花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

古神道 心神とともに。4

2019年11月13日 02時58分21秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

また郵便局での配達のアルバイトが忙しくなってきました。

ブログの更新も出来るかどうか・・・。

さて,時間の短縮に伴って,これまでよりもさらに月日の経過が速く感じる今日この頃です。爪の伸び具合も増々早くなっております。今では1日の時間が10時間を切ったように感じています。わたしは,この時間の短縮と云う現象がこれから医学の世界にとても影響して行くのではないかと前から書かせて戴いて来ました。それと良質な水と正しい食事と身のまわりの掃除「整理整頓」を意識的に実践して行くことで自己治癒が出来るようにも感じて仕方がないのです。理由なんてもちろんありません。ただいつもの直感です。

心神からのお知らせであろうと思っています。

逆に申し上げますと,火や熱を使用しない水道水と加工食品や農薬ばかりの食事,散らかって掃除が出来ていない部屋にいると病に罹りやすくなるようにも感じています。そう云った良くない環境で,先日も書かせて戴きました古神道の秘儀である自分の霊体を拝する「自霊拝・自励拝」や毎朝の太陽拝「日拝」を実践しても変な言い方ですが効果はあまりないようにも感じているのです。

やはり,日常生活と云う修行の中において基礎基本が整った状況で,何万年と続く古神道の諸々の秘儀を実践してこそだと思っています。ことのついでに書かせて戴くと,朝早い時間の空気の入れ替えはとても良い気がします。わたしも毎日実践しています。夏場は,明るくなるのが早いですから5時30分頃から30分前後,玄関と部屋の窓を開けて清々しい空気と交換しています。寒い冬場は,5時半ごろだと未だ外も暗いですから外が明るくなってから新鮮な空気の入れ替えをします。古神道的に云うと風の神さまの御力をお借りして,場の悪い気「気枯れ」を祓い,場「部屋」を清めると云う祓清めとでも申し上げておくことにいたします。

わたしのアパートの玄関は,ちょうど地図で観て見ると富士山と白山から吹いてくる風の合流地点線状にあります。富士山から吹いてくる風と白山から吹いてくる風が玄関から入って来て,部屋を通り抜けて東の窓から出て東の海へと吹いて行きます。そう考えると贅沢な場所で暮らしていると思っています。東に窓がある部屋は,太陽神が朝一番に部屋の中を照らして下さいますから風の神さまと太陽神の本物の御力をお借り出来ます。しかも,日常生活の中での実践であります。これこそ古神道そのものであるのです。

大自然と自然の神さまの祓清めですからそのような立地で暮らせることに感謝の念が自然と湧き上がってくるときでもあります。神棚の向きをインターネットでよく解説しているものを拝見しますが,自然の摂理に従うと自然に北か東北(鬼門)に設けることになります。神社や寺院の配置も北を拝するようになっています。自然と共に共生し共栄して行く生活と云うのは,そんなに難しいことでもないのかも知れません。ただ私たちが難しく考え,ややこしくしているだけだとも感じています。古神道と云うのは,大自然の理に則したものです。神と人が一体となることこそ本当の道であります。古神道では,それを惟神「神人合一」と申します。

わたしたちの心,高天原の心御柱宮 心神とともに。拝


古神道 心神とともに。3

2019年11月12日 02時44分59秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

松下幸之助さんは,とても信心深く神社や寺院に多額の寄付をされて来た人でも有名であります。きっと,学歴もなく病気がちであった自分を世界的な企業にまでさせてくれたのは神仏と先祖のおかげであることを誰よりも御存知であったのではないかと思います。少し事業が上手く行きだし,お金にも恵まれて行くと人は誰しも自分の力だと勘違いを起こしてしまいます。

これは,悲しいかな人間の持つ性(さが)なのかも知れません。ひとつの企業が成長して行く過程において,たくさんの人の支えがあってはじめて成長できるものです。そこには,企業競争に敗れた相手とその家族もたくさん存在しています。当然,努力が実らずに定年を迎えた人々,途中で挫折してしまい終えた従業員も居たはずであります。そんな人たちのある意味犠牲の上で企業は成長して行くのですから,経営者は常にそのことを忘れてはならないのではないのでしょうか。そして,そう言った物事に対する姿勢が経営者の人格を磨いて行く様にも感じています。敗れた相手,忘れ去られた人々を決して忘れない考え方は和の基本姿勢です。

松下幸之助さんが実現したかった社会とは「和の仕組」だと私は感じています。何よりも素直に生きることが大切であると以前,松下幸之助さんの本を読んで書かれていたことをよく憶えています。確か,本のタイトルは素直な心に成るためにだったと思います。又,松下幸之助さんは,将来日本の為に活躍できる人材を育てる目的である塾を創設させました。そこで様々な事柄を学び教育されますが,私が一番感心したのは「掃除」にありました。なんでもその塾では,やる事がなければ掃除をしろと言うことが徹底されているようです。きっと,掃除の持つ御力をよく知っていたからではないかと思います。アップルコンピューターの創業者であるジョブズさんもマイクロソフトのビルゲイツさんも掃除の持つ御力をとても理解されていました。これは本当にその通りであります。

禅をこよなく愛した松下幸之助さん,ジョブズさん,ビルゲイツさんならではの考え方でもあり,非常に実践的なことであるとも思います。掃除は禅の基本で根本と言っても良いかも知れません。福井県の永平寺に行くと深夜1時から若いき雲水が懐中電灯を額に着け一生懸命にただひたすら掃除をしている場所があるのです。その中でも特に,水と水回りの掃除はとても大事であります。つまり,水が流れ出る場所です。私たちが暮らす個人の家においても同様であります。浴室や洗面所などが汚れるとその家に住む人の健康や運気に悪いと古神道では言い伝えられています。水は穢れを流し,掃除には祓いの御力が込められているのであります。

今日は,なんだか常日頃から私が考えていたことを先人も同様に考えていたんだと云うことで,松下幸之助さんを記事にさせて頂きました。そして,先人から背中を押して頂いている気がして嬉しくもなりました。やはり,いつどんな時代であろうと和が基本であり,その和の仕組みは,わたしたちが暮らす和の国から始まるのであります。明るく温かいと言うのが人の基本です。暗く冷たいと言うのはやはり可笑しい。人を人と思わず,人を物として来た1つの時代,世の中がもうすぐ終わります。和の仕組みの復活です。

松下幸之助さんに感謝。拝


古神道 心神とともに。2

2019年11月11日 01時24分03秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

わたしたちの心には,高天原と言う神界「心界」が広がっています。その心界に広がる高天原には,鎮守の森があります。この鎮守の森には湖畔もあれば,清らかな水が流れる清流も存在しています。夜になれば満天の星も出現します。言ってみれば人の汗や涙はその清流から流れ出た御神水でもあります。鎮守の森に立つ木々が心柱(こころのみはしら)と云うものです。たとえば,感謝の木や謙虚の木や奉仕の木など「十柱:御神木」が茂っています。さらに,その鎮守の森の奥深くには神さまが坐します御宮(御正殿)があるのです。こちらが今日の表題でもある心御柱神社(しんのみはしらじんじゃ)と申します。この世とあの世を繋ぐ神社です。

そして,その心御柱神社に御祀りされている神さまは心神(しんしん)と言う根源神から派生した神さまです。産土の神(うぶすなかみ)と云う言葉を聞かれたこともあると思います。わたしたちがこの世に誕生し,人生を終える最後まで共に歩む尊い神さまで御座います。御座いますと言っても,上記の話は,わたし個人が感じるままに書いていますので,感じ方も考え方も人それぞれあると思います。したがいまして,上の言葉は,私の心柱神社から届いた御言葉と言うわけです。それと,心神(しんしん)と云う言葉は,伊勢神宮「伊勢神道」に伝わる言葉で自己の中に坐します神さまの分御魂を表現する場合に心神と申し上げています。

巷では,いろいろな言葉で表現されているようですが自分なりで良いと思います。

そう云った呼び名よりも大切なのは,自分の心の中に存在する心柱神社に参拝すると云うことであり,それには,自分自身の内面を見つめること,自分の心の中に坐します根源神の分魂を宿しているのだと云うことに気が付くことにあるのであります。外在的な拠り所よりも内在的拠り所こそ人は意識を向けるべきなのであります。過去幾多の宗教家も偉人も先人も最後の最後には,やはり自分自身の心の中に何かを見出して生きて行ったのです。これは,古神道の根本的な考え方です。人の心の中には,誰であっても神さまの分魂が内在しているという意味です。どんな悪人でも心の中には尊い神さまが坐しています。生れながらにして宿しております。

親鸞さんは,悪人正機と云う言葉を残されました。

仕事や家事で忙しく働いている方であっても,自分の心の中の神社であれば,いつでも,どこにいても参拝できると思います。神社で祭祀を司る宮司も,神社をいつまでも守護する護司も自分自身です。他人ではなく,自分自身です。これは他人である第三者には決して出来る事ではありません。自分だけの唯一存在する高天原と心御柱神社を放置し続けると高天原は荒廃し,湖畔や清流の水は濁り,心柱神社は朽ち果ててしまいます。古神道の感覚では,自分自身の心の現れが自分の私生活に現象として現れて来ると云う言い伝えが御座います。一番如実に表れているのが家や部屋の掃除具合だとも言われています。掃除については,またの機会に。

生きることに疲れてしまうのは,それだけ働いている証拠です。

生きることが嫌になってしまうのは,それだけ真直ぐな証拠です。

遠慮なさらず・・・・。参りましょう。


古神道 心神とともに。

2019年11月10日 04時19分27秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

わたし達には,数え切れない程の祖先がおります。家系図を作成されている人でも過去の親戚一同を把握することは出来ないと思います。特に,女性は嫁いでしまいますから嫁ぎ先まで家系図に入れることはありません。こうなると一体,わたし達の祖先はどれくらい存在していたのでしょうか?その先端で生きているのが,私たち子孫であります。そうなると,自分の先祖に歴史上の有名人物の誰々がいるなんて話をしてもあまり意味がないようです。なぜならば,どの家系にもいるからです。こう言ったことを書かせて頂いている私にも歴史上の有名人物が祖先の中におりましたし,このブログをこうして読んで下さっている御方の中にも歴史上の有名人物が祖先の中に存在しております。このように考えますと,私たち子孫は共に共通した祖先を持つ者同士であります。

そして,お互いの家系を遡り共通した祖先に辿り着き,さらに遡りますと最終的には神さまに行き着く訳であります。したがいまして,私たちは明らかに神さまの子孫同士でありますから,やはり争いごとはするべきではありません。古神道では「同根思想」とも言います。この同根思想は人と人の関係性だけではなく,宗教間でも当てはめられて来ました。つまり,如何なる宗教も同じ根から生じたものであると云う解釈・結論です。元々は一つの宗教・信仰からさまざまな宗教・信仰形態が産まれたのであります。

したがいまして,元々は同じ根から生じた宗教同士が戦争や紛争をすること事態,実に愚かなことでもあるのです。きっと,宗教観の違いから生じる戦争や紛争が勃発するたびに,神さまは悲しんで居られます。人間界でも兄弟姉妹を子供に持つ親であれば,自分の子供たちがいつも争い合い,憎しみ合っている様子をあの世で見ているのですから,こんな辛く悲しいことはありません。兄弟姉妹がいる方であれば経験があると思いますが,子供の時,おもちゃの取り合い,見たいテレビのチャンネル争いをしていると親が怒ってすべてを取り上げられたなんて経験はないでしょうか。今はその本当に一歩手前まで来てしまっているように感じます。

親の願いは,いつの時代であっても同じであろうと思っています。健康に恵まれなくても経済的に困窮してても生きていてくれればそれだけで良いとあの世で私たちを見守ってくれているのです。しかし,生きている私たちは,そんなことを考えもしません。それどころか,あの世なんてないと言い切ってしまう人もいるくらいです。あの世があるなら証明して見せろと云うことなのでしょう。

それならば,あなたが生きていることを証明して見せて下さいと言ってもこれまた証明ができません。残念ながら,結局,人は自分自身を見ることが出来ないのです。鏡に映っている自分は本当の自分ではありません。鏡に反転している自分でありますから,人は誰であっても自分を見ることが出来ないのです。そんなとき,頼りになるのが第三者である他人であります。神道の考え方に,人は自分の鏡であると云う思想的なものが存在します。つまり,人の気になるところは自分に存在するからと云うものです。

たとえば,嫌なところが友人や知人にあるとそれは自分が持っているものだということです。人の振り見て我が振り直せと云うことわざもあるぐらいです。古事記の中の日本神話「天孫降臨」によると太陽神「天照太御神:アマテラスオホミカミ」の命を享け,地上の国「豊葦原中国:トヨアシハラノナカツクニ」を支配するため孫の「瓊瓊杵尊:ニニギノミコト」に授けた三つのものがあります。わたし達が良く知る三種の神器「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」「草薙剣」であります。この三種の神器うち,現在の神社でも御神体として祀られているのが鏡であります。この意味は,とても意義のあることでさまざまな研究と解釈がされて来ています。

今日の記事を覚えていれば,明日以降に書かせて頂きます。

私たちの魂の親でもある神さまから,すべてを取り上げられないようにしなければなりません。

すべてを無くし失う時は,一瞬です。拝


観音信仰の根本道場からの祈り 長谷寺

2019年11月09日 06時57分41秒 | 祭祀と和の国

奈良に行くと必ず寄る寺院が何ヶ寺かあります。そのひとつが,真言宗豊山派 総本山長谷寺と云う寺院です。

御存知の方も多いと思いますが,こちらの長谷寺さんは,奈良県桜井市の初瀬山の中腹に十一面観世音菩薩を御本尊としてお祀りしております。なんとその高さは10メートルを超える巨大な観音様で,観音信仰の根本道場でも名高い寺院です。先日の記事に登場した室生寺と同様,太古の昔には太陽信仰の祈りの場でもある聖地です。

この長谷寺さんの見どころは,高さ10メートルを超える御本尊の十一面観世音菩薩もそうですが,他にもたくさんあります。五重塔や本長谷寺,さらに,あまり人目のつかない場所に御鎮座されております白山神社もひとつではないかと思います。私個人的には,本長谷寺さんと何となく縁を感じます。とても小さな御堂のような建物ですが,ここが長谷寺さんの本です。由緒書きには「長谷寺草創の御堂であることから本長谷寺と称す」とあります。

私は,この長谷寺さんへ参拝させて頂くと稀に,御先祖様の御供養を祭祀されている方をお見受けします。

その日の長谷寺さんの時間帯や日程などで違うとは思うのですが,数名の僧侶の方が鈴を鳴らし,太鼓を叩き,読経をされます。私は二度ほど見学させて頂きましたが,観音経を読経すると必ず本堂の中で強風が吹きます。下の門前から駆け上る風は,とても神秘的なものです。祭主の想いを御先祖様が感じ取り,そして,その優しさを観音様が歓迎されているかのようです。

なんだか今日は,長谷寺の広報担当者のようになってしまいましたが,とても素晴らしい寺院です。

是非一度,近隣へお越しの際には,参詣して十一面観世音菩薩へ感謝の祈りを捧げて見て下さい。欲得祈願は通用しない仏様です。上の動画で見ると,399段の登廊がきつそうですが,ここの登廊は上がり易く御年配の方々も多く参拝されております。長い登廊を上がり,やっと到着した本堂で十一面観世音菩薩との対面をする姿を毎回,興味深く観ておりますが,ほとんど例外なく参拝者は「うゎ!」と思わず声を出して,しばらく口が開いたままの状態になられます。

私はいつもその光景を見て童子に戻られている姿とは,きっとこのような姿なのだと思っております。

何も持たず,無防備にじっと観音様と1対1で見つめ合って,向き合って無言の中で感じる空間がそこにあります。神様から観たらすべての人が,例外なく,みな平等であるということは,この長谷寺さんでも十分感じ取れると思います。

みなみな神の子。可愛い子。心配せんで勇んで参れよ。賢い。賢い。良い子じゃ。良い子。

観音信仰 根本道場 総本山長谷寺 http://www.hasedera.or.jp/

※動画内の写真は,総本山長谷寺さんにて撮影させて頂きました。本堂に続く399段の石階段(登廊)です。

 


刀折れ矢も尽きた・・・。本当の闘いはそこから。

2019年10月29日 04時04分04秒 | 祭祀と和の国

上流では,水の透明度が戻ってきました。

凄い勢いで下流の浄化に向かっている様子をじっと眺めていると本当に水の力は凄いなと感じてしまいます。

台風19号とその後の豪雨の影響で,下流地域の山道は一部通行止めになっていたり,川の水は濁水となっています。

清らかさを取り戻した大量の水霊が,下流の水を海に押し流すため浄化を始めています。

水の恵みに感謝。

 

こんにちは。

今日の記事表題。きっと,そんなことを考えながら感じながら日々,生活されている人も多いのではないでしょうか。自分の周りを見渡せば自分よりもすべての人々が幸せそうに思ってしまうことをあると思います。確かに,一見すれば恵まれた環境の中で暮らしている人は結構多いようにも感じます。しかし,その一見すればと云う一側面だけで自分の周りの人の人生までを幸せだと判断してしまうことにも一度,自分の眼を向けることにも意義があるように感じます。つまり,自分自身の内面・内観をよく見つめると云うことであります。こんな偉そうに書いている私自身もつい自分の周囲の人との違いに羨ましさを感じることは確かにあります。

しかも,厳しい世の中ですから尚更です。

わたしの仕事柄,今の物質社会において地位が高いと言われている人がとても多いのです。たとえば名家であったり,資産家であったり,職業上であったりとだから特にそう感じてしまうのかも知れません。貧乏人の私が何でお金持ちの面倒を見なきゃいけないんだとふてくされて居たこともたくさんありました(笑)。あんなボンボン真面目に働け!なんて考えたことも正直のところありました。その額たるや凄まじい資産でしたからその様にやっかんでいたのだと思います。修行が足りずお恥ずかしい限りで御座います。

お金が無くてご飯が食べられない時の苦しさと虚しさ,悲しさは真に耐え難いことであります。このように餓死して行くんだと感じていたこともありました。地獄と云うものは,あの世にではなくて,この世にあるのだと確信したのです。今思うと,当時の様子が懐かしく思います。きっと,私の膨大な祖先の中にもご飯が食べたくても貧困や食糧難・病気などでご飯が満足に食べることが出来ずに亡くなった御霊もたくさん居た筈だと云うことが判りました。出来れば,体験をしないで判るようになりたいですね(笑)。

家系の祭祀継承者には,このような事があるようです。

餓死などで亡くなった御霊は,あの世でもお腹を空かしているのではないかと思うと何だか悔しさが自分の身体の中から湧き上がってくる感覚がありました。それならば,自分が祖霊の御霊を自分で供養することで,あの世の先祖にご飯を届けることができるのだと想い,子孫の私がやらねばと決意しました。しかし当時は,まだ若かったですから,お金がないのです。供養台が欲しくても高くて若い私には手が出ません。みかん箱にベニヤ板を買ってきて,その上で画用紙に自分の家系の名前を書いたものを位牌代わりにしていました。傍から見れば貧しい祭祀用具一式でしたが,不思議と供養することが楽しくて仕方がなかったのを憶えております。

本当に笑っちゃうようなことを平気でしていたのです。

でも,私自身は真剣そものもでした。いつか必ず豪華な位牌で供養するんだ!と意気込んでいましたから。それから位牌貯金の計画を立案して1年くらいで目標の金額が貯まったので仏具店さんに発注して豪華な位牌で祖霊祭祀が出来るようになったのです。仏具店さんに発注する時もいろいろと位牌の種類などを調べていたりしておりました。あとになって考えて見ると,祖霊祭祀と云うのは自分で供養すると決意した瞬間から祭祀が始まっているのだと想います。現在でもその位牌で祖霊の御霊を毎日供養しています。

私の場合は,そう云った一つひとつの実体験と積み重ねが祖霊祭祀の動機付けになって行ったんだろうと改めて振り返って観るとそのように感じています。なにか霊的に云々とか霊能者に何かを言われたとかそう云うことではなくて,自分から私が祖霊の御霊を供養する!と思い立ったのが始まりです。そして,気が付いたらいつの間にか自分で御経を作成して見たりしていました。動機付けは問題ではなく,実際に自分が供養するかどうかだと感じています。供養するから何か良いことがあるとか,願いが叶うとかではありません。祖霊の御霊を供養していたって厳しい社会の中で生きて行かなければなりませんし,現実は誰でも同じでありますから。

刀折れ矢も尽きた時だからこそ,本当の闘いが始まるのであります。

本当の自分は,心の中に坐します。

仮の姿を見て思い悩んではなりません。悪い状況は必ず好転します。

身を以て体験した,花咲あさひでした。拝


祖先を祀ることの大切さ。

2019年10月26日 05時30分50秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

今日は,私の好きな神道家でもあった春日大社の前宮司「葉室頼昭」先生が生前に書かれた「御力」と云う本の中から一部抜粋し,ご紹介させて頂きたいと思います。これまでもブログで葉室先生の著書や内容の一部についてはご紹介をさせて頂いて来ましたが,神道の奥義は日常生活の中にこそ存在し,且つ与えられた環境の中で努力することで誰でも神様との縁を結ぶことが出来ると私は感じております。さらに,互いに足りないところを補い,支え合い,助け合うことが神様の御心そのものだと想っています。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。

以下,葉室頼昭先生の著書「御力」より一部抜粋です。

第5章 神を敬い祖先を尊ぶ。祖先を祀ることの大切さ。

今,我々が言うところの祖先というのは,何代か前に初めて今の商売を始めた人だとか,

今住んでいるこの地方に住みついた人とか,何かを始めた人を指しています。

もとろんそれより先に続いている祖先がいるはずなのですが,

祖先というと何か現代につながる生活というか,生き方をしてきた人を祖先と感じているのではないでしょうか。

例えば日本人の祖先と言ったら,日本人の共生という,自然と一つになるという生き方を始めた人たち。そして,いわゆる我々が喋っている日本語という言葉を通して,お互い心が通じ合うようになった人たち。だから祖先というのは物質的なものではなくて,我々と共通の生活習慣というか,そういうことを始めた人を日本人の祖先というのではないかと思います。

遺伝子学的に言うと,そういう祖先の記憶が我々の遺伝子にも入っているのですから,

それをフルに活用していくということが「いのち」を伝えるということであって,

これが民族が栄えていく本当の道ではないかと思います。世界には,いろいろな民族が暮らしていますが,日本人のように祖先の祀りを常に行う民族というのは,数少ないのではないかと思います。

それにはさまざまな理由があると思いますが,一つには,やはりこの日本列島というところに長年住んでいるうちに生まれた自然と共生するという生き方があります。この共生というのは一緒に生きようというのではなくて,一つになろうという,そういう世界でも稀なる生き方です。

これが原点になって,そこから神様や祖先に生かされていることに感謝するという生活が育まれてきたと思うのです。

外国の宗教,例えばキリスト教であれば,天に神様がいらっしゃって,その神様が天地のすべてのものを造られたという考えで,神様は人間とはまったく別の世界におられ,その神様に人間はいろいろなことを願うというのが一般的な宗教の形だと人々は思っています。

しかし日本人はそういう考え方ではなく,この章の初めにも申したように「古事記」の一番最初「神代編」に,神様が生って生まれると記されているように,神様もある実在の世界から生まれていらっしゃる。最初に,天御中主神様の御心というか,知恵というものがまず現れてきて,そこにムスビの神様が現れ,その知恵が結ばれて次から次へといろいろな神様が現れ,そしてイザナギ・イザナミの命ご夫妻の神様が誕生され,そしてたくさんの神様をお産みになった。

この考えは,神様の御心からすべてのものが生まれ,そして神様と人間は全部つながっているということです。

こういうところから神様とも祖先ともつながっているという考えが生まれてきたと思うのです。

すべてがつながっているのですから,あの世で祖先が幸せになってくれなければ,我々もまた幸せにはならない。当たり前のことですが,そういう考えで昔から日本人というのは祖先の祀りを行って来たのです。

神社で行われているお祭りについても,祖先のお祭りに関わるものが数多く行われています。

神社にはいろいろな神様がお祀りされています。過去に実在していた方もおられるし,また高天原におられた天の神様もいらっしゃる。こういう神々もすべてつながっている。要するに神様と人間は別個のものではないという考えで,そして常に神様をお悦ばせすることを行い,神様と一つになろうということでずっとやっているのが神社の祭りなのです。

これを医学的に見るならば,祖先からの遺伝子というものが我々の体の中に入っている。

お父さん,お母さんと同じ遺伝子がこの体の中に伝わってきているわけです。

考えたらこれは非常に不思議なことで,この遺伝子というものの中には,何もしなくても働く遺伝子もありますが,中にはこちらから働きかけなければ活動しない遺伝子もあります。

ですから,こちらから祖先に感謝するとか,そういうことをしないと働かない遺伝子もあるわけです。

つまり,常に祖先の祀りをする。

そうすれば医学的に祖先から受け継いだ遺伝子が目覚め,その働きによって我々も健康で幸せな生活を送ることができる。

こういう遺伝子という観点から見れば,祖先のお蔭で生かされているということは事実であり,

その恩に感謝するということは当たり前のことです。

以 上


伊勢神宮と出雲大社 天津神と国津神

2019年10月23日 04時32分44秒 | 祭祀と和の国

 

おほみたからにいたるまで かしこみ かしこみ もうす。この「おほみたから」とは,私たち国民のことをさします。天皇陛下が日々,神様への祈りとして捧げる御言葉です。すべての国民一人ひとりが日々の生活が平穏で,そして豊かに安寧に暮らせますようにと云う祈りの言霊です。なぜ,天皇陛下は,これほどまでに国民の幸せを祈り,願うのでしょうか?

昨日の記事「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」で,伊勢神宮について書かせて頂きました。やはり,天皇陛下の祈りのもとは日本神話の国譲りの中にあるようです。昨日の記事でも若干,その国譲り「日本神話」を引き合いにしましたので,今日は,この日本神話にある国譲りテーマに書きたいと思います。

1.私たちの国の神話に「国譲り」があります。

いま私たちが暮らすこの国は豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほのくに)と云い,元々,この日本には先に暮らしていた所謂,先住民族がおりました。この先住民族は国津神の子孫で,仲よく平和な暮らしを営んでおりました。そして何よりも祈りを大切にする民族でした。その祈りの根底には,この世のありとあらゆるものには神様が宿ると云う思想を持ち合わせ,同時に,自然そのものを神様だと判っていました。そこに,天から天津神が降りて来て,国津神の神様へこの国と国民を天津神に譲るように説得をしました。その後,国津神は天津神に幾つかの条件を提示して豊葦原瑞穂國と国民を天津神へ譲ることに決めました。

私個人的には,この国津神の子孫とは縄文人を指しているのではないかと考えています。つまり,我々の遠い遠い祖先です。世界で最も永く,平和で,豊かな文明を築いていたのが縄文文明です。世界で一番古い文明でもあります。私たちは子供のころに学校でお米は弥生時代にもたらされたものだと教えてもらいましたが,実は,縄文時代には既に,お米はありました。御酒もありました。縄文土器から検出されています。

2.国津神の条件提示。国を譲った国津神と祈りを約した天津神

国津神の提示した幾つかの条件の中に①国津神をお祀りする立派な神殿を建築すること②天津神の子孫が未来永劫,丁寧に丁重に国津神をお祀りすること。ここまでが,一般的に国譲り神話に登場する内容です。しかし,あともう一つ昨日の記事にも書いたように3つ目があったのではないかと私は考えております。それは,次の3項.国津神の子孫の想い引き継ぐです。

3.国津神の子孫の想いを引き継ぐ。

①国津神の国民(子孫)が最も大事にしている精神「御蔵」を尊重し,お祀りすること。これが今の伊勢神宮に建つ御社殿です。ちなみに①は出雲大社です。②は天皇家を中心に,伊勢神宮の祭主(現在は,黒田清子様)や出雲大社の社家(出雲国造家)です。

4.いまなお続く聖なる祈り。

昨日の記事の通り,伊勢神宮の御社殿を現在の茅葺屋根に掘立て柱に造り替えたのは,天武天皇,持統天皇です。その天武天皇,持統天皇が縄文人の最も大切にしていた五穀豊穣の精神を又,収穫できた穀物を納める御蔵(高床式倉庫)を中心に置くことによって永遠に守り続けると云う決意を建築物を通して後世に示し,残しているのではないかと思います。その構想を誰が考えたのかは分かりません。しかしながら,我々,現代の子孫も伊勢神宮の御正宮で知らず知らずに,そして無意識に永遠なる祈りを捧げていることになるのです。その精神は歴代の天皇陛下にも承継され,近代では,昭和天皇の終戦の詔勅の一文にも見て取れます。そして,平成の世でも今上陛下の精神もまた同じであると私はそのように考えます。被災者とともに。被災者に寄り添いたい。一日でも早く被災地へ出向き被災者と言葉を交わしたいと思っておられると考えます。

5.むすび。

国津神の子孫である縄文人の最も特徴的な考え方は「平和」です。これに尽きるかもしれません。つまり,争いをしないと云う考え方であるのです。前にも「祖霊祭祀の日本人 祈りの民族」の記事でご紹介させて頂きましたが,とにかく争いを嫌います。それは縄文人の死生観に基づくものですが,その証拠に,全国の縄文遺跡から見つかっていないものが1つだけあります。

それは,武器です。つまり,人を殺傷するために使われる武器は発見されていません。ところが弥生時代を境に戦闘が始まります。戦い方を知らない民族(縄文人)は北へ北へと逃げるように移動したのです。それが現在の東北地方です。そう,鬼門です。

それ以降,現在に至るまで,日本人の宗教観は鬼門を最も畏れ,神聖なる方位として厚くお祀りしているのです。

その後,数千年の歴史を経て現代があるのであります。

記事本文掲載 終わり。

近年,地球温暖化などの影響からか「エコ」環境保護が世界的に注目されています。ここにも縄文人の考えと云うか知恵が伝えれて来ています。縄文人は,必要なものを,必要なとき,必要な分だけ頂くという考え方で暮らして下りました。つまり,根こそぎ採取するということはしないのです。エコの生活は,縄文人からの重要なメッセージかもしれません。

現在の学校教育では,日本神話を授業で教えることはありませんので,興味を持った生徒は自学自習で勉強しなくてはなりません。これは,この国にとっても不幸なことであります。世界的に観ても自分の国の神話を知らない国民はほとんどいません。日本人が外国人に馬鹿にされるひとつの話題として,よく言われるのが日本人は日本の文化や伝統を知らない。それで,他国の文化や伝統,歴史を勉強しようとしている。そんなんで恥ずかしくないのか?と言われています。これは,学ぶ側の責任よりも,伝える側の責任だと思います。伝える側が,もっと謙虚に,歴史に学び,子孫へ命の尊さを伝えることが大切なことではないでしょうか。

尚,本文中にある「国譲り」の一部を除き,他は,私個人の解釈であって,何ら文献等の学術的根拠を有するものではありません。したがいまして,個人の解釈によるものだとご覧頂ければ,真に幸いで御座います。拝

記事作成にあたって参考にさせて頂いた資料は,以下の通りです。

1.出雲大社と大国主大神「出雲大社公式ホームページ

http://www.izumooyashiro.or.jp/kamigami/izumo/index.html

2.出雲観光ガイド 国譲り「出雲観光協会公式ホームページ内」

https://www.izumo-kankou.gr.jp/1033

 

いさ(伊雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

花咲あさひ 拝


伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り

2019年10月22日 04時48分16秒 | 祭祀と和の国

災害時要援護者の概要を是非,御自身が住む自治体で確認して頂きたいと思います。

※地方自治体によっては,要援護者の資格要件が若干,違う場合もありますが,概ね同じようなものだと思います。

備えは,出来る時に,出来る事を,丁寧に。

 

 

令和元年十月二十二日 

いさ(伊雑)のはじまり(宮)ありがとう(感謝)

今日は,伊勢神宮について記事にしたいと思います。私も年に5.6度は参拝させて頂いております。

我が国,日本は太古の昔から神様へ五穀豊穣を祈る(感謝)国であります。その祈りは,今日の現代でも今上天皇を中心に伊勢神宮を頂点として全国の神社で御祭(祭事)されております。私は,経済の原点つまり,経済の本質とはこの五穀豊穣にあるのだと考えています。歴代の総理大臣も1年の仕事始めは,伊勢神宮からです。機会があれば神道と五穀豊穣として記事にしたいと思います。                                                                 

さて,伊勢神宮の外宮・内宮の両御正宮ともに御社殿は唯一神明造でお馴染みの茅葺屋根に堀立柱で構成されたシンプルでベストな建築様式です。世界的に観ても建築物として,とても評価の高い建築物と云われています。しかし私は,この質素にして美しい御社殿が疑問でありました。皆さんも伊勢神宮の御社殿は何かに似ていると思いませんか?

そもそもなぜ,このシンプルな建築様式が用いられたのでしょうか?そして,20年ごとに式年遷宮を斎行するのでしょうか?                                                                        式年遷宮を定められたのは今から1300年前の飛鳥時代に天武天皇が御制定され,第1回式年遷宮は後の持統天皇が最初に斎行されました。御存知の通り,我が国,最大の御祀事(神事)であります。

1300年前の日本には,既に法隆寺などに見られる建築様式が確立されていたのに何故,あの唯一神明造であるのか?

その理由は,私の個人的な考えですが,あの茅葺屋根に掘立柱の唯一神明造でなければならなかったのです。

そこには,壮大で永遠なる祈りの意味が込められているのです。   

参拝するとだれでも感じて頂けると思いますが,あの親しみやすさ,馴染みやすさを感じられるその訳は,我々,日本人ひとり一人に受け継がれている遺伝子(DNA)に記憶として記録され組み込まれているからではないかと考えています。なぜか,懐かしく,親しみやすく,馴染みやすい。それは,我々の遠い縄文時代の祖先の想いにまで行き着きます。

伊勢神宮の御社殿の原形は,縄文時代の高床式倉庫がもとです。つまり,この高床式倉庫を改良したのが伊勢神宮の御社殿です。                                                                    国譲りで国津神が天津神に豊葦原瑞穂国を譲りました。そして,天津神の子孫が,國津神の子孫が最も大事に,大切にしていた高床式倉庫を最も格式の高い唯一神明造に変え,永遠に祈り続けることを約束したのです。その壮大な物語が,伊勢神宮にはあります。そして,現代でもその永遠なる祈りが毎日,お祀りされております。正に聖地中の聖地だと思います。

きっと,天武天皇・持統天皇は,敗者を祀ることの大切さ,重要さを知っていて意図的に唯一神明造にされたのではないでしょうか。それと同時に,霊的な影響も知っていたと思います。これは,もの凄いことです。国を譲った国津神の子孫である縄文人が大切にしていた高床式倉庫に装飾品を設けて造り替え,神様の御宮として大事に,大切に,お祀りをする。それだけではなく,20年ごとに御社殿を丸ごと新しくし,常に若々しく保つ。現に伊勢神宮では常若と云う精神が伝わっています・

国譲りの決断をされた国津神の神様に。決して,忘れていません。国譲りの時にお互いで取り決めた約束ごとは天津神の子孫がちゃんと丁寧に,丁重に御守り続けております。と語りかけているように感じます。1300年も続く式年遷宮は,単なる御宮を新しくするだけではないのです。敗者や負けた相手を永遠に労り,その功績を讃え,称賛する。そのことで,争うことがなく国民一体となることを何よりも望んだのだと思います。そのことは,過去様々な文献でも照見されます。聖徳太子の和を以て,貴しと為す。などもそうです。もちろん,神道の大祓詞にもあります。

私は,ここに日本人特有の精神が見て取れると感じています。敗者を先ず祀ると云う思想です。これは,その後の武士道精神の根本としても残り,現代の日本人の精神でもあると思っています。負けた者を哀れみ,負けた者に対する情けや称賛,その功績を称える。そして,それができる民族が日本人だと思うのです。

伊勢神宮へ参拝を計画されている方は,そのような考えもあるのだなと思って御社殿に参拝してみて下さい。武力によって,相手を滅ぼしたり,制圧したり支配したりする考えは日本古来の考え方ではありません。拝


神社とお寺で出来る公益活動 人の護持編

2019年10月17日 04時34分41秒 | 祭祀と和の国

 

こんにちは。神社とお寺の総代を動かせ!と自分の身体の中から声なき声が聞こえた日がありました。

突然,大きなわけの解からないフロー図を貼らせて頂きましたが,これ,約8年程前に埼玉県にある寺院で実際に「お寺で出来る公益活動PJ」の第1弾として起案「計画立案」したものなのです。いらっしゃらないとは思いますが,万が一,神社や寺院の関係者の方がこのブログをご覧になっているようであれば,是非とも氏子崇敬会や檀家総代会などで議案の提出を考えて見て下さい。

実際の波及性効果は抜群です。

フロー図の設置後の二次効果で茨城県の寺院では高齢者のリフォーム詐欺を事前に防止出来ました。

これ以外にも神社の氏子崇敬者さんや寺院の檀家さんの特性に応じて様々な起案が総代会や世話人会で出来ると思います。神社やお寺の中に「和の仕組み」を作って戴きたいと願っております。起案作業であれば,各方面の専門家を交えなくても自由に氏子さんや崇敬者さん,檀家さんたちとカンファレンス「会議・検討・協議」ができると思います。一般の参拝者にも自由意見として拝聴するのも良いかも知れません。いろいろな考えや意見が出て来ると云うことはとても良いことではないかと私は感じています。

そもそも今日はなぜ,このような大きな貼り紙をさせて戴いたかと云うと,前日,天川村と天河大弁財天社の連載記事で神社の護持について書かせて戴きました。その際に,現在の総代会を改革し天川村在中の氏子さんや全国に居る崇敬者さんの無料法律相談会等を提案させて頂いたと思います。つまり,総代会が主体となり,公益目的の一環として活動することを趣旨とした計画です。

そう云ったことから,実際に総代会で議案提出となった資料を載せております。上に貼ってあるフロー図では「買い物弱者支援及び御用聞き部門」と表記していますが,どんな事柄でも応用が利きます。たとえば,犯罪防止でも良いですし,災害弱者支援と云う計画案も素晴らしいと思います。助けに来てくれるかどうか解からない状態での被災は精神的にとても辛いものがあります。

それにしても,なぜ御用聞きなのか?と思われるかも知れませんが,この御用聞きを計画案に盛り込んだのにはそれなりの理由が御座いました。その理由とは,埼玉県が県民に対し買い物困難者に関する意識調査なる名目で自由意見を求めたときがあったのです。その際に,埼玉県民の方たちの意見の中でもっとも多かったのが御用聞きであったのです。どこの都道府県でも意識調査はされていますので情報の収集と情報の分析にはとても役に立つことが出来ました。社会福祉関連であれば厚生労働省でも教えてくれます。

社会の様々な問題を地域の特性に応じ,又,地域の弱みと強みを上手く活かせることが出来れば一つのモデルケースになると考えます。過疎地域にある神社やお寺の場合の地域として特性。逆に都会にある神社やお寺の地域の特性などはぜんぜん違います。経済状況も人口の構成も違います。過疎地域では人が少ないですが,逆に都会では食料生産能力がなかったりと地域によってバラバラなのが日本の1つの特性のようです。そう云った違った様々な環境の地域の中に神社やお寺はあるのですから,地域と共に共存共栄する神社と寺院であります。それを後方から支援するもの全国に存在する崇敬者さんたちの声や力でもあると私は考えています。

今日は,前回の天川村と天河神社の記事の補足として書かせて戴きました。

たとえば,上のフロー図で言えば「買い物弱者支援及び御用聞き部門」を運営する母体が総代会となります。

今日も明日も明後日も。日本弥栄!拝


古神道入門 神ながらの伝統 4

2019年09月22日 06時59分33秒 | 祭祀と和の国

昨日の記事の続きです。

こんにちは。

今日は,神主さんでもあり,古神道家でもあった小林美元先生が生前に書かれた著書「古神道入門 神ながらの伝統」の4を同書から一部を抜粋して前回同様,書かせて戴きたいと思います。上の写真は,ご存知の方も多いと思います。二見興玉(ふたみおきたま)神社の夫婦岩で御座います。いつも二見興玉神社に参拝させて頂くときには,こちらで海の神さまへ祈りを奉げています。

昔の人々は,伊勢詣と云えば,この二見が浦の海で禊を済ませてから伊勢の神宮へ詣でると云うことが習わしでしたが,時代の移り変わりで参拝の習わしも徐々に変わって来ています。古神道の世界観や古神道家の間では,この夫婦岩は「イザナギの神:男神」と「イザナミの神:女神」としています。そのイザナギの神とイザナミの神の間から太陽神「天照太御神」が誕生すると言われているのです。5月から7月の間にちょうど夫婦岩「夫婦神」の間から日の出の太陽「天照太御神」が昇るようすを観ることが出来ます。

それでは,以下,古神道入門 神ながらの伝統より。小林美元 著

第5章 弥栄(いやさか)の思想と信仰

なぜ,政治を「マツリゴト」というのか。

何度も申しますように,日本語というのは非常に古くから天体の動きを四十八の文字に写していました。あおうえい・かこくけきという一音,一音の声音が,宇宙を象徴的にあらわす符号として整序しておりました。

現代人が想像する以上に,宇宙の原理には精通していたのです。

ですから,

伊勢神宮の恒例のお祭り,二十年に一度行われる御遷宮のようなお祭りにしても,天体の動きに合わせて行われる。祭りを行う月と日と時を非常に大事にして,神代ながらに古代からのしきたりを厳重に伝承して行われてきております。

例えば,御遷宮の祭りは,北斗七星の運行と関係があります。

夕方七時頃,北極星の右上にあった北斗七星が時刻がたつとともに北極星の真上になり,それからだんだん時計の針と逆方向の左へと回っていきます。そして北極星の位置が,ちょうど北斗七星の柄の先の勺のところにくる時間に,神さまに勺で食事を捧げるということで,祭りが進められる。

この一例を見ても,天体の動きと祭りというものが,いかに密接にかかわっているかということが伺われるわけです。そういうことですから,村人の生活がまた社会的な発展に伴って段々と大きくなって,国として発展していく段階になっても同様に,その組織体を統御するために祭り事を行う。

そして国の祭り事が,そのまま村々を統治することになり,いわゆる政治にもつながっていく。

宇宙のカムとの深い関係,交流の中で,村人を一つに束ね結わうことが,祭り事でした。カムの意思に基づいて正しい統治を行なうという,政治の思想の姿があったわけです。だから政治を司る者は,少なくとも宇宙の運行とか自然生命に対する畏敬の念をもった人でないと尊敬もされず,その長たる資格がなかった。

明治の頃までは政治のことを政り事(まつりごと)とも称していましたが,しかし実際歴史的にみると,聖徳太子のように本来の意味での「祭り事」を意識した政治家は少ない。まして今日,政治というと,何やらどろどろとした権力闘争や駆け引きなどをイメージします。政治とは,「マツリゴト」であるということを忘却の彼方に押しやったかのようです。

以上

現代の政治家のみなさんにも読んで頂きたい内容であります。今では,魑魅魍魎の世界となり,ほとんど貴族化している政治家の人たちの頭の中に政治とは「祭り事」であると考えている人がいるのでしょうか?言葉では選挙が近くなったりすると綺麗な言葉を並べますが,日々の政治活動との差は激しいものであるようです。おくそくですが,国体と政体との区別すら理解していない政治家がいても不思議ではなくなってしまっています。これは国家存亡にかかわる重大な事柄でもあるのです。国体とは「祭祀」です。政体とは「統治」です。即ち,祭祀の中心の座に座ることが出来るのは天皇陛下だけであります。そして,統治を司る頂点に存在するのが内閣総理大臣であります。自分は政治家であると言うのであれば,最低これくらいは深く理解して戴きたいと願うばかりです。

 ※ 天皇陛下を祭祀の頂点と表現する人もおりますが,これは違います。頂点ではなく中心です。

   天皇陛下を祭祀の頂点とした明治・大正・昭和の歴史を想い出してください。

    結果,天皇に剣を持たせ軍服を着せたのです。これは,大きな罪です。天皇が持てる剣は,草薙の剣だけです。

ところで,記事本文中に伊勢神宮の祀り事について記載されているように,式年遷宮や恒例祭事の際には,天体の動きに合わせながら執り行うと云うことが書かれております。つまり,北極星や北斗七星をお祀りしているのが伊勢神宮でもあるのです。ここでもう1つ古神道家の間で語られている大切なことを書かせて戴きます。伊勢の神宮は「内宮」と「外宮」の2つの御正宮が御座います。

その2つの御正宮の内,外宮にお祀りされている神さまを豊受大神と一般的に称されますが,その際に,内宮にお祀りされております天照太御神の食事を司る神さまであると云う語り(現在の定説)がありますが,この意味を取り違いされている方が結構,多いのであります。外宮にお祀りされている神さまは「地球神:国常立大神」で御座います。国常立大神をお祀りしていると云うことは地球上に存在するすべては,国常立大神さまのもので御座います。そのことが取り違いされてしまい,外宮の神さまは,内宮の神さまの食事を司る神さまだと解釈されてしまったのです。きっと,過去の文献などに基づいてそのような解釈が通説となって行ったのだと思いますが,外宮は,内宮よりも遙か昔に祭祀場として存在しておりました。つまり,内宮よりも外宮の方が古いのです。

またいつか,機会があればゆっくりと書きたいと思います。

毎晩,北斗七星に祈りを奉げていると「和する事」と声なき声が聴こえて来ます。

北斗七星が大好きな花咲でした。拝


大和国 総本山長谷寺

2019年09月20日 05時37分11秒 | 祭祀と和の国

 

以下の記事は,過去のものです。

こんにちは。また台風(12号)が発生し,今度は九州地方・熊本の被災地を直撃しそうな進路を辿っているようです。大難が小難に小難が無難になるよう祈ります。9月と10月は台風に注意したいと思います。これから台風が巨大化して行くと感じていますし,これまでの様な進路以外も想定しておく方が無難かも知れません。9月9日(重陽の節句)には大きな節目のような日になるとも感じています。(これは眼には観えないお話です)白山の太神様への感謝の日と私は個人的に考えております。

さて,先月8月には祖霊感謝祭がありました。そして,今月9月には祖霊感謝祭がのお祀りが御座います。8月つまり,お盆の際の祖霊大感謝祭よりも若干,質素にはなりますが,今から献立を考えたりしながら楽しみにしています。未だ若いのですが,考え方は御老人の様です。先祖供養や祖霊感謝のお祀りは何だかとても楽しくて仕方がないのです。私たちの祖先の中には,飢饉や飢餓,疫病や死産の御霊がたくさんおります。どんな家系であろうとおります。平安時代や鎌倉時代の祖先においてはまさに飢饉や飢餓,疫病の時代でありました。その祖先が,この世に置いて逝った未練も凄いものであったと想像しています。

きっと,やりたい事ももっと沢山あったでしょうし,遊びたいこともあったと思います。勉強も仕事もしたかったでしょうし,女の子であれば今で云うオシャレもしたかったのではないかと感じています。中には,人に奉仕することを夢見ていた先祖もいたはずです。その未練や執着,想いや想念を私たち子孫は受け継いで生きています。万が一,祖先がお盆やお彼岸に子孫の元へ帰還することが神様に許して頂けるのであれば,せめてその短い期間中は贅沢をさせてあげたいといつも思いながら供養させて頂いております。今日,神様へ大祓詞を奏上した時の気持ちはとても気持ちが良いものでした。先祖供養の前の観音経も落ち着いて気持ちよく捧げることが出来ました。気持ちがとても清々しかったです。有難う御座いました。

心柱に音を降ろし,言葉にして観ました。以下の紫色の文字がそうです。

我 子孫 祖霊飲食 祖霊衣服 祖霊住居 祖霊薬薬 祖霊安寧 祖霊平穏 一心観世音菩薩 祈

我 祖先 子孫飲食 子孫衣服 子孫住居 子孫薬薬 子孫安寧 子孫平穏 一心観世音菩薩 祈

子孫は,祖霊の飲食,祖霊の衣服,祖霊の住居,病気の祖霊に薬を祖霊の安寧,祖霊の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

祖先は,子孫の飲食,子孫の衣服,子孫の住居,病気の子孫に薬を子孫の安寧,子孫の平穏を一心に観世音菩薩へ祈ります。

神恩感謝に心音感謝。毎朝毎夕祖霊に感謝。花咲 あさひ 拝


和の国体と和の政体「祭祀と統治」2

2019年09月14日 18時21分39秒 | 祭祀と和の国

 

こんにちは。早速,昨日の記事の最後から続きを書かせて頂きます。

>明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

>それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

>和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

>国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。

ここまでが昨日の記事の末尾ですが,国体「祭祀を司る最高位」でもある天皇陛下にこともあろうに剣を持たせることをしたのは大きな疑問でもあります。なぜならば,天皇霊を宿すとは祭祀つまり,祭祀を司る最高の位に就くことを意味するのであり,武将や軍人の最高位に就くことでは決してありません。今後,憲法が改正されて行くことだろうと想像しますが,曲がり間違っても天皇陛下に再び,軍服を着用させ,剣を持たせるようなことは絶対に阻止しなければなりません。本来であれば,それこそが国体護持の精神を主とする右派の主張する真髄と云うものではないのでしょうか。少し歴史を遡ると奈良時代から平安時代に移り変わり,都が京都に遷都されたあとも天皇陛下や天皇家に異変や危難が及ぶと国体の身を御守り「護持」する為,お役目のある御方「八咫烏」は,天皇を縁の深い神社と寺院に身を隠しながら奈良県の吉野に逃がす役割を担っていました。その神社や寺院が今でも京都や奈良には存在します。自分の身を犠牲にしてでも国体「天皇」を御守り「護持」して来たのです。それが政体の務めであったのです。

間違っても,天皇陛下に鎧と兜を着用させ,剣を持たせるなんてことはして来なかったのであります。

それどころか,天皇陛下に軍服を着用させ,剣を持たせれば天皇陛下を危険にさらすことに繋がってしまう訳であります。剣を持つのは政体である幕府,今で云う政府の役目であり,当然の役割であります。一昨日も記事で書かせて頂いた通り,天皇陛下は「おほみたからにいたるまで」なのであります。つまり,私たち国民「おほみたから」を神さまからお預かりしている訳です。万が一,戦争で天皇陛下が軍服を着用し,剣を手に取り戦い出したら私たち国民は祭祀を司る最高祭主を失うことになるのです。そうすれば,和の国は完全に消滅してしまいます。世界最古の王朝を持った国家が日本であるのです。世界最古の王朝なんだから日本人は誇りに思え!なんて言う事ではないのであります。日本は世界最古の王朝なんだから凄いだろう!なんて自慢したい訳でもないのです。

世界で最も古くから祭祀を司る最高位が日本の天皇陛下と云うことなのです。

したがいまして,わたしにはどうしても大きな疑問と違和感を持たずにはいられないのです。

明治維新から新政府となり,欧米などの所謂,西洋文明に欧米文化を積極的に日本へ取り入れ,日清戦争,日露戦争,そして第一次世界大戦へと日本は突き進んで行ったのであります。過去の歴史が証明してくれております。天皇陛下が軍服を着用し,剣を持てばどうなるのか?わたしたち国民はもっと歴史から学ぶべきではないでしょうか。幸いなことに平成の世である今上天皇におかれては軍服を着用されていません。そのことも歴史から学ぶことが出来るだろうと考えます。万が一,昭和の終戦後も戦前同様に軍拡政策を日本が選択し,今上天皇も明治天皇・大正天皇・昭和天皇と同じように軍服を着用され,剣を手に取っていれば日本は戦争を避けて来れなかったのではないかと私個人的には感じています。それだけ,国体と政体の違いと云うものがあるのが和の国「日本」の象徴なのです。祭祀を司る最高位の天皇陛下の御考えが国家と国民の行先を導くのであり,それは過去も同じであります。

その時代の天皇が祈り「祭祀」を疎かに,蔑ろにしていると必ず国家は動乱し,天変地異に疫病,そして大飢饉と云った世の中になって行きました。たとえば,今回の伊勢神宮の式年遷宮は第62回目の御遷宮でしたが,過去数回,式年遷宮が出来なかった時期がありました。その歴史の背景には何があったのか過去の歴史に学ぶことが出来ます。はたして,国家が非常事態にあったから式年遷宮が出来なかったのか?それとも,式年遷宮を斎行しなかったから国家は非常事態になってしまったのか?

全身を以て全霊で祈りを続けて来られ,国家国民の災難・苦難・困難は我が身を通過してでも国家の繁栄と国民の安寧をひたすら祈り続けて来られたのが世界中の祭祀の最高位である歴代の日本の天皇陛下なのであります。このような国は世界探してもどこの王朝にも存在しません。これが世界の王朝からも尊ばれる理由であり,崇敬を集める理由でもあります。国旗を見ても判るように,太陽を国旗と出来るのは日本だけです。菊の紋章をパスポートに出来る国民は日本人だけです。菊の紋章は祭祀の頂点を意味します。

わたしたち日本人は,先の大戦で完全にその自覚を失わされてしまいました。菊の紋章の意味するところも忘れてしまい,菊の紋章を見ると右翼か暴走族を想像するくらいまで落ちてしまいました。本来,菊の紋章は世界の祭祀継承者の証なのであります。これが世界共通した解釈です。世界有数の神殿には,必ず菊の紋章が刻印されています。つまり,私たち日本人はパスポートでもそれを表現しているのです。ですから,菊の紋章が印字されている日本人の持つパスポートは外国人から信頼されて来た訳なのです。

したがいまして,和の国の天皇陛下に軍服と剣は必要御座いません。


和の国体と和の政体「祭祀と統治」1

2019年09月13日 17時47分34秒 | 祭祀と和の国

 

以下の記事は,過去記事です。

こんにちは。唐突ですが,日本は和の国です。この和と云う言葉の本当の意味は「神」だと私は考えています。

えっ?今日もなに言ってんだ?と想われた方もいらっしゃると思いますが,暫しお付き合い下さい。

たとえば,日本には頭に和と名の付く言葉がたくさん存在します。日本家屋の和室や着物などの和服,食べ物の和食など数えあげたら切がないほど存在しています。又,日本へ観光に来られる外国人の方々にもとても人気のある日本の和風・和物の御土産品でもあります。小さなものから大きなものまで和と付くものが多くあります。そのどれをとっても精密で且つ,精巧な技術品なものばかりで作り手が一生懸命に使う人の立場に立って考え,試行錯誤を繰り返しながら出来上がった最高傑作なものであります。

つまり,最初に私が申し上げた「和」と云う言葉の本当の意味は「神」だと考えますと言った理由も実は,そのひとつの物が出来上がるまでの過程を総称して感じたのであります。一見すれば,ただの物に過ぎない物質に「和」と呼称するにもちゃんと理由があるのであります。その理由とは,いま書かせて戴いた通りですが,日本人が作る和物は,一つひとつの作業にとても手間隙を掛けて物作りをして行きます。しかも,これが,外国人にとって日本製品が人気のある理由のひとつでもあるようです。

丹念に作り上げる思いと念に神さまの分魂が宿ると古から考えられてきました。この世のありとあらゆるものに神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想に基づいた概念です。作り手側の念,気と言っても良いかも知れませんが作った物の中に入ってしまう訳です。悪く云ってしまうと不平不満を持ちながら,悔しさ悲しみを抱きながら作り上げた物の中にも負の念や気が満ちてしまいます。

ブラック企業などで朝から晩まで心身共にボロボロになりながら働いている会社の商品や製品は如何でしょうか?

古神道の観念に照らすとあまり自分の身の回りには置きたくないですね。

しかし,この日本人の物作りに対する姿勢と云いますか態度は,太古の昔からの遺伝子の働きではないでしょうか?突然,変な宗教の教義みたいな話になっていますが,ありとあらゆる宗教の根本が日本の古神道であります。古神道とは何かと申しますと,自然崇拝に祖霊祭祀に尽きます。たとえば,太陽や月のような大自然と山や海などの自然を崇拝することであり,自分たちの祖先「先祖」を祭祀「供養や追善供養」することだけであります。何も難しいことも多額のお金も掛りません。ですが,このいつもそこにある大自然と自然に感謝することが出来ないのです。誰であっても無数の先祖が存在してくれていたことで私たちは生きているのにも気が付けなくなって来ています。それは何故なのでしょうか?忘れられた故人を想い出すだけでも供養になるのであります。

元々,農業も科学も宗教も,そして,医学も法学も哲学もすべて信仰の対象であったのです。それを私たち人間が勝手に解釈をしだし,様々に分離させ,分派を繰り返して行く内に訳の分からない「魔」を創り出してしまったのであります。つまり,理屈(理論)が出来上がってしまいました。自然を崇拝するどころか自然を支配する思想になってしまったのは悲劇に近いものがあります。

農業を理屈で考えて行った先が農薬と遺伝子組み換えです。これによって,人の身体は自己治癒が完全に出来なくなりました。本来,天のエネルギーと大地のエネルギーが豊富に含まれた食物を食べるからこそ自己治癒が出来ていたのであります。又,科学では証明できないものは存在しないと平然と言い切ってしまう学者さんも居ますが,現代科学の進歩はどれくらいなものなのか答えられる科学者は殆んどいません。現代科学で分かることは僅か1%にも満たしていないのです。つまり,99%は非科学的と云うことになります。その99%の非科学的なことを1%の理屈「理論」で説明するのですから何があっても想定外となります。

宗教も同じであります。宗教とは教えですから,善と悪の教えが存在しなければ成立しません。そこで登場したのが宗教を理屈で解釈し説明することをしたのです。しかしながら,正しい教えか否かを判断するのは受け入れる側の本人自身であります。そもそも何が正しくて,何が悪いかと云う善悪は理屈で説明できるものではありません。受け入れる側しだいになるのです。つまり,宗教を理屈で説明し出した結果,人は自分で考えることを止めてしまうのです。自分自身で考えさすことを阻害してしまうのであります。

すると,自分の教えが絶対に正しいと思い込みます。つまり,大自然や自然と繋がることを自ら拒否します。

その先に待ち受けているのが,紛争と戦争,略奪と殺戮です。人類が滅亡するとすれば,その根底にあるものは宗教観の違いです。世界中の戦争を見てみて下さい。相手を憎しみ,滅ぼそうとする目的は何なのか?日本でも過去戦争がありました。一部の軍部の暴走によって,神さまを利用し,国家神道を樹立させ,古来祭祀の中心に存在する天皇陛下を軍の最高指揮官に据え天皇の名の元に戦った戦争でした。理屈(理論)は時に大切なものであり,理屈が必要なことは私も良く理解しています。しかしながら,正しいと思える理屈や完ぺきで他の者の追随を許さない理論や言葉ほど慎重に注意して使わなければならないとも考えています。

なぜならば,そこで犠牲になる人は,いつの時代であっても疑うことを知らない純粋で真っ直ぐな心を持った若者や子供たちだからに他なりません。これ以上の犠牲が国家にあるのでしょうか。将来の国家を背負って立つ多くの若者や子供たちを犠牲にしてまで守り続けらなればならない理由は何なのか?その理由が判らない自分の不知の知を恥じるとともに神さまが人を殺せ,人と戦えなんて言うはずがないと言う自分も居ます。宗教を人類の戦いの道具にしてはなりません。和の国に住む日本人であれば判ると思います。

明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。


熊野三山の奥之院 玉置神社

2019年09月12日 10時41分27秒 | 祭祀と和の国

やまとなる 玉置の山の弓神楽 弦音すれば 悪魔退く

過去記事です。

こんにちは。

京都の出雲大神宮さんに続き,奈良の玉置神社さんからも夏越し大祓の案内書が何日か前に届きました。又,玉置神社さんのことはブログでも何度か記事に掲載させて頂いてまいりました。玉置神社は,奈良県十津川村の玉置山と云う場所に御鎮座されている神社で御座いますが,神社としての創建よりも遙か昔から古神道としての重要な祭祀場でもありました。その古さと言ったら先の出雲大神宮さん同様,軽く1万年以上も前の遙か昔々であります。この玉置神社は,山全体がまさに御神体でありまして,山から放射される気「エネルギー」が凄いところであります。インターネットで玉置神社を検索すると実にさまざまな情報が存在しています。

十津川村の地元の人の話では,昔は畏れ多くて玉置山「御神体」へ易々,近づくことがなかなか出来なかったと云うことです。昔の人々は,山そのものが神さまの御神体であると云うことを知っていましたから,今のように何々修行とか霊行とか山登りやピクニック気分で行くところではないと云う1つの戒めでもあったのだろうと感じます。そして,とても理に沿った考えだとも思います。

現在,玉置神社では神社創建以来の厳しい資金難に直面しており,玉置神社の公式ホームページ上においてもそのことが掲載されされています。神社の資金難は,一部の神社を除き直面している大きな難題でもあります。これからの時代,増々厳しい時代になって行くとも考えられています。神社は寺院とは違い,所謂,収入となる源泉が少ない形体でもあります。まして,玉置神社さんのように山間部で険しい場所に御鎮座されていると一般の参拝者数も極端に少ないと云うのも神社の資金難に直接影響して行きます。

拙い経験ではありますが,わたしも何か玉置神社さんの護持のお役に立てればとよく考えてはいます。玉置神社さんのような山間部の神社は,明確に行こうと意識しなければ辿り着くことが出来ません。つまり,何となく散歩していたら着きましたなんて云う場所にある訳ではありません。実際に,玉置神社までの山道は落石も多く,冬場などは雪や凍結で地元住民の人々でも細心の注意を払って参拝に行かれるほどの場所に御鎮座されています。天河大弁財天社の護持について書かせて戴いたような「和の仕組」を玉置神社さんでも推し進めて行ければ良いのになと感じているのですが,十津川村と云う人口構成から言っても氏子さんだけの力では限界に来ているのがとても良く解ります。そうなると,やはり頼りになるのは,全国に存在している崇敬者さんの御力しかありません。

たとえば,崇敬者さんの御力を得ている神社の実例で申し上げますと。

 ※ 伊勢神宮では,財団法人伊勢神宮崇敬会と云う団体を通じて神宮の護持に寄与しています。

 ※ 丹生川上神社下社では,農業「食」を通じて直会倶楽部と云う団体を介して神社護持に寄与しています。

 ※ 京都の貴船神社では,御日供講と云う崇敬者が集う団体を通して御神饌の購入費用に寄与しています。

 ※ 出雲大神宮では,毎月第3土曜日に境内の清掃を行うお掃除の会が神社境内の清浄に寄与しています。

このような奉仕活動は,それぞれの神社の任意であります。つまり,みなさんの知恵です。

そこで,玉置神社でも何かできないか?

たとえば,お金の寄付だけではなく,コピー用紙や名入れ封筒・使っていない郵便切手等々の現物寄附であっても神社を運営する神社側にとっては助かります。なぜならば,先日の記事で書かせて戴いたとおり,祭事を開催するための案内書を氏子さんや全国に存在する崇敬者さんへ郵送する為の費用が膨大に掛かりますし,コピー用紙などの事務用品の負担も年間を通すと大きな経費を伴うからです。自分なりに出来ることを探す行為は,やがて大きな実りとして自分自身に返って来ます。難しい問題や難題に挑戦する勇気と起案能力も養うことが出来るはずです。それは仕事をして行く上でも役に立ち,自分の成長にも繋がるのではないでしょうか。

少しづつ玉置神社さんの護持に有効的な起案をして見たいと思います。

神社の護持は,氏子さんや崇敬者さんの大切な御役目であります。