花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

神棚を設け 神さまを迎え お祀りをする。

2019年06月08日 10時12分56秒 | 感謝の心柱

 

以下の記事は,再掲載です。

こんにちは。

すっかり,暖かくなって過ごし易くもなって来ました。先日,春の祖霊感謝祭(お彼岸)も無事に終了することが出来ました。

しかし,まだまだ日毎,寒暖の差が激しいので,皆さま御身体ご自愛下さい。

今日は,私が神社や寺院の護持に携わるようになって不思議に感じていましたことを書きたいと思います。

その内容とは,これまで,神社や寺院を通じて多くの方々と出会うことがありました。

人と人との出会いを「一期一会」と表現したり,「袖振り合うも多生の縁」などと申し上げることもあります。当然,私の職上柄,奉仕させて頂いている神社や寺院を通して知り合うわけですから,神仏に対する崇敬の念をそなえた方々でもあります。そう云った方々の中でも特に,会社を経営されている経営者や個人で商店を営んでおられる個人事業主さんに共通していることが御座います。

それが,会社の事務所や社屋,そしてご自宅おいても神さまや仏さまを丁寧にお祀りされていることであります。理屈では到底説明のつくことでもありませんが,私は,いつもそこに不思議さと申しますか,何か特別なものを感じていました。なぜ,会社や商店では神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りするのか?その理由は,ただ単に商売繁盛や千客万来と云った所謂,祈願信仰や自分だけの願望を叶えて貰うことへの現われだけではないと感じることが度々あります。

その理由を理論的に説明しろと言われても説明のしようがありません。

それは,神さまをお祀りすることに論理や理屈は必要ないと私自身が考えているからでもあります。その証拠に,現実的に多くの企業や個人商店,一般のご家庭においても神さまや仏さまを丁寧にお祀りしています。それどころか,行政官庁でも神さまをお祀りしているのです。神仏をお祀りすることに理屈は必要ないと考えますが,皆さま方は如何でしょうか?

それでは,神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りする意味とはなんでしょう?

私なりの解釈ですが,会社の経営者や個人事業主さんであれば,お客さまとの出会い,取引先とのご縁,そして共に働く仲間たちへの感謝の気持ちが根底にあるからではないでしょうか。すべてに感謝すると云うことは,企業や個人商店の経営にも通ずることだと考えます。それと,きっと,私たちの日本人の独特な宗教観と申しますか,日本人特有の信仰心なのかも知れません。

我々の遠い祖先から脈々と受け継がれて来たDNA(遺伝子)による働きでもあるようです。私たちの先祖が大切に受け継いで来た神さまへの神恩感謝への想い(精神)は,私たちから次の世代へと継承して行き,未来永劫絶えることのないよう願うばかりです。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


耳をすませば聞こえてくる。心と体と自然の声。

2019年06月04日 07時52分39秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,昨年4月22日に掲載した過去記事です。

イランカラテ(アイヌ語で,こんにちは)と云う意味です。

昨日は,少しアイヌ民族のことを勉強していました。神学としての古神道を深く考察して行くと考古学や民俗学なども学ぶことになるのです。アイヌ民族も沖縄の琉球民族の信仰は,古神道であると私は結論付けています。アイヌ民族も琉球民族も人間の能力を超えるものはすべて神としていました。たとえば,食器類においても御椀でも鍋でもシャモジでもみんな神さまの分霊が宿っていると考えていたのです。さらに,役割が終わった食器類に対しては丁寧に供養までしていたのであります。まさに古神道の分魂思想そのものです。自然崇拝と祖霊祭祀を根本とし,この世のありとあらゆるものには神さまの分霊を宿していると云う基本概念です。

アイヌ民族の先祖も琉球民族の先祖も和人の先祖もみんな縄文人です。

だから日本人は,大きな和。大和の民となって大和民族となりました。

人と云うのは本当に不思議なもので,はじめは自分にこんなこと無理だと不安に感じていたことが,いつの間にか熟せるようになり,振り返ると懐かしく感じることがあると思います。それだけ自分自身が成長したと云うことで宜しいのではないでしょうか。成長するまでの間,たくさんの人に支えられ,多くの人に鍛えられ,今の自分が存在しています。すべてに感謝を奉げるとは難しいことではないようです。祈りの本質は「感謝」にあります。アイヌ民族のことを勉強していてあらためてそう感じていました。

いろいろ難しいことは,偶には横において置いて。生きる目的を見失ってしまったり,日々の生活に疲れてしまった時などは,自然に触れて見ては如何でしょうか?きっと,目の前にある大自然と直接,自分自身が繋がることによって何かを想い起させてくれるように感じています。都会に住んでいる方は,自然と触れ合う機会があまりないようにも思いますが,そんなとき時間に余裕があるようであれば少し遠くに出掛けてみるのも良いかも知れません。だって,わたし達は,自然の一部なのですから自然から離れてしまえば心にも身体にも良い訳がありません。神社や寺院で祈願信仰に奔走するよりもいろいろな意味でも余程,良いと思っています。

それを心と体が教えてくれているのです。

耳を塞がず,目を閉じず,そのことをいつも私自身も思いながら大自然(神さま)に活かされながら自然(精霊)と共に生きています。上の写真は,北陸に出張に行った際に撮影させて戴いた早朝の太陽神で御座います。この日の太陽神の輝きが未だに忘れられずにおります。何と申しますか,辺りが朱色なのかピンク色なのか解かりませんが,急にとても大きな光の球体が現れたのです。しばらくボーッとしてしまうほどの美しさと何とも言えない優しさに包み込まれるような感覚でした。うまく言葉では言い表すことが出来ないのが残念ですが,毎日,早朝に祈る太陽神ではないと今でもあの太陽は何だったのだろうと想い出すことが偶にあります。

それも古神道「個神道」の醍醐味でもあり,楽しみでもあるのです。

ニフェーデービル(琉球語で,ありがとうございます)と言う意味です。

大自然に感謝。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


分魂思想と古神道 ~木霊への理と感謝~

2019年06月01日 06時46分07秒 | 感謝の心柱


こんにちは。以前,オウムの恩返しで神道に伝わる思想に一霊四魂と云う概念があると書かせて頂きました。一般的に,一霊四魂の思想は古神道から古来続くものであると言われておりますが,私が思うに古神道では,もっと単純で且つ,明快な思想概念で素直な考え方があったと考えています。今の言葉で表現するならば純粋無垢な祈りであったと思うのです。又,古神道と呼ばれる名称も実は,いつの時代までが古神道で,いつの時代から神道なのかハッキリとした線引きがされていないのです。つまり,便宜的に使われることが多いと云う訳です。よく左翼思想と呼ばれる一部の政治家さんが天皇と神道が戦争を引き起こしたと主張され,現在の神道に対しても同じ考えを持っているようですが,これは全然違います。先の大戦は,一部の軍国主義者たちが天皇を利用したのです。俗に言われる国家神道です。しかしながら,現在の神道は神社が主体となっている神社神道ですから全くの別ものです。

私が考えている古神道と云うのは縄文時代までだと考えています。難しい教義的なものを含まない,ただ大自然と祖霊に感謝する形態であります。そして,人間は大自然の恩恵によって生かされ,自然とともに共生し,祖霊をお祀りすると云う単純なものです。そのような古神道に生きた我々の祖先でもある縄文人は,たとえば,木を一本伐採するたびに,何日も前から木の精霊に対して「あなたの命を私に下さい」「私が生きて行く為には,あなたの命が必要です」「その代り,私が責任を以てあなたの御霊をあの世に送り届けます」と理を宣べてから一本一本の木を伐採していたようです。それと実に丁寧な追善供養も既に縄文時代以前には確立していました。この世のありとあらゆるものには,神様の御分霊を宿していると云う分魂思想と云われている概念です。

その思想は,現代の伊勢神宮式年遷宮や一部の神社,寺院でも継承され続けております。神社寺院建築に使用する御用材を定められた山から伐採するときには,正式なお祀りをしています。上の写真が,そのお祀りの様子です。伊勢神宮式年遷宮の行事の中で正式に定められている御杣始祭(みそまはじめさい)と云うお祀り事です。これに似た光景を以前,私も観たことが実際に在りました。

それは,東日本大震災で被災されてしまった寺院の復興事務局の責任者を任せられて本堂の建築に使用する御用材を調達するために福井県の木材市場に行った際のことです。広大な敷地の一角に,一本の塔婆が建立されております。塔婆と聞くと今の私たちはお墓の後ろに立つ板状に戒名や文字が書かれたものを想像しますが,木材市場に建立されている塔婆は木の精霊を供養する為に立てられているものです。これを観たときは実に感動しました。自然崇拝を元より日本民族の精神と云うか遠い祖先である縄文人の遺伝子が組み込まれていると感じました。書きたいことは山のようにあるのですが,年末に向けて仕事が夜中まで続くことが多くなって来ました。又,一段と寒くなって来ましたので,どうか御身体ご自愛ください。続きは,また明日書かせて頂きたいと思います。拝

  

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わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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スサノオブルーのチルドレンたちへ。 ~YELL~ 

2019年05月28日 14時20分20秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

これまでも現代の若者について,このブログでも書かせて頂いて来ました。世間では,最近の若者はと言われることがありますが大丈夫です。エジプト文明の頃から言われ続けて来たのですから気にする必要もありません。私は,最近の若者を見ると本当に立派な若者が多くて凄いなと感じています。礼儀正しく,優しくて,そして,あまり欲もないような感じもします。その若者の中でも,特に今の10代の若者が20歳を過ぎる頃,世界を牽引して行くのではないかと期待もしているのです。冗談ではなく本当に。

この世代は,あまり贅沢を知らず,ステイタスにも興味がないようです。又,貧富の差を経験している子供も多く存在します。たとえ自分では経験していなくても,周囲の友達が給食費も払えない事や塾に行きたくても行けない事や夏休みに何処にもいけない事を肌感覚で知っているようです。そう言った小さな子供のときから自分ではどうすることも出来ない事に対する思いは,やがて,実体験を通して経験した慈悲の心を自然と身に付けて行きます。慈悲の心はまるで自分で体感して来た感覚として残りますので,自分が経験していなくても直感で真実を見抜きますし,だいたい大人の嘘なども瞬時に判りますから嘘偽りが通用しません。

マスコミは直ぐに,若いスポーツ選手や芸能人など有名人ばかりに目を向けますが,むしろそう言ったスポットライトの中にいる子供よりも,そうでない子供たちに私はもの凄く期待しているのです。そして,その子供たちが成人を迎えたころ社会の役に立ちたい。困っている人の役に立ちたい。世界で挑戦したみたいと奮起して行ってくれることを心から願っています。

そう云った子供たちが和の国である日本にどんどん生まれ出ています。

きっと,魂の経験値が高いのでしょう。肉体は若くても魂の年齢,つまり,輪廻転生を多く繰り返してきた魂です。その魂が現代に続々と生れ出て来ているようであります。人は誰でも年齢「世代」に関係なく,生まれて来る前に宿命を宿して来ます。運命とは違い,決して変えることの出来ないことが宿命です。古神道では,今世に生れ出る前に,あの世で神さまと相談した上で,生まれ出る環境を自分で設定して神さまと共に誕生して来ます。これを産土神と申します。つまり,誰の心の中にも存在する神さまです。

そして,産土神と共に一生を共に歩んで行くのです。

郵便局で配達員のアルバイトをしていると,小包の配達を1日だいたい100件以上は配りに回ります。朝から夜遅くまでひたすら配達することだけ考えて時間指定の荷物は限られた時間に間に合うように注意しながら配達をしています。そう言った中で,小さな子供のいる家庭に配達に行くと本当に感心することがとても多いのです。小学生くらいの子供たちはとても礼儀正しく,ちゃんと最後には「ありがとうございました」と頭をさげて挨拶をして来ます。まだ仕事と言う概念が備わっていないので,心からの「ありがとう」なのです。見るからに賢そうな子供たちばかりです。私も将来,子供たちの御役に立てることを仕事を通じてやって行こうと考えております。特に,貧困層の子供たちの御役に立てれたら良いなと思っています。日本で生活している子供たちに国籍や生まれたところは関係ない話です。国家間の争いや紛争は政体を司る人たちで河川敷にでも行って殴り合いの喧嘩でも何でもして下さい。

今の世界の政治家は,国民の命と云うものを神さまからお預かりしていることを忘れています。

理屈にもなっていない屁理屈ばかり。

破綻した論理ほど惨めなものはないことすら判らず,不知な頭脳をさらけ出し。

自ら滅び行く哀れな姿よ。神が預けし御子の御霊を傷つけ汚すは神への冒涜。

毎日,苦しい中でも何とか一般の生活をしている国民と平穏に暮らしている子供たちを巻き添えにして欲しくないのであります。神さまは全てをご覧になっています。自分の先祖もすべてを観ています。自分の胸に手を当て考えて見れば答えは出てくるはず。もしも,何の答えも出てこないのであれば,それは単なる努力不足でしかありません。大いに省みて猛省しなければなりません。

心配,不安は穢れの根源。穢れとは「気枯れ」つまり,気が枯れること。神さまが最も嫌うエネルギーであります。穢れに触れると私たちの身体は病気になります。私は,いつも上手く出来ているなと感じていますが,これも神さまから日々の行い生活を省みろと云うひとつのサインなのでありましょう。すべての子供たちが豊かに平穏で暮らして行けますように。祈念いたします。拝

自分の事など形振り構わず,子供の為にとパートをしながら一生懸命育ててくれた母上様を大切に。合 掌

 

  

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予科練から神風特攻。そして,ひめゆり学徒隊 1

2019年05月14日 08時42分21秒 | 感謝の心柱

以下の記事は,過去記事です。

こんにちは。先日,千葉県の成田市に御鎮座されます麻賀多神社へ参拝させて頂きました。御存知の方も多いと思います。麻賀多神社は,あの日月神示「ひふみ神示」が降ろされた天日津久神社があるところです。その帰り,隣の茨城県に仕事の用事があったので自動車で向かっている途中,阿見町と云うところを通過したときにあることを思い出していました。それは,2008年頃から研究していた神風特別攻撃隊「特攻隊」についてでした。この茨城県にある阿見町には,特攻隊への入隊を前提とされていた14歳から17歳までの若い人たちで構成された予科練があった場所です。私の大叔父も予科練から特攻隊へ入隊し,出撃の数日前に終戦を迎えました。今日と明日と明後日の3日間は,ただ純粋に国の為に朝夕と厳しい訓練に励んでいた予科練習生,愛する国と故郷,家族の為に尊い命を捧げた特攻隊員,そして,本土決戦で激戦地となった沖縄ひめゆり学徒隊を記事にさせて頂きます。いよいよ明後日,8月15日は71回目の終戦祈念日を迎えます。いま私たちに出来ることは,後世に伝え残すことだと考えます。

過去の関連記事です。「あなたは神風特別攻撃隊を知っていますか?」宜しければ,お読みください。

先ずは,下記の予科練から神風特攻隊として出撃される前にお母さんへ向けた遺言書をご覧ください。

僕はもう,お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。 お母さん,良く顔を見せて下さい。 しかし,僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。 十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを 泣かせるからです。 お母さん,僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。 それが僕のあいさつです。母上様。

(資料出処:予科練平和記念館)

この遺言は,予科練から特攻隊へ入隊し,昭和25年5月4日に弱冠19歳と云う若さで,特攻作戦のため出撃され沖縄で特攻戦死された福島県出身の茂木少尉が大好きな母上様に宛てた最後の御手紙であります。

上の画像は,知覧特攻平和会館に所蔵されている,燃えさかる特攻機から6体の天女が特攻隊員を救い出し,昇天の様子を描写させた画です。目で見ると確かにこの画像は,作者の鎮魂の祈りが描写させて描かせたものですが,この画のとおりのことが実際に起こっておりました。日本神界の神々様から仏界におられる菩薩様も総出で戦禍に赴いた御霊の救出と昇天をさせておりました。きっと,この画を描写した作者には,後世に伝えるために神懸りにより筆を取らせて描かせたものです。

それでは,予科練について記事にさせて頂きますが,予科練を語る前に,特攻について少し書かせて頂きます。特攻隊には幾つかの部隊が存在しておりました。陸軍や海軍に所属し,予科練はその内,海軍に所属する「海軍飛行予科練習生」のことを通称:予科練と呼んでいます。特攻隊員の多くは予科練の所謂,卒業生で卒業後はほとんどの少年が特攻隊へ入隊しています。14歳から17歳ですから中学2年生から高校2年生の未だ未成年の子供たちであります。これが少年特攻と言われる所以です。今とは想像もつかないと思いますが,これが現実でありました。特攻隊員は18歳以上の若者が出撃されたと云う風習になっていますが,私が研究している課程で元特攻隊員の方とメールですがやり取りさせて頂いた際に,17歳未満の特攻隊員も存在していたと話されていました。

いまの若い世代の人は,特攻や特攻隊と云う言葉すら聞いたことがないかも知れませんが,私たちのすぐ近くの御先祖様です。この特攻と言う言葉は,特別攻撃の略称で,航空機や水上・水中兵器に爆弾を搭載して,当初から死を持って敵戦艦に体当たりして撃破するという攻撃です。つまり,はじめから死を覚悟して出撃するのです。本格的に特攻隊が部隊として編成されたのは,昭和19年(1944年)の10月です。特攻隊員13名が志願により選出され,第一次神風特別攻撃隊としてそれぞれ4部隊が結成されました。最初の特攻攻撃の戦果が確認されたのが10月25日でした。

しかしながら,私も研究をしていて実は,特攻一番機の前に伝説となった「特攻ゼロ号」が存在していたことが判りました。敵がいなければレイテへ行きますと言って飛び立った伝説の英霊です。正式に大本営にて特攻したのかどうかの確認が出来ていないために,伝説の特攻ゼロ号と呼ばれるようになったのです。また次の機会で記事にさせて頂きたいと思います。

毎度のように話が少し逸れますが,アメリカの9.11の悲惨な出来事をまるで日本の特攻隊のようだとマスコミがニュースなどでコメントしていたり,第2の真珠湾などと言っていたりしていましたが,これはとんでもないことです。9.11のテロリストと我が国の特攻隊の御魂を一緒にするような発言は無礼にもほどがあると思います。私たちの御先祖様と一緒にしないで下さい。おじいちゃんたちの悪口を言わないで下さい。今度,悪口を言っているのを聞いたら閻魔大王と不動明王に言いつけます。

話を戻しますが,予科練は,海軍飛行予科練習生で年齢は14歳から17歳の即ち,少年航空兵のことであります。この制度が出来たのが,昭和5年6月1日で,第1期生79名でした。当初は,横須賀海軍航空隊に予科練習部を設置し,その後,全国から5,800名の志願者から厳選され昭和14年3月には霞ヶ浦湖畔に移り,大東亜戦争が開戦すると航空兵の増員が急務となったのです。そして,予科練習生は優れた搭乗員としての人間形成と,厳しい訓練をものともせず,航空兵としての実力を身につけて行きました。さらにエピソードの1つとして,昭和12年8月14日,中国本土に孤立する居留民団(日本人)を救助するため,暗夜の荒天を衝いて敢行した渡洋爆撃にその初陣を飾って以来,予科練を巣立った若人たちは多くの偉勲を重ね,大東亜戦争では名実ともに日本の航空戦力の中核となり戦ってきました。

しかし戦局は悪化の一途を辿り,敵が本土に迫った時,そのほとんどが神風特別攻撃隊員となって,一機一艦必殺の体当りを決行したのです。名も命をも惜しまず何のためらいもなく,ただ国を救うことのみに無限の未来を秘め祖国と家族を守るために尊い命を捧げたのであります。創設以来終戦までの予科練の歴史は僅か15年3ヶ月に過ぎません。しかしながら,祖国の繁栄と同胞の安泰を願い,たくさんの少年たちが全国から志願し,その予科練卒業生の8割が未曾有の国難に殉じ特攻による戦死をしたのです。私たちの今の生活があるのは,先の大戦で決死の覚悟で戦った英霊の御蔭であることは言うまでもありません。拝

  

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


心柱神社に参拝しましょう。遠慮なされず。

2019年04月09日 05時55分55秒 | 感謝の心柱

 

こんにちは。大和藍足袋衆さんから言文が届きました。

わたしたちの心には,高天原と言う神界「心界」が広がっています。その心界に広がる高天原には,鎮守の森があります。この鎮守の森には湖畔もあれば,清らかな水が流れる清流も存在しています。夜になれば満天の星も出現します。言ってみれば人の汗や涙はその清流から流れ出た御神水でもあります。鎮守の森に立つ木々が心柱(こころのみはしら)と云うものです。たとえば,感謝の木や謙虚の木や奉仕の木など「十柱:御神木」が茂っています。さらに,その鎮守の森の奥深くには神さまが坐します御宮(御正殿)があるのです。こちらが今日の表題でもある心柱神社(みはしらじんじゃ)と申します。この世とあの世を繋ぐ神社です。

そして,その心柱神社に御祀りされている神さまは心神(しんしん)と言う根源神から派生した神さまです。産土の神(うぶすなかみ)と云う言葉を聞かれたこともあると思います。わたしたちがこの世に誕生し,人生を終える最後まで共に歩む尊い神さまで御座います。御座いますと言っても,上記の話は,わたし個人が感じるままに書いていますので,感じ方も考え方も人それぞれあると思います。したがいまして,上の言葉は,私の心柱神社から届いた御言葉と言うわけです。それと,心神(しんしん)と云う言葉は,伊勢神宮「伊勢神道」に伝わる言葉で自己の中に坐します神さまの分御魂を表現する場合に心神「しんしん」と申し上げています。

巷では,いろいろな言葉で表現されているようですが自分なりで良いと思います。

そう云った呼び名よりも大切なのは,自分の心の中に存在する心柱神社に参拝すると云うことであり,それには,自分自身の内面を見つめること,自分の心の中に坐します根源神の分魂を宿しているのだと云うことに気が付くことにあるのであります。外在的な拠り所よりも内在的拠り所こそ人は意識を向けるべきなのであります。過去幾多の宗教家も偉人も先人も最後の最後には,やはり自分自身の心の中に何かを見出して生きて行ったのです。これは,古神道の根本的な考え方です。人の心の中には,誰であっても神さまの分魂が内在しているという意味です。どんな悪人でも心の中には尊い神さまが坐しています。生れながらにして宿しております。

親鸞さんは,悪人正機と云う言葉を残されました。

仕事や家事で忙しく働いている方であっても,自分の心の中の神社であれば,いつでも,どこにいても参拝できると思います。神社で祭祀を司る宮司も,神社をいつまでも守護する護司も自分自身です。他人ではなく,自分自身です。これは他人である第三者には決して出来る事ではありません。自分だけの唯一存在する高天原と心柱神社を放置し続けると高天原は荒廃し,湖畔や清流の水は濁り,心柱神社は朽ち果ててしまいます。古神道の感覚では,自分自身の心の現れが自分の私生活に現象として現れて来ると云う言い伝えが御座います。一番如実に表れているのが家や部屋の掃除具合だとも聞いたことがあります。掃除については,またの機会に。

生きることに疲れてしまうのは,それだけ働いている証拠です。

生きることが嫌になってしまうのは,それだけ真直ぐな証拠です。

遠慮なさらず・・・・。参りましょう。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


生きることが辛く苦しい人へ。

2019年04月05日 05時46分49秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

がんばって!と言っても,最早そんな言葉は通用しないほど何かに傷ついてしまったり,人が誰も信用できないくらいまで落ち込んでしている人もいらっしゃると思います。ですが,どうかそんな時にでも心の燈火だけは消さないでいて下さい。種火でも良いので心の燈火を消さないで戴きたいのです。人のことを棚に上げて,こんなことを書かせていただく立場ではありませんが,清く生きよう・正しく生きよう・美しく生きよう・正義が絶対と考えれば考える程,わたしは真理から遠ざかってしまう気がするのです。

これは,とても誤解を招く言い方かも知れません。清く正しく美しく生きることがどうして真理から遠ざかってしまうのだと言われれば返す言葉は,わたしにはありません。しかし,これらの言葉の本当の意味は違ったところにあるのではないかと考えています。たとえば,清らかな水だけを呑んでいては,濁を呑み合わせることが出来ません。清濁併せ呑むと云う言葉が示す通り両方を知ることで本当の清らかさが判るのではないでしょうか。蓮の花も然り,綺麗な蓮の花を咲かせるためには濁水が必要で在るようにです。

わたしたちが想い悩むことが自分の私利私欲のことであるならば,その想い悩みは消え失せることはないようにも感じています。なぜならば,たとえその問題に答えが見つかり,解決できたとしても人間は,さらなる欲を抱き,迷い込んでしまうからであります。人はなぜ生まれ,なぜ生きるのか?これは人生最大のテーマだとも思います。なかなか答えを見つけ出すこともできません。辛く,自分だけの力ではどうすることも出来ない困難な事に直面すると,正直な話し,つい他人と自分を比較してしまうこともあります。

そう云った意味においては,わたしも同じであります。ただ目の前のことに全力で取り組んでいても,心のどこかで自分はなぜ生まれて来たのか?どうして生きているのかを心神と自問自答している日々でありました。しかし,もしかすると私たち人が生まれ,生きる本当の目的と云うものは人を養うことにあるのではないかと感じるようになって行ったのです。更に,人を養うと云うことは凄いことなんだと云うことも理解出来ました。人を養うと言っても,例えば,親や家族の生活を養うと云うことだけではありません。

自分のことだけではなく,誰かの為に,何かの為にと云う気持ちです。

そう自問自答しているといつの間にか人は強く成長できるのだと云うことも解かりました。わたしの場合,その一念で毎日生きて居られるようなものです。たぶん,自分の事だけを考えて生きて来たら,今の自分は居なかったと思っています。ただ,それも自分の事だけを考えて来た結果に過ぎず,自分の事だけを考えて来たことで得られたのだとも思っています。たとえば,お釈迦さまが悟りをひらいたと云われる話しに,苦行が悟りをもたらしたと云う説が一般的ですが,わたしの感じるままに言わせてもらえば,これは全く違います。お釈迦さまが悟りを啓くことが出来たのは,貧しい女性による慈悲「思いやり」であります。苦行ではないのです。

人の優しさ,思いやりに触れた瞬間にお釈迦さまは悟りを啓くことが出来たのです。肉体を酷使させるような厳しい諸々の修行が悟りを啓かせたのではありません。これが後世になって,お釈迦さまの悟りは苦行によるものだと云う解釈が定説となってしまったのです。こうのようなことを書くと,なら山伏や禅僧の修行は間違いなのか?と言われるかも知れませんが,山伏や禅僧の修行は,そもそも意味合いが異なります。山伏「修験道」や禅僧がする修行は「同体思想」「同根思想」と云う内観に通じるものであります。

今日も纏まりのない記事になってしまい恐縮ですが,どうか自分自身を必要以上に傷つけることだけはしないで戴きたいのです。他人と比較しても迷いの淵に落ちるだけです。山に篭り,滝に打たれを繰り返していても手にしようとしているものは手に出来ません。人を養うと云うことが,この世での最高の慈悲であります。人の為に,何かの為に生きているからこそ人は成長できるように思います。これが本当の修行であるとも感じています。今,生きることが辛く苦しいと感じていても変わる時は一瞬で変わります。

心神を忘れずに居れば,なにがあっても絶対に大丈夫です。

心神とともに。 

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


古神道の秘儀を伝授します。

2019年04月02日 10時10分02秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

今日は,秘儀を伝授するなんて,何だか偉そうなタイトル表現になってしまっていますが,私たち人が生きて行く上でとても有効であり,意義のあることなのでそのことを書かせて戴きたいと思います。ただ,なにか良いことがあると云う先入観では見ない方が良いと思います。いつの日か振り返った時に判ると云う縄文時代以前から続く古神道の秘儀中の秘儀であります。でも,内緒だよ・・・。

古神道には,これまでもブログで紹介させて頂いて来ました通り,秘儀がたくさんあります。現代でも伝わっているものもありますが,その中には正確に伝わっていないものも多くあります。その理由は,お金になることを一部の人が判ってしまったからであるのですが,それはそれとして,古神道の秘儀の中でも特に私がおススメするのが自霊拝と云う秘儀で御座います。霊と云う文字や言葉に違和感がある方は,自励拝と言い換えても良いと思います。つまり,自分で自分を癒やす・励ます・感謝する。これだけです。

この秘儀は最先端の現代医学の世界でも注目されて来ている自己治癒の元であります。

先日も記事で,薬の効用について書かせて戴いた通りです。薬が症状を治しているのではありません。

自励拝を行うに,もちろん,お金も掛りません。おそらく日常生活の中で皆さんが既に毎日されている事です。ちょっとした意識の向け方を変えるだけであります。たとえば,女性がお化粧をするとき「カワイイな」とか「私は目が綺麗だな」とか自分に向けて話し掛けてあげるのです。そうするとより一層,褒められた細胞はイキイキと輝き始めるのです。お風呂に入るときにも自分の身体をさすってあげて「いつもありがとう」と話し掛けて優しく撫でてあげるのです。そうすると身体の細胞が歓びはじめて悪い細胞を退治してくれます。ご飯を食べるときも「私は料理が上手いな」と自分を褒めて上げるのです。そうすると本当に料理が上達します。

こんな言葉を聞いたことはないでしょうか?

米は焚き方,茶は淹れ方。これも古神道の秘儀なのです。

ただし,秘儀ですから注意が必要です。それは他人の前ではしない事と疑いを以てすることです。人の前ですると余計な念が入り込んでしまいますから止めた方が良いですし,それよりも悪いのが疑いを以て自励拝をして行くことです。生きている私たちでも人に疑われながら共にいるのは辛いことではないでしょうか?自分が自分自身を疑うと自分を傷つける選択をして行ってしまうのです。

疑われる自分自身(霊体)は「なんで疑うの?」「いつも一緒に居るのになんで?」「どうして信じてくれないの?」と云う波動を放ちます。しかし,その波動を受け取らずに無視し続けるとどうなるでしょう?その意思の表れです。自分自身を優しく思いやりを持つことが出来て,はじめて他の人へも優しく思いやりが持てるのではないでしょうか。自分が自分を好きなると云うことは,私たちが想像している以上に,私たちの人生に大きな影響を与えているのです。自惚れ・わがまま・傲慢さと云った低次元の波動の話しとは全く違います。自励拝と云う古神道に伝わる秘儀は,文字通り自分自身にしか出来ません。他人が出来るものではありません。

又,厄介なことに病気になってしまった場合も同様です。実際に,自励拝を取り入れている病院も結構,増えて来ています。現代医学が古神道的な考え方を実際の医療現場で活用して行くことが出来れば,飛躍的に患者さんの治癒に役に立つと考えています。病気などになってしまった場合「ごめんね。いつも無理をさせていて」と身体に話し掛けてあげてください。そして患部を優しく,思いやりを以て手を当てて下さい。手当と云う言葉の語源はここから来ています。今日は,日本の古神道に伝わる自霊拝のお話でした。

今が苦しい人でも必ず状況は変わります。

明日があることを信じてください。

古神道 花咲 あさひ 拝

  

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家族を養う尊さ。夫婦とは家族なのか?再掲載

2018年11月05日 07時45分00秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年の3月28日に書いた過去記事です。

こんにちは。上の写真は,第42回:賀茂別雷神社「上賀茂神社」式年遷宮の翌早朝に撮影させて頂いた太陽神で御座います。右側に観える鉄塔は京都府警本部の通信指令塔です。ちょうど,宿泊していた部屋の窓から撮った写真ですが,朝の太陽が昇る時間帯はとても静かで,京都の町が穢れのない清純として様子でした。ここ上賀茂神社は,これまで数えられないほど参拝させて頂いております。わたしの神棚でもお祀りさせて戴いている神さまで御座います。神域に流れる小川は「ならの小川」と云い御神体の神山から水が来ています。その「ならの小川」沿いのベンチで休息するのが楽しみでもあるのです。日頃の罪・穢れを祓ってくれます。

さて,今日の記事ですが。

そもそも「夫婦」とは「家族」なのか?いつも私が疑問に感じている1つのテーマです。皆さまは,率直に言ってどうでしょうか?正直,私は未だ答えが出せておりません。目には見えない縁で結ばれ夫婦となっても離れてしまえば家族ではなくなってしまうのか?いえ,そうではなく一度結ばれた夫婦は永遠に家族であるのか?そうであれば離婚や再婚をどう考えるのか?考えれば考えるほど難しい事柄ように思います。たとえば,法律上の問題では決着はついていますが法哲学や道徳的に考察すると答えが出ません。

答えがない,又は,答えが出せない事柄を考え思考して行くことが,もしかすると自分の理性を育て上げ,眠っている遺伝子DNAを呼び起こすことなのかも知れません。不知の知は,自分が不知であることを知らないことが不知であると云う前提とした言葉です。つまり,自分を不知であることを知っている人は不知ではないと云うことです。人は誰であっても最初は不知の塊のようなものです。しかし,自分が不知であることを知ったときからさまざまな事柄を学ぼうとします。そして成長して行くのだと思います。

最近,芸能人の不倫告白を自らの意思で発表するタレントもいますが,相手の家族からするとどう云った気持ちになるのか考えたりはしないのでしょうか。相手の家族に子供がいたり,奥さんや旦那さんの身体の体調が良くなかった場合などを想像したりはしないのでしょうか?自分は堂々と周囲の人の迷惑も省みずスッキリした気持ちになると思いますが,態々,知らせる必要はないと思います。歴史でもそうですが,知らなくても良いことは知らずにいた方が幸せな感じもします。これにも答えはありません。

ただ言えることは,相手の立場や相手の心を思いやる気持ちは大切であり,相手の気持ちを踏み躙るようなことはすべきではないと云うことは一般社会で共通した常識でもあり,普通に考えても何ら不思議なことではありません。変えてはならない不変的なことでもあります。はじめをはじめとし,もとをもととする。この言葉が示すように,元々本々は変えても良いことと変えてはいけないことがあることを教えてくれています。この言葉は,伊勢神宮を創建された「倭姫命」が後世のわたし達に残してくれた御言葉です。

自分の事など形振り構わず,家族を養うために働いてくれる家族はかけがえのない存在で在ります。こう云った人こそ,最も古神道に沿った生き方ですし,神さまに一番近い存在でも在ります。このような人を神さまがほって置くはずがありませんし,先祖もここぞとばかりに必ず守護します。それとは真逆に,相手の事など形振り構わず,自分の為だけ考えているような人こそ地獄道に沿った生き方ですし,神さまから一番遠い存在でも在ります。この様な人が神さまと繋がることはありません。自分の先祖もあの世で嘆き苦しみます。子孫の行いがあの世で評価される世界ですから。この世限定の社会的地位や身分,職種は何の自慢にもなりません。

家族を養うこと。それは尊いことだと思っています。

まさに,そう云った人こそ観世音菩薩の化身であります。合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


ありがとう。これが森羅万象の中心です。2 再掲載

2018年08月30日 20時51分55秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年3月14日に書かせて戴いた過去記事です。

昨日の記事「ありがとう。これが森羅万象の中心です。」の続きを書かせて頂きます。

わたしたち日本人が,普段何気なく使っている日本語には,古から言霊と云われひとつの信仰の対象とされて来ました。又,ありがとうと云う現代の日常でよく耳にする言葉にも,たとえ私たちが意識せずとも言霊を宿しています。感謝の意を言葉で表現した「ありがとう」は,単なる50音の繋ぎ合わせではないのであります。自分の心の中に存在する根源的な存在と大自然に,そして祖霊に「ありがとう」と素直に言えることは素晴らしいことだと思います。神と人が合一する訳であります。それが,ありがとうです。

もしかすると,仏教の宗派によっても主題は違いますが「南無阿弥陀仏」も「南無妙法蓮華経」もその文字に隠された本当の意味と真理は「ありがとう」なのかも知れません。自己に内在する仏性に気が付く為には「ありがとう」の方が,私には肚に落ちます。

又,日本人は,人に会ったときに頭をさげます。こんにちはと軽く頭をさげたり,深く頭をさげたりしています。時と場合によって挨拶やお辞儀の仕方を変えたりしていますが,この日本人の挨拶もちゃんと意味があるのです。たとえば,深く頭をさげてお辞儀する意味は,相手の過去・現在・未来に感謝すると云う意味も含まれているのです。さらに,相手の先祖にも両親にも出会いを与えて下さり「ありがとう」御座いますと云う意味も包含しているのです。つまり,相手の人生すべてにありがとうと感謝の意を自分の身体で表現しているわけであります。世界の国々でも他の民族でも,ここまで挨拶一つに大きな意味のある国も民族もいません。

何年か前,今上天皇にアメリカのオバマ前大統領が謁見し,頭を深く下げて挨拶したことがアメリカの国内で「頭を深く下げ過ぎだ」とブーイングになっていたようです。国際社会の常識からすると正しいのですが,それぞれ国の挨拶の仕方は違う訳ですし,そんなに言わなくても良いのではないかと思ってしまいます。アメリカでは要人であっても他国の人に頭を深く下げることに抵抗感でもあるのでしょうか。あるとすれば日本と日本人の性質を知らない証拠です。謙虚で,人格者ほど腰が低くて偉ぶらない方が,日本人に与えるイメージが良いはずなのに少し残念であります。外国の人に比べ,日本人ほど挨拶に気を使う民族はいないと思います。

実るほど首を垂れる稲穂かな。こんなことわざもあるのですから。

外国の人からすると日本人は直ぐに頭をさげると不思議に思われるようですが,わたしたちの国,日本には日本の文化や伝統が遙か何万年も前から脈々と続いて来ているのです。数百年,数千年ではなく数万年も前から続いて来ているのです。どちらが良いとか悪いとか言いたいのではなくて,私たち日本人は,自分の国の文化や伝統を知らな過ぎているのではないかと私自身が不知であることも含め反省の意味も込めて書かせて頂いております。縄文時代以前に栄えたカタカムナと云う言霊信仰を主軸にしていた高度な文明も世界で最も平和であった縄文文明も知れば知るほど日本と云う国柄と日本人と云う不思議な民族の素晴らしさが判ります。

そして,今年もいよいよ春の祖霊感謝祭が始まります。

日常生活でも仕事でも,神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝であります。拝

  

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


ありがとう。これが森羅万象の中心です。再掲載

2018年08月29日 22時02分01秒 | 感謝の心柱

こんにちは。今日は,一之宮に御酒を奉納して,神札を新しい神札に交換して参ります。私は一年間の間に3回くらいは神札を新しい神札に交換しています。最近,昔に比べると神社に参拝される人が何だか増えているように感じています。それも比較的,若い人たちが多くなって来ているようです。若い人たちが,自分の住む地域の氏神さまに素直に感謝を捧げることが出来ると云うことは,とても良いことです。何か自分の願いを叶えて貰おうとする参拝ではなく,日々の生活に感謝できる心と云うものは尊いことです。

できますれば,多くの人々が,大自然に感謝の気持ちを誰も介在させることなく出来れば良いなと思っています。純粋無垢な感謝の気持ちは必ず大自然に届いています。そしてその素直な想念は,自分自身に反射されて来ることなります。特別,何か呪文のような言葉を捧げるのではなく「ありがとう」これだけで良いのであります。なぜならば,この「ありがとう」と云う言葉は感謝を表す言葉として私たちは何気なく使っていますが,これは言霊信仰の中心でもあり,最強の祝詞でもあるからです。理屈を超越します。

わたしたちの国「日本」には,一つひとつの言葉,つまり一音一音に神さまの分霊が宿ると云われています。言霊信仰と云われて来た古の信仰形態です。たとえば,ひらがなの50音の一つひとつに神さまの分霊が宿っているのです。一音一音を組み合わせ,それを繋げて私たちは普段何気なく会話をしています。その一音一音の組み合わせの中でも森羅万象を顕す言葉「言霊」があるのです。

それが「ありがとう」と云う5音であります。ありがとうと云う5音の言葉「言霊」の組み合わせと繋がりは,実は,宇宙の根源的存在「根源神」は,自分の心の中に坐します云う意味があるのです。これが世界すべての宗教や信仰の元の本であると私は感じています。万物・物事の始まりであり,物事の中心でもあり,和の中心でもあるのが「ありがとう」と云う言葉の意味であるのです。

つまり,森羅万象,万物の中心なのです。私たちに馴染の深い現代の神社神道も仏教も「ありがとう」が起点となっています。人間の心は宇宙と繋がっていると言われる所以でもあります。大自然に感謝を捧げること氏神神社で感謝を捧げることの意味もここにあるのです。したがいまして,神社や寺院に行って自分のお願い事を金銭を払ってするような祈願信仰とは全く違うのです。

素直に感謝のありがとうだけで十分です。こんな事を書くと,神社やお寺の宗教家のみなさんに怒られると思いますが,ちゃんと護持や国体・政体を勉強して頂きたいと思いますし,それこそ神さまを商売に利用しているよなものです。そもそも発想が貧困ではないでしょうか。神社やお寺で交通安全の祈願をすると本当に事故を起こさないのですか?身体健康の祈願をすると本当に健康でいられるのですか?そんなことは小学生でも判ることです。それは,私たちの国「日本」にあるべき本来の信仰ではありません。

また明日,続きを書かせて頂きたいと思います。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


やって参りました祖霊大感謝祭 御先祖様とともに。 再掲載

2018年08月11日 20時01分17秒 | 感謝の心柱

こんにちは。今年もいよいよ大イベントである祖霊大感謝祭がやって参りました。この一週間は,私にとっては特別な日々であります。特に,春のお彼岸や秋のお彼岸と違ってお盆はとても重要でもあります。それは,前にも記事にさせて頂きましたが,人が亡くなりあの世に帰ると生前の行いにより自分に見合った世界へ自ら行くことになります。本当は,自分自ら各世界へとさらなる修行の旅に出る訳ですから,その魂の向上にとっては一番良い場所ともいえます。このお盆の期間に限っては,あの世で私たち子孫を見守っていてくれている全ての御先祖様が,この世の子孫のもとへ戻って来れる唯一の期間,楽しみでもあるのです。

そして,その膨大な御先祖様の中には,この世で生を享けしときに様々な思いや為すべきことを為さずして亡くなった方や,飢餓や飢饉,病気などで亡くなって逝った方々も多いはずです。むしろ,そのような方の方が多いのではないでしょうか。平安時代や鎌倉時代などは正に苦しみの時代であったことだと思います。そしてまた,この世に生れ出ることが出来なかった水子さんもしっかりと供養すべきであります。神様から授けられた御魂でありながら何らかの理由で生まれて来ることが出来なかった水子さんにとっては無念であったことだと思います。今の私たちに比較的近い存在である御先祖様においてもあの世からお盆の期間中は帰還することが許されていますから,きっと,そばで孫やひ孫をじっと微笑ましく観ていることと思っています。

正に,祖霊大感謝祭に相応しい期間であるのがお盆であります。しかも,1年に一度しかない大イベントです。以前も少し記事にさせて頂いたことがありました。もし宜しければお読みください。「観世音菩薩と共に。これが本当の理由です。

私はいつもお盆当日若しくは,前日に,先ず氏神様と地域の一之宮の神社へ今年も無事にお盆を迎えることができ,祖霊大感謝祭をさせて頂けることに感謝させて頂くために参拝し,そのあとに自宅の神様への御神酒を奉納してから事前に決めておいた献立に沿って,御先祖様の御供物を買い出しに行った後に供養させて頂く慣例であります。貧乏の時代には御線香と御水,御茶と御団子が精一杯でしたが,今では豪華にお供えが出来るようになりました。本当に有難いことであります。

それとお風呂に湯をいっぱいに張り入浴準備を整えます。日本人でお風呂が嫌いな人はほとんどいないと思いますし,私自身がお風呂が好きであるので,きっと,御先祖様もお風呂に入ると想いお風呂に湯を張っています。実は,私の母方は銭湯を営んでいたので,私にとってお風呂はとても大切であり,疲れを癒やす最高の場ではないかと思っています。あの世で忙しく修行されているたくさんの御先祖様が疲れを癒やせる場がお風呂と云う訳です。狭いお風呂なのでいっぺんには入れませんけどね。

元々,先祖の供養と云うのは仏教の思想ではありません。実は,縄文時代には既に確立されておりました。そして,今で言う追善供養も実に丁寧に斎行されておりました。また本来,祈りには自分と云う概念は存在しないのであります。しかしながら,今では祈りの対象が先祖の御霊を供養すると云うよりも自分自身の幸せの為の供養とになってしまっています。これは祈りではなく,単なる取引です。せめて,自分の先祖への祈りは感謝のみを捧げては如何でしょうか。子孫の純粋で無垢な感謝の祈りほど,御先祖様の供養になることはないと私は感じております。高額のお金を掛けて寺院へ御願いする祈り方も先祖にとっては嬉しいことではあると思いますが,それよりも真心が籠った子孫の祈りほど尊く,嬉しいものはないのではないでしょうか。

このお盆の期間中,たくさんの御先祖さまと楽しく過ごし,ともにいたいと思います。拝

  

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ありがとう。これが森羅万象の中心です。2 再掲載

2018年07月19日 04時27分55秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年3月14日に書かせて戴いた過去記事です。

昨日の記事「ありがとう。これが森羅万象の中心です。」の続きを書かせて頂きます。

わたしたち日本人が,普段何気なく使っている日本語には,古から言霊と云われひとつの信仰の対象とされて来ました。又,ありがとうと云う現代の日常でよく耳にする言葉にも,たとえ私たちが意識せずとも言霊を宿しています。感謝の意を言葉で表現した「ありがとう」は,単なる50音の繋ぎ合わせではないのであります。自分の心の中に存在する根源的な存在と大自然に,そして祖霊に「ありがとう」と素直に言えることは素晴らしいことだと思います。神と人が合一する訳であります。それが,ありがとうです。

もしかすると,仏教の宗派によっても主題は違いますが「南無阿弥陀仏」も「南無妙法蓮華経」もその文字に隠された本当の意味と真理は「ありがとう」なのかも知れません。自己に内在する仏性に気が付く為には「ありがとう」の方が,私には肚に落ちます。

又,日本人は,人に会ったときに頭をさげます。こんにちはと軽く頭をさげたり,深く頭をさげたりしています。時と場合によって挨拶やお辞儀の仕方を変えたりしていますが,この日本人の挨拶もちゃんと意味があるのです。たとえば,深く頭をさげてお辞儀する意味は,相手の過去・現在・未来に感謝すると云う意味も含まれているのです。さらに,相手の先祖にも両親にも出会いを与えて下さり「ありがとう」御座いますと云う意味も包含しているのです。つまり,相手の人生すべてにありがとうと感謝の意を自分の身体で表現しているわけであります。世界の国々でも他の民族でも,ここまで挨拶一つに大きな意味のある国も民族もいません。

何年か前,今上天皇にアメリカのオバマ前大統領が謁見し,頭を深く下げて挨拶したことがアメリカの国内で「頭を深く下げ過ぎだ」とブーイングになっていたようです。国際社会の常識からすると正しいのですが,それぞれ国の挨拶の仕方は違う訳ですし,そんなに言わなくても良いのではないかと思ってしまいます。アメリカでは要人であっても他国の人に頭を深く下げることに抵抗感でもあるのでしょうか。あるとすれば日本と日本人の性質を知らない証拠です。謙虚で,人格者ほど腰が低くて偉ぶらない方が,日本人に与えるイメージが良いはずなのに少し残念であります。外国の人に比べ,日本人ほど挨拶に気を使う民族はいないと思います。

実るほど首を垂れる稲穂かな。こんなことわざもあるのですから。

外国の人からすると日本人は直ぐに頭をさげると不思議に思われるようですが,わたしたちの国,日本には日本の文化や伝統が遙か何万年も前から脈々と続いて来ているのです。数百年,数千年ではなく数万年も前から続いて来ているのです。どちらが良いとか悪いとか言いたいのではなくて,私たち日本人は,自分の国の文化や伝統を知らな過ぎているのではないかと私自身が不知であることも含め反省の意味も込めて書かせて頂いております。縄文時代以前に栄えたカタカムナと云う言霊信仰を主軸にしていた高度な文明も世界で最も平和であった縄文文明も知れば知るほど日本と云う国柄と日本人と云う不思議な民族の素晴らしさが判ります。

そして,今年もいよいよ春の祖霊感謝祭が始まります。

日常生活でも仕事でも,神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝であります。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


ありがとう。これが森羅万象の中心です。 再掲載

2018年07月18日 13時21分22秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年の3月13日に掲載した記事です。

こんにちは。今日は,一之宮に御酒を奉納して,神札を新しい神札に交換して参ります。私は一年間の間に3回くらいは神札を新しい神札に交換しています。最近,昔に比べると神社に参拝される人が何だか増えているように感じています。それも比較的,若い人たちが多くなって来ているようです。若い人たちが,自分の住む地域の氏神さまに素直に感謝を捧げることが出来ると云うことは,とても良いことです。何か自分の願いを叶えて貰おうとする参拝ではなく,日々の生活に感謝できる心と云うものは尊いことです。

できますれば,多くの人々が,大自然に感謝の気持ちを誰も介在させることなく出来れば良いなと思っています。純粋無垢な感謝の気持ちは必ず大自然に届いています。そしてその素直な想念は,自分自身に反射されて来ることなります。特別,何か呪文のような言葉を捧げるのではなく「ありがとう」これだけで良いのであります。なぜならば,この「ありがとう」と云う言葉は感謝を表す言葉として私たちは何気なく使っていますが,これは言霊信仰の中心でもあり,最強の祝詞でもあるからです。理屈を超越します。

わたしたちの国「日本」には,一つひとつの言葉,つまり一音一音に神さまの分霊が宿ると云われています。言霊信仰と云われて来た古の信仰形態です。たとえば,ひらがなの50音の一つひとつに神さまの分霊が宿っているのです。一音一音を組み合わせ,それを繋げて私たちは普段何気なく会話をしています。その一音一音の組み合わせの中でも森羅万象を顕す言葉「言霊」があるのです。

それが「ありがとう」と云う5音であります。ありがとうと云う5音の言葉「言霊」の組み合わせと繋がりは,実は,宇宙の根源的存在「根源神」は,自分の心の中に坐します云う意味があるのです。これが世界すべての宗教や信仰の元の本であると私は感じています。万物・物事の始まりであり,物事の中心でもあり,和の中心でもあるのが「ありがとう」と云う言葉の意味であるのです。

つまり,森羅万象,万物の中心なのです。私たちに馴染の深い現代の神社神道も仏教も「ありがとう」が起点となっています。人間の心は宇宙と繋がっていると言われる所以でもあります。大自然に感謝を捧げること氏神神社で感謝を捧げることの意味もここにあるのです。したがいまして,神社や寺院に行って自分のお願い事を金銭を払ってするような祈願信仰とは全く違うのです。

素直に感謝のありがとうだけで十分です。こんな事を書くと,神社やお寺の宗教家のみなさんに怒られると思いますが,ちゃんと護持や国体・政体を勉強して頂きたいと思いますし,それこそ神さまを商売に利用しているよなものです。そもそも発想が貧困ではないでしょうか。神社やお寺で交通安全の祈願をすると本当に事故を起こさないのですか?身体健康の祈願をすると本当に健康でいられるのですか?そんなことは小学生でも判ることです。それは,私たちの国「日本」にあるべき本来の信仰ではありません。

また明日,続きを書かせて頂きたいと思います。拝

  

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これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


祝詞をつくってみました。こころのみはしら(心柱)祝詞です。 再掲載

2018年07月10日 05時57分00秒 | 感謝の心柱

こんにちは。

昨年の大みそかに掲載させていただいた記事を再投稿したいと思います。

こんにちは。

富士山を眺めているときフッと湧き上がって来る想いがありました。それは,自分自身で祝詞(ノリト)をつくり,その祝詞を神さまへ奉納すること。このブログの趣旨である「心柱」に感じるまま私のオリジナル祝詞「前段」をさくせいしてみました。

こころのみはしら「心柱」祝詞

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れずこうべを垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

前段一部終わり。

富士山にて記す。

今年もありがとうございました。

花咲 あさひ 拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝