花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

耳をすませば聞こえてくる。心と体と自然の声。 再掲載

2018年07月09日 06時55分26秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年4月22日に掲載した過去記事です。

イランカラテ(アイヌ語で,こんにちは)と云う意味です。

昨日は,少しアイヌ民族のことを勉強していました。神学としての古神道を深く考察して行くと考古学や民俗学なども学ぶことになるのです。アイヌ民族も沖縄の琉球民族の信仰は,古神道であると私は結論付けています。アイヌ民族も琉球民族も人間の能力を超えるものはすべて神としていました。たとえば,食器類においても御椀でも鍋でもシャモジでもみんな神さまの分霊が宿っていると考えていたのです。さらに,役割が終わった食器類に対しては丁寧に供養までしていたのであります。まさに古神道の分魂思想そのものです。自然崇拝と祖霊祭祀を根本とし,この世のありとあらゆるものには神さまの分霊を宿していると云う基本概念です。

アイヌ民族の先祖も琉球民族の先祖も和人の先祖もみんな縄文人です。

だから日本人は,大きな和。大和の民となって大和民族となりました。

人と云うのは本当に不思議なもので,はじめは自分にこんなこと無理だと不安に感じていたことが,いつの間にか熟せるようになり,振り返ると懐かしく感じることがあると思います。それだけ自分自身が成長したと云うことで宜しいのではないでしょうか。成長するまでの間,たくさんの人に支えられ,多くの人に鍛えられ,今の自分が存在しています。すべてに感謝を奉げるとは難しいことではないようです。祈りの本質は「感謝」にあります。アイヌ民族のことを勉強していてあらためてそう感じていました。

いろいろ難しいことは,偶には横において置いて。生きる目的を見失ってしまったり,日々の生活に疲れてしまった時などは,自然に触れて見ては如何でしょうか?きっと,目の前にある大自然と直接,自分自身が繋がることによって何かを想い起させてくれるように感じています。都会に住んでいる方は,自然と触れ合う機会があまりないようにも思いますが,そんなとき時間に余裕があるようであれば少し遠くに出掛けてみるのも良いかも知れません。だって,わたし達は,自然の一部なのですから自然から離れてしまえば心にも身体にも良い訳がありません。神社や寺院で祈願信仰に奔走するよりもいろいろな意味でも余程,良いと思っています。

それを心と体が教えてくれているのです。

耳を塞がず,目を閉じず,そのことをいつも私自身も思いながら大自然(神さま)に活かされながら自然(精霊)と共に生きています。上の写真は,北陸に出張に行った際に撮影させて戴いた早朝の太陽神で御座います。この日の太陽神の輝きが未だに忘れられずにおります。何と申しますか,辺りが朱色なのかピンク色なのか解かりませんが,急にとても大きな光の球体が現れたのです。しばらくボーッとしてしまうほどの美しさと何とも言えない優しさに包み込まれるような感覚でした。うまく言葉では言い表すことが出来ないのが残念ですが,毎日,早朝に祈る太陽神ではないと今でもあの太陽は何だったのだろうと想い出すことが偶にあります。

それも古神道「個神道」の醍醐味でもあり,楽しみでもあるのです。

ニフェーデービル(琉球語で,ありがとうございます)と言う意味です。

大自然に感謝。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


夏越しの大祓と夏の陣はじまる。

2018年06月30日 16時37分58秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

今日は6月最後の日であります。6月30日と云えば,全国の神社で斎行されます夏越しの大祓の日でありますから,今日,神社へ参拝される方も多いのではないでしょうか。わたしもお昼ごろに氏神神社へ参拝をさせて戴くことが出来ました。氏神さまにそっと,何とか無事に半年を過ごさせて戴けたことだけに感謝して,摂社・末社・神池のそれぞれの御宮にも祈りを奉げて参りました。

わたしの住んでいる地域の氏神神社は,年々,参拝者も多くなって来ているようです。又,参拝者駐車場で車のナンバーを見ると他府県から自動車で参拝に来られている御方も見るようになりました。嬉しくもあり,有難い限りで御座います。まさに弥栄です。

これまでもブログの記事を通じて,天河神社や玉置神社,丹生川上神社の護持について色々と生意気にも書かせて戴いてまいりましたが,神社の護持と云うのは,決して地域に住む氏子さんたちだけの力で出来ることではありません。大きな一之宮であっても氏神神社であっても全国に存在する崇敬者さんの力と氏子さんの力が合わさってはじめて神社の護持と云うものは出来る訳であります。

これから私たちの国は,凄い勢いで人口が減少して行きます。少子高齢化が加速する他の国の要人や研究者も日本がどう切り抜けて行くのかどうかをじっと見詰めています。きっと参考にしたいのだと思います。そうなると増々,神社の護持は崇敬者さんの力が必要になって来ます。又,ひとり一人が自己の心神の存在に気が付き始め,これまでの宗教の様な御利益信仰は終わりを迎えます。そうなったとき,御利益信仰「取引信仰」を唱え続けて来た宗教家自身が自己の心神の存在に一番気付くのが遅いかも知れません。

話しは変わりますが,明日7月1日から7月23日まで,いよいよ御中元の時期になり郵便局の配達員は繁忙期の激務に突入して行きます。よって,また過去記事の紹介がメインになってしまいそうです。本当に早いもので,このブログを書かせて戴けるようになって6月で丸2年を過ぎました。なんとか書かせて戴けたことに感謝申し上げ,根気強くわたしの下手な文章を読んで下さっている読者の皆さま方にあらためて御礼申し上げたいと思います。拙い記事では御座いますが,これからも宜しくお願い致します。

ありがとうございました。

花咲 あさひ 拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


床の間を大切に致しましょう。

2018年06月14日 10時50分00秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

昨日は,お客さんから土地についての相談を受けました。その御方「以下,Aさんと言います」は,少しだけ霊感があり,子どもの頃から実家で起こる霊的な現象を体験されて来たようです。わたしは霊能者でもありませんから霊事についての相談だけ受けると云うことはありませんが,仕事を通じて霊的な話しはよく耳にすることがあります。今回の相談もそう云ったことでありました。そのAさんは,人より少し霊的な感受性が強く,現在,実家を離れ,結婚されて夫婦で暮らしているごく普通の生活をしている人です。

しかし,ここに来て,実家に戻って家を建て替え,介護施設で療養中の母親を面倒を見たいと云うことであったのです。事案の詳細を書く訳には行きませんが,介護が必要となった年老いた親を自分たちが実家に戻って一緒に暮らすと云う話しは,今の時代に良くある話です。わたしもお話しを伺うために2度ほど,その実家を訪問させていただきましたが,最初に伺った際,実家の前に自動車を止めて家の方を観て見るとなんとも寂しい感じがします。何か訳ありであることが直ぐに判りました。人が住まなくなった建物と云うのは,劣化現象が人が住んでいるよりもはやくなるのは,他の仕事でもなんども経験がありましたから承知してはいました。

ただ,外から建物の外観を見ても一箇所だけ光って観える場所があるのです。

ですが,若干ややこしい事に,その実家の土地と云うのが借地権付きであって,Aさんの親の名義ではないのです。つまり,土地は他の人の名義(大家さん)で建物だけがそのAさんの親の名義なのです。そこで,前から面識のある私にどうしたものかと相談に来られたと云う経緯であるのです。こう言った所謂,借地権付きの処理に纏わるケースが多くて,紛争になってしまうことも度々あるのが現状なのです。これから相続の事案が増えて行くとそう云った借地権の処分に対する問題も同時に多くなって行くことだろうと感じています。たとえば,空き家の問題であったり,買取請求権の行使であったり,建物を壊す原状回復の問題であったりです。

今回のケースは違いますが,お寺が大家さんになっている場合も多々あります。

Aさんは,実家の中に私を通し,いろいろと自分の気持ちと実家再興プランを私に説明をして行く中で,子どもの頃から体験して来た不思議なことも話し始めました。わたしからすると,家の前に自動車を止めたとき,既になにかある感を感じ取っていましたから,あらためて驚くこともありませんでした。ただ,やっぱりなと云う感想しかありませんでしたが,Aさんの話しに未だ全部話していないなと云う気持ちだけが残っておりました。つまり,母親を実家で介護したいと云うことが本心なのか?と云うことです。

先ほどの外から見ると光って観える場所は,家の中に入って確認すると実は,床の間のある部屋でした。2年前後も人が住んでいない家ですから,家の中はホコリも凄く,暗く冷たい感じがしていて,その暗く冷たい気が家全体を覆っていました。ですが,床の間のある部屋だけは別格なのでした。人の気配がするのです。つまり,その床の間のある部屋だけは,普通に誰か暮らしている気が漂っているのです。しかも,明るく,温かい気の感じを受けます。わたしは仕事で伺っているので,そのことを話したりすることはありませんでしたが,やはり,床の間と云うのは霊的にもちゃんと意味があり,別格だとあらためて思い知ることになりました。

日本家屋では,床の間は,家の中で特別で神聖な場所であります。

これから新築を計画されている方は,小さくても床の間をお祀り(造る)させて戴いた方が良いと思います。

本当は,まだまだ迷いと不安の渦中にあって,わたしにここでは止めた方が良いですよと背中を押して貰いたいのではないかと云う思いが私にはありました。これはあくまでも参考ですが,物事が上手く行く場合には,ある共通することがあるのです。それは,迷わないと云うことであります。迷いがあると不安心を芽生えさせ,現実的に不安になるような事を呼び寄せてしまうのです。過去に書いた想念と具現の記事を参考にして戴ければと思いますが,自分の想念がものごとを具現化「現実化」してしまうと云う訳です。

あらためて床の間の大切さを知ったお話でした。拝

 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

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菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


耳をすませば聞こえてくる。心と体と自然の声。

2018年04月22日 05時50分36秒 | 感謝の心柱

イランカラテ(アイヌ語で,こんにちは)と云う意味です。

昨日は,少しアイヌ民族のことを勉強していました。神学としての古神道を深く考察して行くと考古学や民俗学なども学ぶことになるのです。アイヌ民族も沖縄の琉球民族の信仰は,古神道であると私は結論付けています。アイヌ民族も琉球民族も人間の能力を超えるものはすべて神としていました。たとえば,食器類においても御椀でも鍋でもシャモジでもみんな神さまの分霊が宿っていると考えていたのです。さらに,役割が終わった食器類に対しては丁寧に供養までしていたのであります。まさに古神道の分魂思想そのものです。自然崇拝と祖霊祭祀を根本とし,この世のありとあらゆるものには神さまの分霊を宿していると云う基本概念です。

アイヌ民族の先祖も琉球民族の先祖も和人の先祖もみんな縄文人です。

だから日本人は,大きな和。大和の民となって大和民族となりました。

人と云うのは本当に不思議なもので,はじめは自分にこんなこと無理だと不安に感じていたことが,いつの間にか熟せるようになり,振り返ると懐かしく感じることがあると思います。それだけ自分自身が成長したと云うことで宜しいのではないでしょうか。成長するまでの間,たくさんの人に支えられ,多くの人に鍛えられ,今の自分が存在しています。すべてに感謝を奉げるとは難しいことではないようです。祈りの本質は「感謝」にあります。アイヌ民族のことを勉強していてあらためてそう感じていました。

いろいろ難しいことは,偶には横において置いて。生きる目的を見失ってしまったり,日々の生活に疲れてしまった時などは,自然に触れて見ては如何でしょうか?きっと,目の前にある大自然と直接,自分自身が繋がることによって何かを想い起させてくれるように感じています。都会に住んでいる方は,自然と触れ合う機会があまりないようにも思いますが,そんなとき時間に余裕があるようであれば少し遠くに出掛けてみるのも良いかも知れません。だって,わたし達は,自然の一部なのですから自然から離れてしまえば心にも身体にも良い訳がありません。神社や寺院で祈願信仰に奔走するよりもいろいろな意味でも余程,良いと思っています。

それを心と体が教えてくれているのです。

耳を塞がず,目を閉じず,そのことをいつも私自身も思いながら大自然(神さま)に活かされながら自然(精霊)と共に生きています。上の写真は,北陸に出張に行った際に撮影させて戴いた早朝の太陽神で御座います。この日の太陽神の輝きが未だに忘れられずにおります。何と申しますか,辺りが朱色なのかピンク色なのか解かりませんが,急にとても大きな光の球体が現れたのです。しばらくボーッとしてしまうほどの美しさと何とも言えない優しさに包み込まれるような感覚でした。うまく言葉では言い表すことが出来ないのが残念ですが,毎日,早朝に祈る太陽神ではないと今でもあの太陽は何だったのだろうと想い出すことが偶にあります。

それも古神道「個神道」の醍醐味でもあり,楽しみでもあるのです。

ニフェーデービル(琉球語で,ありがとうございます)と言う意味です。

大自然に感謝。拝

 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


古(個)神道で生き活きと。

2018年03月22日 19時12分05秒 | 感謝の心柱

こんにちは。上の写真は,北陸に出張した際に撮影させて頂いた早朝の太陽神で御座います。

わたし達の先祖を辿り辿ると誰であっても,みな同じ祖先に辿り着き,その先には神さまの存在に行き当たります。つまり,誰であっても人は神さまの子孫であると云うことになるのです。わたし達の心の中に神さまの分魂が宿っていると云われる所以でもあります。古神道で言うところの分魂・分霊思想です。わたし達は,どこに居ても,どこで何をしていても神の愛しい御子であることに変わりはありません。だからこそ,大自然と自分自身が他人を介在させずに直接つながることこそ大切なのであります。

ただ目の前に存在する大自然に素直に感謝を奉げる。感謝は森羅万象の中心の座に位置します。その感謝の気持ちを言葉に表した言葉(言霊)が「あ・り・が・と・う」であるのです。そのことは,先日も記事にさせて戴いた通りであります。大自然と繋がると云うことは,巷で言われている一般の人には解からない様な霊的云々,スピリチュアル云々とはかけ離れたもので,全く別のものなのです。それどころか,あげくの果てに絶対禁足地にしなければならない御神体に集団で登り,場を穢し,神さまを商売に使って買収するような姑息な手段を用いる輩まで登場して来ているのです。本来,御神体に入山できるのは祭祀者と清掃者だけなのです。

こちらが,先日書かせて頂いた記事です。

ありがとう。これが森羅万象の中心です。 ありがとう。これが森羅万象の中心です。2

一般人のわたし達は,御神体の麓で遥拝(遠拝)することが丁度良いのです。そう云った理由から,わたし達の祖先は御神体を穢さないようにと麓に神社を建立して来たのであります。つまり,後世の子孫たちが,御神体に入山しないように麓に神社を建立し拝殿を設けたのです。それにもかかわらず,絶対禁足にすべき御神体を神社が金銭との引き換えで,御神体への入山を認めているのですから恐ろしいことです。このようなことを書き込むと神社関係者の方から「入山を認めなければ神社に参拝者が来ない」とか「資金がなければ神社を運営できない」などど言われると想像しますが,だから,神社の神職が政体事に明け暮れるとダメなのです。

神社の運営・制度の整備・資金の管理と云う政体事は「氏子崇敬者」の役割なのです。これを護持と申します。

その中でも特に注意が必要なのは「お金」です。私もこれまで,これでもかと云うくらい宗教家対宗教家,宗教家対一般人の争いを見て来ました。その時に「お金には別の人格が入り込む」と強く感じたことがありました。人格そのものが変わってしまうのです。これは何も宗教家だけに限った話ではありません。わたし達一般人も同じように「お金には別の人格が入り込む」と頭の片隅に置いておいた方が良いと思います。お金の取扱いにミスや間違いが生ずるとやがて紛争になります。そこに待ち受けているのが修羅の世界で暮らす住人たちです。ようこそ。修羅道へと案内されて行きます。冷たく冷え切った石棺の建物へと連れて行かれます。

もはやそこには,大自然と繋がるなんて考えは到底,ありません。

私たちは,神さまの子孫であることに相違御座いません。どんな人であっても,私たち人類の本を辿って行くとイザナギの神さま・イザナミの神さまに行き当たります。肉体を持った我々の親も自分の子供どうしがいつも争い合って,憎しみ合っている姿は嫌なもので見たくもありません。あまりそう云った時期が長く続くとわたし達の肉体の親はどうするのでしょうか?おもちゃの取り合い,見たいテレビの奪い合いを繰り返している兄弟双方から喧嘩両成敗として,喧嘩の本となったすべてのモノを取り上げられたなんて経験をされた方もいらっしゃると思います。同じようなことが起きないようにしなければなりません。

みなさま。古(個)神道で生き活きと。


 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

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神恩感謝に心音感謝。

毎朝毎夕祖霊に感謝。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


ありがとう。これが森羅万象の中心です。2

2018年03月14日 00時00分34秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

昨日の記事「ありがとう。これが森羅万象の中心です。」の続きを書かせて頂きます。

わたしたち日本人が,普段何気なく使っている日本語には,古から言霊と云われひとつの信仰の対象とされて来ました。又,ありがとうと云う現代の日常でよく耳にする言葉にも,たとえ私たちが意識せずとも言霊を宿しています。感謝の意を言葉で表現した「ありがとう」は,単なる50音の繋ぎ合わせではないのであります。自分の心の中に存在する根源的な存在と大自然に,そして祖霊に「ありがとう」と素直に言えることは素晴らしいことだと思います。神と人が合一する訳であります。それが,ありがとうです。

もしかすると,仏教の宗派によっても主題は違いますが「南無阿弥陀仏」も「南無妙法蓮華経」もその文字に隠された本当の意味と真理は「ありがとう」なのかも知れません。自己に内在する仏性に気が付く為には「ありがとう」の方が,私には肚に落ちます。

又,日本人は,人に会ったときに頭をさげます。こんにちはと軽く頭をさげたり,深く頭をさげたりしています。時と場合によって挨拶やお辞儀の仕方を変えたりしていますが,この日本人の挨拶もちゃんと意味があるのです。たとえば,深く頭をさげてお辞儀する意味は,相手の過去・現在・未来に感謝すると云う意味も含まれているのです。さらに,相手の先祖にも両親にも出会いを与えて下さり「ありがとう」御座いますと云う意味も包含しているのです。つまり,相手の人生すべてにありがとうと感謝の意を自分の身体で表現しているわけであります。世界の国々でも他の民族でも,ここまで挨拶一つに大きな意味のある国も民族もいません。

何年か前,今上天皇にアメリカのオバマ前大統領が謁見し,頭を深く下げて挨拶したことがアメリカの国内で「頭を深く下げ過ぎだ」とブーイングになっていたようです。国際社会の常識からすると正しいのですが,それぞれ国の挨拶の仕方は違う訳ですし,そんなに言わなくても良いのではないかと思ってしまいます。アメリカでは要人であっても他国の人に頭を深く下げることに抵抗感でもあるのでしょうか。あるとすれば日本と日本人の性質を知らない証拠です。謙虚で,人格者ほど腰が低くて偉ぶらない方が,日本人に与えるイメージが良いはずなのに少し残念であります。外国の人に比べ,日本人ほど挨拶に気を使う民族はいないと思います。

実るほど首を垂れる稲穂かな。こんなことわざもあるのですから。

外国の人からすると日本人は直ぐに頭をさげると不思議に思われるようですが,わたしたちの国,日本には日本の文化や伝統が遙か何万年も前から脈々と続いて来ているのです。数百年,数千年ではなく数万年も前から続いて来ているのです。どちらが良いとか悪いとか言いたいのではなくて,私たち日本人は,自分の国の文化や伝統を知らな過ぎているのではないかと私自身が不知であることも含め反省の意味も込めて書かせて頂いております。縄文時代以前に栄えたカタカムナと云う言霊信仰を主軸にしていた高度な文明も世界で最も平和であった縄文文明も知れば知るほど日本と云う国柄と日本人と云う不思議な民族の素晴らしさが判ります。

そして,今年もいよいよ春の祖霊感謝祭が始まります。

日常生活でも仕事でも,神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝であります。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


ありがとう。これが森羅万象の中心です。

2018年03月13日 07時22分55秒 | 感謝の心柱

こんにちは。今日は,一之宮に御酒を奉納して,神札を新しい神札に交換して参ります。私は一年間の間に3回くらいは神札を新しい神札に交換しています。最近,昔に比べると神社に参拝される人が何だか増えているように感じています。それも比較的,若い人たちが多くなって来ているようです。若い人たちが,自分の住む地域の氏神さまに素直に感謝を捧げることが出来ると云うことは,とても良いことです。何か自分の願いを叶えて貰おうとする参拝ではなく,日々の生活に感謝できる心と云うものは尊いことです。

できますれば,多くの人々が,大自然に感謝の気持ちを誰も介在させることなく出来れば良いなと思っています。純粋無垢な感謝の気持ちは必ず大自然に届いています。そしてその素直な想念は,自分自身に反射されて来ることなります。特別,何か呪文のような言葉を捧げるのではなく「ありがとう」これだけで良いのであります。なぜならば,この「ありがとう」と云う言葉は感謝を表す言葉として私たちは何気なく使っていますが,これは言霊信仰の中心でもあり,最強の祝詞でもあるからです。理屈を超越します。

わたしたちの国「日本」には,一つひとつの言葉,つまり一音一音に神さまの分霊が宿ると云われています。言霊信仰と云われて来た古の信仰形態です。たとえば,ひらがなの50音の一つひとつに神さまの分霊が宿っているのです。一音一音を組み合わせ,それを繋げて私たちは普段何気なく会話をしています。その一音一音の組み合わせの中でも森羅万象を顕す言葉「言霊」があるのです。

それが「ありがとう」と云う5音であります。ありがとうと云う5音の言葉「言霊」の組み合わせと繋がりは,実は,宇宙の根源的存在「根源神」は,自分の心の中に坐します云う意味があるのです。これが世界すべての宗教や信仰の元の本であると私は感じています。万物・物事の始まりであり,物事の中心でもあり,和の中心でもあるのが「ありがとう」と云う言葉の意味であるのです。

つまり,森羅万象,万物の中心なのです。私たちに馴染の深い現代の神社神道も仏教も「ありがとう」が起点となっています。人間の心は宇宙と繋がっていると言われる所以でもあります。大自然に感謝を捧げること氏神神社で感謝を捧げることの意味もここにあるのです。したがいまして,神社や寺院に行って自分のお願い事を金銭を払ってするような祈願信仰とは全く違うのです。

素直に感謝のありがとうだけで十分です。こんな事を書くと,神社やお寺の宗教家のみなさんに怒られると思いますが,ちゃんと護持や国体・政体を勉強して頂きたいと思いますし,それこそ神さまを商売に利用しているよなものです。そもそも発想が貧困ではないでしょうか。神社やお寺で交通安全の祈願をすると本当に事故を起こさないのですか?身体健康の祈願をすると本当に健康でいられるのですか?そんなことは小学生でも判ることです。それは,私たちの国「日本」にあるべき本来の信仰ではありません。

また明日,続きを書かせて頂きたいと思います。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


祝詞をつくってみました。こころのみはしら(心柱)祝詞です。

2017年12月31日 05時52分55秒 | 感謝の心柱

上の写真は,伊勢神宮 内宮の別宮で瀧原宮の御手洗場です。

こんにちは。

富士山を眺めているときフッと湧き上がって来る想いがありました。それは,自分自身で祝詞(ノリト)をつくり,その祝詞を神さまへ奉納すること。このブログの趣旨である「心柱」に感じるまま私のオリジナル祝詞「前段」をさくせいしてみました。

こころのみはしら「心柱」祝詞

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

前段終わり。

今年もありがとうございました。

花咲 あさひ 拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


富士山へ感謝。~御神水と御神木~

2017年12月29日 09時28分41秒 | 感謝の心柱

霊峰 富士山です。昨日,仕事の帰りに撮影させて頂きました。

こんにちは。

昨日は,仕事の出張で愛知県の名古屋市と江南市と云うところに行って来ました。

その出張の帰りに,多少の時間もあったので,

富士山のすぐ近くまで行き富士山の神さまをお祀りする2つの神社にも参拝させて頂くことが出来ました。

愛知県から静岡県まで,龍雲と追っかけっこをしていましたが,神社に到着したらいなくなっていました・・・。

 

1つめの神社は,駿河国の一之宮で,浅間神社の総本宮として,また,御神体(富士山)の頂上に奥宮があり,その管理管轄をする神社で,且つ,何と富士山の8合目以上は浅間神社の境内地と云うことです。正式名称を富士山本宮浅間大社と申します。つまり,昔から富士山信仰の中心であった神社です。私が,ここ浅間大社でいちばん印象に残ったのが東脇門にある湧玉池でした。この湧玉池の御水は,富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間を通り湧出するとのこです。

湧玉池から流れ出ている水の勢いは,どことなく上賀茂神社のならの小川を思い出させる光景でした。

 

そして,何と!!私が探し求めていた御神木が,次に向かった神社境内にそびえ立っておりました!

それが上の写真の御神木なのです。思わず見た瞬間は「ここにあったのか!」と咄嗟に抱き着きたくなってしまいましたが,すごく感動しました。実際に目の前でみると圧巻させられてしまいます。御神水と御神木こそ古神道です。現代の神社神道においても同じであり「御神水」と「御神木」にはとても重要な意味があります。

その2つめに向かった神社が大杉に囲まれた神社である北口本宮浅間神社です。先程の富士山本宮浅間神社は,どちらかと云うと優しい感じがする神社でしたが,こちらの北口本宮浅間神社は大杉に囲まれ,境内にそびえ立つ数本の御神木から神社を守護している精霊に監視されているかのような神社です。古神道系の神社には特に多いのです。何か不敬なことがあると???ってな感じを強く受けます。山岳信仰や修験道などの聖地であった場所かも知れません。2つの神社で陰と陽になるのだと思います。

鳥居正面から参道沿いの両脇にそびえ立つ大杉の感じや,ピリッとした感じは,奈良県の室生龍穴神社の厳しさに似ています。

両御宮,大変素晴らしい神社でした。仕事の出張帰りに,とても贅沢な思いをさせて頂きました。拝

富士山本宮浅間大社 公式ホームページ http://fuji-hongu.or.jp/sengen/

北口本宮富士浅間神社 公式ホームページ http://sengenjinja.jp/


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


分魂思想と古神道 ~木霊への理と感謝~

2017年12月08日 00時00分00秒 | 感謝の心柱

 

なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる。

この詩は,平安時代の西行法師さんが伊勢神宮に参拝された際に詠まれました。僧侶でもあった西行さんは,

伊勢神宮の宇治橋を渡らず,その手前で心柱「みはしら」に降りて来る音を観ていたのだと想います。観音さまのようです。

こうしているだけで,ただただ有難い。そのような心境いだったのかも知れません。

以下は「2016.10.28」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/eeeeea6c764d65ae9e77e044155ad94d記事です。

こんにちは。一昨日の記事,オウムの恩返しで神道に伝わる思想に一霊四魂と云う概念があると書かせて頂きました。一般的に,一霊四魂の思想は古神道から古来続くものであると言われておりますが,私が思うに古神道では,もっと単純で且つ,明快な思想概念で素直な考え方があったと考えています。今の言葉で表現するならば純粋無垢な祈りであったと思うのです。又,古神道と呼ばれる名称も実は,いつの時代までが古神道で,いつの時代から神道なのかハッキリとした線引きがされていないのです。つまり,便宜的に使われることが多いと云う訳です。よく左翼思想と呼ばれる一部の政治家さんが天皇と神道が戦争を引き起こしたと主張され,現在の神道に対しても同じ考えを持っているようですが,これは全然違います。先の大戦は,一部の軍国主義者たちが天皇を利用したのです。俗に言われる国家神道です。しかしながら,現在の神道は神社が主体となっている神社神道ですから全くの別ものです。

私が考えている古神道と云うのは縄文時代までだと考えています。難しい教義的なものを含まない,ただ大自然と祖霊に感謝する形態であります。そして,人間は大自然の恩恵によって生かされ,自然とともに共生し,祖霊をお祀りすると云う単純なものです。そのような古神道に生きた我々の祖先でもある縄文人は,たとえば,木を一本伐採するたびに,何日も前から木の精霊に対して「あなたの命を私に下さい」「私が生きて行く為には,あなたの命が必要です」「その代り,私が責任を以てあなたの御霊をあの世に送り届けます」と理を宣べてから一本一本の木を伐採していたようです。それと実に丁寧な追善供養も既に縄文時代以前には確立していました。この世のありとあらゆるものには,神様の御分霊を宿していると云う分魂思想と云われている概念です。

その思想は,現代の伊勢神宮式年遷宮や一部の神社,寺院でも継承され続けております。神社寺院建築に使用する御用材を定められた山から伐採するときには,正式なお祀りをしています。上の写真が,そのお祀りの様子です。伊勢神宮式年遷宮の行事の中で正式に定められている御杣始祭(みそまはじめさい)と云うお祀り事です。これに似た光景を以前,私も観たことが実際に在りました。

それは,東日本大震災で被災されてしまった寺院の復興事務局の責任者を任せられて本堂の建築に使用する御用材を調達するために福井県の木材市場に行った際のことです。広大な敷地の一角に,一本の塔婆が建立されております。塔婆と聞くと今の私たちはお墓の後ろに立つ板状に戒名や文字が書かれたものを想像しますが,木材市場に建立されている塔婆は木の精霊を供養する為に立てられているものです。これを観たときは実に感動しました。自然崇拝を元より日本民族の精神と云うか遠い祖先である縄文人の遺伝子が組み込まれていると感じました。書きたいことは山のようにあるのですが,年末に向けて仕事が夜中まで続くことが多くなって来ました。又,一段と寒くなって来ましたので,どうか御身体ご自愛ください。続きは,また明日書かせて頂きたいと思います。拝


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


たがが五円,されど五円。

2017年11月23日 00時00分00秒 | 感謝の心柱

以下は「2016.12.13」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/899b7f20420f38960a4ba33132a7b8d2記事です。

こんにちは。今年も残すところ僅かしかありません。仕事のノルマと様々な準備とプレッシャーに押しつぶされそうですが,何とか乗り越えて新しい年を迎えたいと思います。さて,上の画像はご存知「五円玉」の硬貨です。この五円玉の絵柄の意味を貧乏時代に考えていた時期がありました。私たちの暮らすこの日本国には紙幣である1万円,5千円,2千円,千円と通称ジャリ銭と呼ばれる5百円,百円,五十円,十円,五円そして一円があります。当然,貨幣としての価値としては誰でも一万円が価値の高いものだと解ります。しかし,それぞれの貨幣に印刷されている絵柄や刻印されている絵柄をよく眺めていると精神的な価値は一円であります。

その貨幣の中でも五円玉の絵柄に籠められた壮大さと云うか祈りと云うか日本人としての誇りをつい感じ取ってしまいます。

左側の五円に描かれている絵柄はです。つまり「農業」を意味しています。

次に,真ん中の穴が開いている回りのギザギザは機械の歯車です。工業」を意味しており,

下の横線は海や川などの水つまり「水産業意味しています。

農林水産業とよく耳にすると思います。経済の根幹であり,五穀豊穣でもあります。

あれ?でも何か一つ足りない・・・。ような気がします。はい!それは,農水産の「」です。

私はこれを観たときに本当に凄いことを考えるなと正直思いました。誰が最初に立案したのだろうかと・・・。

その理由は,右側の画像でも見れるとおり,ちゃんと新芽の若木が左右に一本ずつ配置されています。

しかも,この若木は日本の若い人達つまり若者を意味し,

日本の将来を支え,日本国を持ち上げるのは若い人の力だと無言の教示が隠されているように感じたのです。

つまり,右の画像の音霊を言葉に変えると昭和五十二年生まれの若者たちが日本国を支えて行くと云う祈りが籠められて当時,造られたのではないでしょうか。要は,毎年毎年その年に生まれて来る子供に将来の日本を託した強いメッセージのようなものを感じてしまうのです。その為に態々,日本国の文字をアーチ状に示し「日」と「国」を新芽の若木がしっかりと下で支えて行く様に描かれているのです。今日の記事は,私個人が想うまま,感じるままに書かせて頂きましたが,皆さまは如何でしょうか?上の五円玉を観て何か自分なりに感じるものがあるでしょうか。一円は経済的な価値が最も低いですが,最も可能性を秘めているのも一円玉です。

みなさまが平穏で豊かに年を越せますように。祈


  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


明日は我が身 ~生かされていることに感謝~

2017年07月09日 18時38分47秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

これまで幾度か,このブログでも災害について事前に出来ることを対応しましょうと書かせて頂いておりました。

もう日本に安全な場所などはなく,どこで暮らしていようが明日は我が身と云う緊張感と事前に出来得る最大限の防災対応を行っていくべき時期に入っています。これまで私たちは,大自然への恐れをどこかに忘れて来てしまったようです。自然を破壊してきたつけを現代に生きる我々がその代償を負っているように思えます。自然を破壊し,神社で何を祈るのか?

全国の自治体(都道府県及び市町村)で,災害対策基本法に基づき,災害時要援護者登録を進めています。

この制度は,独り暮らしの高齢者や要介護者,被健常者,乳幼児を抱える夫婦,日本語を話すことの出来ない外国人等々が,災害時に速やかに避難できるように事前に自治体や消防,警察等が援護の必要の人を事前に把握しておくことで,速やかに避難させることを目的としている制度です。ご自身が住んでいる市町村で確認が出来ますので,是非とも該当しそうな方は事前に確認,相談されてみて下さい。各自治体によっては登録条件に違いがあるとは思いますが,制度趣旨には違いはありません。

今般の九州豪雨において亡くなられた御霊に心より御冥福をお祈り致します。


ひと時の♪音楽会♪

2017年06月19日 20時30分32秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

一昨日は,美輪明宏さんのコンサート♪ロマンティック音楽会♪に行って参りました。

何年か前にNHKの紅白でも大変話題になった「ヨイトマケの唱」を聴き感動しました。

美輪明宏さんのコンサートは,一曲一曲の間にトークを交えていく進行で,

その話される内容も政治や経済,最近の社会問題等ととても幅広いものでした。

私もとても勉強させて頂きました。有難う御座いました。拝


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            一隅を照らす人であれ。その命ある限り。花咲 あさひ 拝                   ブログ開設372日目 記事数第224記 感謝の心柱 編


遺伝子と大祓の言葉 後段。

2017年03月24日 07時07分07秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

昨日,一之宮と氏神様へ春季祖霊感謝祭が無事に終了したことと日々の恵みに感謝をさせて頂きました。

春の陽気でポカポカと丁度良い天候でありました。

一之宮ではそれほど参拝者は多くなく,氏神様では家族で参拝されている方が多いようでした。

それでは,昨日に続き,葉室頼昭先生が生前書かれた著書の中から「大祓 知恵のことば」の一部(昨日の後段)を書かせて頂きます。以下,遺伝子と大祓の言葉(昨日の続き)です。

その一つの試みとして,筑波大学に吉本興業を呼んだそうです。

大学側から,なぜ呼ぶのかとさんざん言われたそうですが,いざやってみると,ノーベル賞を受賞した人の講演でも,講堂に200人くらいしか集まらなかったのに,吉本興業が来るといったら,1000人ぐらいの人が集まって講堂がいっぱいになったそうです。

その講演の一日目に,お医者さんが糖尿病の仕組み,糖尿病というのはこういうものであるという難しい医学の話をしたそうです。その講演会に来てもらった糖尿病の患者さんの血糖値を検査したところ,ものすごく血糖値が上がっていた。

そして翌日に,同じ患者さんに吉本興業の漫才を見せたところ,みんなが大笑いし,そのあとで血糖値を測ってみたら一気に下がっていたそうです。つまり,遺伝子の働きは,笑いによって,このようにオンになったりオフになったりするので,オンにならない一番の原因は理屈である。理屈というのはいちばん遺伝子を活性化させない。

感謝とか,感動とか,笑いというのが,いい遺伝子を活性化させる。この実験でそのことがはっきり分かったという話が載っていました。私もまったくそのとおりだと思うのです。いちばんいけないのが理屈です。

理屈ばかり言っていると,いい遺伝子は活性化しないで罪・穢れが現れる。そして病気になるということでしょう。

そういう点から考えても,大祓の詞を理屈で解釈したらマイナスになると思うのです。免疫作用も同じことです。

体の中にある免疫細胞が抗体というものをつくって,ばい菌やウイルスなどの異物から体を守っているわけです。しかし,今の人はなにか体がおかしくなると,すぐに薬を飲みます。どんなばい菌が入ってきても薬で菌を殺したらいいではないか。そうしたら,抗体がなくてもいいのではないかと考えますが,薬で殺してばかりいると,抗体をつくる能力が衰えてしまうのです。

この免疫というのは両刃の剣なのです。なぜかと言いますと,片方をやらないでそれで済むかというと,そうではなくて今度は逆の悪いところが出てくるという仕組みになっているからです。つまり,抗体を作らず,薬でばい菌やウイルスを殺しているとどうなるかというと,アレルギーという症状が出てくる。

そういう仕組みになっているのです。それで,いまアトピーとか,花粉症とか,そういう症状がたくさん出てきているのです。

このように,抗体をつくらないのは,薬で菌を殺してしまうことがありますが,もう一つは理屈です。

理屈で生きようとすると,免疫細胞の遺伝子が働かないで,抗体をつくらなくなってしまうのです。そうするとアレルギーが出てくる。理屈ばかり言っていると,そういう症状が出てきてしまう。遺伝子がどんどん働かなくなってしまうのです。

その反対に,理屈で考えないで,にこにこして「ありがとうございます」と感謝のこころでいれば,最高に遺伝子が活性化する。

医学的に言うとそうなるのですが,それを神道でいうと,大祓を唱えることによって神さまのお恵みをいただいた,ということになるわけです。昔,遺伝子なんてかけらも知らない時代でも,そういうことをやっていたわけですね。

だから,理屈をいっさい考えないで,神さまのお言葉として,この大祓詞を感謝して唱えることです。

そうすれば神の力が体のなかに入ってきて,いい遺伝子が活性化し,私たちは健康で幸せな生活を送ることができる。そう信じて,私も自分がやっていますし,また多くの人たちにもお話をしているのです。

ただ,いつも自分で経験しているのですが,お祭りで祝詞を上げるときに,ついむずかしい顔をして唱えるんですね。神職は毎朝,ご神前で祝詞を唱えるのですが,みんな何となくしかめっ面をしてやっています。

しかしこれでは,大祓の「効果」がないと思うのです。

いま言ったように,吉本興業の漫才を聞いたらいちばんいいというのですから,にこにこして大祓を唱えるのが,本当の姿だと思うのです。そうすれば,いちばん効果が出ると思います。

大祓というと,いかにもしかめっ面をして真剣になって唱えるのが,なにか正しいことのようにみんなやっていますが,それは違うと思うのです。そうではなくて,にこにこして唱える。

おそらく中臣氏の誰かが初めて神の声として大祓を聞いたとき,そのあまりのありがたさに感動して,にこにこ微笑んだのではないだろうかと思うのです。だから朗らかに大祓を唱えたら,最高だと思います。

以 上


宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 祈り行じて省みる。                                                             感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えています。                                            一隅を照らす人であれ。その命ある限り。花咲 あさひ 拝                   ブログ開設285日目 記事数第220記 感謝の心柱