22日に光市事件差し戻し控訴審判決 バッシング渦中の安田好弘弁護士に再び聞く
2008年4月10日中日新聞朝刊記事より抜粋
いま、この人の言葉に耳を傾けるだけで、むち打たれそうな空気が世の中にはある。安田好弘弁護士。二十二日に差し戻し控訴審判決がある山口県光市の母子殺害事件の主任弁護人だ。被害者遺族は「(被告が)調子に乗るのは、あの弁護団のせい」と憤り、メディアの弁護団たたきも過熱した。二年前に続き、判決を直前に控えた安田氏に再び迫った。(田原牧)
■事実解明が第一
この裁判は異例ずくめだ。差し戻しを命じた最高裁の判断は、過去の少年事件の死刑基準を揺るがした。遺族の発言がこれほど報じられた例もなく、タレント弁護士がテレビで呼び掛けた弁護団への懲戒請求は8200件を超え、銃弾付きの脅迫状まで届けられた。
物色し、言葉巧みに上がり込み、罪のない妻を姦淫し、乳児まで殺害する---。検察側が描いた「鬼畜の所業」は1、2審では争われなかった。
だが、安田氏ら現弁護団は、当時18歳の被告に殺意も強姦の意思もなかったと主張。中学1年のときの母の自殺の衝撃で精神的な成長が滞り、それが被告の犯行の根底にあったと説いた。
検察側はこの主張を「荒唐無稽」と断じ、ちまたには弁護士の良心を問う声がわき上がった。たしかに死後の姦淫を「復活の儀式」、乳児を天袋に入れたのも「ドラエモンが何とかしてくれると思った」という被告の言葉は唐突に聞こえる。
「ほぼ大人の普通の18歳ならそうだ」と安田氏は切り出した。この指摘は弁護団の新説ではないとも言った。「逮捕直後の家庭裁判所での調査報告では、亡き母に被害者を重ねた被告の幼児性の強さ、さらに犯行時は混乱で精神的な退行が進んだ状態だった可能性が指摘されていた」
実際、家裁の検査結果には「(被告の)善悪の判断は、4,5歳程度」と記録されている。
「被告は父親から逆さに水風呂に漬けられたり、同様に暴行を受けていた母親とは『結婚して子をつくろう』と言われるほどの共依存関係に陥っていた」
それでも「母を重ねて被害者に抱きついた」という弁護団説にうなずける人は少ない。安田氏は「性経験のなかった元少年に強姦を意図できるか」と前置きし、「自宅から犯行現場まで直線で200メートル、物色を始めたとされる地点なら50メートル。同じ社宅。勤め先の名が入った作業着。これが犯行を計画する者の行いか」と疑問を呈した。
■償いのため
口を塞ごうとした片手が首にずれて圧迫死させたという弁護団の反論に対し、検察側は両手での絞殺と譲らなかった。ただ、弁護団依頼の鑑定書では絞殺の痕跡はなく、光署の調書には「右手で絞め続けた」とあった。
それでも、世論は弁護団を疑問視した。安田氏は「何が何でも無罪なんて考えていない。被告のウソも当然疑う。もし被告に一見不利でも、事実は隠すべきではない。真剣さは裁判官に通じる。それが私の信条」という。
家族を失った夫の本村洋さんは「二人の死をむだにしないことが私の免罪符」と語り、妻の母は「家庭環境が悪ければ殺人も罪にならないのか」と涙を流した。弁護団は「遺族らの人権を侵害している」と責められた。
安田氏は「遺族を苦しめたくはない。が、事実をないがしろにはできない」と淡々と話した。
「なぜ、事実に固執するのか。被告に償わせるためだ。やってないことは誰も反省できない。覚せい剤事件が典型だが、都合の悪い面を隠せば、被告は過ちを繰り返す」「人の死に徹底的に謙虚になること。奪われた尊い命を社会の教訓として生かさねばならない。そのためには事実解明が不可欠だ」
でも、仮に犯意はなかったにせよ、元少年が二人の命を奪ったのは事実だ。自らの命で償うのが人の道では、という感情に安田氏はこう語る。
「遺族の悲しみは交通事故でも深い。ならば、その加害者も皆、処刑するのが正しいのか。結果責任の足し算引き算だけで人生を計ってよいのか。それは武力で物事を解決する論理だ」
弁護は死刑廃止運動の一環との批判も、やまなかった。「手弁当で集まった弁護団(21人)には死刑継続論者もいる。死刑廃止は政治運動。法廷では動かないし、考えるべきものでもない」
■接見は1回
審理を差し戻した最高裁が「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかない」と判断したことで「事実関係でもはや争えない。なぜ、情状面を強調しないのか」という批判もあった。
「反省は何をしたかが前提だ。それを抜きに情状はない。被告への弁護士接見は逮捕から、家裁による検察への逆送までに1回だけ。検察は好きに物語を作り、弁護士は事実検証を怠り、裁判所は『ご相場判決』で一件落着。こんな司法の怠慢を看過できない」
一方、被告の所作も遺族の怒りを買った。友人あての手紙にある「かわいい犬と出会って『やっちゃった』という1節は繰り返し報じられた。
安田氏は「手紙は隣の房の小説家志望の収容者あて。あの1節は自分が何をしたと言われているか、という問いへの答えだった。戦闘服のズボンで出廷したことも騒がれた。あれは護送車のいすが別の人の失禁で濡れ、仕方なくはき替えただけだった」と振り返る。
それでも死刑がちらついてから本村さんに謝罪の手紙を出した、被告の反省は命ごいのための「偽装」と指弾された。
■犯人は孤立
「2年前に初接見で、彼の生きる意欲の稀薄さに驚いた。死刑はいまも恐れていない。謝罪の手紙は初めてではない。前の手紙は1審の弁護士が『文面が拙い』と握りつぶした。それ以来、書けなくなっていた。いま書けば、遺族の怒りに油を注ぎ、逆効果なのは明らか。それでも私は謝罪を続けろと彼に言った」
安田氏は結局「性善説」論者なのか。「性善も性悪もない。多くの人を殺した事件を扱ってきた。そこで感じたのは大半の殺人事件が悪い偶然が重なった結果であり、犯人は犯行時点では孤立していたことだ」
この事件を担当した結果、安田氏は銃弾まで送り付けられた。ワイドショーでは「最低レベルの人格」と罵倒された。
■善か悪かの社会 世の中が2色刷りに変化
「感情に反対尋問は通用しない。弁明は『荒唐無稽』、反省も『フリ』で片付けられてしまう。かつては善悪や喜怒哀楽が混在して現実があるという常識があった。いまは善か悪か、憎いか憎くないかだけ。カラーだった世の中が次第に2色刷りに変わってきている」
(2008/04/11 up )
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元少年の手紙「命尽き果てるまで謝罪」
4月12日21時22分配信 毎日新聞
山口県光市の母子殺害事件で、殺人罪などに問われた当時18歳の元少年(27)の弁護団が12日、広島市中区で講演。22日に広島高裁で判決が言い渡される差し戻し審の争点を説明し、元少年が07年12月に遺族の本村洋さん(32)に出した「命尽き果てるまで謝罪を続けていきたい」という手紙の内容を紹介した。
市民団体「光市事件裁判を考える会」が主催。安田好弘・主任弁護人が「1、2審の弁護団が争わなかった事実関係を差し戻し審で見直した。元少年には実質1審だ」などと話した。手紙には「生きていたいということが本村さんをどれだけ苦しめているかを知ってしまったぼくは、身の置き所がない」などと書いていたという。
また、弁護団がこの日、判決前の気持ちを元少年に聞いた際、「私にとって大事なのは判決日ではない。14日(事件当日)です」と反省の意思を示したことを明らかにした。【大沢瑞季】
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〈来栖のつぶやき〉
>手紙には「生きていたいということが本村さんをどれだけ苦しめているかを知ってしまったぼくは、身の置き所がない」などと書いていたという。
>「私にとって大事なのは判決日ではない。14日(事件当日)です」
安田さんに話した少年の言葉を、世間は法廷戦術の一環ととるのかもしれないけれど、これこそ無作為の、心底からの吐露に違いない。今日も身の置き所ない気持で、孤房に項垂れているのではないだろうか。
弟藤原も、そのようだった。小さく小さくなって遠慮して生きた。よく泣いた。
「身の置き所ない」、この言葉を、清孝の肉親を思い、(藤原の生前)私は幾度心に繰り返したことだろう。世に身の置き所がない・・・、本人ばかりでなく加害者家族もまた同様である。 いや、社会という逃げ隠れできない地平にいる分、一層苛酷ではないだろうか。
「自業自得」とは勝田清孝が事あるごとに口にした言葉だけれど、事件の周縁に(被害遺族を筆頭に加害者の周りにも)、悲しみが満ちている。
(2008/04/14 up)
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◇ 【4度目の判決 光市事件が問うたもの(上)】被害者を取り巻く環境 2008-04-19
◇ 【4度目の判決 光市事件が問うたもの(中)】死刑の是非
◇ 【4度目の判決 光市事件が問うたもの(下)】公平さ欠いた裁判報道
この事件については、報道機関等による被告人、被告人弁護士に対して激しいバッシングが行われ、アメリカ西部劇時代の私刑が公然と行われているようで大変危惧しておりました。
私は死刑廃止論者ですが、「光市事件」は日本が死刑存置国であることを考慮しても元少年の被告人に対して死刑判決が下される事件でないことは明らかなように思います。
もし差し戻し審で死刑が言渡されるということがあったら、不当判決であると同時に冤罪に匹敵するのではないかと思います。
元被告人の少年を理不尽な死刑から守るために弁護士をはじめとする関係者は少年の支援をあきらめずに最後までおこなうべきだと思います。
おっしゃるとおり、私刑的状況ですね。死刑が選択されるような事件ではないと思ってます。部分冤罪も、考えます。
が、判決は、裁判長にも大きく左右されますから、憂慮しています。最近の裁判長は、悩まなくなった、と言われます。世論やメディアに左右され、迎合するような傾向も見受けられるように思います。
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>http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/kyouaku2.htm
「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法
>それに比べ、アベック殺人の高裁のときは、裁判官は悩んだですね。思いっきり悩んで、しかも、子供たちを死刑にするのは自分たちとして、大人たちの社会として許されるだろうかという問いかけがその中にありましたね。苦渋の選択が判決の中から読みとれたけど、今回ははっきり申し上げて何一つなかったわけです。真面目さが欠如していますね。
それは司法そのものが、裁判官も含めてですけれど、思想とか哲学とかそういうものを持ってこなかったことの結果だろうと思います。すでに司法のメルトダウン現象が起こっているんですね。それはどういうことかというと、司法が担うべき役割、その重要な要員である裁判官・弁護士・検察官が、自分たちが果たすべき職責を完全に忘れてしまって、一般世論、あるいはメディアと完全にシンクロしてしまっているんですね。それは、時の権力や勢力に一切支配や影響をうけることなく、超然として、法にのみ支配されてその職責を遂行する、つまり、刑事司法の場面では、違法捜査を抑止し、事実を徹底して解明し、有罪の場合はなぜこのような事件が起こったのかというところまで事案を掘りさげ、公正に刑を量定すると同時に今後、被告人が生きていくすべを指し示す、そういう職責を司法は担っているんですね。ところが、このような職責を全部放棄して、世間相場で物事を見切って事件を処理してきた。司法のメルトダウン現象は、司法全体の怠慢の必然的な結果なんだろうと思います。
木曽川・長良川の事件の判決は光市の事件の判決と軌を一にしていますね。
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判決が流石に気になりまして、以下を再掲しました。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c75e571de15e932a5316d68b3fad06be