花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

心柱神社の御造営と御遷宮

2019年09月06日 11時33分30秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

東と西。昼の祭祀は火の祭り,北と南。夜の祭祀は水の祀り。なんだか意味不明ですが。。。

御遷宮と聞くと二十年に一度に斎行される伊勢の神宮を思い浮かべます。ですが,わたしたちの心に鎮まる心柱神社「みはしらじんじゃ」の御宮も一定期間が経過するとやはり御遷宮が必要なのであります。しかし,その前に,自分自身で御宮を御造営しなければなりません(笑)。そこで必要となるのが御用材であります。御用材となる材料は,鎮守の森に立っている木々(心柱)で御座います。鎮守の森から柱や梁,扉や床となる御用材をいただくわけです。もちろん,御造営する宮大工の総棟梁も自分自身です。

私たちの日常生活「私生活」での思考や行動やそして行為が,鎮守の森の木々の生育に良くも悪くもとても影響しています。常日頃から感謝の気持ちを以て生活して来た人の感謝の木は,棟持ち柱に用いることが出来ると思います。又,神さまの祈り「音霊:波動」を受信する千木(ちぎ)は,素直の木を用いることも出来ると思います。何気ない日頃の行いが鎮守の森を形成する糧になっているとは夢にも思わないかも知れません。たとえば,人の悪口や自分よりも立場の弱い人をイジメたりしている人の鎮守の森には,感謝の木も素直の木の生育もあまり成長していないことになります。いつになっても御造営に取り掛かることさえ出来ません。

ところで,実際の伊勢神宮の御造営や御遷宮と云う我が国最大の神事「お祀り」では,二十年と云う長い歳月を掛けます。しかし,遷御の儀と言われる式年遷宮の中で最重要な神事(クライマックス)は15分くらいで終了してしまいます。つまり,15分の神事のために20年と言う歳月を要するのです。しかも,それが凡そ1300年間も続いて来ているのですから凄いことであります。

若干,話は変わりますが,これまで数千年続いてきたピラミッド型の階級構造に物質主義「金融」と紛争や戦争と云った戦いの文明がもうすぐ終わるのであります。次の文明がどう云った文明なのかどうか?わたしは預言者でも霊能者でもないのでよく解かりません。しかし,何年か前,太陽信仰の祭祀場であった奈良のある場所に参拝をした際「ここに来ても観世音菩薩はもういない」「衆生を救うため,観世音菩薩は裸足で山を下りました」と云う音霊「波動」を観たとき,これで一つの文明が終わると確信したあの日。子どもの頃に「この世からお金が無くなる」と訳も解からずそう体のどこからか聞こえて来た声なき声の存在がありました。

高天原「心界」に御鎮座されます心柱神社の御造営の時節が到来しております。そして心に最高神を祀りましょう。さらに,八咫鏡をピカピカに磨きましょう。それぞれ個人個人各々が,これまで培い,育ててきた鎮守の森で成長した御神木をいただき,心柱(みはしら)を用いて御用材とし立派な御宮を御造営して戴きたいと思っています。先ずは,その準備(段取)から始めなければなりません。わたしも立派な御宮を御造営できるように頑張ります。そして,御用材の残材で下駄を作り観音さまに履いていただきたいです。日々の生活を一生懸命に努力して,繰り返し繰り返し続けて行くことで,きっと,いつの日か履いて下さると思っています。

焦らず,慌てず,どんな時でも,自分自身に出来ることを一歩一歩,実直に。

ひとつ。またひとつ。そして,またひとつ。地道に熟して行くしか道はないようです。

Festina lente

ラテン語で,ゆっくり急げと云う意味です。拝


生きることが辛く苦しい人へ。再掲載

2019年09月03日 11時16分06秒 | 祭祀と和の国

上の動画は,古神道と日本人 ~共存と共生~

 

以下の記事は,再掲載したものです。

こんにちは。

がんばって!と言っても,最早そんな言葉は通用しないほど何かに傷ついてしまったり,人が誰も信用できないくらいまで落ち込んでしている人もいらっしゃると思います。ですが,どうかそんな時にでも心の燈火だけは消さないでいて下さい。種火でも良いので心の燈火を消さないで戴きたいのです。人のことを棚に上げて,こんなことを書かせていただく立場ではありませんが,清く生きよう・正しく生きよう・美しく生きよう・正義が絶対と考えれば考える程,わたしは真理から遠ざかってしまう気がするのです。

これは,とても誤解を招く言い方かも知れません。清く正しく美しく生きることがどうして真理から遠ざかってしまうのだと言われれば返す言葉は,わたしにはありません。しかし,これらの言葉の本当の意味は違ったところにあるのではないかと考えています。たとえば,清らかな水だけを呑んでいては,濁を呑み合わせることが出来ません。清濁併せ呑むと云う言葉が示す通り両方を知ることで本当の清らかさが判るのではないでしょうか。蓮の花も然り,綺麗な蓮の花を咲かせるためには濁水が必要で在るようにです。

わたしたちが想い悩むことが自分の私利私欲のことであるならば,その想い悩みは消え失せることはないようにも感じています。なぜならば,たとえその問題に答えが見つかり,解決できたとしても人間は,さらなる欲を抱き,迷い込んでしまうからであります。人はなぜ生まれ,なぜ生きるのか?これは人生最大のテーマだとも思います。なかなか答えを見つけ出すこともできません。辛く,自分だけの力ではどうすることも出来ない困難な事に直面すると,正直な話し,つい他人と自分を比較してしまうこともあります。

そう云った意味においては,わたしも同じであります。ただ目の前のことに全力で取り組んでいても,心のどこかで自分はなぜ生まれて来たのか?どうして生きているのかを心神と自問自答している日々でありました。しかし,もしかすると私たち人が生まれ,生きる本当の目的と云うものは人を養うことにあるのではないかと感じるようになって行ったのです。更に,人を養うと云うことは凄いことなんだと云うことも理解出来ました。人を養うと言っても,例えば,親や家族の生活を養うと云うことだけではありません。

自分のことだけではなく,誰かの為に,何かの為にと云う気持ちです。

そう自問自答しているといつの間にか人は強く成長できるのだと云うことも解かりました。わたしの場合,その一念で毎日生きて居られるようなものです。たぶん,自分の事だけを考えて生きて来たら,今の自分は居なかったと思っています。ただ,それも自分の事だけを考えて来た結果に過ぎず,自分の事だけを考えて来たことで得られたのだとも思っています。たとえば,お釈迦さまが悟りをひらいたと云われる話しに,苦行が悟りをもたらしたと云う説が一般的ですが,わたしの感じるままに言わせてもらえば,これは全く違います。お釈迦さまが悟りを啓くことが出来たのは,貧しい女性による慈悲「思いやり」であります。苦行ではないのです。

人の優しさ,思いやりに触れた瞬間にお釈迦さまは悟りを啓くことが出来たのです。肉体を酷使させるような厳しい諸々の修行が悟りを啓かせたのではありません。これが後世になって,お釈迦さまの悟りは苦行によるものだと云う解釈が定説となってしまったのです。こうのようなことを書くと,なら山伏や禅僧の修行は間違いなのか?と言われるかも知れませんが,山伏や禅僧の修行は,そもそも意味合いが異なります。山伏「修験道」や禅僧がする修行は「同体思想」「同根思想」と云う内観に通じるものであります。

今日も纏まりのない記事になってしまい恐縮ですが,どうか自分自身を必要以上に傷つけることだけはしないで戴きたいのです。他人と比較しても迷いの淵に落ちるだけです。山に篭り,滝に打たれを繰り返していても手にしようとしているものは手に出来ません。人を養うと云うことが,この世での最高の慈悲であります。人の為に,何かの為に生きているからこそ人は成長できるように思います。これが本当の修行であるとも感じています。今,生きることが辛く苦しいと感じていても変わる時は一瞬で変わります。

心神を忘れずに居れば,なにがあっても絶対に大丈夫です。

心神とともに。

花咲あさひ 拝


伝説化されてく日本人

2019年08月17日 14時58分36秒 | 祭祀と和の国

互いに支え 助け合い 足りないところを補い続け

共に手を取り 手を握り 

互いの違いを認め合い 互いの違いを尊重し合う

如何なることにも先ずは感謝を

謙虚さ忘れずこうべを垂れて 

自ら手を挙げ名乗り出る真の勇気と素直さと

時には省み反省し 人への奉仕を忘れずに

歓びもちて結びとすれば 

怒りの心を鎮められん

 

こんにちは。

何年か前に,富士山を御神体とする神社「富士山本宮浅間大社」へ参拝させていただいた時に,

降ろされた祝詞「心御柱祝詞」の前段部分です。

毎日,大祓祝詞のあとに神棚に奏上させていただいております。

詞を唱える度に,世界の中の日本がいよいよ試されてくる時代へと移行したように日々感じております。

日本人の親をもち,日本で生まれ,日本で育つことが本当に日本人であるといえるのか?

そんなことを最近は考えてもいます。

それは,今年の10月を過ぎたころから様々な事柄として際立ち始めて来るのではないでしょうか。

姥捨山が復活し。餓死する人もたくさん出てくる。これまでに経験したことのない大不況。

治安は乱れ,犯罪も増え,人が人を信じなくなり,孤立していく。

人々は,自己保身を第一と考え,人のことなどどうでもよくなり,自己責任論が浸透する。

神も仏もあるものかと祈る人も居なくなり,自分だけが生き残れば良いと云う人が多くなっていく。

日本人も首の皮一枚です。相互扶助を取り戻さない限り。

 

花咲 あさひ 拝


やって参りました祖霊大感謝祭 御先祖様とともに。 再掲載

2019年08月15日 13時58分08秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。今年もいよいよ大イベントである祖霊大感謝祭がやって参りました。この一週間は,私にとっては特別な日々であります。特に,春のお彼岸や秋のお彼岸と違ってお盆はとても重要でもあります。それは,前にも記事にさせて頂きましたが,人が亡くなりあの世に帰ると生前の行いにより自分に見合った世界へ自ら行くことになります。本当は,自分自ら各世界へとさらなる修行の旅に出る訳ですから,その魂の向上にとっては一番良い場所ともいえます。このお盆の期間に限っては,あの世で私たち子孫を見守っていてくれている全ての御先祖様が,この世の子孫のもとへ戻って来れる唯一の期間,楽しみでもあるのです。

そして,その膨大な御先祖様の中には,この世で生を享けしときに様々な思いや為すべきことを為さずして亡くなった方や,飢餓や飢饉,病気などで亡くなって逝った方々も多いはずです。むしろ,そのような方の方が多いのではないでしょうか。平安時代や鎌倉時代などは正に苦しみの時代であったことだと思います。そしてまた,この世に生れ出ることが出来なかった水子さんもしっかりと供養すべきであります。神様から授けられた御魂でありながら何らかの理由で生まれて来ることが出来なかった水子さんにとっては無念であったことだと思います。今の私たちに比較的近い存在である御先祖様においてもあの世からお盆の期間中は帰還することが許されていますから,きっと,そばで孫やひ孫をじっと微笑ましく観ていることと思っています。

正に,祖霊大感謝祭に相応しい期間であるのがお盆であります。しかも,1年に一度しかない大イベントです。以前も少し記事にさせて頂いたことがありました。もし宜しければお読みください。「観世音菩薩と共に。これが本当の理由です。

私はいつもお盆当日若しくは,前日に,先ず氏神様と地域の一之宮の神社へ今年も無事にお盆を迎えることができ,祖霊大感謝祭をさせて頂けることに感謝させて頂くために参拝し,そのあとに自宅の神様への御神酒を奉納してから事前に決めておいた献立に沿って,御先祖様の御供物を買い出しに行った後に供養させて頂く慣例であります。貧乏の時代には御線香と御水,御茶と御団子が精一杯でしたが,今では豪華にお供えが出来るようになりました。本当に有難いことであります。

それとお風呂に湯をいっぱいに張り入浴準備を整えます。日本人でお風呂が嫌いな人はほとんどいないと思いますし,私自身がお風呂が好きであるので,きっと,御先祖様もお風呂に入ると想いお風呂に湯を張っています。実は,私の母方は銭湯を営んでいたので,私にとってお風呂はとても大切であり,疲れを癒やす最高の場ではないかと思っています。あの世で忙しく修行されているたくさんの御先祖様が疲れを癒やせる場がお風呂と云う訳です。狭いお風呂なのでいっぺんには入れませんけどね。

元々,先祖の供養と云うのは仏教の思想ではありません。実は,縄文時代には既に確立されておりました。そして,今で言う追善供養も実に丁寧に斎行されておりました。また本来,祈りには自分と云う概念は存在しないのであります。しかしながら,今では祈りの対象が先祖の御霊を供養すると云うよりも自分自身の幸せの為の供養とになってしまっています。これは祈りではなく,単なる取引です。せめて,自分の先祖への祈りは感謝のみを捧げては如何でしょうか。子孫の純粋で無垢な感謝の祈りほど,御先祖様の供養になることはないと私は感じております。高額のお金を掛けて寺院へ御願いする祈り方も先祖にとっては嬉しいことではあると思いますが,それよりも真心が籠った子孫の祈りほど尊く,嬉しいものはないのではないでしょうか。

このお盆の期間中,たくさんの御先祖さまと楽しく過ごし,ともにいたいと思います。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


歓びもちて結びとすれば弥栄なり。

2019年06月22日 06時39分51秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

最近のニュースを見ても,新聞を読んでも暗くなるようなものばかりが報道され続けています。政治の世界でもそうですし,宗教界でも同じであります。ほとんどが性非行か金銭的な事柄です。なんだか暗くなるようなニュース以外は報道しないようにしているのか?と思えて来てしまうような社会になってしまいました。これは,私たち個人に与える影響は良くないものであり,まして子供たちのことを考えると複雑な気持ちになって来てしまいます。そうかといって,事実を報道しないと云う報道姿勢ではいけません。

本来,私たちの国の政治も経済も祭であるのです。その祭りの意味を取り違えしてしまっている期間が少し長すぎてしまって,いつの間にか政治の祭,経済の祭を忘れてしまったようです。祭を忘れてはなりません。日本と云う国家は祭を主体とした和の國であります。食事をすることは直会(なおらい)と云う生命を維持する祭事です。お風呂に入るということは禊と云う祭事です。身を浄める・清めるとも云われています。掃除でも同じように埃や塵を払う祓事と云う祭事なのです。こんなにたくさん国民の日常生活に祭事が存在する国家は,世界中の国々をどんなに探しても日本「和の國」以外に存在することはありません。日本人は祭人です。

故に,特に西洋人には不思議な民族として見られているようです。日本人と聞くと礼儀正しく,清潔で,真面目と云う代名詞のように感じられていますが,それもそのはず。これだけ祭事が国民一人ひとりの生活の中に浸透しているのです。日本人からすると何も特別な意識すら以ていないのであります。つまり,当たり前と云う前提がそこにはあります。しかしながら,その前提がいま大きく崩れかけて来てしまっています。これは日本と云う国家と日本人と云う国民にとっての存亡にかかわることではないでしょうか。

たとえば,生命を維持するために私たちは,食事「直会:なおらい」と云う祭事をします。その食事が出来までの過程を見てみると五穀豊穣を祈る五穀豊穣祭と云う祭事からはじまり,天と地のエネルギーを十分に吸収した作物を収穫します。無事に収穫できたことを天と地の神さまに感謝申し上げます。そうして私たちは自分の身体に吸収できる訳です。食事「直会」を通じて感謝の気持ちを育むことを小さな子供のころから私たち日本人は教育されて来たのであります。それを自分の身体で表現したカタチが食事をする際の「いただきます」と云う祈りの姿です。この祈りの姿とは何を意味するものなのか?ここにも祭の重要な意味があるのです。

それは,動植物供養祭と云う祀り事です。

何気ない食事と云うことでも五穀豊穣祭からはじまり,天と地のエネルギーを吸収して育つ生育祭,そして,無事に収穫出来たことへの収穫感謝祭,さらに,私たちが食事できることへの感謝祭と生命を戴くことへの動植物供養祭と単なる食事だけでもこれだけの祭事があるのであります。しかし,こう云った祭事が日本からどんどん減って行ってしまっています。食事をするときの「いただきます」と云う言葉には動植物への供養の意味が籠められているのですが,それすら出来ない人がおります。考えて見て下さい。動物が人間の為に処分されたときの苦しみ・悲しみ。そして人間への復讐心が蓄積された念を自分自身の身体の中に入れているのです。

いただきますを単なる儀式と考えない方が身の為です。

肉食を好む人は,怒りっぽくて短気になります。たかが食事と侮るなかれ。

食事の祭事でけではありませんが,冒頭でも書かせて戴いたお風呂にしても同じであります。お風呂は禊ぎするだけではなく,自分の身と心を癒やしてくれる大切な癒し所でもあります。水への感謝の場所でもあります。最近は,湯船にはつからずシャワーだけで済ませる日本人が多いようですが,湯船につかると云うことも大切な祭事であるのです。よく落武者が戦場で負傷した刀傷を治癒するために温泉を探していたり,発見したと云う話を聞かれたことはないでしょうか?温泉は,身体の内部の病気だけに効果がある訳ではなく,外傷にも効果があることを昔の人々は知っていたのであります。現代医学でも温泉療法は有効であるとされています。

私たちの日常生活からさまざまな祭事が減って行き,消えて行ってしまうと日本はどうなるのでしょうか?このままでは,日本人が西洋人化してしまう日が本当に来ると私は感じています。企業社会では,ほぼ西洋化してしまいました。ちょっと前に,社内用語をすべて英語にすると云うことで話題になっておりました。もしかすると,戦後の占領統治政策は終わっていないのかも知れません。私たちが暮らすこの日本から祭事を無くしては決していけません。私たちが祭事を失ってしまえば,日本人は日本に住みながらにして日本人ではなくなってしまうのです。既に,西洋人化している面も多々ありますが,しかしまだ間に合うようにも思います。

日本弥栄!あなたも弥栄!

祭人 Asahi Hanasaki 

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


超古代祭祀 出雲大神宮

2019年05月30日 06時20分10秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

上の画像は,出雲大神宮さんからお借りして来ました。わたしが撮影した写真ではありません。

昨日,自宅に京都の出雲大神宮さんから夏越しの大祓えの申し込み案内の封筒が届きました。出雲大神宮さんの封筒は,運気封筒と言って封筒の左上隅にミシン目が付いていて封を開けるのに綺麗に開けることが出来る少しユニークな封筒です。つい仕事柄,こう云った神社から送られてくる案内書などを見るたびに,経費面を考えてしまうことが癖になってしまっています。全国に存在する崇敬者さんへ送達する郵便代(送料)も相当な金額になるでしょうし,封筒や印刷物に掛かる経費も相当なものだと感じております。

先日も天河大弁財天社さんの護持について書かせて戴いたとおり,神社の護持には「神社運営」「神社施設」「氏子崇敬者」の3つの護持があると申し上げさせていただきました。その内,もっとも多くの資金を要するのが「神社の施設」の護持です。出雲大神宮さんから送られた今回の郵便代も封筒や印刷物に掛かる費用は神社の運営の護持に相当します。しかし,寄付される方々の意思が施設の護持や境内整備の寄付に限定されてしまうと名目上,限定的予算に編入されますから勘定方(経理担当者)は結構大変な思いをしています。やはり,神社に寄附される場合には,使い道をある程度,神社側に委ねるために裁量判断が良いかも知れません。

その場合,神社を運営するための護持費として寄附しますと言えば,受領する神社側では解かってくれます。たとえ話としては適切かどうかは解かりませんが,地方自治体が中央政府からある名目で補助予算を受け取る場合,紐付き予算は使いづらいと云うことを聞かれたこともあると思います。要は,そんな感じなのです。使い道が限定されてしまう寄附金よりも,ある程度,使い道が神社側の裁量で判断できる資金の方が正直,神社としては助かるのも現実です。そう云った細かい経費の歳出入を的確にされている出雲大神宮さんのような神社もあれば,収支計画をしない,ほとんどドンブリ勘定で,運営している神社や寺院もあるのも確かです。

 ※ 宗教法人の会計基準は,所謂,企業会計とは別の会計基準で構成されています。

小さな祭事を氏子さんや全国に存在する崇敬者さんの方々に送る案内書を趣意書と申しますが,この趣意書一つとっても慎重に言葉を選び,難しい専門用語を使わずに解かりやすい表現を考えながら作成しています。私も作っては破棄しを繰り返しながら祭事の趣意書や新しい取り組みの計画書を作成しております。文書や案内書などを送る側の主張ばかりを強調し過ぎないように注意して,読む側の立場に立脚して諸々の書面を作成して行くのです。これが難しい作業でありまして,中途半端では趣旨が伝わりません。

祭事にかかる経費を勘定して,資金の工面を考え,役割分担をなんども総代会を開催してさまざまなことを決めて行きます。そうしてようやく,1つの祭事が開催できるのであります。昨年だったか,出雲大神宮さんでは,桜奉納計画を立案されておりました。御神体の麓の境内地に桜を植樹すると云う趣旨であります。その里親を募ると云う計画です。出雲大神宮さんのような神社になりますと神社の歴史よりも祭祀場としての歴史の方が遙かに遠く永いのです。祭祀場としては,軽く1万年以上も前から祭祀場として御神体に祈りが奉げられて来た場所でもあります。そう云った気の遠くなるような歴史を受け継ぎ,後世に伝え,継承して行くことを考えながら桜奉納計画の立案をされたのだと思っています。とても素晴らしい計画だと思います。参拝に来られる方々に少しでも幸せになってもらいたいと云う職員の意思の表れであることが感じ取れます。たくさんの桜が,どんな鈴の音を奏でるのか楽しみです。

※ 御神体への入山は,すべきではありません。

 本来,御神体へ入山できる資格のある人は,宮司さんと清掃をする人だけです。

花咲 あさひ 拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


和の仕組みを考え続けた昭和の経営者

2019年05月16日 06時23分51秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の言葉は,松下幸之助さんが生前,会社の幹部によく話されていた言葉のようです。

松下幸之助さんは,とても信心深く神社や寺院に多額の寄付をされて来た人でも有名であります。きっと,学歴もなく病気がちであった自分を世界的な企業にまでさせてくれたのは神仏と先祖のおかげであることを誰よりも御存知であったのではないかと思います。少し事業が上手く行きだし,お金にも恵まれて行くと人は誰しも自分の力だと勘違いを起こしてしまいます。

これは,悲しいかな人間の持つ性(さが)なのかも知れません。ひとつの企業が成長して行く過程において,たくさんの人の支えがあってはじめて成長できるものです。そこには,企業競争に敗れた相手とその家族もたくさん存在しています。当然,努力が実らずに定年を迎えた人々,途中で挫折してしまい終えた従業員も居たはずであります。そんな人たちのある意味犠牲の上で企業は成長して行くのですから,経営者は常にそのことを忘れてはならないのではないのでしょうか。そして,そう言った物事に対する姿勢が経営者の人格を磨いて行く様にも感じています。敗れた相手,忘れ去られた人々を決して忘れない考え方は和の基本姿勢です。

松下幸之助さんが実現したかった社会とは「和の仕組」だと私は感じています。何よりも素直に生きることが大切であると以前,松下幸之助さんの本を読んで書かれていたことをよく憶えています。確か,本のタイトルは素直な心に成るためにだったと思います。又,松下幸之助さんは,将来日本の為に活躍できる人材を育てる目的である塾を創設させました。そこで様々な事柄を学び教育されますが,私が一番感心したのは「掃除」にありました。なんでもその塾では,やる事がなければ掃除をしろと言うことが徹底されているようです。きっと,掃除の持つ御力をよく知っていたからではないかと思います。アップルコンピューターの創業者であるジョブズさんもマイクロソフトのビルゲイツさんも掃除の持つ御力をとても理解されていました。これは本当にその通りであります。

禅をこよなく愛した松下幸之助さん,ジョブズさん,ビルゲイツさんならではの考え方でもあり,非常に実践的なことであるとも思います。掃除は禅の基本で根本と言っても良いかも知れません。福井県の永平寺に行くと深夜1時から若いき雲水が懐中電灯を額に着け一生懸命にただひたすら掃除をしている場所があるのです。その中でも特に,水と水回りの掃除はとても大事であります。つまり,水が流れ出る場所です。私たちが暮らす個人の家においても同様であります。浴室や洗面所などが汚れるとその家に住む人の健康や運気に悪いと古神道では言い伝えられています。水は穢れを流し,掃除には祓いの御力が込められているのであります。

今日は,なんだか常日頃から私が考えていたことを先人も同様に考えていたんだと云うことで,松下幸之助さんを記事にさせて頂きました。そして,先人から背中を押して頂いている気がして嬉しくもなりました。やはり,いつどんな時代であろうと和が基本であり,その和の仕組みは,わたしたちが暮らす和の国から始まるのであります。明るく温かいと言うのが人の基本です。暗く冷たいと言うのはやはり可笑しい。人を人と思わず,人を物として来た1つの時代,世の中がもうすぐ終わります。和の仕組みの復活です。

松下幸之助さんに感謝。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


古神道入門 神ながらの伝統 5

2019年05月07日 19時00分18秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日は,前日に書かせて戴いた「古神道入門 神ながらの伝統 4」 の続き5を記事にしたいと思います。上の写真は,太古の昔より太陽信仰の祭祀場とされている室生寺の奥之院へと続く道であります。もう何年も前になりますが,はじめて室生寺に参拝させて頂いた際に,境内の建つ伽藍配置を知らずにウロウロと歩いていると知らず知らずに,どこまでも続く720段の石階段を登っていました。その720段の石階段をどこまでも上がって行くと奥之院へ辿り着きます。奥之院では,観世音菩薩の化身である中村さんと云う奉職者に会うことが出来たのですが,今は既に退職されているようです。多くの参拝者を癒やされて来られたと思います。

室生寺は,水の神さまと火の神さまもお祀りする太古から続く聖地です。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第7章 神ながらなる大道へ

争いを好まない産霊(むすび)の母性原理

古事記や日本書紀を読んでおりますと,争いがなかったとは書いておりません。正直に争い事もかいてあります。

しかし,その争いは邪悪な心をもったもの,邪悪な行いを行ったものに対する争いで,それを善に立ち返らせるという事柄が神話の内容になっています。縄文時代の遺骨から出てくる地下鉄の現場などを見ましても,ヤリや刀傷などは一つもありません。弥生時代になり初めて刀傷やヤリが突き刺さった白骨などがありますが,弥生以前の縄文時代にはそこまでの戦さ,争いというものはなかったと思われます。

争いを好まないすぐれた母性原理,すなわち和の結び=調和・平和の思想があったからです。

最近も,五,六千年前も昔の青森県三内丸山遺跡が発掘されましたが,ここにおいてもそういう血なまぐさいものが発見されていません。これは太古の人がいかに霊的に優れていたかということを表現しています。上古代の人達は「おてんとう様」に恥じない生き方をしようということで,お日様を毎日拝み,崇高な生活ぶりを繰り返していたからです。

かつてこの地上にはアトランティス大陸とムー大陸があったということですが,アトランティスの方は科学技術の非常に発達した文明圏で,ムー大陸は精神文明の発達した国であったと言われています。ところが,アトランティスとムーがある婚姻のもつれから戦が起こり,両方が現代の原子爆弾にも匹敵するような破壊爆弾を使ってどちらも没しました。

今から一万二千五百年前と言われていますが,最近,徳間書店から発売されたような本を見ますと,二千二十五年頃には,精神文明のムー大陸が再び浮上してくると,説いている学者,文化人がいます。近いうちに地球の地殻の大変動が起こって太平洋上にとつぜん大きな大陸が出現するということは無きにしもあらずと思います。

また,その時にはアメリカ大陸の大半,あるいは日本列島の海岸線も没する恐れもあるかもしれません。

しかし,新しい大陸ムーが浮上して来た場合,大きな国土が紀伊半島が伊豆半島につながれば日本の地続きになる。そして日本が二十一世紀の文明の中核になり,新しい環太平洋文化圏が営まれ,人々は恒久平和の楽園で暮らすことができるようになるかと想像もされます。いずれにしましても,未来がどうなるにしても,何も怖れることはありません。

この太陽と月と星,この三つの光はすべての生命を生成化育し,発展せしめるための光です。お日様の光,月の光によって起こる潮の満ち干きもそうですし,あらゆるものが太陽と月と星の光,音の波動によって生かされています。

この大自然,天然自然の働きを,我々人類が一層深く霊的に感受して,それをまたエネルギーの源泉として活用できる時代が訪れるのではないかと思います。

以上

毎日,このブログで和の仕組みについて書かせて戴いている,私にとっては大変嬉しく感じることが書かれています。争いは,新たな争いを産み出し。争いを争いによって終わらせた文明はありません。つまり,争いを以て争いを終わらせることが出来るのは,両者が滅びるまで争い戦い続けることです。そのような自分たちも滅びてしまう争いは愚の骨頂です。又,音霊「波動」についても書かれています。この世のありとあらゆる物質は,光と音「波動」で構成されていて,私たち,人間の身体も光と音のなのです。

途方もない超上古代の出来事です。科学者はビックバンと呼んでいます。

無から有を産み出し。その瞬間に光と音が出現しました。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


和の国体と和の政体「祭祀と統治」2

2019年04月21日 04時31分05秒 | 祭祀と和の国

                    

 

こんにちは。早速,昨日の記事の最後から続きを書かせて頂きます。

>明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

>それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

>和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

>国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。

ここまでが昨日の記事の末尾ですが,国体「祭祀を司る最高位」でもある天皇陛下にこともあろうに剣を持たせることをしたのは大きな疑問でもあります。なぜならば,天皇霊を宿すとは祭祀つまり,祭祀を司る最高の位に就くことを意味するのであり,武将や軍人の最高位に就くことでは決してありません。今後,憲法が改正されて行くことだろうと想像しますが,曲がり間違っても天皇陛下に再び,軍服を着用させ,剣を持たせるようなことは絶対に阻止しなければなりません。本来であれば,それこそが国体護持の精神を主とする右派の主張する真髄と云うものではないのでしょうか。少し歴史を遡ると奈良時代から平安時代に移り変わり,都が京都に遷都されたあとも天皇陛下や天皇家に異変や危難が及ぶと国体の身を御守り「護持」する為,お役目のある御方「八咫烏」は,天皇を縁の深い神社と寺院に身を隠しながら奈良県の吉野に逃がす役割を担っていました。その神社や寺院が今でも京都や奈良には存在します。自分の身を犠牲にしてでも国体「天皇」を御守り「護持」して来たのです。それが政体の務めであったのです。

間違っても,天皇陛下に鎧と兜を着用させ,剣を持たせるなんてことはして来なかったのであります。

それどころか,天皇陛下に軍服を着用させ,剣を持たせれば天皇陛下を危険にさらすことに繋がってしまう訳であります。剣を持つのは政体である幕府,今で云う政府の役目であり,当然の役割であります。一昨日も記事で書かせて頂いた通り,天皇陛下は「おほみたからにいたるまで」なのであります。つまり,私たち国民「おほみたから」を神さまからお預かりしている訳です。万が一,戦争で天皇陛下が軍服を着用し,剣を手に取り戦い出したら私たち国民は祭祀を司る最高祭主を失うことになるのです。そうすれば,和の国は完全に消滅してしまいます。世界最古の王朝を持った国家が日本であるのです。世界最古の王朝なんだから日本人は誇りに思え!なんて言う事ではないのであります。日本は世界最古の王朝なんだから凄いだろう!なんて自慢したい訳でもないのです。

世界で最も古くから祭祀を司る最高位が日本の天皇陛下と云うことなのです。

したがいまして,わたしにはどうしても大きな疑問と違和感を持たずにはいられないのです。

明治維新から新政府となり,欧米などの所謂,西洋文明に欧米文化を積極的に日本へ取り入れ,日清戦争,日露戦争,そして第一次世界大戦へと日本は突き進んで行ったのであります。過去の歴史が証明してくれております。天皇陛下が軍服を着用し,剣を持てばどうなるのか?わたしたち国民はもっと歴史から学ぶべきではないでしょうか。幸いなことに平成の世である今上天皇におかれては軍服を着用されていません。そのことも歴史から学ぶことが出来るだろうと考えます。万が一,昭和の終戦後も戦前同様に軍拡政策を日本が選択し,今上天皇も明治天皇・大正天皇・昭和天皇と同じように軍服を着用され,剣を手に取っていれば日本は戦争を避けて来れなかったのではないかと私個人的には感じています。それだけ,国体と政体の違いと云うものがあるのが和の国「日本」の象徴なのです。祭祀を司る最高位の天皇陛下の御考えが国家と国民の行先を導くのであり,それは過去も同じであります。

その時代の天皇が祈り「祭祀」を疎かに,蔑ろにしていると必ず国家は動乱し,天変地異に疫病,そして大飢饉と云った世の中になって行きました。たとえば,今回の伊勢神宮の式年遷宮は第62回目の御遷宮でしたが,過去数回,式年遷宮が出来なかった時期がありました。その歴史の背景には何があったのか過去の歴史に学ぶことが出来ます。はたして,国家が非常事態にあったから式年遷宮が出来なかったのか?それとも,式年遷宮を斎行しなかったから国家は非常事態になってしまったのか?

全身を以て全霊で祈りを続けて来られ,国家国民の災難・苦難・困難は我が身を通過してでも国家の繁栄と国民の安寧をひたすら祈り続けて来られたのが世界中の祭祀の最高位である歴代の日本の天皇陛下なのであります。このような国は世界探してもどこの王朝にも存在しません。これが世界の王朝からも尊ばれる理由であり,崇敬を集める理由でもあります。国旗を見ても判るように,太陽を国旗と出来るのは日本だけです。菊の紋章をパスポートに出来る国民は日本人だけです。菊の紋章は祭祀の頂点を意味します。

わたしたち日本人は,先の大戦で完全にその自覚を失わされてしまいました。菊の紋章の意味するところも忘れてしまい,菊の紋章を見ると右翼か暴走族を想像するくらいまで落ちてしまいました。本来,菊の紋章は世界の祭祀継承者の証なのであります。これが世界共通した解釈です。世界有数の神殿には,必ず菊の紋章が刻印されています。つまり,私たち日本人はパスポートでもそれを表現しているのです。ですから,菊の紋章が印字されている日本人の持つパスポートは外国人から信頼されて来た訳なのです。

したがいまして,和の国の天皇陛下に軍服と剣は必要御座いません。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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和の国体と和の政体「祭祀と統治」1

2019年04月20日 13時36分57秒 | 祭祀と和の国

 

以下の記事は,過去記事です。

こんにちは。唐突ですが,日本は和の国です。この和と云う言葉の本当の意味は「神」だと私は考えています。

えっ?今日もなに言ってんだ?と想われた方もいらっしゃると思いますが,暫しお付き合い下さい。

たとえば,日本には頭に和と名の付く言葉がたくさん存在します。日本家屋の和室や着物などの和服,食べ物の和食など数えあげたら切がないほど存在しています。又,日本へ観光に来られる外国人の方々にもとても人気のある日本の和風・和物の御土産品でもあります。小さなものから大きなものまで和と付くものが多くあります。そのどれをとっても精密で且つ,精巧な技術品なものばかりで作り手が一生懸命に使う人の立場に立って考え,試行錯誤を繰り返しながら出来上がった最高傑作なものであります。

つまり,最初に私が申し上げた「和」と云う言葉の本当の意味は「神」だと考えますと言った理由も実は,そのひとつの物が出来上がるまでの過程を総称して感じたのであります。一見すれば,ただの物に過ぎない物質に「和」と呼称するにもちゃんと理由があるのであります。その理由とは,いま書かせて戴いた通りですが,日本人が作る和物は,一つひとつの作業にとても手間隙を掛けて物作りをして行きます。しかも,これが,外国人にとって日本製品が人気のある理由のひとつでもあるようです。

丹念に作り上げる思いと念に神さまの分魂が宿ると古から考えられてきました。この世のありとあらゆるものに神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想に基づいた概念です。作り手側の念,気と言っても良いかも知れませんが作った物の中に入ってしまう訳です。悪く云ってしまうと不平不満を持ちながら,悔しさ悲しみを抱きながら作り上げた物の中にも負の念や気が満ちてしまいます。

ブラック企業などで朝から晩まで心身共にボロボロになりながら働いている会社の商品や製品は如何でしょうか?

古神道の観念に照らすとあまり自分の身の回りには置きたくないですね。

しかし,この日本人の物作りに対する姿勢と云いますか態度は,太古の昔からの遺伝子の働きではないでしょうか?突然,変な宗教の教義みたいな話になっていますが,ありとあらゆる宗教の根本が日本の古神道であります。古神道とは何かと申しますと,自然崇拝に祖霊祭祀に尽きます。たとえば,太陽や月のような大自然と山や海などの自然を崇拝することであり,自分たちの祖先「先祖」を祭祀「供養や追善供養」することだけであります。何も難しいことも多額のお金も掛りません。ですが,このいつもそこにある大自然と自然に感謝することが出来ないのです。誰であっても無数の先祖が存在してくれていたことで私たちは生きているのにも気が付けなくなって来ています。それは何故なのでしょうか?忘れられた故人を想い出すだけでも供養になるのであります。

元々,農業も科学も宗教も,そして,医学も法学も哲学もすべて信仰の対象であったのです。それを私たち人間が勝手に解釈をしだし,様々に分離させ,分派を繰り返して行く内に訳の分からない「魔」を創り出してしまったのであります。つまり,理屈(理論)が出来上がってしまいました。自然を崇拝するどころか自然を支配する思想になってしまったのは悲劇に近いものがあります。

農業を理屈で考えて行った先が農薬と遺伝子組み換えです。これによって,人の身体は自己治癒が完全に出来なくなりました。本来,天のエネルギーと大地のエネルギーが豊富に含まれた食物を食べるからこそ自己治癒が出来ていたのであります。又,科学では証明できないものは存在しないと平然と言い切ってしまう学者さんも居ますが,現代科学の進歩はどれくらいなものなのか答えられる科学者は殆んどいません。現代科学で分かることは僅か1%にも満たしていないのです。つまり,99%は非科学的と云うことになります。その99%の非科学的なことを1%の理屈「理論」で説明するのですから何があっても想定外となります。

宗教も同じであります。宗教とは教えですから,善と悪の教えが存在しなければ成立しません。そこで登場したのが宗教を理屈で解釈し説明することをしたのです。しかしながら,正しい教えか否かを判断するのは受け入れる側の本人自身であります。そもそも何が正しくて,何が悪いかと云う善悪は理屈で説明できるものではありません。受け入れる側しだいになるのです。つまり,宗教を理屈で説明し出した結果,人は自分で考えることを止めてしまうのです。自分自身で考えさすことを阻害してしまうのであります。

すると,自分の教えが絶対に正しいと思い込みます。つまり,大自然や自然と繋がることを自ら拒否します。

その先に待ち受けているのが,紛争と戦争,略奪と殺戮です。人類が滅亡するとすれば,その根底にあるものは宗教観の違いです。世界中の戦争を見てみて下さい。相手を憎しみ,滅ぼそうとする目的は何なのか?日本でも過去戦争がありました。一部の軍部の暴走によって,神さまを利用し,国家神道を樹立させ,古来祭祀の中心に存在する天皇陛下を軍の最高指揮官に据え天皇の名の元に戦った戦争でした。理屈(理論)は時に大切なものであり,理屈が必要なことは私も良く理解しています。しかしながら,正しいと思える理屈や完ぺきで他の者の追随を許さない理論や言葉ほど慎重に注意して使わなければならないとも考えています。

なぜならば,そこで犠牲になる人は,いつの時代であっても疑うことを知らない純粋で真っ直ぐな心を持った若者や子供たちだからに他なりません。これ以上の犠牲が国家にあるのでしょうか。将来の国家を背負って立つ多くの若者や子供たちを犠牲にしてまで守り続けらなればならない理由は何なのか?その理由が判らない自分の不知の知を恥じるとともに神さまが人を殺せ,人と戦えなんて言うはずがないと言う自分も居ます。宗教を人類の戦いの道具にしてはなりません。和の国に住む日本人であれば判ると思います。

明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


伊勢神宮と出雲大社 国津神と天津神  

2019年04月17日 20時14分10秒 | 祭祀と和の国

 

上の写真は,皇大神宮内宮 別宮 瀧原宮御手洗場です。(流れる川の水は,宮川の支流の頓登川です)

おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。この「おほみたから」とは,私たち国民のことをさします。天皇陛下が日々,神様への祈りとして捧げる御言葉です。すべての国民一人ひとりが日々の生活が平穏で,そして豊かに安寧に暮らせますようにと云う祈りの言霊です。なぜ,天皇陛下は,これほどまでに国民の幸せを祈り,願うのでしょうか?

昨日の記事「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」で,伊勢神宮について書かせて頂きました。やはり,天皇陛下の祈りのもとは日本神話の国譲りの中にあるようです。昨日の記事でも若干,その国譲り「日本神話」を引き合いにしましたので,今日は,この日本神話にある国譲りテーマに書きたいと思います。

1.私たちの国の神話に「国譲り」があります。

いま私たちが暮らすこの国は豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに)と云い,元々,この日本には先に暮らしていた所謂,先住民族がおりました。この先住民族は国津神の子孫で,仲よく平和な暮らしを営んでおりました。そして何よりも祈りを大切にする民族でした。その祈りの根底には,この世のありとあらゆるものには神様が宿ると云う思想を持ち合わせ,同時に,自然そのものを神様だと判っていました。そこに,天から天津神が降りて来て,国津神の神様へこの国と国民を天津神に譲るように「説得」をしました。その後,国津神は天津神に幾つかの条件を提示して豊葦原瑞穂國と国民を天津神へ譲ることに決めました。

私個人的には,この国津神の子孫とは縄文人を指しているのではないかと考えています。つまり,我々の遠い遠い祖先です。世界で最も永く,平和で,豊かな文明を築いていたのが縄文文明です。世界で一番古い文明でもあります。私たちは子供のころに学校でお米は弥生時代にもたらされたものだと教えてもらいましたが,実は,縄文時代には既に,お米はありました。御酒もありました。縄文土器から検出されています。

2.国津神の条件提示。国を譲った国津神と祈りを約した天津神

国津神の提示した幾つかの条件の中に①国津神をお祀りする立派な神殿を建築すること②天津神の子孫が未来永劫,丁寧に丁重に国津神をお祀りすること。ここまでが,一般的に国譲り神話に登場する内容です。しかし,あともう一つ昨日の記事にも書いたように③あったのではないかと私は考えております。それは,次の3.国津神の子孫の想い引き継ぐ。③です。

3.国津神の子孫の想いを引き継ぐ。

③国津神の国民(子孫)が最も大事にしている精神「御蔵」を尊重し,お祀りすること。この③が今の伊勢神宮に建つ御社殿です。ちなみに①は出雲大社です。②は天皇家を中心に,伊勢神宮の祭主(現在は,黒田清子様)や出雲大社の社家(出雲国造家)です。

4.いまなお続く聖なる祈り。

昨日の記事の通り,伊勢神宮の御社殿を現在の茅葺屋根に掘立て柱に造り替えたのは,天武天皇,持統天皇です。その天武天皇,持統天皇が縄文人の最も大切にしていた五穀豊穣の精神を又,収穫できた穀物を納める御蔵(高床式倉庫)を中心に置くことによって永遠に守り続けると云う決意を建築物を通して後世に示し,残しているのではないかと思います。その構想を誰が考えたのかは分かりません。しかしながら,我々,現代の子孫も伊勢神宮の御正宮で知らず知らずに,そして無意識に永遠なる祈りを捧げていることになるのです。その精神は歴代の天皇陛下にも承継され,近代では,昭和天皇の終戦の詔勅の一文にも見て取れます。そして,平成の世でも今上陛下の精神もまた同じであると私はそのように考えます。被災者とともに。被災者に寄り添いたい。一日でも早く被災地へ出向き被災者と言葉を交わしたいと思っておられると考えます。

5.むすび。

国津神の子孫である縄文人の最も特徴的な考え方は「平和」です。これに尽きるかもしれません。つまり,争いをしないと云う考え方であるのです。前にも「祖霊祭祀の日本人 祈りの民族」の記事でご紹介させて頂きましたが,とにかく争いを嫌います。それは縄文人の死生観に基づくものですが,その証拠に,全国の縄文遺跡から見つかっていないものが1つだけあります。

それは,武器です。つまり,人を殺傷するために使われる武器は発見されていません。ところが弥生時代を境に戦闘が始まります。戦い方を知らない民族(縄文人)は北へ北へと逃げるように移動したのです。それが現在の東北地方です。そう,鬼門です。

それ以降,現在に至るまで,日本人の宗教観は鬼門を最も畏れ,神聖なる方位として厚くお祀りしているのです。その後,数千年の歴史を経て現代があるのであります。

記事本文掲載 終わり。

近年,地球温暖化などの影響からか「エコ」環境保護が世界的に注目されています。ここにも縄文人の考えと云うか知恵が伝えれて来ています。縄文人は,必要なものを,必要なとき,必要な分だけ頂くという考え方で暮らして下りました。つまり,根こそぎ採取するということはしないのです。エコの生活は,縄文人からの重要なメッセージかもしれません。

現在の学校教育では,日本神話を授業で教えることはありませんので,興味を持った生徒は自学自習で勉強しなくてはなりません。これは,この国にとっても不幸なことであります。世界的に観ても自分の国の神話を知らない国民はほとんどいません。日本人が外国人に馬鹿にされるひとつの話題として,よく言われるのが日本人は日本の文化や伝統を知らない。それで,他国の文化や伝統,歴史を勉強しようとしている。そんなんで恥ずかしくないのか?と言われています。これは,学ぶ側の責任よりも,伝える側の責任だと思います。伝える側が,もっと謙虚に,歴史に学び,子孫へ命の尊さを伝えることが大切なことではないでしょうか。

尚,本文中にある「国譲り」の一部を除き,他は,私個人の解釈であって,何ら文献等の学術的根拠を有するものではありません。したがいまして,個人の解釈によるものだとご覧頂ければ,真に幸いで御座います。拝

記事作成にあたって参考にさせて頂いた資料は,以下の通りです。

1.出雲大社と大国主大神「出雲大社公式ホームページ

http://www.izumooyashiro.or.jp/kamigami/izumo/index.html

2.出雲観光ガイド 国譲り「出雲観光協会公式ホームページ内」

https://www.izumo-kankou.gr.jp/1033

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

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伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り。 再掲載

2019年04月16日 11時15分40秒 | 祭祀と和の国

こんにちは

最近,地磁気が高いのか,地球の磁場が乱れているせいかインターネットの接続状況が凄く悪いです。

さて,今日も過去記事の紹介をさせていただきます。

以下の記事は,2年前の7月2日に掲載した伊勢神宮についての記事であります。 

今日は,伊勢神宮について記事にしたいと思います。私も年に5.6度は参拝させて頂いております。

我が国,日本は太古の昔から神様へ五穀豊穣を祈る(感謝)国であります。その祈りは,今日の現代でも今上天皇を中心に伊勢神宮を頂点として全国の神社で御祭(祭事)されております。私は,経済の原点つまり,経済の本質とはこの五穀豊穣にあるのだと考えています。歴代の総理大臣も1年の仕事始めは,伊勢神宮からです。機会があれば神道と五穀豊穣として記事にしたいと思います。

さて,伊勢神宮の外宮・内宮の両御正宮ともに御社殿は唯一神明造でお馴染みの茅葺屋根に掘立柱で構成されたシンプルでベストな建築様式です。世界的に観ても建築物として,とても評価の高い建築物と云われています。しかし私は,この質素にして美しい御社殿が疑問でありました。皆さんも伊勢神宮の御社殿は何かに似ていると思いませんか?

そもそもなぜ,このシンプルな建築様式が用いられたのでしょうか?そして,20年ごとに式年遷宮を斎行するのでしょうか?式年遷宮を定められたのは今から1300年前の飛鳥時代に天武天皇が御制定され,第1回式年遷宮は後の持統天皇が最初に斎行されました。御存知の通り,我が国,最大の御祀事(神事)であります。

1300年前の日本には,既に法隆寺などに見られる建築様式が確立されていたのに何故,あの唯一神明造であるのか?

その理由は,私の個人的な考えですが,あの茅葺屋根に掘立柱の唯一神明造でなければならなかったのです。

そこには,壮大で永遠なる祈りの意味が込められているのです。   

参拝するとだれでも感じて頂けると思いますが,あの親しみやすさ,馴染みやすさを感じられるその訳は,我々,日本人ひとり一人に受け継がれている遺伝子(DNA)に記憶として記録され組み込まれているからではないかと考えています。なぜか,懐かしく,親しみやすく,馴染みやすい。それは,我々の遠い縄文時代の祖先の想いにまで行き着きます。

伊勢神宮の御社殿の原型は,縄文時代の高床式倉庫がもとです。

つまり,この高床式倉庫を改良したのが伊勢神宮の御社殿です。

国譲りで国津神が天津神に豊葦原瑞穂国を譲りました。そして,天津神の子孫が,國津神の子孫が最も大事に,大切にしていた高床式倉庫を最も格式の高い唯一神明造に変え,永遠に祈り続けることを約束したのです。その壮大な物語が,伊勢神宮にはあります。そして,現代でもその永遠なる祈りが毎日,お祀りされております。正に聖地中の聖地だと思います。

きっと,天武天皇・持統天皇は,敗者を祀ることの大切さ,重要さを知っていて意図的に唯一神明造にされたのではないでしょうか。それと同時に,霊的な影響も知っていたと思います。これは,もの凄いことです。国を譲った国津神の子孫である縄文人が大切にしていた高床式倉庫に装飾品を設けて造り替え,神様の御宮として大事に,大切に,お祀りをする。それだけではなく,20年ごとに御社殿を丸ごと新しくし,常に若々しく保つ。現に伊勢神宮では常若と云う精神が伝わっています。

国譲りの決断をされた国津神の神様に。決して,忘れていません。国譲りの時にお互いで取り決めた約束ごとは天津神の子孫がちゃんと丁寧に,丁重に御守り続けております。と語りかけているように感じます。1300年も続く式年遷宮は,単なる御宮を新しくするだけではないのです。敗者や負けた相手を永遠に労り,その功績を讃え,称賛する。そのことで,争うことがなく国民一体となることを何よりも望んだのだと思います。そのことは,過去様々な文献でも照見されます。聖徳太子の和を以て,貴しと為す。などもそうです。もちろん,神道の大祓詞にもあります。

私は,ここに日本人特有の精神が見て取れると感じています。敗者を先ず祀ると云う思想です。これは,その後の武士道精神の根本としても残り,現代の日本人の精神でもあると思っています。負けた者を哀れみ,負けた者に対する情けや称賛,その功績を称える。そして,それができる民族が日本人だと思うのです。

伊勢神宮へ参拝を計画されている方は,そのような考えもあるのだなと思って御社殿に参拝してみて下さい。

武力によって,相手を滅ぼしたり,制圧したり支配したりする考えは日本古来の考え方ではありません。

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


古神道入門 神ながらの伝統 4 再掲載

2019年04月06日 06時19分51秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日は,神主さんでもあり,古神道家でもあった小林美元先生が生前に書かれた著書「古神道入門 神ながらの伝統」の4を同書から一部を抜粋して前回同様,書かせて戴きたいと思います。上の写真は,ご存知の方も多いと思います。二見興玉(ふたみおきたま)神社の夫婦岩で御座います。いつも二見興玉神社に参拝させて頂くときには,こちらで海の神さまへ祈りを奉げています。

昔の人々は,伊勢詣と云えば,この二見が浦の海で禊を済ませてから伊勢の神宮へ詣でると云うことが習わしでしたが,時代の移り変わりで参拝の習わしも徐々に変わって来ています。古神道の世界観や古神道家の間では,この夫婦岩は「イザナギの神:男神」と「イザナミの神:女神」としています。そのイザナギの神とイザナミの神の間から太陽神「天照太御神」が誕生すると言われているのです。5月から7月の間にちょうど夫婦岩「夫婦神」の間から日の出の太陽「天照太御神」が昇るようすを観ることが出来ます。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第5章 弥栄(いやさか)の思想と信仰

なぜ,政治を「マツリゴト」というのか。

何度も申しますように,日本語というのは非常に古くから天体の動きを四十八の文字に写していました。あおうえい・かこくけきという一音,一音の声音が,宇宙を象徴的にあらわす符号として整序しておりました。

現代人が想像する以上に,宇宙の原理には精通していたのです。

ですから,

伊勢神宮の恒例のお祭り,二十年に一度行われる御遷宮のようなお祭りにしても,天体の動きに合わせて行われる。祭りを行う月と日と時を非常に大事にして,神代ながらに古代からのしきたりを厳重に伝承して行われてきております。

例えば,御遷宮の祭りは,北斗七星の運行と関係があります。

夕方七時頃,北極星の右上にあった北斗七星が時刻がたつとともに北極星の真上になり,それからだんだん時計の針と逆方向の左へと回っていきます。そして北極星の位置が,ちょうど北斗七星の柄の先の勺のところにくる時間に,神さまに勺で食事を捧げるということで,祭りが進められる。

この一例を見ても,天体の動きと祭りというものが,いかに密接にかかわっているかということが伺われるわけです。そういうことですから,村人の生活がまた社会的な発展に伴って段々と大きくなって,国として発展していく段階になっても同様に,その組織体を統御するために祭り事を行う。

そして国の祭り事が,そのまま村々を統治することになり,いわゆる政治にもつながっていく。

宇宙のカムとの深い関係,交流の中で,村人を一つに束ね結わうことが,祭り事でした。カムの意思に基づいて正しい統治を行なうという,政治の思想の姿があったわけです。だから政治を司る者は,少なくとも宇宙の運行とか自然生命に対する畏敬の念をもった人でないと尊敬もされず,その長たる資格がなかった。

明治の頃までは政治のことを政り事(まつりごと)とも称していましたが,しかし実際歴史的にみると,聖徳太子のように本来の意味での「祭り事」を意識した政治家は少ない。まして今日,政治というと,何やらどろどろとした権力闘争や駆け引きなどをイメージします。政治とは,「マツリゴト」であるということを忘却の彼方に押しやったかのようです。

以上

現代の政治家のみなさんにも読んで頂きたい内容であります。今では,魑魅魍魎の世界となり,ほとんど貴族化している政治家の人たちの頭の中に政治とは「祭り事」であると考えている人がいるのでしょうか?言葉では選挙が近くなったりすると綺麗な言葉を並べますが,日々の政治活動との差は激しいものであるようです。おくそくですが,国体と政体との区別すら理解していない政治家がいても不思議ではなくなってしまっています。これは国家存亡にかかわる重大な事柄でもあるのです。国体とは「祭祀」です。政体とは「統治」です。即ち,祭祀の中心の座に座ることが出来るのは天皇陛下だけであります。そして,統治を司る頂点に存在するのが内閣総理大臣であります。自分は政治家であると言うのであれば,最低これくらいは深く理解して戴きたいと願うばかりです。

 ※ 天皇陛下を祭祀の頂点と表現する人もおりますが,これは違います。頂点ではなく中心です。

   天皇陛下を祭祀の頂点とした明治・大正・昭和の歴史を想い出してください。

    結果,天皇に剣を持たせ軍服を着せたのです。これは,大きな罪です。天皇が持てる剣は,草薙の剣だけです。

ところで,記事本文中に伊勢神宮の祀り事について記載されているように,式年遷宮や恒例祭事の際には,天体の動きに合わせながら執り行うと云うことが書かれております。つまり,北極星や北斗七星をお祀りしているのが伊勢神宮でもあるのです。ここでもう1つ古神道家の間で語られている大切なことを書かせて戴きます。伊勢の神宮は「内宮」と「外宮」の2つの御正宮が御座います。

その2つの御正宮の内,外宮にお祀りされている神さまを豊受大神と一般的に称されますが,その際に,内宮にお祀りされております天照太御神の食事を司る神さまであると云う語り(現在の定説)がありますが,この意味を取り違いされている方が結構,多いのであります。外宮にお祀りされている神さまは「地球神:国常立大神」で御座います。国常立大神をお祀りしていると云うことは地球上に存在するすべては,国常立大神さまのもので御座います。そのことが取り違いされてしまい,外宮の神さまは,内宮の神さまの食事を司る神さまだと解釈されてしまったのです。きっと,過去の文献などに基づいてそのような解釈が通説となって行ったのだと思いますが,外宮は,内宮よりも遙か昔に祭祀場として存在しておりました。つまり,内宮よりも外宮の方が古いのです。

またいつか,機会があればゆっくりと書きたいと思います。

毎晩,北斗七星に祈りを奉げていると「和する事」と声なき声が聴こえて来ます。

北斗七星が大好きな花咲でした。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


祖霊祭祀と古神道 ~ 宗教界に物申す ~

2019年03月30日 19時55分33秒 | 祭祀と和の国

こんちには。

昨日は,日蓮宗の寺院に久しぶりに伺い,製作した無縁霊さん用の祭祀壇の点検を行いました。想像していたよりも多い無縁霊さんや一時的にお預かりしている御霊さまであったので少し驚きました。久しぶりに住職さんと寺族の方ともお会いしたくさんお話をさせていただいて帰って来ました。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます。やはり祖霊祭祀は清々しい気持ちにさせてくれます。日々の神祀りも然り,祖霊祭祀も誰を介在しない祭事は良いものであります。直接繋がるこれは先祖供養でも同じです。

現代では,お寺に先祖の供養はお願いしているからと考えている方も多くいらっしゃいますが,これは明らかに現代風の考え方と申しますか,日本古来の祖霊祭祀と云う世界に誇れる伝統とは違います。日本人が太古の昔より脈々と続けて来た先祖供養とは,生きている子孫が直接,自分の先祖と繋がると云うことを大切にして来たのであります。そもそも,祖霊祭祀と云うものはお寺つまり,仏教にはありませんでした。何度かブログで書かせて頂いて来ましたが,祖霊祭祀「先祖供養」は,既に縄文時代には祭事として先祖供養がされていたのです。又,現代の私たちが行う例えば〇回忌と云う追善供養も縄文時代には実に丁寧な追善供養が斎行されています。縄文時代には,現在のような神社神道は存在しませんし,又,国家神道も存在していませんから古神道の役割でした。

左にある検索で「古神道 祖霊祭祀 縄文時代」と検索し申し宜しければご覧ください。

それと,私の自論ではありますが,先祖供養は,私たちの遺伝子に影響を多大に与えていると感じています。私たちの遺伝子「DNA」には祖先が体験した膨大な記録が保存されています。その遺伝子「DNA」は,私たちが日々暮らしている生活や仕事,勉強に恋愛に結婚,そして病気に至るまでも影響していると感じているのです。わたし程度が理論的に説明することは不可能ですが真実だと根拠なく確信しています。直感です。私たちが自ら執り行う祖霊祭祀「先祖供養」には神秘に満ちた祭事です。そのことをよく知っていた縄文人は実に丁寧に祖霊祭祀を斎行していたのではないでしょうか。そこからさまざまな日本固有の思想が生まれ,現代の私たちも無意識の内に引き継いでおります。引き継いでいると云うよりも,これが遺伝子「DNA」の働きだと考えています。

つまり,祖霊祭祀は遺伝子「DNA」のお掃除だと言える面もあるのです。

このあたりの分野を研究されている御方が筑波大学の村上和雄教授です。

今ではすっかり,先祖の供養は,お寺でするものと言った固定観念が一般的になってしまっています。又,先祖供養は長男がするべきものだと云う間違った考え方が罷り通っています。普通に考えて見ても,長男次男と云う生まれた順番と先祖供養を結びつけること自体が滑稽な話でしかありません。遺伝子は長男にも次男にも存在しているからです。長男の遺伝子は長男遺伝子で次男の遺伝子は次男遺伝子なんてことはありません。長男も次男も共に同じ先祖を持つのです。子供でも解かることであります。

明治時代の家督制度や家制度が発祥なのか,私も勉強不足でハッキリとしたことは分かりませんが,いつ・だれが・何の目的で長男が先祖の供養をするものだと云うことにしたのか今後も研究して行きたいと思います。もしかすると祭祀継承者「墓守」から来ているのかも知れません。長男は本家を継ぎ,他の兄弟は分家となるから本家を継ぐ長男が先祖代々のお墓を御守りするのだと云うことから来ているかもです。自分で書いていて何だか研究するのが楽しくなって参りました。陰謀説かも知れません・・・(笑)。

しかしながら,先ほども書かせて頂いたとおり,いくらお寺で先祖の供養をしてもそれは間接供養で直接,自分の先祖と繋がっている訳ではありません。本来であれば,ちゃんとお寺の僧侶もそう言ったことを檀信徒さんへ教えて差し上げるべき大切なことなのですが話す僧侶はほとんど居りません。本当に残念なことであります。おそらく疑問にも感じていないかも知れません。現在の仏教は葬儀仏教となってしまいましたから,自宅でもちゃんと先祖の御霊を供養しないとダメだよと言えないのだと思います。

したがって,その結果,逆に神社や寺院は,資金などの運営面や氏子・檀信徒の離檀や先祖供養の稀薄さからお墓を閉じるひとが急増し減少の一途を辿っています。しかも,これからがとても厳しい時代を迎えることになって行きます。そのことで法律上,破産の申立てを余儀なくされる宗教法人も多く出てくるはずです。宗教界も社会構造の中に存在していますので避けては通れない道のようです。そんな厳しい時代の中でこそ,宗教家は道や法を説いて歩くべきと考えますが,宗教家自身に危機感がないのです。

神社界は,春日大社のように祖霊祭祀祭「先祖供養」を復活させるべきであります。拝

  

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心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


神棚を設け 神さまを迎え お祀りをする。

2019年03月26日 20時00分00秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

すっかり,暖かくなって過ごし易くもなって来ました。先日,春の祖霊感謝祭(お彼岸)も無事に終了することが出来ました。

しかし,まだまだ日毎,寒暖の差が激しいので,皆さま御身体ご自愛下さい。

今日は,私が神社や寺院の護持に携わるようになって不思議に感じていましたことを書きたいと思います。

その内容とは,これまで,神社や寺院を通じて多くの方々と出会うことがありました。

人と人との出会いを「一期一会」と表現したり,「袖振り合うも多生の縁」などと申し上げることもあります。当然,私の職上柄,奉仕させて頂いている神社や寺院を通して知り合うわけですから,神仏に対する崇敬の念をそなえた方々でもあります。そう云った方々の中でも特に,会社を経営されている経営者や個人で商店を営んでおられる個人事業主さんに共通していることが御座います。

それが,会社の事務所や社屋,そしてご自宅おいても神さまや仏さまを丁寧にお祀りされていることであります。理屈では到底説明のつくことでもありませんが,私は,いつもそこに不思議さと申しますか,何か特別なものを感じていました。なぜ,会社や商店では神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りするのか?その理由は,ただ単に商売繁盛や千客万来と云った所謂,祈願信仰や自分だけの願望を叶えて貰うことへの現われだけではないと感じることが度々あります。

その理由を理論的に説明しろと言われても説明のしようがありません。

それは,神さまをお祀りすることに論理や理屈は必要ないと私自身が考えているからでもあります。その証拠に,現実的に多くの企業や個人商店,一般のご家庭においても神さまや仏さまを丁寧にお祀りしています。それどころか,行政官庁でも神さまをお祀りしているのです。神仏をお祀りすることに理屈は必要ないと考えますが,皆さま方は如何でしょうか?

それでは,神棚を設け,神さまをお迎えし,お祀りする意味とはなんでしょう?

私なりの解釈ですが,会社の経営者や個人事業主さんであれば,お客さまとの出会い,取引先とのご縁,そして共に働く仲間たちへの感謝の気持ちが根底にあるからではないでしょうか。すべてに感謝すると云うことは,企業や個人商店の経営にも通ずることだと考えます。それと,きっと,私たちの日本人の独特な宗教観と申しますか,日本人特有の信仰心なのかも知れません。

我々の遠い祖先から脈々と受け継がれて来たDNA(遺伝子)による働きでもあるようです。私たちの先祖が大切に受け継いで来た神さまへの神恩感謝への想い(精神)は,私たちから次の世代へと継承して行き,未来永劫絶えることのないよう願うばかりです。

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝