http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/e311d688ae55a1b381fd3ec79ba1ded8
<来栖のつぶやき>
12月4日には当該事件裁判の弁護側最終弁論が行われている。
メディアの取り上げ方は、いずれも極めて小さなもので、弁護側最終弁論に至っては、検察側の時には長大な詳報を載せた産経すら、僅かな行数に留めた。
元々、本事件は、異例(量刑不当)の上告を検察側がしたもので、それを最高裁が差し戻した。1,2審において検察のでっち上げもあり、弁護側も事実関係を争わなかったため、「凶悪」事件というイメージでマスコミによって拡大流布されてしまった。国民世論が、「犯人憎し」と厳刑を求める方向で沸騰した。弁護人に対する脅迫というエキセントリックな行動や、テレビ番組に出演したタレント橋下徹氏に唆された群衆が弁護人に懲戒請求するという事態まで出現した。
世論を煽り形成するメディアとネットの脅威を痛感させられたが、この巨大な力が、判決に影響するのではないかと、懸念されてならない。
判決は来年4月22日。被害者命日(4月14日)の翌週に当たる。既に命日と結び付けてエンターテインメントの感覚で記事・番組の企画を進めているのでは、などと勘ぐってしまう。
かくも異状に膨れ上がった世論・メディアに抗して、果たしてどこまで静かな司法(判断)が期待できるだろうか。判決公判期日を4月22日とした意図は何なのか、裁判所は740ページにも及ぶ弁論要旨をつぶさに読んでくれるのだろうか、「とっくに出来レース」でなければいいが・・・、そんな不安がいっぱいだ。楢崎裁判長は、以下のような意見も言っている。これも、不安を掻き立ててやまない所以である。
http://yaplog.jp/lawyaz-klub/archive/191①
http://yaplog.jp/lawyaz-klub/archive/138②
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①楢崎裁判長の弁護人批判は的はずれ2004年12月29日(水) 19時37分
以前にも取り上げましたが、Winny正犯の判決全文が掲載されました。
判決で指摘された弁護人批判は、大きく2点で、(1)著作権紛争解決のあっせんを申請するに当たり、その申請書に、起訴状及び検察官の冒頭陳述書、告訴状2通の各写しを添付し、開発者に対して、捜査報告書の内容を送付していたことが捜査の秘密や第三者のプライバシー権侵害などの観点から問題がある、(2)開発者と連絡が取れていたのに、そのことを秘匿して、開発者の警察官調書の開示を請求したことが裁判所との信頼関係を損ねるものである、ということです。
しかし、(1)については、起訴状・冒頭陳述書は公開の法廷で読み上げられるものであり、そこに秘密だとかプライバシーがあるものか理解できません。性犯罪で被害者を特定する情報が記載されているというのであれば別ですが、そういう事件でもないでしょう。また、文化庁の紛争解決あっせん制度は、被害者・加害者とあっせん委員の三者で行われるものですから、「第三者」と呼ばれる人物は観念できないと思います(あっせん委員が「第三者」とされてしまえば、弁護人は、被害弁償のために調停等を利用できなくなってしまいます。)。
また、開発者に捜査報告書を送付した点については、弁護活動のため、捜査書類について専門家に意見を聞いてはならないとすれば、ほかに弁護人が検証する術が思いつきません。すべて弁護人が独力で対応しなければ、不適切弁護だとでもいうのでしょうか。これに対しては、開発者が従犯として立件されたことが問題になりますが、開発者は、当初から被疑者(共犯者)と目されていたわけではないことを指摘しておきます。
(2)については、弁護人当人が経過をコメントされておられますが、そうであれば格別信頼関係の問題が生じるとは思えませんし、まして、裁判長自らが適切に訴訟指揮権を行使して検察官に証拠を開示させていればよかったのですから、それを棚に上げて弁護人を非難するのは、筋違いも甚だしいでしょう。
どうも裁判長の本音は、判決末尾にあるようです。すなわち、「弁護人が、種々の主張をして争ったため、審理に約1年間を要することになったものの、この弁護活動は、被告人の公判供述等に照らすと、果たして被告人の意思に適ったものであったのか疑問なしとしない」というところでしょう。要するに、「自白事件で執行猶予確実なんだから、ごちゃごちゃ屁理屈こねんと、さっさと結審させんかい! 被告人も遠方から裁判所に通っているのに。」ということです。ここは、弁護活動の価値観が裁判所と違っているというほかないですね。裁判所に結論が見えている事件では、弁護人は、ひたすら「迅速な裁判」に協力せよというのは、多くの弁護士にとって唾棄すべき弁護活動観です。
いずれにせよ、楢崎裁判長の批判は、捜査機関や告訴人に異常に配慮したものといわざるを得ず、刑事裁判官がどこを向いて裁判をしているかを示す事例といえましょう。
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URL:http://yaplog.jp/lawyaz-klub/archive/191
②弁護人の正当な真実発見のための活動を「自戒せよ」とは!?2004年11月30日(火) 20時01分
Winny事件は、興味本位でしか見ていなかったのですが、この裁判長の意見は、刑事弁護に携わる者として看過することができません。
京都新聞の記事から転載(一部、仮名にしています。)
ウィニーによる著作権法違反事件の判決公判で、楢崎康英裁判長は正犯被告人の弁護人の弁護活動を批判し「強く自戒を求める」と異例の意見を述べた。
楢崎裁判長は▽ウィニー開発者の従犯被告人ら第三者に捜査報告書や起訴状の写しを送ったのは捜査の秘密保持などの点から不適切▽従犯被告人と連絡を取っていたのに裁判所にうそを言って供述調書を証拠請求したことは、弁護士倫理の観点から許されない-とした。
弁護人は「書面を送った相手は事件の第三者ではない。裁判所に対して従犯被告人と連絡が取れないとも言っていない」と話している。
真実を確認するために関係者に書証を送付することが何がまずいの? 起訴状なんて公開の法廷で朗読されているんですけどね。捜査の秘密っていうけど、当時から正犯の立件が予定されていたのかしらね? それなら保釈の取消自由に指定するとか(検察側としては、そのような職権発動を促すとか)そればよかったのでは? 資料の提出を求めるのに複数のルートから要請して何か不都合ですかね? 弁護人が独自に真実発見の観点から行動することがそんなに不愉快ですか? 捜査機関の証拠を弾劾する活動は「自戒」しなくちゃなりませんか?
捜査機関等におもねるのもたいがいにしろ! 事なかれ主義の裁判官に弁護人を批判する資格などない!
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URL:http://yaplog.jp/lawyaz-klub/archive/138
それでなくても最近の刑事裁判を見れば数年前なら死刑が選択されなかったであろう事件に対しても手当たりしだいに死刑判決が乱発されております。
「光市事件」はあらゆる角度から考慮しても死刑が選択される事件ではありません。
死刑判決が下されるようなら、おっしゃるとおり部分冤罪です。
再審請求等を行う等。元少年を理不尽な死刑から守るために最後まで支援する必要があるように思います。
>手紙には「生きていたいということが本村さんをどれだけ苦しめているかを知ってしまったぼくは、身の置き所がない」などと書いていたという。
>「私にとって大事なのは判決日ではない。14日(事件当日)です」
安田さんに話した元少年の言葉を、社会は法廷戦術の一環ととるかもしれないけれど、これこそ無作為の、心底からの吐露だろうと思います。本日、14日です。身の置き所ない気持ちで、じっとしているのではないでしょうか。私事ですが、弟藤原もそうでした。小さく小さくなって、遠慮して生きていました。また、本人だけでなく加害者家族こそ、この世に身の置き所がないのです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/unknown7miyazaki.htm