「生き直そうとした小林薫さん(2013/2/21死刑執行)」中道武美 「小林薫さんが朝の点呼のあとすぐ刑場へ引っ立てられてゆきました」河村啓三

2013-04-02 | 死刑/重刑/生命犯

「生き直そうとした小林薫さん」中道武美 FORUM90 2013.3.30
 どうもこんばんは、大阪の中道です。
  今ずっと話を聞いていて、ここに出てくるのが辛くて、本当に打ちひしがれている思いです。それはこれから申し上げることで分かっていただけると思いますけれども。
  小林さんは2月21日の朝に大阪拘置所で死刑執行されました。拘置所の所長が出した記録に依りますと、死亡時間は8時4分です。いま河村さんの手紙を前提とすれば、7時45分に連れ出されて8時4分に死亡。これは何を意味するのか。とても私には信じられない。もしそれが前提であれば、強引に連れだして有無を言わさず縛ったとしか思えない。僕は最初、河村さんの手紙を知りませんでしたから、7時前後に連れ出されたのかなと思っていたのですが、7時45分という時間を聞いて、8時4分の死亡時間の確認であれば、とても耐えられない気持ちでいっぱいです。
 小林さんの執行に関しては、確定後6年4か月経っています。小林さんは2006年9月26日に奈良地方裁判所で死刑判決を言い渡されました。当時の弁護人は即日控訴しましたけれども、控訴期間満了のその日に大阪高裁宛ての控訴取下書を提出したとして、その結果、死刑判決が10月11日に確定されたというふうにされました。
  小林さんの事件は、関東の方はあまり知らないかも分からないので、若干詳しくご説明したいと思います。(略=来栖)
 判決書で書かれた量刑の理由を並べてみますと、「犯行態度は極めて執拗で残忍。結果が重大。動機と経緯は身勝手極まりなく、酌量の余地はみじんもない」。“みじんもない”という言葉を使っています。
  「自己顕示欲を満たすため、自己中心的な行為をとるなど、犯行後の態度も極めて悪い」。これは多分、死亡写真等を携帯メールで送ったということを指すのだと思われます。
  「性犯罪の常習性が認められ、犯罪傾向は十分。規範意識は鈍化している。反省も認められ難く、更生は極めて困難だ」というのがその理由です。
  「反省も認められない」というのは後で述べますけれども。本件が被害者の数だけをもって死刑を回避することが明らかであるとは言えない、1人であるにもかかわらず死刑を選択したということを述べています。小林さんは公判で、「犯行後早く逮捕されて楽になりたいと思ったけれども、自首すると刑が軽くなると思い、自首しなかった」とか、「自分のしたことを考えたら死刑になりたい」とか、「生きていくのが面白くなく、嫌だから死刑を望んでいる」とか、そのような行為が判決に影響しました。判決はこのようにも言っています。小林さんが子どもを狙った犯罪ということで「第2の宮崎勤とか、あるいは宅間守として、自分の名前と行った行為が世間の人たちの記憶に残ってほしいと思っている、とうそぶいている」とまで書いています。非常に感情的な言葉を判決は書き残しています。もっと言い換えれば、「君が死刑になりたいんだから、死刑にしてやったよ」と読もうと思えば読めるような文章です。しかも小林さんは法廷で死刑判決を聞いて、これも新聞紙上で書き立てられましたが、ガッツポーズをしたという言葉も書かれました。非常にこのことが話題になりました。
  弁護人は、そのような死刑判決でありましたけれども、小林さんが育ってきた不幸な境遇を無視したものであり、(鑑定書ではこのように書いていますけれども、「反社会性人格障害はあるものの、それは不幸な成育環境に基く人格発達の未熟さを反映する特徴というべきもので、小林さんの生来的かつ持続的な性格の偏倚と見るべきではない」と述べています)、このようなことを根拠として、「小林さんは反省しており十分に更生可能性がある」として、即日弁護人は控訴しました。しかし小林さんは、先に述べましたように控訴期間満了のまさにその日に、公訴を取り下げました。
  実際、小林さんはどのような環境で育ってきたのか簡単に述べます。
  小林さんは生まれつき弱視で、そのためいろんな仲間からいじめられていました。しかし家庭では、そのことを言ってもお父さんはまったく理解をせず、家庭内暴力にさらされていました。しかもそれは素手ではなくてゴルフバッグであるとか、そういう凶器でもって殴られていました。小学校4年生の時に、小林さんは可愛がってくれていたお母さんを亡くします。小林さんはその時から母親に代わって弟たちの面倒を看るという家庭の仕事を全部するようになりました。しかし、それでもお父さんは暴力を振るってきたわけです。こうした絶望的な環境が小林さんの人格形成に深く影響し、自己に対する否定的な感情や社会に対する憎悪を惹起させたというふうに鑑定書は述べています。
  小林さんの言動は、こうした育った環境を理解しないと、その真意は測れないのですが、マスコミはこのことを、一切無視して大々的に騒ぎ立てたのがこの事件です。
  このように小林さんは控訴取下げで判決が確定しました。私が彼の代理人になったのは確定以降です。そのときから小林さんの生きる意味を見出す歩み、生きることが始まりました。2007年6月18日、小林さんは控訴の取下げは無効であるから、大阪高裁で公判期日を指定してくださいという申し立てをしました。私が代理人をしました。マスコミが真実を報道せず、小林さんの言葉を悪いほうへ悪いほうへ捻じ曲げて伝えたことや、弁護人からの適切な助言がなかったことから、完全な意思判断ではなかったということがその理由です。自ら小林さん控訴を取り下げた小林さんがこのような申し立てをしたのは、心の奥底にある真意をやはり社会に理解してほしい、そして生き直したいという欲望が生まれてきたからです。
  この裁判の中で小林さんは大阪拘置所で行われた証言で、「被害者に死んでお詫びをしようという気持ちから死刑を望んでいました。ご両親に対して面と向かって会うことができるのであれば、ちゃんと謝罪をしたいというふうに思っています」と述べています。これが彼の本心です。しかしそれがなぜ奈良地裁の法廷で述べられなかったのかということについて、彼は次のように述べています。
  「しかし、マスコミに死刑回避のための言い逃れ的な謝罪、心からの謝罪ではない、命乞いのために反省をしていないのに謝罪していると書かれたから、法廷では述べられなかった」。このように彼は言っています。
  しかしこの控訴取下げ無効の裁判は結局、2008年の最高裁判決で敗訴が確定しました。
  その中で小林さんは再び生きようという気力を燃やし始めました。控訴を自ら取下げながら、その後、生きようという努力を彼はし始めたんです。その中で、彼は生きることの意味を、自分でずいぶん深めていかれました。自己省察を深めて被害者に対する謝罪の気持ちを育てていかれたのです。教誨師を通じての心からの謝罪がそれにあたります。その過程で小林さんは、彼は本当に努力家で勉強家でしたから、北方謙三さんという小説家御存知だと思いますが、彼の小説は全部読まれました。しかも文章も思考も、時の経過とともに深くなっていきます。今日、パンフの中で43歳の時と39歳の時の彼の文章が書いてありますが、これだけ論理的に深く考えられる方でした。
  また余談ですけれども、小林さんは『週刊新潮』の記事に対して、これが「名誉毀損である」と、まったくたった1人で名誉毀損の損害賠償に取り組まれ、法廷で闘い、勝訴判決を得ました。小林さんの文章は、とても論理的で素直です。
  控訴取下げ無効が負けた段階で、2008年12月18日に第1次再審を、10年の10月8日に第2次再審を申し立てました。小林さんは生きて生きて、事件の真相と自分の真意を伝えるために生きる意味を見出そうとして、再審申立をされたんです。被害児童の頭を押さえつけて溺死させた殺人ではなくて、彼の主張によれば、ハルシオンという睡眠導入剤を飲ませたところ、女の子が寝て、死んでしまったという、つまり自分殺していないというのが再審の理由でした。
  しかしこの第2次再審請求も11年6月2日に最高裁で敗けます。それで11年9月28日に小林さんは第2次の恩赦申立をしました。生きたい、本当のことを知ってほしいという彼の生きる意味の見い出しです。その結果、今年2月7日です。恩赦の結果が彼にもたらされました。「恩赦不相当」というものでした。
  この段階で、私はもう一度再審請求をやろう、第3次再審請求をやろうということで、彼にお伝えしたんですが、彼はいろいろ考えることがあってなかなか書けないということで、再審申立理由をどうするか、もう一度相談したいという手紙が来ました。その時に僕が行けばよかったし、僕が再審申立を書けばよかったんだけれどもなかなか時間がなくて。ようやく再審申立をしようということで会いに行った日が2月21日でした。拘置所の会える時間は8時30分からですよ。でも彼は8時4分にはもう死んでいたんですね。なにか、我々の動きをさせないようにはかられたとしか思えません。
  自ら控訴を取り下げて生きることを断念した彼が、再び、自分で生きたい、なんとか自分の生きる道を見出そうと、もちろんそれは被害児童に対する謝罪を含めるものですけれども。そういう中で生き直そうとしたこの時点で、この突然の仕打ちというのは、とてもショックを受けました。本当に打ちひしがれています。
  さっき安田さんがおっしゃいましたけれども、1989年にフォーラムを立ち上げた時には、「21世紀になったら何とかなるよね」と思っていたのですが、もうすでに13年経過して、ますますひどい状況になっています。われわれは常に負けて負けているわけです。ただ、死刑囚がいて執行される、その度に命が1つずつ失われていく。そのことについて、やはり私は耐えられません。小林さんのこの生きようとして生きようとして、生き直そうとした気持ちも引きずって、頑張っていきたいと思います。
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今回の執行の意味するもの(FORUM90 弁護士 安田好弘)」より
  大阪の小林さんの死刑執行については、小林さんと3つ房が離れている河村啓三さんからフォーラム90のメンバーに手紙が来ています。それを紹介したいと思います。
  「先日、2月21日木曜日、私の居室から3監房となりの小林薫さんが、朝の点呼のあとすぐ(午前7時45分頃)刑場へ引っ立てられてゆきました。彼は新聞やテレビで報道されている写真とは別人で、色白で小太りのよい男でした。収容生活も非常にまじめで、ほとんど声も出さないとても静かな死刑囚だったので、私はいつも偉いなあと思っていたのです。たぶん心の底から改悛したのだと思います。でね、この日は彼が一番風呂だったのですが、入浴もさせて貰えず、処刑台に立ったのです。彼は自分が一番風呂であることを知っていたので入浴の準備をしていたのか、洗面器がキャリーバッグの上に置かれたまま死にゆきました。またこの日はとても寒い朝だったのに、はんてんも着ず、刑場へと歩みを進めていったのです。彼の独房には、ハンガーに掛けられたはんてんがさびしそうにしていました。私は・・・・いつもそうなんですが、死刑囚が刑場に引っ立てられていくたびに、その残像が脳裏に残り苦しんでいます。何日も何日も残像から抜け出せないのです。小林さんのように、とても元気な人を無理やり国家の手で殺すのはやはり残酷ですよね」
  というふうに記されています。(以下略)
 
 *リンクは来栖
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金川真大死刑囚「解放されてもまた殺人する 特に謝罪の思いない」/小林薫死刑囚 再審準備中の刑執行  
 産経ニュース2013.2.21 11:58
 小林薫死刑囚は昨年、福島瑞穂参院議員(社民党党首)が昨年9~11月に実施した確定死刑囚に対するアンケートへの回答で「被害者には本当に申し訳ない思いでいっぱいです」と思いをつづり、絞首刑ではなく「薬物投与による執行」を希望すると表明していた。
 小林死刑囚はアンケートで、死刑執行は2日前に告知してほしいと回答。死刑制度については「日本刑法は(中略)復讐法ではない」として反対の意思を示していた。
 奈良地裁で死刑判決を受けた後に控訴を取り下げ、確定したことには「弁護士を信じられなかったから」と説明。再審請求については「今後する予定」と回答していた。
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小林死刑囚 死に直面 揺れた心情 謝罪の一方、1審に不満も
産経ニュース2013.2.21 12:24[westナビ]
 平成16年に奈良市で小学1年の女児を誘拐し、殺害したとして死刑判決が確定した小林薫死刑囚(44)=大阪拘置所=ら3人の刑が21日午前、執行された。小林死刑囚は判決後、遺族に「人として最低な行為で命を奪った」と謝罪する手紙を出し、被害者命日での刑執行を公判担当だった弁護士に望んでいたとされる。一方で再審請求を行い、死刑関連のアンケートでは判決に不満ももらした。自らの死に直面し、心は揺れ動いていたようだ。
 小林死刑囚は18年10月、被害者の有山楓ちゃん=当時(7)=の遺族に対し、「人として最低な行為で大切なお嬢さんの命を奪ってしまいました。刑の執行をもって罪を償うしかない」などと謝罪の言葉を綴った手紙を、1審を担当した弁護士に送付した。
 手紙は便箋2枚に直筆で書かれ、「『最後のお願い』として遺族に届けてほしい」と同封されていたという。 弁護士は遺族へ手紙を届けてもらえないか-と県警の担当者に打診。担当者は遺族に伝えたが、遺族側は受け取りを拒否した。
 一方で小林死刑囚は、1審の審理に強い不満があったとみられる。
 平成20年に実施された「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」のアンケートには、「警察の供述調書を頭から信じ、いいかげんな審理の末、死刑判決を下した」などと回答した。同年12月には本人が再審請求もした。
 事件当時の奈良県警捜査幹部は、死刑執行を受けて「突然、愛娘を奪われたご両親のことを思うと今でも胸が痛くてたまらない。これまでの月日をどのような思いで過ごされてきたか。死刑執行を節目にして、子供が巻き込まれる悲惨な犯罪はなくしていかないといけない」と話した。
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「生」に執着、再審準備中の刑執行…小林死刑囚
2013年2月21日(木)14時31分配信 読売新聞
 奈良県の女児誘拐・殺人など社会を震撼させた事件で、3人の死刑囚の刑が21日、執行された。
 政権交代後、初となる執行について、谷垣法相は記者会見で「いずれも極めて残忍で、遺族にとって無念この上ない事件。十分な検討を踏まえたものだ」と語った。ただ、早期の執行を望んでいた死刑囚もおり、遺族は「もう少し反省の機会を与えてほしかった」とやりきれない思いを口にした。
 「生きるのは面白くない」「早く死刑判決を受けて死にたい」。奈良地裁の公判の被告人質問で、投げやりな態度を見せた小林薫死刑囚(44)。しかし、2006年9月の同地裁の死刑判決に対し、自ら控訴を取り下げて判決を確定させた後は「生」への執着を見せた。
 07年6月に新たに弁護人を選任し、「控訴取り下げは無効」と控訴審の期日指定を求めて大阪高裁に申し立てた。08年12月には再審請求もしたが、いずれも認められなかった。
 控訴審の期日指定を求める申し立てを行った際の弁護人の一人、石塚伸一・龍谷大法科大学院教授は「小林死刑囚は、1審の裁判で『わざと殺したわけではない』という主張をきちんとできないままだったことに不満を持っていた。新たな再審請求の準備をしていた最中だったので、主張ができないままの執行は残念で仕方がない」と話した。
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「奈良女児誘拐殺害事件 2004/11/17」小林薫公判最終弁論要旨/奈良地裁判決/控訴取り下げ、死刑確定 
望んだ「極刑」に揺れる心「奈良女児誘拐殺人」小林薫死刑囚 中日新聞 特報 2008/4/16
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風塵社的業務日誌」より
  『生きる―大阪拘置所・死刑囚房から』(河村啓三著) 
 本書の著者・河村啓三さんはある殺人事件で死刑判決を受け、現在大阪拘置所に在監の身となっている。本書には死刑囚の立場から、執行のある日の拘置所の雰囲気、拘置所の日常生活と同囚への想い、看守や裁判の裏側、そして事件への反省の念と拘置所内で仏門に入られたことなどが綴られている。
 まず目を引くのは、その言葉遣いの面白さだ。拘置所を「モンキーハウス」と呼び、自身の独房を「囹圄(れいご)」、お金を「金貲(きんし)」と称している。それは言葉をもてあそんでいるのではなく、視点をずらすことによって、厳しい日常のなかに少しでも生きがいを見出そうとする営為の現われなのだろう。
 死刑囚の生きがい? 一般的にははなはだ矛盾した表現のように聞こえるかもしれない。ところが当たり前のことであるが、死刑囚だろうが日本最長寿のおじいさんだろうが、だれもが死にたくはないのだ。そして生きていくには、どんなにささいなことでもいいから生きがいを求めるのが、われわれ凡俗の姿である。
 一方、現在日本で三万人以上の自殺者が出ているように、死刑囚のなかにも、おのれの起こした犯行の罪深さや拘禁ノイローゼにとらわれ、自殺願望をいだく人もいる。そういう人を処刑することは、はたして刑足りうるのだろうか。本書で著者も指摘しているが、これは国家によるただの自殺幇助に過ぎないように思えてしまう。
 ところが獄吏というのは難儀な商売だ。死刑囚が自殺を企てた場合は必死になって救出しなければならないのに、法務省からの命令が届けば同じ死刑囚を処刑台に引っ立てていく。生殺与奪の権が国家権力にあることを示すために死刑制度が存続しているので、死刑囚は勝手に死ぬことも許されていない。
 本書の著者は、あくまでも生きたい派である。そのため、ささいな生きがいを求める。たとえば、季節の移り変わりや、獄窓から見える小動物の姿に心がとらわれ、来世を信じ、同囚や看守とのやりとりに濃密な人間世界を感じる。看守の大半は小生同様の人間のクズだと勝手に思っているが、なかには尊敬できる人もいるようだ。そういうまともな人との触れ合いこそが、死刑囚に半生を振り返らせるきっかけになることが、本書を通してよくわかる。
 著者は次のように述べる。「人間というのは自分を認識するためには他人が必要である」。現在死刑囚として収監されている人に本当に反省してもらうには、まともな人間と付き合い、犯してしまった事件と真正面から向き合うことが必要だろう。その作業を放棄させ、殺してしまうことだけで行刑を事務的に処理するのは、保身第一のお役所仕事と批判してもし足りない。
 読んでいてもっともつらいのは、著者の家族を襲った災難である。著者が死刑判決を受けると、心労のあまり父親はガンとなり、姉は心身を患い、残された母親はその後しばらくして脳梗塞で倒れながらも、獄中の息子のことを思い、意識朦朧のなか自ら119番通報をして息絶えたそうだ。ひとつの悲劇がさらに悲劇を生んでいく。小生には痛ましいという月並みの表現しかできないが、それを獄中で手をこまねくしかなかった著者の苛立ちは想像もつかない。
 くだらない日常をくだらなく生きている小生には、死ぬために生きている著者の放つ「一瞬一瞬を精いっぱい頑張りたい。そしてあとは黙って耐え忍ぶ」という言葉は、耳を撻(う)つ。しかしそれは、死刑囚の言葉だからこそわが耳を撻つのであって、安っぽい自己啓発とは立っている地平がそもそも違うのだ。一瞬、一呼吸を大事に生きることの大切さを、素朴に伝えてくれる。
 著者は笑顔を心がけているらしい。「辛くとも笑顔を見せることが大切」で、「笑顔は人を安心させる」そうだ。これは不自由な獄中で、居丈高な看守や自棄気味の同囚と付き合っている著者ならではの発見なのだろう。著者が殺人事件を起こし逮捕されてから約二〇年。その間の、死と対峙し続ける生活と思索とが、こうした境地に赴かせたのだろう。こういう人をいまさらあえて殺さなければならない理由は、少なくとも小生のなかには見つからない。それどころか、やはり死刑制度は廃止すべきだという思いを強くさせる。
 河村さんには(ほかの死刑囚にも)少しでも長く、元気で生き抜いてほしい。そして、正面から事件と向き合ってほしい、と切に考えさせられた。
 最後に、二〇〇七年に実際に殺人被害にあわれたかたは六〇〇人台で、そのうち心中事件がもっとも多いそうだ。殺されている人の数は年々減少傾向にあり、体感治安の悪化とは正反対にある。この逆転現象の背景には、マスコミの煽り報道があることは言うまでもない。私たちは眉に唾をして事件報道を受け止めないと、だまされていることに気が付かないのだ。

 本書は「死刑廃止のための大道寺幸子基金第三回死刑囚表現展」に応募し奨励賞となった作品を大幅に加筆・訂正したものであること、また著者が死刑囚となるまでの経過は前著『こんな僕でも生きてていいの』(インパクト出版会)をご参照いただきたいことを付言しておく。

生きる―大阪拘置所・死刑囚房から
河村 啓三
インパクト出版会

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  ◎上記事は[風塵社的業務日誌]からの転載・引用です
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2 コメント

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読ませていただきました。 (ティシャン)
2017-08-12 04:25:43
小林死刑囚のことは生い立ちなども含め、気になっていたので読ませていただきました。
事件はとっても悲しいことで、小さな命が消されたことは、私にも子どもがいますので、悲しみよりも、恐怖の感情がわいてきます。
それと同時に、小林死刑囚の生い立ちが、本当にかわいそうでなりません。
死刑という制度を改めて考えさせられました。
亡くなってしまった小さい命のご冥福をお祈りするとともに、
小林死刑囚がどうかお母さんと再会できていますようにと、心から願い、ご冥福をお祈りいたします。
ティシャン
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感情移入の対象が違う (通りすがり)
2021-08-13 03:29:54
私は正直書かれている事にまったく同意できないです。
犯罪者に感情移入する気になれません、亡くなった女の子にどうして感情移入できないのでしょうか?
死んでるからですか?死んでいる人に感情移入しても仕方ないのでしょうか??
女の子は何の罪もないのに、どんなに怖かったか、どんなに苦しかったか、知らない男に付いて行ってしまった事、内心ドキドキだったと思います、本当は悪いおじさんなのではないか・・親から知らないおじさんにはついて行ってはダメと言われてたのに・・帰ったら叱られるな・・とか。
二度と家に帰ることは出来ませんでした。
感情移入する対象が違うと思います。

削除していただいて結構です。

駄文失礼いたしました。
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