にちにち蛙鳴蝉噪

大阪・兵庫・京都・奈良で食べられるトルコライスの紹介を中心に。制作:近藤亨 2004-2023

比喩でない札束

2006-12-04 02:24:46 | その他
自宅を売却することになり、今日買主の方と売買契約を締結してきた際、手付金を現金で受け取ることになった。なにしろ住宅の取引だから、まあそれなりの額である。
帯封のついた札束を確認のために勘定していると、なんだか自分が悪事に手を染めているような気がしてきてどうも落ち着かない。お金のやり取りはATMやパソコンの画面の数字を見て操作すれば大概の場合片がつく昨今、現生の束はまっとうな生活からかけ離れたインパクトがある。イメージは悪党同士の麻薬取引の現場だ。買主は日曜ということもありカジュアルな格好、一方僕はスーツ姿というアンバランスさがその気分をさらに盛り上げる。
ただ単に生来の貧乏性が全開なだけなのだが、「札束勘定は悪事をイメージさせる」などということを書くと、やはり銀行員の方はお気を悪くされるのだろうか。
しかし、メガバンクが史上空前の利益を上げながら法人税を払っていないなどという話を聞くにつけ、まあ半分悪事みたいなものじゃねえかと思わなくもない。

―――

堀井憲一郎「若者殺しの時代」(講談社現代新書)
序盤、村上春樹を思わせる気の利いた比喩の連発。しかしそれも第一章だけの話で、第二章以降はほとんど出てこない。
多分手持ちを使い切ってしまったか、それをひねり出すのに苦労して話が前に進まなくなったのだと思う。あとがきで春樹ファンはニヤリとすること請け合いだが。
堀井氏の文章で「思う」が全て「おもう」とひらがな表記されていたのが気になった。こちらがどういう狙いなのかは最後までわからずじまいだった。
細かいことはさておき、なかなか読ませる構成になっている。週刊文春の「ずんずん調査」レベルだと見くびって読み始めるのが一番楽しく読める方法だと思う。




コメント (7)
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