高知の繁華街にもサンドイッチマンはいる。
こう切り出しておいて何だけど、サンドイッチマンの定義は「体の前後に看板をぶら下げた人」だったはずで、現在よく見られる「サンドイッチマン的な役割を果たしている、柄の長い看板を持って突っ立っている人」はどう呼べばいいのか。
蝿叩きマン?じゃなくて、一応サンドイッチマンに倣って英語で「フライスワッター(fly swatter)マン」?
そういえば石田衣良の短編集にそんな人達が主人公の話があったな、と「LAST」を開いたところ、石田氏によればこうだ。
「看板持ち」
やっぱり頼りになるのは日本語だ。意味がずばっと突き刺さってくる。過不足がない。
同じように、ニュース用語として普及してしまった「ストーカー」も、そんな聞き心地のよい横文字ではなく、「狂信的付きまとい人間」などと出来るだけ日本語で表現したほうが行為そのもののの恥ずかしさが強調され、それなりの抑止力になったりするのではと思う。
だから「ホームレス」も(以下自主規制)
こう切り出しておいて何だけど、サンドイッチマンの定義は「体の前後に看板をぶら下げた人」だったはずで、現在よく見られる「サンドイッチマン的な役割を果たしている、柄の長い看板を持って突っ立っている人」はどう呼べばいいのか。
蝿叩きマン?じゃなくて、一応サンドイッチマンに倣って英語で「フライスワッター(fly swatter)マン」?
そういえば石田衣良の短編集にそんな人達が主人公の話があったな、と「LAST」を開いたところ、石田氏によればこうだ。
「看板持ち」
やっぱり頼りになるのは日本語だ。意味がずばっと突き刺さってくる。過不足がない。
同じように、ニュース用語として普及してしまった「ストーカー」も、そんな聞き心地のよい横文字ではなく、「狂信的付きまとい人間」などと出来るだけ日本語で表現したほうが行為そのもののの恥ずかしさが強調され、それなりの抑止力になったりするのではと思う。
だから「ホームレス」も(以下自主規制)