祀の日本人 祈りの民族」もし宜しければお読みください。

※昨夜も関東地方茨城県で震度5弱の地震が起きました。悲しみの念が強い昨今,多くの人々の悲しみの波動がひとつの空間を形成し創り上げています。今後,しばらくの間は地震に注意され,家族の所在地は事前に把握されていると安心だと思います。又,お年寄りや,身体の不自由の方,小さいお子さんを抱えたいる方,外国人の方は,地域の自治体で「災害時要援護者」と云う制度があるのかを確認してみて下さい。そちらの制度を活用されるのも防災対策の一つだと思います。拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                              ブログ開設46日目 記事数第54記 奉仕の心柱 編   


観世音菩薩と共に。これが本当の理由です。

2016年07月18日 05時30分00秒 | 奉仕の心柱

 

今日18日は観音様の縁日ですね。せっかく,観音様の縁日なので,観音様について記事にしたいと思います。                                      観音様についてと言っても「観音信仰の発祥」についてと云った方が良いかも知れません。観音様における史実などについては,私よりも宗教史などを専門に書かれている方のブログなどを読まれる方が良いと思います。中には素晴らしい解釈を以て御伝えされている御方もおります。私が個人的にお薦めするブログは「今日は何の日?徒然日記」です。もし宜しければご覧ください。

さて,観音様と聞くと寺院などにお祀りされている木像や石像の仏様をイメージされると思います。確かに,私もそうでした。又,観音様は,人々の願いを何でも叶えてくれる尊い存在であると誰でも想像されると思いますが,実は,そうではないのです。                                                                           先ず,何故そのような思想を我々は以ているのでしょうか。それは,平安時代と鎌倉時代の歴史的背景を観察すると理解しやすいと思います。平安時代や鎌倉時代とは一言で云えば「飢餓と疫病の時代」であったと云っても言い過ぎではありません。その飢饉と疫病の時代だからこそ,観世音菩薩が登場したとも言えます。そして,観音様には神様から与えられた唯一の任務がありました。

ここからは私が思い描く宗教観でありますので,話半分で読んで頂ければと思います。つまり,我々の祖先は,飢饉や疫病から逃れさせて貰う為にひたすら観音様にお願いをすることから救世思想が生まれ,その想念が神様を動かしたのではないかと思います。その時に,神様が人間に分かり易い形として見せた姿が観世音菩薩です。そこに,日本仏教の祖でもある比叡山の最澄さんを筆頭に,空海さん,親鸞さん,道元さんに日蓮さんと次々とそうそうたる高僧を誕生させ,迷い苦しんでいる民衆を救いの道へと導くことをさせたのではないでしょうか。神様はそっと陰から弱いものを人を使わし救います。その神様は,祓いの神様でもあります。

昨日も記事にさせて頂いたひふみ神示「日月神示」には,祓いの神様の御祭神名が書かれていることなので,ここに書いても良いと思いますので書かせて頂きます。その祓いの神様とは素戔嗚大神さまで御座います。素戔嗚大神さまでなければ大祓は出来ません。日々の私たちの罪穢れを陰からそっと祓って頂き,すべての罪穢れを一神に背負われているのが大祓の素戔嗚大神さまです。日本神話では,乱暴者の荒くれ者としての神様として描写されていますが事実は全く違うと私個人では考えています。事実,ひふみ神示「日月神示」にもそのように書かれております。過去の歴史や真実を良く観察すると実は真逆のことが多いようです。

神様の世界つまり,神界で起きたことは私たちの暮らす現実界でも転写されることもあるようです。ひとりの人に全ての責任を押し付けて,そのひとりが全責任を負うことは現実社会でもいくらでもある事です。過去の歴史を観てもそのような出来事はあります。本当は悪くないのに,悪いと思われたり,悪いと決めつけられたりなどよく耳にすることもあります。誤解されるなんて言うのもその内のひとつかもしれません。しかし素戔嗚大神さまには太刀打ち出来ません。その辺りはまた別の機会で記事にさせて頂きたいと思います。日本神話とひふみ神示を合わせて読んで頂けると理解が深まると思います。神界のスーパーヒーローは素戔嗚大神です。

観音様は自ら地獄へ飛び込んで行き,苦しんでいる人や困っている人を救済することを唯一の任務としています。この苦しみを救う救世思想が日本仏教の布教活動と相まって,だんだんと平安時代頃から貴族が中心となって何でも願いを叶えてくれる祈願「物質信仰」へと変わって行き,やがて庶民へと浸透して行くようになり,その観音信仰は,現代でも継承され例えば,西国観音霊場などに観られるように沢山の人の信仰を得ています。しかしながら,本来の観音信仰とは自分の願望や欲望を叶えて貰う為に発祥したのではありません。観音様には神様から与えられた任務がある訳です。その任務とは困った人を救うこと。これに尽きます。

したがいまして,観音様は,決して手の届かない高いところから声援するだけではありません。より能動的で,実践的で,実に慈悲深いのが観世音菩薩の正真正銘の実像です。観音様に祈りを捧げるとは,自分の身を観世音菩薩に捧げ,観世音菩薩と共に苦しんでいる人,困っている人を助ける救世の道を歩むことを誓うことになるのです。つまり,自分が観世音菩薩に随伴すると云うことです。ですから,観音様をお祀りすると云う真の意味は,自分自身も観世音菩薩と共にいると云う証です。その勇気と覚悟をもった尊い行為に,神様が力添えして下さるのではないかと私は確信しております。

困っている人を観音様と共に助け,協力し,時には大袈裟な言い方かもしれませんが救済する。そんな尊い存在が観世音菩薩であります。その容姿は,形振り構わず,ただひたすらに苦しんでいる,困っている民衆を何としてでも救いあげると云う強い意志と誇りにあると思います。今日は,観世音菩薩が裸足で飛び出して行った理由も若干,書かせて頂くことが出来ました。

ありがとうございました。合 掌

上の写真は,私の平安時代からの親友の太ちゃんです。あっ!失礼しました。女人高野 室生寺の十一面観世音菩薩(国宝)です。                                                                          以前,仙台博物館で東日本大震災復興祈念特別展 奈良国宝室生寺の仏たちに展示された御写真です。撮影は三好和義氏であります。                                                             

女人高野 室生寺 公式サイト:http://www.murouji.or.jp/ 室生寺さんは太古の昔,太陽信仰の重要な祭祀場でありました。

私のブログでも以前,ご紹介させて頂きました。女人高野 室生寺と十一面観世音菩薩もし宜しければお読みください。                                                                                          又,本来,私はどこの神社や寺院でも御社殿や本堂を撮影することが出来ません。もちろん仏像も同じですが,今回は掲載させて頂くことが出来ました。感謝致します。

拝 礼


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


残された道は ただひとつ。相互扶助への道。

2016年07月14日 00時00分00秒 | 奉仕の心柱

地球は丸いと思っていた花咲です。(おっ!今日は地球のはなしか?と思われた父上様,母上様,ぜんぜん違います)

最近は,あの世での仕事の御役について考えることが多いです。先日も記事にさせて頂きましたが,私は「あの世」にも仕事があって,あの世に帰ると誰でも仕事をすることになるのだと思っています。その仕事の御役は「相互扶助」と「奉仕」に基づくもので,この世での行いや「経験」に従って決まるものではないかと思います。ここで,経験と書きましたが,この「経験」がもの凄く重要な判断基準とするようです。よく失敗も財産だとか失敗も経験の内。などと励ましの言葉として耳にしますが,実はこの励ましの言葉は真理ではないかと思うのです。この世では「真理」あの世では「審理」と云う意味で使われているかもしれません。つまり,本人の「経験」を基準に「審理」されるのです。閻魔さまにです。だたし,この世で成功した「経験」だとか失敗した「経験」とかではなく,純粋に経験です。そしてその「経験から自分は何を学んで来たのか?その経験から人のために何を奉仕できて来たかの?が最も重要だと考えています。

私は,あの世で,保護司さんに成りたいと心の片隅でひっそりと思っています。もちろん,この世でも臨終を迎える寸前まで保護司としての御役が出来たら最高だろうなと想いに耽っています。しかし,保護司になるには様々な面で環境を得なければ現制度下では無理です。保護司さんは無償で奉仕する特別国家公務員です。国家公務員に特別が付くのですからすごいですね。特に,少年・少女の保護司さんを希望します。また機会があれば,保護司さんと云う仕事のことを記事にしたいと思います。

仕事柄,本当にいろいろな業種,職種の方々と出会い,毎日勉強をさせて頂いております。先日の記事「三菱財閥創始者が愛した禅寺 大本山永平寺」でも少し書きましたが,私が生まれる前に,名付け親の禅師さまが,生まれて来る私の守り本尊として聖観世音菩薩を父親に授けて下さいました。その聖観世音菩薩のことをいろいろと調べて勉強すると観音様には主に六種類の観音様がいらして,その内,聖観世音菩薩は地獄で御魂を救う御役をされているようです。つまり,あの世で地獄にいる御魂の保護司の御役をされていると勉強した結果わかりました。なんてことか!偶然にも偶然で,仕事まで縁があるとは思ってもいませんでした。

人としてもっといろんなことを学び,経験して人々に奉納して活きたいです。司法試験を勉強しているとき,司法試験の専門予備校の先生が,こんな話をしておりました。例えば,弁護士になって自分は何をしたいのですか?どうせいつかは死ぬんだから,なんで弁護士みたいな仕事に就きたいのですか?たくさん好きなことをやって,たくさんお金儲けして行けば良いのに,どうして弁護士になりたいのですか?と聞きかれたら,あなたはその相手にどのような回答を用意しますか?と云う話でした。私は今の弁護士は弁護士の本分をどこかに忘れて来ていると本気で思っておりますが,予備校の先生の話にも確かにそうだなと思えることもあります。その弁護士業界もとうとう終焉を迎えます。宗教法人も同じです。

そして,新たな時代がやって来ます。これまでの様な紛争や訴訟を仕掛け,裁判で勝った,負けたの時代はようやく終わりを告げます。神社やお寺で自分の願望や欲望を満たすだけの祈祷もいよいよ終わりです。終わり方に容赦はないようです。私のブログの左サイドに「あさひのプチ預言」に弁護士と医者について記載があります。これまでの様に「人の不幸を飯の種にしている職種」は,どの分野であろうと消滅します。その現象の中で,進化出来た者だけが生き残ります。これからの数年間は,とても厳しく,激しい時代になるでしょう。互いに支え合い,励まし合うことが如何に大切なことであるかを思い知ることになるとのかもしれません。その時は,決して慌てず,いつもの様に淡々と執務をこなしていたいと思います。

しかしながら,その厳しく,激しい事象の中で,今を生きる我々が何を学ぶかにかかっているようです。人類覚醒総試験です。学問の様な甘い試験ではなく,命をかけた魂の試験です。その先駆けは日本からで,もうすでに実施されています。このブログを読んで下さっている人も何かの縁です。これまで記事にしてきた観音様との縁ではないですが,縁と云うのは本当に不可思議ですね。

今後も神様の人類覚醒計画は着々と進み,これでもかと云うくらい試されると思います。自分一人では決して生きて行くことは出来ません。そのことは誰しもが判っているのに,自分を軸に,中心に物事の善悪を無意識のうちに決めています。自分を軸に,中心に判断すればするほど,これからは自分の計画は崩れ,さらに悪循環に陥って行く世になっています。それを気付ける人と気付けない人とで別れ,気付いた人から歩みだすことになります。もう既に,時間の短縮現象に気が付いている人もいれば,最近なんか時間が経つのが速くなった様な気がするくらいの人もいます。同じ人でありながら,感じることが全然違う。それは何故なのでしょうか。

いつものように話が逸れますが,今年は,政治家や芸能人の不祥事が多い年ですね。その中でも,薬物使用による刑事事件もありました。有名な野球選手の逮捕は,その世代の人へのメッセージが込められているかのようでした。しかし,あの事件を振り返ると,きっと,本人が現役の時,同じように有名人で薬物に手を出しテレビのニュースになった人がいたと思います。その人を見て「こいつはこれで終わりだな」「バカな奴だな」などと考えていたことでしょう。

ですが,すべての人が,明日は我が身と心得ることが大切だと感じました。テレビで,一昔前,霊能者として華々しく登場した方が,あの野球選手のことを次のようにコメントしておりました「もうこの人には未来はない」そのコメントを聴いた私は,きっと,本人も現役時代に明日は我が身と云うことを感じていれば,このような事にはならなかったのではないかと思います。                                                                    又,そのコメントをした霊能者にも明日は我が身と考えられる様になって頂きたいと感じます。

神様は,どんなことがあっても,決して見捨てたりはしません。私たちが,神様から自ら遠ざかるだけです。


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