花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

あべちゃん。アッキー。ファイト!

2018年03月27日 06時37分41秒 | 怒りの心柱

こんにちは。今すぐ,子供を母親のもとへ引き渡せ!今日は,怒りの心柱ですからこれくらいの出だしがちょうど良いかも知れません。そもそも債権者代位権訴訟を提起されるとは情けないことで,且つ,元々の能力の低さを感じてしまいます。検事をたかが3年くらい経験した程度で元検事なんて言わないのです。男子は男子で法律家ではなく,法律屋に成り下がっているのが解かります。たいしたこともないくせに,国会議員の政策顧問だなんて法曹界は爆笑です。身の程知らずとはこのことかなのです。要は,姑息なただの卑怯者に過ぎないのです。病気療養中の妻がいない隙を狙って自宅に連れ込み不倫するような輩が弁護士とは情けない。

でも,この債権者代位権訴訟もちょっと怪しい・・・。仕組まれたかな?

はじめに書いて置きたかったので失礼しました。あとで怒りの熱が冷めたら削除するかもしれません(笑)。

天皇の大いなる臣下である内閣総理大臣。その内閣総理大臣が,いま苦境に立たされております。身から出た錆なのかなんなのか,私たち国民は知ることが出来るのか否か?どうせいつもの一部を切り捨てて終結するんじゃないのと云う想いもありますが,重要政策が山積する国家においていつまでも長引かせることは国民の利益になりません。あまり,政治や政治家についての記事は書きたくないのですが,私も国民の一人として無関心でいる事は出来ない問題でもあり,現役の総理大臣を巻き込んだ事件であります。

個別の政治家をブログで記事にするのは2人目であります。一人目は,稲田朋美さん。稲田朋美さんが防衛大臣になる前と防衛大臣に就任した際に,稲田さんはリスクマネジメントを駆使できる人物を側近に据えないと難しいことになると書かせて頂きました。

稲田防衛大臣に想うこと。がんばれ!ともちん! 神様から授かったリスクマネジメント3 今日は独り言です。 

安倍総理も稲田さん同様に,とにかく私費を出してでもリスクマネジメントを駆使できる人物を側近に据えることです。弁護士などの法律家では能力的に無理です。資格と能力は別ものであって,合致するものではありませんから。そもそも初めからリスクマネジメントを使いこなせる人物がもし安倍総理の側近にいたら,こんな問題にはなっていません。夫人の言動が問題を大問題にしていると云われても居ますが,夫人の言動は不知故に引き起こすようなものですから謙虚に素直に心を低くしなければなりません。

水の働きから学ぶべきです。(自然と繋がるとなんでも教えてくれますよ)

自分の心の位置が高いから,ナンチャッテ愛国者の顧問に使われたり,権力に群がる人間の宣伝に使われたり,利権を求める輩に利用されたりするのです。つまり,現役の総理大臣の夫人であるからと云う大前提がある上でと云うことです。これから,今まで自分を持ちあげヨイショしていた権力大好き人間たちが次から次へと去って行くだろうと思います。今まで何でも賛成してくれた人たちの様子も変化して行くとも思います。その時に,虚しさを感じてしまうことが無いようにして戴きたいと思います。

せめて,国と国家の違いや国体と政体の違いと役割くらいは知っていてほしいです。

憶測ですが,外国の要人の方が,もしかすると日本の歴史や伝統と文化をよく知っているのかも知れません。日本史を学んでいるとき,この辺りも考察していたことがありました。勿論,国体と政体についての研究もとっく「室町時代前後」に終えている様にも思えます。そして,日本の政治家が不知なことも承知の上でいるのかも知れません。「日本はお金だけ出せばそれで宜しい」「余計なことを考える必要もない」「中古の武器を買えばそれで良い」と言った前提の上で米国との関係,国際政治が回っているように思えるのです。しかし,そのことに日本の政治家自身が不知であることを知らないことに私たち国民は恐れを抱いているのです。

その証拠に,日本がアメリカから武器を購入すると言ったとたんに北朝鮮の日本に対する挑発行為が終わりました。

以前,こんなことを聞いたことがあります。アメリカの世界戦略は,日本人が考えているような生易しいものではない。戦後の日本人は甘い,甘すぎる。戦うことも出来ず,逃げることも出来ないのが今の日本だ。軍産複合体の国家と云うのは,A国とB国を戦わせ,両国に資金や武器の提供を行い,最終局面で仲裁に入る。そうすることで,武器の輸出にも成功し終結後の政策にも経済・産業にも関与して行く。そうすることで莫大な利益を確保できると言うことでした。これはアメリカだけに限った話ではありません。西洋の国のやり方はこう云ったものであることが普通なのです。わたし達の国,日本でも明治維新で経験済みであります。

今の一連の政治スキャンダルが終わると天皇陛下の譲位について再び議論されて行くと思います。つまり,次の天皇即位に纏わる是非です。そうなると私たち国民は祭祀と統治と云う日本人としての精神性そのものを根本から見つめ直し,真剣に考えなければならない時代へと入って行くように思えるのです。これが,これからのキーワード「鍵」になって来るようにも感じています。祭祀とは国体を言います。つまり,祭祀の中心は天皇陛下と云うことになる訳です。君臨すれども統治せずと云う言葉もあるようにです。

一方,統治とは,政体を意味します。政体とはつまり,政治です。この政体の頂点に存在するのが内閣総理大臣と云うことになる訳です。今日の時点で言うと安倍晋三さんです。その政体の最高権力者は,祭祀の中心「天皇」に従い,祭祀「天皇」の大いなる臣下として務めることを定めとするのです。それは何故なのかです。それは太陽神から私たち国民を御預かりしているからに他ありません。だから,わたし達の国家の国旗は太陽であるのです。世界で唯一,天地の子孫たちが住む国「国家」となる訳であります。

和の国である日本の国体「祭祀」も政体「統治」もすべてこの言葉に集約されています。

おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。拝


 

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これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


風化させてはならない出来事。

2018年03月10日 18時33分41秒 | 怒りの心柱

大空襲によって,焼け野原となってしまった東京下町一帯です。

こんにちは。73年前の今日は,東京大空襲があった日であります。以下に掲載の文は,過去に記事にさせていただいたものですが,あらためて当時の様子を想像しただけでも凄まじい惨状であったと思います。当時の住宅家屋は,ほとんどが木造住宅ですからあっという間に火の海になってしまったようです。何処に逃げてよいのか判断も出来ずに居たことだろうと思います。

東京大空襲の当日,東京の下町一帯にB29爆撃機が最初に決行した作戦は,下町全域を囲むように高さ数十メートルの巨大な炎の壁をつくり,住民をその炎の壁の中に封じ込める作戦を実行しました。当然,住民は逃げることなど出来ません。炎の壁の中に封じ込められた住民を次に,B29爆撃機は超低空飛行で接近し機銃掃射で目視できる住民を徹底的に銃殺しました。

お年寄りであろうと,女性であろうと,子供であろうと関係なしに銃殺して行きました。

逃げ遅れた人々は,学校などの丈夫な建物へ避難しましたが,大空襲当日は,千葉県房総半島から入り込む強風の影響で巨大な炎の壁は猛烈な火災旋風と炎の竜巻を発生させありとあらゆる建物を焼き尽くして行きました。そうしたことも事前にカーチス・ルメイさんは本国の実験場で計算しており,下町の建物を破壊するにはどのような作戦が最も効果的で効率的であるかを繰り返し実験していました。その実験の成果は的中しました。計算通りに作戦は実行され作戦成功が本国へ届けられます。

大空襲の翌日,日本の大本営はあまりの悲惨さに昭和天皇の現地視察を拒みましたが,昭和天皇は自分の眼で現地の戦場を確認すべきとし,視察を実施されましたが焼き尽くされた人々を軍関係者の手によって大きな穴を掘り,その穴に無雑作に放り込みしたのです。その遺骨が未だに道路工事で重機を使い穴を掘ると発見されています。戦後71年(今年で73年目)を経過した今でもです。

戦後しばらくした頃だったと思いますが,新聞記者がカーチス・ルメイさんへインタビューした際に,東京大空襲をなぜ計画したのか訊くとカーチス・ルメイさんは「我々は,日本の軍事工場を破壊しただけだ」「日本は女子供でも工場で働いている」「その軍事工場とは下町の民家の中に多数ある」と話していたようです。いずれにしても罪もない人々をたった数時間の間に数十万人と云う大量殺戮を計画立案した元敵国兵に,我が国の政府が勲章を授与するなんてとんでもない話であります。戦争と云うものは,そういうものなのだと言われてしまえば返す言葉もありません。確かにその通りかもしれません。兵士同士が憎み合っている訳でもありませんし,恨みもありません。相手の兵士に待っている家族がいるんだなんて道徳的に考えていたら自分が殺されてしまいます。

以上が,過去ブログで2回程だったと思いますが掲載させていただいて来た記事であります。戦争と云うものは兵士だけが戦い合うものではありません。そのことを私たちは積極的に過去の歴史から学ばなければいないのであります。マスメディアの情報だけを信じることが,どれ程,危険なものであるのかを含めて見て行かなければならないのです。先の大戦でも新聞などの情報を信じ込み悲惨な戦争へと突き進んで行った過去があったことを忘れては行けないと考えています。決して風化させてはいけない出来事が,私たちの国にはたくさんあります。そして,日本人として,私たちの役割があるとすれば,次の世代へ伝え続けることであります。

東京大空襲において犠牲になってしまった御霊に心からお祈り致します。

 

合 掌


 

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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覚悟なされませ。御覚悟を。

2018年03月09日 21時15分22秒 | 怒りの心柱

政体を司るはずの政治家の人々が毎度の如く騒がしいですね。

仏さまを出してしまったのですから御覚悟を。知らぬ存ぜぬは通用せぬ。

こんにちは。昨日の記事中で,日本人の底力について書かせて頂きましたが,日本人と云う心優しき不思議な民族は,別の一面をも合わせ持っています。日本人独特の優しさや思いやりを温かい心つまり,陽とすれば,それとは全く正反対の自己犠牲と云うものであります。これが陰に相当します。陰陽の陰です。誰かの為や組織の為に自分が犠牲になり,黙って自分が他人の罪も穢れも理不尽の一切のすべてを背負い込み,黙って独り責任を取るのです。これは昔も今もあまり変わりはないようです。良いか悪いかは別として,政治「政体」の世界でも企業社会でも同じのようです。人権尊重の外国の人には信じられない思考と行動であると思います。

日本には民族の根底に武士道精神があるのです。

日本固有の武士道精神とは楠正成精神とも云われ,七たび生まれ変わって国家の為に尽くす。所謂「七生報国」から来ているとも云われています。鎌倉時代末期から南北朝時代に生きた武将ですから,私たちの少し前の先祖です。近現代において,この武士道精神を世界が目の当りにした出来事と云えば,やはり,先の大戦時において外国人に強烈な印象を与えた特攻ではないでしょうか。

又,先の大戦から73年目の明日3月10日は東京大空襲があった日であります。

参照記事:昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1 「再掲載」

昔から私たちの国「日本」は国体と政体に峻別されています。国体である天皇陛下は,神さまから,私たち国民「おほみたから」をお預かりしています。そして,政体も同様に国民「おほみたから」の豊かで平穏な暮らしを祭ることを使命としているはずであります。その最も基本であり基礎的なことも忘れ,こともあろうに政治を私利私欲の為に使い,そればかりか国民「おほみたから」の血と汗と涙の結晶である税金をまるで私物化し,挙句の果てに嘘偽りばかり。あいつが悪い,こいつが悪いと罪と汚れの擦り合い。

政治家や公務員は「全体の奉仕者」であって一部の奉仕者ではありません。

政治家と官僚の諸君,山形に伝わる花笠音頭と云う民謡を御存知か?何故に笠を持って踊るのか?

この花笠音頭の起源は,大正時代に湖の堤防を造ったときの仕事歌であります。土つき唄と云われ「♪あさの6時から弁当箱さげて♪」と労働者みなで唄い合い,励まし合った労働歌である。地固めするのに,大きな石に綱を巻きつけ複数人で地面に叩きつけながら唄っていた。それを回りの人が笠を振り上げ,振り下ろし,重労働者に心地良い風で扇ぎ,ねぎらっていた姿なのであります。

毎日,過酷で厳しい重労働者をねぎらう唄が,時代を経て華やかな祭の歌となりました。その重労働者は,私たちの先祖でもあると同時に,諸君ら政治家の先祖でもあるのです。豊かになりたい,平穏に暮らしたい。こんな労働ぐらいお国のためならなんのその。自分のことなど形振り構わず,親の為に子のために。明日はきっと楽になると信じて朝から晩まで働きっぱなしでした。

そう云った先祖の苦労の上に,胡坐をかいて何を勘違いしているのか?

先祖に謝りなさい。

以 上


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


公共を忘れた政治家たち。

2018年02月19日 06時50分10秒 | 怒りの心柱

こんにちは。

日本は和の国です。つまり,私たち日本人は,和の国の住人と云うことになります。

その和の国には公共と云う概念が存在しますが,太古の昔と現代とを比較するとどうなのでしょう。

わたしが思うに,日本人と云うのは,公共の福祉や公共の利益を考え,行動に移せる民族だと思っています。つまり,和の民。大和民族です。しかし,公共と云うとお役所が先導して行うものだと云う想いも少なからず抱いているのも事実です。中には,公共なんて興味がないと言う人も居るかも知れません。公共とは「自分を含む自分以外」と云う意味ですから,自分も他の人も云うことになります。他の人の福祉,利益「ここで言う利益とは経済だけではありません」と分かり易く行ってしまえばそう言える訳です。

ですが,言葉では何となく解かりますが,具体的にとても解かりにくいもの「公共」と云う概念でありますが,いま現在,私たちが課せられる待ったなしの公共の福祉が存在します。それが,超高齢化社会であります。既に,超高齢化社会に日本は突入していますが,国家の政策として具体的にどうやって乗り越えて行くかまでを国民目線で理解できているかと云うとそうとは言えない気がします。現在の税収で,これからの超高齢化社会で必要になる「社会福祉費」を賄って行けるのかどうか?当然,税収で賄って行けないとなると国家もさらに借金を繰り返して行かなければなりません。増税も新種税も避けては通れないでしょう。

宗教法人への課税もされて行くでしょう。本当はしたくても与党内にいる宗教団体の存在を気にしているのではないでしょうか?そもそも論としても与党にしがみ付く姿はみっともないです。それと,神社本庁や日本会議の存在もあるのかも知れません。宗教家は祭祀に主体性を見出すことが本分であるのに,何故,政体「統治」に口を出して行くのか?私は,宗教家が政治に口を出すことに凄く違和感があります。つまり,宗教家が権力者と結託したり,権力そのものを手に入れようとすることにです。

選挙が近くなると良い話ばかりを言い続ける政治家はもう一般人になってもらった方が国家国民の為ではないでしょうか?たとえば,国会議員一人あたりに支払われる年間のお金はいくらでしょう?大よそ1億円です。毎年1億円を私たちの税金で払っているわけです。本当にそんな価値がひとり一人の政治家にあるのか?国会議員の本当の仕事は議員立法にあるはずなのです。

しかし,議員立法をしている国会議員は全体の何パーセントくらい存在するのか?ほとんどいないでしょう。地元に国家予算を持って来ることだけが国会議員の仕事だとは思えません。前回の衆議院選挙で与党の女性議員さんが,自身のホームページで「私の実績」と題して〇〇費〇〇円などと地元の有権者にアピールしていましたが,残念なことに議員立法のことは何も書かれてはいませんでした。その与党の女性議員さんは落選してしまいました。国民を舐めていたのかも知れません。反省が必要なようです。

お金だけで有権者を引き付ける時代ではないのであります。もうそう言った悠長なことは言ってられないギリギリの時代であるのですから,国会議員としての本分を思い起こして頂きたいと願います。モリやカケの話しもよいのですが,もっとこの国家にはやるべきことが山積ています。その山積している様々な問題の中でも少子高齢化対策や食料自給率等の農業問題は凄く重要政策であります。原発問題もそうですし,経済格差も貧困問題も同様に重要な政策課題です。今の政治は本当に解かり難いと感じています。

公共とは何か?公共の福祉とは何か?公共の利益と個人の利益の違いは何か?

それを国民に説明できる政治家もいません。どこかの官僚に教えてもらった知識を無理やり詰め込んで,自分で理解もせずに国民へ説明しても国民を説得することは出来ない訳です。政治家の言葉に魂が宿っていません。仏つくって何とやらの状態です。 

公共とは自分を含む自分以外,つまり,自分が嫌いな人や会ったこともない人の福祉や利益を優先して考えて行きましょうと云うとても厳しいで考え方でもあります。人のことなどどうでも良い,自分が社会の中心なんだと云う考え方とは違うのであります。自動車を運転しているとき,自分が右折しようと停車していると直進車が車を停止させ優先させてくれる場面を想像してみて下さい。それが公共です。とても小さな公共的行為ですが,立派な公共的行為なのです。政治家の方は本当に公共を理解していますか?


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


心の鬼が太鼓を叩く 心の鬼が舞を舞う。

2018年02月10日 07時20分47秒 | 怒りの心柱

こんにちは。

今日のカテゴリーは「怒りの心柱」からなのですが,あまり怒りの心柱には降ろしたくないのも正直なところで御座います。人間の心と体は目には見えないところできちんと繋がっているようです。心に怒りを感じてしまうと私の場合,心臓に痛みを覚えてしまったり,鼓動が激しくなります。きっと,心にいる鬼が太鼓を叩いている現われなのだと思っています。誰の心にも鬼は住まい主人である自分自身と成長もしています。そのことが判ってさえいれば,多少の怒りを上手く制御できるのではないかと感じています。

しかし,生きていると様々な怒りに掻き立てられる場面に遭遇してしまうものであります。

今月2月1日から,大変有難いことに労働集約型の企業の業務大改革を任されることになりました。このご時勢に真に有難いことであります。業務大改革での私が担う役割と役目は,和の仕組みを構築することと経営者の後継者を決めることであります。会社の経営者とは事前にカンファレンスを重ねていたので,あとは会社の幹部に1月の末に説明をさせて頂き承認を得ることが出来ました。

改革期間は10年です。業務の改革には10年は必要としませんが,会社の後継者を10年以内にとなると候補者を5年以内に予め決めて置かなければなりません。5年以内に候補者を決め,残りの5年で経営を引き継ぐ段取りとなるのですから10年でも厳しいものがあります。しかし,そうも言ってはいれません。何故かと言うと労働集約型産業は既に大変革の時代に突入しているからであります。その一番大きな要因が人材不足です。そして,人工知能AIの進出とAIとの融合であります。

業務大改革の中で,一番最初に着手した業務は心身ともに疲弊し,言いたいことも何も言えず,ただ黙って働き続けて来た最下層で働いている内外の従業員さんの所得アップと安心して働ける労働災害の組合創設であります。以下の言葉が私の背中を押して下さったみたいです。この言葉は,松下幸之助さんが生前,会社の幹部に良く話されていたようです。わたしも全く同感であります。

つまり,私にとっては,和の仕組みを企業に当てはめることが出来るか否かの挑戦でもあるのです。

きっと,今の時代。企業は利益を上げる為に存在するものである。その利益は当然,企業の株主に還元されて行くもので公益の為,なんて言うのは表面的な理想論である。これが,現代の企業経済の仕組みでもあり,おそらく通説でもあり,誰に聞いてもその様に答えると思います。政治家ですらそう答えるかもしれません。自由主義・資本主義経済ですから当然と云えば当然かも知れません。

しかしながら,わたしは全く違います。可笑しくなるくらい間違っていると思います。理屈にもなっていない低次元の屁理屈レベルです。大体,そんなこと誰がいつ決めたのか?自分の考えも持たず,ただ世間の多勢に流された結果に過ぎません。まさに我良し根性剥き出しで御座います。縁があれば一度,公共の福祉と公共の利益とは何かを議論してみたいと思っているくらいです。

だんだんと怒りの心柱にピッタリとなって来ましたが(笑)これからの社会構造を見据えるととてもじゃありませんが,企業は利益を上げる為だけにあるなんてことは言えない状況に追い込まれて行きます。もう既に追い込まれているのに気が付いていないのかも知れません。これからの企業社会だけではなく,一般的な社会であっても重要な要素はとにかく「和」と「人」です。でなければ,企業の存在する価値は無いとまでは言いませんが,少なくても人に選んで貰えるような企業ではなくなって来ます。

ブラック企業でも何とか正社員の地位を与えてもらいたくて必死に働いている人も多くいます。人をモノと同然に扱い,ほとんど強制労働に近い状況をつくり出し,過労死まで追い込む状態であります。ちなみに,労働法「派遣法」が改正された当時,派遣労働者の会計の名目を御存知ですか?人件費ではなく資材費でした。つまり,物の値段です。これを普通と言える企業は異常なのです。

先ほど,あえて「選んで」と書かせて頂きましたが,ここがとても次世代の企業や社会には大切なのであります。たとえば,今の企業は企業側が人を選んで採用しています。しかし,これからは人が企業を選ぶ時代に入って行きます。そして,人に必要とされない企業は躊躇なく潰れて行きます。昔の様に政治家と裏で結託し,潰れたときの波及性が大きいから潰すに潰せないなんて言い訳は出来なくなります。そんな遠慮なさらずにどうぞ。と言った感じになります。無論,私たちの貴重な税金で救済なんて出来ません。

先ほども申し上げた通り,これから人工知能AIが,私たちのありとあらゆる生活に浸透して来ます。会社でも個別の仕事でも教育でも家庭にもです。政治にも介入するでしょう。司法や行政機関においても同様に入ってくる時代がもうすぐであります。先日も仲間の弁護士と雑談していましたら,これからの弁護士は訴状は書かないと私が云うと仲間の弁護士も同じ考えだと話していました。

判決の書ける裁判官なんて最高裁判所は,既に必要としていないことなんて解り切っている話です。

極端な言い方をあえてすれば,幼児から高齢者まで誰であってもこれからは天才的な頭脳と知能を有することが可能になります。そうなると,世の中はどう変わって行くのでしょうか?本格的な建て替え立て直しが始動します。これまで人をまるでモノと同じように扱って来た人々が最も恐れているのが実は,個人で普通に生活をしている一般人なのであります。忘れ去られて来た人々が復活すると世界は大どんでん返しになって行きます。人類が経験したことのない時代に私たちは否応なく体験して行くことになります。

そのとき,社会は一時様々な分野で混乱することがあると思います。人工知能AIに仕事が奪われるとか言われてくるとも思います。しかし,それは全く逆です。仕事は増えます。インターネットが普及するときも,携帯電話が普及する時も同じようなことが一部の人たちから云われていました。真面目に一生懸命に働いている人こそ,これから本当の意味で活躍できる時代です。

あともう少しです。わたしも頑張ります。皆さまも諦めずに闘いましょう!

続きがあれば,またいつか。拝


 

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祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 2

2018年01月16日 06時56分52秒 | 怒りの心柱

 

こんにちは。上の写真は観音信仰の根本道場「総本山長谷寺」です。今日の記事内容とは関係ありません。

先日「祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1」を書かせて頂きましたので,今日はその2を書きたいと思います。東京深川の神社にて悲惨な事件があり,神社の護持はちゃんと機能しているのか?素朴にそう感じたものですから,私の仕事上の解釈も若干踏まえ,少しだけ神社や寺院の護持についても書かせて頂きました。そして,宗教家には権力は必要ないとも書きました。何故なら,宗教家にとって必要なものは権力ではなく,権威であるからです。この私の考え方は,実際に現場で体験した事に基づくものです。

神社や寺院を私物化(自己の所有物)し,権力に終始し,執着する宗教家はどこかでほぼ落ちて行きます。

その理由は,いくつかありますが最も大きいというか宗教家が最も恐れることは,それは穢れです。穢れはつまり気が枯れるという意味です。そもそも神社寺院の護持と云うものは宮司さんや住職さんがするものではなく,地元の氏子,不特定多数の崇敬者,縁ある檀家と信徒の役割であるからなのですが,ここを勘違いし間違えてはならないのであります。気の毒が出て来てしまいます。

何故かと言うと,先ほども申し上げました通り,宮司さんや住職さんと云うのは「権力」ではなく「権威」であるからです。では,権威としての宮司さんや住職さんの役割とは何かと云うとそれは「」です。これに尽きます。祈ると云うと祈願や祈祷と据える宗教家が多いのですが,祈るとは「することです。聖徳太子のを以て貴しと為すです。和と云う言葉は神と云う意味ですから,和することが出来るその事,そのものに感謝するのであります。つまり,と云うものは神の御心そのものなのです。

神さま,仏さまと聞くと如何わしい新興宗教の勧誘と想像したり,神仏の存在を否定的に感じる人もいます。

でも何故か?和と云う言葉に違和感を感じる人はいないのではないでしょうか。 

つまり,和の国とは神の国であり,和の国に住む私たちは和の民「神の御子」となります。

これが大和民族と呼ばれる所以です。(わたし個人の解釈です。)

ですから,和の国に住む日本人としての誇りを持たねばなりません。

宮司さんや住職さんが護持そのものを支配するとそこには権力が生じてしまいます。つまり,実質的に自己の所有物として支配できてしまうのです。たとえば,護持会や奉賛会の人事権や意思決定の重要な機関の会長や会計監査の任命権であったり,又,工事などを行う業者を選ぶ選任権であったり,金銭などの財産権や処分権です。そのような物質的な支配権を握ってしまうと当然,自己の身を権力構造の中に置くことになってしまいます。しかしながら,権威は違います。権威とは多数の人(大衆)が権威者に自ら付き随うと言う意味合いですから,目先の損得や感情,金銭に躍らさせれることはないのです。逆に,それでは権威ではありません。

いつものように話は変わりますが,天皇は日本国の象徴であると云う大前提があります。それでは,外国人に天皇とは何ですか?と尋ねられたら,私たちは何と答えるのか?です。私は胸を張って「祈」祭祀と答えます。自然をも支配する思想を持った外国人には解かりにくいかもしれませんが,天皇霊を宿すと云う意味は祭祀の最高位に就く訳です。最高祭主です。過去の日本の歴史を見ると,天皇陛下が祈り「祭祀」を蔑ろにすると災いが起きて来ました。それが私たちが暮らすこの「和の国」日本であります。

この様な話をすると毎度の如く,左派の人々(特に,某討論番組に出演している論客のみなさん)が「それでは天皇は祈っていれば良いのか!」と言われますが,もっと政体と国体を勉強してほしいと思います。和「神」の国は,祭祀に基づいて政治を行うのであります。朝廷と幕府の関係でも分かる様にです。その証拠に,どんな権力者であっても天皇にはなれなかったのです。せめて自分の娘を天皇家に嫁がせるとか,南北朝時代のように南朝と北朝とに分けるぐらいでしか当時の権力者も出来ませんでした。

話を戻して次回に続きを書かせて頂きます。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝  


神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~ 後編

2018年01月12日 00時03分12秒 | 怒りの心柱

年末に出張の際に立ち寄らして頂いた霊峰 富士山です。

こんにちは。今夜の北斗七星もとても綺麗に輝いています。

神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~

神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~ 中編

さっそく,昨日,一昨日の続きを書かせて頂きます。

この公共の福祉や公共の利益と云うものは,社会の人々の福祉や利益と云う意味合いで政治や法律の世界で使われて来ましたが,しかし,もう少し深く考察して見ると公共の福祉や利益とは自分の意に沿わない人,つまり,自分の嫌いな人の福祉や利益を優先して考えて行くと云う厳しいものであります。自分と気の合う人の福祉や利益は受け入れやすいことですが,嫌いな人の福祉や利益を優先させて考えて行く社会と云うものは古神道の根本的・基本的な概念です。つまり,和の仕組み「精神」です。

たとえば,

10人で輪(和)を組んでみます。その輪の中には自分の嫌いな人も入っています。自分が嫌いだからと言って,その嫌いな人を輪から排除したとします。当然,自分の嫌いな人が輪からいなくなってしまうと輪が崩れてしまいます。そうなると自分自身も崩れた中に居るということになってしまう。これが社会ではないかな?と感じています。しかも,それではではなく,自分の好きな,大切な人も崩れた輪の中にいる事になってしまうのです。公共の福祉の問題は,これからの少子高齢化において重要政策の一つです。

話を憲法に戻しますが,一旦,国家が暴走し始めると制御不能状態となり,行くことろまで行ってしまいます。

このことは,過去の歴史(先人)が既に私たちに教えてくれていますし,先日から書かせて頂いて来た4日間の記事が物語っています。これが現実なのであります。又,どの政党が政権政党になっても権力者と云うものは暴走する危険性が常にあるのだと云うことを念頭に置きながら,私たちは憲法を考えて行かなければなりません。その憲法の中には,当然,他国の武力・軍事的行為から我が国を守る為の国防も含んでいます。国家の権力者が何故,国民の生命を守らなければならないのか?

政治家の人は真剣にそのことを考えて頂きたいと思います。神道に数千年と読まれ続けている大祓詞にも日本書紀の神話にも古事記の神話にもちゃんと書かれています。日本は昔から権力と権威を上手く使い分けて来ました。又,政体と国体と云う概念も既に確立されています。政治家になれば資産が増えて行く様なシステムは,いくら理屈を以て説明しても国民は納得しないのであります。

神さまから国民「おほみたから」を預かっていると云う基本・根本を忘れないでほしいです。

終戦の詔勅でも昭和天皇が「大切な国民を戦争と云うカタチで失ってしまった」「そのことをどうお詫びすればよいのでしょう」と言った悲痛な御言葉を残されています。古神道にしても現代の神社神道にしても同じですが,その根底にあるものは,生まれてこなきゃ良かった人などこの世には存在しないと云うことであります。そして,人権とは国家権力によって与えてもらうものでは決してなく,生れながらにして既に有するものなのです。おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。であります。

神道を一言で云うと「和」。これに尽きるのではないでしょうか。

こころのみはしら「心柱」祝詞 前段

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

花咲 あさひ 拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~ 中編

2018年01月11日 07時31分01秒 | 怒りの心柱

こんにちは。上の写真は,京都の上賀茂神社です。ここ上賀茂神社は,山城國の一之宮で現代の神社神道の総元締めと云われており神社の位を示す社各においては筆頭社各と云う位の高い神社であります。あの安倍晴明さんも役行者さんも実は,この上賀茂神社から出ているのです。つまり,陰陽道の総本山であります。又,歴代天皇を陰から支え続けて来たという歴史もある特別な神社です。

又,国家の重大事や天変地異などが起きると特別な奉幣が朝廷から献上されて来た神社で,御神体は後方にそびえる神山であります。拝殿で参拝すると自然とその姿勢は御神体でもある神山を向いている姿勢になるのです。つまり,御神体に祈りを捧げている姿勢を知らずにしているのです。ここが古から伝わる神社の特徴と言いますか設計であります。神道特有の無言の教示です。

 ※参照:二十二社「https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%A4%BE

憲法は,私たちの大切な人権を守る為と権力を制限する目的を以て制定されている国家の最高法規ですが,私たちの暮らしに最も身近な法律と云えばやはり民法です。憲法にしても民法にしてもよく登場してくる話題が「公」と云う概念です。先程の上賀茂神社も宗教法人と云う法律上「公」の施設に入ります。つまり,不特定多数の人々が参拝に来る礼拝施設と云うことなのです。

たとえば,公共の福祉や公共の利益と云う考え方があります。あっと!その前に,国家が私たちから所得税や固定資産税,消費税等々税金の徴収を強制的にしますが,これは何でだと思いますか?最近,このことを研究していた時期がありました。私なりに考えた結果,それは公共の福祉や公共の利益を国家が個人(国民)に代わり税の分配と云う形で実現する為ではないのか?と感じました。しかし,これからの社会とはタテ型からヨコ型に移行するのではないかと考えています。

何故かと申しますと,私たち国民が我良しの個人の利益を優先することを止めれば,国家が税金を徴収する意味が少しぐらいは変化していくのではないかと感じています。つまり,そのような観点から日本の特殊法人に対する税制の優遇措置を考えると分かり易いのではないかと思います。要は,国家が特殊法人からも税金を強制的に徴収し,国民の公共の福祉や公共の利益の目的の為に再分配をしなくても民間社会の中で,既に分配される要素が存するから税金の徴収目的が株式会社などの営利法人と比べて必要性が低いと云うことであります。相互扶助とは若干相違がありますが,和のシステムに近いことは確かです。

上記のたとえ方とは違うとは思いますが,これを実現しようと考えていた方が,私は松下幸之助さんだと思っています。

また明日に続きます。

花咲 あさひ 拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


神道が教える憲法 ~8割のハッタリと2割の実力~

2018年01月10日 00時00分00秒 | 怒りの心柱

こんにちは。JR東海さんから拝借してまいりました。女人高野でお馴染みの室生寺の十一面観世音菩薩です。

昨日までの4日間は,過去に掲載した記事をそのまま再掲載させて頂きました。

予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 3「再掲載」

予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 2「再掲載」

予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1「再掲載」

あなたは神風特別攻撃隊を知っていますか?「再掲載」

以上の4つの記事は,私が自学自習で研究していた頃に学んだものです。

4つの記事を再掲載させて頂いた理由は,その前日に憲法に関する事柄をテーマに記事にした際に,今の若者は憲法や憲法の改正と云う話を聞くと所謂,戦争定義だと解釈している人がとても多いのではないかと私自身が感じたからと憲法とは私たちの人権と権力を行使する側の統治のあり方を頭が冷静な時に定めることにあるからです。私は憲法を勉強すればするほど神道を感じるのです。

わたしたち人は,国家に人権を与えてもらうのではありません。人は誰であっても生れながらにして人権を宿すものであります。これを自然権思想とか天賦人権説と云います。数年前にある政治家が天賦人権説を否定して批判をされていました。

このような話をすると,お花畑だとか左翼だとか区別されることが多いようですが,私の頭の中はお花畑でも左翼でもありません。自称する改憲派や自称する愛国者ほど実は憲法をよく知らなかったり,実は日本と云う国家のことよりも自分の利益の方が大切だと考えている人が多いのです。つまり,我良し根性むき出しのナンチャッテ右翼ですね。エセ愛国者です。

口では日本だ祖国だ言いながら,自分の利益を優先して行く訳です。

そして,自分だけ生き残れば良いと云う輩が考え付いたものが,国家間では資本主義経済と戦争。

民間の社会においては相続と偏差値社会です。これが今の社会に最も悪い意味で影響している二大要素です。

私はこれを8:2の法則と呼んでいて,中身「実力」は2割あれば社会は暗黙の内に認めるのです。

日本人は素直ですから,直ぐにロジック「理屈」に乗っかってしまい騙されてしまうのです。

つまり,8割のハッタリと2割の実力です。某番組の討論会や官僚は,そのほとんどが東大法学部卒です。では,東大法学部を卒業すれば,社会の仕組みが何でも分かり,人格的にも優れているのか?と云うと全然そんなことはありません。私の経験上も例えば,東大法学部に入学して在学中に旧司法試験に1発で合格し,大学を卒業してから裁判官となって,裁判官の中でもエリート中のエリートだけが所属できる事務総局「司法官僚」の刑事局付を経験し,現在は弁護士をされている知り合いがおりますが,私たちが想像しているエリート像とは全く違いますし,そもそも当の本人たちもそんな自分たちは凄い人間なんだと考えていません。

政治の世界を覗いて見てもほとんどが2世3世のお坊ちゃんやお嬢ちゃんばかりです。政治家本人の実力はと云うと???でしかありません。世襲の世界ですから仕方がないのかも知れませんが,国家の在り方や他国との外交問題,税金の徴収から税金の分配等々,私たち国民の暮らし方を決めているのでありますから仕方がないだけでは通用しないのであります。本来,政治家の本当の仕事とは議員立法にあるはずなのですが,あまりにも政党色が強すぎて,政治家本人の政策をあまり見ていません。

前を向いて。と、観音さまも言っています。

明日に続きます。花咲 あさひ 拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


祈りの矢よ飛んで行け!音霊乗せて飛んで行け!

2017年12月18日 08時50分39秒 | 怒りの心柱

無料イラストからお借りしてまいりました。なんだか妹のむすび似ています。

こんにちは。最近は時間の短縮が急速に早まっている感じがしています。特に,爪の伸びる具合が凄いのです。今の現代科学で時間短縮を説明することが出来るのかどうか知りませんが,私はこの時間がゼロになる日が来ると感じています。つまりゼロポイントに到達すると人類はどう進化するのかです。なんだか今日も意味不明なことを書いていますが本当です。理屈での説明は無理です。

1年くらい前は1日の時間感覚が18時間でしたが,今は18時間も無いようです。

数年前から明らかに時間感覚がズレ出して来ています。それは人体にも人の運気にも影響しているはずです。たとえば若返りもそうですし,新陳代謝もその一つではないでしょうか?又,食欲も激減して来ているようで,私はほとんど毎日1食です。2食以上食べると身体がだるく,頭もさえず,身体の調子が悪くなってしまいます。つまり霊性「精神性」の進化です。

ですが,その霊性「精神性」の進化が伴って来ない?来ていない人も居るかも知れません。

以下は「2016.11.27」に掲載した神様からの宿題と生きるための自由研究と云う記事です。

こんにちは。人はそれぞれ違った考えや思いを持っています。その違いを互いに尊重し合い,認め合うことが相手を思いやることに繋がるのだと私はそう感じています。特に,自分と意見や考え方が違うと云う理由で人をイジメるのは絶対に良くありません。私もよくイジメの相談や現場に遭遇することがあります。今の弱い者イジメは自分の立場を利用したものも多くありますが,イジメる人の特徴は決して自分よりも強い者と戦うことをせず,自分よりも弱い立場にある人をイジメるのです。要は,ただの卑怯者です。

よくイジメを正当化したいのか何なのか解りませんが,イジメられる人にも原因があるだの訳の分からない理屈にもなっていない屁理屈を言う人を偶に見掛けますが,イジメられる側にも問題があると云う言葉は,イジメを体験している人が自分の行動や行為,言葉や過去の行いを省みたときに,自分自身への戒めの言葉として使うものであって,人に言われる言葉ではありません。イジメる人とイジメられる人とではイジメる人の方に問題があるに決まっている訳です。コンプレックスなのか?選民意識なのか?

又,イジメられる人間にも問題があると云う言葉に似たような言葉で,人を外見で判断してはいけないと云う言葉があります。これも同じで,人は外見で判断するのだから身なりや身支度はちゃんとしないといけないと自分自身へ言い聞かすときに使うのです。明らかに自分よりも弱い立場にある人を言葉や力によってイジメをする人は,あの世で人間としての扱いをされません。自分の霊性も己の御霊も自分の先祖をも苦しめ,傷つけることになっています。イジメをする本人が不知故に犯す罪とも言えます。

仏教の世界観に不知は罪と云う言葉がありますが,本当にそのとおりだと思います。暴力などの力で相手を征服したり,支配する根性は動物以下の霊性ですし,自分の優位な立場を利用するのはもっと最悪です。その様な人は,運気もどんどん低下し惨めな老後が待っています。うつ病や孤独になる傾向が強いように思います。

観音経にも還著於本人 (げんじゃくお ほんにん)と明記されていますね。

私が意識的にしていることで参考になるかどうかは個人によりますが,自分にとって困難な事柄に遭遇した場合は,これは神様からの宿題なんだと意識して考えたり,積極的に取り組むように私はしています。禊ぎや試練と聞くと,ちょっと近寄りがたく,避けて通りたくなってしまいますし,私にはちょっとキツイです。しかし,考え方や想い,少しの視点の違いで人は困難に直面しても乗り越えて行けるだけのものを既に以ているとも思っています。それに本人が気が付いていないだけで,神様はすべてを観て知っていますから心配したり,不安になったりする必要は本当はないのです。

たとえば,神様から「お前(私)は,この人に対し,どんな言葉を掛け,どんな行いで臨むのか?」「さぁ,今の自分と己の力で対峙せよ。こんな感じです。この宿題が溜まりに溜まるとパニックになります。訳が解らなく,収集も付かず,どんどん深みに嵌って行ってしまうのです。子供でも夏休みの宿題を8月の終わり頃にすると大変な思いをしてしまいます。私たちがちゃんと宿題や課題に取り組んでいるかどうか,神様は片時も離れず,じっと観ています。逆に言えば,自分よりも弱い立場にある人や動物をイジメている様子もすべて観ていることになる訳です。穢れに気枯れて何を祈るや。


  

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又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1

2017年12月15日 00時00分00秒 | 怒りの心柱

 こんにちは。今日は,過去記事の紹介ではありません。

さて,先日は,東京の下町に御鎮座されます神社で,悲惨な事件が起きてしまいました。あの神社地域は,深川と云って東京大空襲の爆心地(中心地)であった場所です。焼け野原となった東京下町の復興を象徴する神社として戦後の下町を支え続けて来たのです。又,大相撲の発祥の地ともされ,地元や東京下町の人々で大いに賑わう御神輿「深川祭」でもとても有名な神社なのです。

先ずは,亡くなった方々の御冥福をお祈り致します。

神社や寺院は,宮司や住職の個別の所有物ではありません。私は神社や寺院の護持やマネジメントをさせて頂く仕事をしていますので「個別の所有物」と考えている宗教家がいることは真に残念なことであります。その様な基本的な事を忘れ,私利私欲に走り,氏子や崇敬者,檀家や信徒のことよりも自分のことを先ず優先させる身勝手さに言葉もありません。

今回の悲惨な事件となった神社を篤く崇敬し,信仰の対象とされて来た参詣者の気持ちを考えると虚しい気持ちにもなってしまいます。もしも,自分が同じように崇敬する神社であのような事件が起きてしまったら凄く悲しいことです。ただ,当該宗教法人の責任役員や総代会のメンバーは別です。神社や寺院の責任役員や総代会のメンバーになるということをこれを機に学ぶべきです。

とにかく神社や寺院の「護持」とは何か?を考えて頂きたいと思います。護持が機能していればと思うばかりです。

護持と云う言葉もあまり聞いたことがないかも知れませんが,護持には主に3つあり,氏子や崇敬者,参拝者における護持。これが1つ目。神社や寺院に建つ礼拝施設などの護持。これが2つ目。そして神社や寺院の運営「経営」の護持の3つです。この3つの護持を総称して「祭祀」と云います。たとえば,神社の境内に落ちているゴミを拾う。これも立派な祭祀ですし,護持であります。

したがいまして,護持と云うのは過去何千年と私たちの祖先が続けて来たものです。

私も業務で神社や寺院のさまざまな起案をしますし,計画の立案もします。そして,責任役員会や総代会へ出席して先の3つの護持について議論をします。中には1つの事柄で200回以上のカンファレンスを積んだものもありました。実際にある話ですが,何十年に一度の観音開帳というような記念事業は,その準備期間も相当なもので10年以上も前から計画の立案作業に着手しています。

しかし,ここでの主体は神社や寺院の神職や僧侶ではありません。あくまでも護持の主体とるのは氏子と崇敬者,寺院であれば檀家と信徒の皆さんです。つまり,神社の宮司や寺院の住職がするものではないのです。私のこれまでの経験上,宮司や住職が護持の主体となるとそこには権力が生じて来ました。この権力こそが宮司や住職には不要なものです。

その理由については,また書かせて頂きます。


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝