島田紳助さん “黒い交際”理由に引退「悔いはない」 2011/8/23

2011-08-24 | 社会

紳助“黒い交際”理由に引退「悔いはない」
nikkansports.com

 人気タレント島田紳助(55)が23日、“黒い交際”を理由に芸能界を引退した。この日夜、東京・新宿の吉本興業東京本部で記者会見を行い、自ら発表した。今月中旬、過去に暴力団関係者との「親密メール」のやりとりをしていたことが外部から同社に持ち込まれて判明。紳助は「ルール違反をしたので、自分で一番厳しい処分を科した」などと説明した。涙を浮かべたが「悔いはない」と言い切った。今後は「普通の人」に戻って静かに暮らすという。
 午後10時、集まった約300人の報道陣を前に紳助は、険しい表情で頭を下げて言った。「今日をもって芸能界を引退することになりました」。引退という結論に至った理由を「僕があいまいな判断をしたら800人の後輩に示しがつかんと思った。自分に一番重い処分を与えた。悔いはありません。ぶれることなく引退します」と説明した。
 同席した吉本子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー水谷暢宏社長によると、今月中旬、紳助が05年6月ごろから07年6月ごろまで、数十年来の友人を通じ、暴力団関係者Bさんと携帯電話メールのやりとりをしているなど「一定の親密さをうかがわせる交流」をしていたことが、外部からの口頭による情報提供で判明。社長は情報提供者については明かさなかったが、関係者によると、友人は元プロボクシング世界王者渡辺二郎被告(恐喝未遂罪で実刑判決を受け上告中)という。
 同社は情報について検証した結果、「信頼性が高い」と判断し、日本テレビ系「24時間テレビ」が終了した21日午後10時半ごろ、同社は紳助から初めて直接事情を聴いた。紳助はその場で事実と認め、反省の意思を示した上で「責任をとって引退します」と伝えたという。その後、同社と紳助は電話などでやりとりし、23日午後5時、水谷社長が引退の意向を受理した。
 紳助によると、十数年前に「ある解決できない悩み」が生じ、友人A(渡辺二郎被告)さんを通じ、Bさんが解決してくれたことから、Bさんに対し「人としての恩」を感じ、感謝のメールをAさんを通じて送ったという。04年に、紳助が吉本の女性社員を殴って負傷させた事件の際に励まされ、「ありがとうございます。2人がいるから心強いです」「心の支えになってます」「心はひとつですよね」などというメールをAさんを通じて送ったという。「ただ、会ったのは十数年で4~5回」とした上で「(交流は)僕の中ではセーフだと思っていて、悪いことをしているという意識や交際という認識はなかった。ただ吉本から『業界のルール違反や』『これはアウト』と言われ、認識の甘さを知った。芸能界のルールとして間違っていた」とした。
 仕事関係者や親しい芸能人から、引退撤回を強く求められた話をした際、涙を浮かべた。「泣いたら、後悔してるみたいですけど、熱い思いがうれしかっただけ」。引退は、ダウンタウンの松本人志だけに事前に伝えた。松本から「やめないでください」と返信があったが、紳助は「最低の終わり方だが自分のわがままを通させてくれ」とこたえたという。
 今後は「普通の人」に戻ると明言。「明日からは一般人なんで、静かに暮らしていきます。恩返しで、若い人たちが夢を見れるようなことに協力したい。沖縄のサンゴがなくなったから何とかしたいとか、世の中の役に立っていきたい」。一方で「明日からは、書かれたら遠慮せず告訴できる」とも話し、「(芸能界に)まったく未練はない。一瞬テッペンにのぼったんで、悔いもありません」と強調した。
 [2011年8月24日9時14分 紙面から]
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紳助引退会見【一問一答】
デイリースポーツオンライン
 
 (会見の冒頭、机に手をついて『申し訳ありませんでした』と頭を下げた)
 ‐引退自体に納得しているか
 「納得というか、800人の後輩に示しがつかんし、一番重い処罰を自らに下して引退すると決めました」
 ‐(問題になったのは)ずいぶん前のメールだが、内容は
 「『メールに見覚えあるか』と会社に聞かれた。(送ったメールは04年の暴行事件で)謹慎している時のもの。この時助けてくれたみんなにも(A氏と)同じメールを送った。『2人の存在があって今のボクがいます』と」
 ‐なぜ今問題になったのか
 「理由はまったく聞いてない。ボクの中では(メールのやりとりは)セーフだと。(A氏は)真っ白な方でしたから。(暴力団とは)知りませんでしたし」
 ‐暴力団との交際だと理解していたのか
 「ボクが十数年前に悩んだ時、引退を考えているとA氏さんに話した。僕も知らない間にA氏がB氏に(何とかしてやってくれ)とお願いしていた。後で(お礼に)会いに行った」
 ‐引退に至る過程で迷いはなかったか
 「自分の身に(困った時があり)、Aさんに『心はひとつですよね』とメールを送った。Bさんに会ったのは偶然も合わせて5回程度です。だから僕自身の中ではセーフだと思っていた」
 「週刊誌に(黒い交際など)いろなこと書かれて、悔しかったんで。明日から一般人なので遠慮せんと、告訴したいと思います」
 ‐レギュラー、共演者のみなさんには
 「吉本の方から話をしてもらって、家にきて『引退だけは撤回してもらえないか』とも言われまして。後悔してるわけではない。その熱い思いがうれしかったです。違反は違反」
 ‐誰に事前に引退を明かしたのか
 「事前に教えたのはダウンタウンの松本ぐらいです。電話で、向こうは『やめないでください』と。21歳でデビューして、漫才やめるきっかけは松本でしたから。芸能界終わる時にもヤツだけには伝えました。ほんの少しだけ美学を通させて欲しいとお願いしました。和田アキ子さんにも電話したんですけどお出にならなかったんで、報告できなかった」
 ‐芸能界を振り返って
 「素晴らしい人に恵まれた。心の師である上岡龍太郎さんも55歳で引退して『引退したらいかんよ』と、2、3年前から言われてたんですけど、同じ年で引退するのは運命感じます」
 ‐やり残したことないか
 「未練はない。山はてっぺんまで登ったらゆっくり降りなければいけない。その言葉が胸に染みているが、ボクはがけに転げ落ちてしまった。ボクらしいかなと思います」
(2011年8月24日) *強調(太字)は来栖
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〈来栖の独白〉
 驚いた。今朝起きて(A.M.07:05頃)居間に降りる(我が居室は2F)と、テレビ画面に「紳助」の顔。何か謝罪している模様。一瞬「(夫君が)朝から珍しく芸能ニュースを見ているのかな」とびっくりしたが、そうではない。いつものようにNHK7時のニュースだった。近年NHKは、トップニュースで、堂々「三面記事」を持ってくる。それも延々とやる。政治・経済といった報道は後回し。また最近力を入れている(と感じる)のは、「天気情報」である。民放顔負けの才色兼備気象予報士を何人も登場させる。天気情報を届けるのに、かくもチャーミングな女性でなければならないのか。一昔前まではNHKのアナウンサーといえば、加賀美幸子アナウンサーなど、ひたすら質実だったような気がする。昨今NHKも色を売るようになった。---NHKへの違和感は、ここまで---
 紳助氏は、上掲記事のように、引退するそうだ。記事によれば
 「ほんの少しだけ美学を通させて欲しいとお願いしました」
 と、ある。
 彼の賢さを見る。どこかの政治家のように、スキャンダルを書き立てられつつ汚れたイメージで居座るのは、得策ではない。潔く身を退けば、彼の場合【暴力団】よりも【引退】のほうが印象に残る。「人間は誰でも失敗や過ちを犯すものだ、紳助はその失敗・過ちに潔く責任を取った」・・・紳助を思い出すとき、人はきっと彼の潔さを称賛するだろう。そしてそれは、きっと紳助に対する「帰ってこい」コールに繋がるのではないか。
 知名度の高い芸人だ。賢いから、評論だってできる。本も書けるだろう。
 紳助さんの引退の決心が将来を目論んでのものとは、思わない。潔く身を処することの重さを感じた次第だ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある、か。身を捨てても己が美学は貫きたいものだ。紳助さんは、心ばえも優れている。
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〈来栖の独白〉20:30頃、追記
 渡辺二郎氏の名前が出てきたことで、これは、ちょっと様子が違うのかな、という気がしてきた。「渡辺二郎・羽賀研二被告」の裁判のことだ。「渡辺氏に関わったため、当局(府警)によるとんでもないでっち上げが為されるのでは」と、吉本興業も紳助も怯えたのではないか。不意にそんなことを思った私である。
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十数年前TV発言で右翼トラブル 山口組幹部が解決
産経ニュース2011.8.24 14:32
 人気タレントの島田紳助さん(55)=本名・長谷川公彦=が暴力団関係者との親密交際を認め、芸能活動引退を表明した問題で、この暴力団関係者は指定暴力団山口組の若頭補佐と呼ばれる最高幹部の一人で、大阪府警が平成17年に幹部の自宅などを家宅捜索した際、紳助さんからの直筆の手紙や、幹部の親族らと撮影した写真が見つかっていたことが24日、捜査関係者への取材で分かった。
 紳助さんが23日の記者会見で明らかにした十数年前のトラブルは、テレビ番組での自身の発言をめぐる右翼とのものだったことも判明。紳助さんは、友人の元ボクシング世界王者、渡辺二郎被告(56)=恐喝未遂罪で実刑判決を受け上告中=を通じて幹部と携帯メールを交わし、幹部が解決に乗り出していたという。
 幹部は、17年6月に大阪府東大阪市内の自宅建物と土地が差し押さえられたことをめぐる競売入札妨害事件で府警に逮捕された。府警は関係先の捜索で手紙や写真を発見したが、押収はしていないという。
 一方、紳助さんは17年6月から2年間、幹部とメールを交わしたとしているが、関係者によると、メールは渡辺被告を介してやりとりしていた。
 メールは紳助さんと幹部との親密さをうかがわせる内容で、幹部が紳助さんの経営する大阪市内の飲食店を訪れ、高額の飲食をしたことに対する謝意や、幹部が逮捕されたことを心配するような記述があったという。
 メールは、府警が19年に未公開株をめぐる恐喝未遂事件で、羽賀研二被告(50)=本名・當真(とうま)美喜男、詐欺罪などで実刑判決を受け上告中=の共犯として渡辺被告を逮捕した際、渡辺被告の携帯電話を押収し、内容が判明したという。
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紳助「あの程度」で引退するのか 明らかにされない幾つかの「ナゾ」
J-CASTニュース
2011/8/24 20:56
   タレントの島田紳助さん(55)が活動自粛ではなく、いきなり引退を表明したことで、様々な憶測が出ている。吉本興業による解雇説から、紳助さんのクーデター説などまであるが、どれが真相なのか。
 「何も言わなかったら、謹慎だったと思う」
*外部から吉本興業に情報提供
   島田紳助さんは、2011年8月23日夜の緊急会見でこう明かした。紳助さんにとっては、暴力団関係者らとのメールのやり取りは、「この程度」のものだった。しかし、700人もいる若い吉本芸人に示しがつかないと思い、異例の芸能界引退を決意したという。
   とはいえ、やはり「この程度」で引退までするのかと、ネット上では疑問がくすぶっている。テレビ番組でも、コメンテーターのデーブ・スペクターさん(57)が「どう考えてもおかしいですね」と首をひねっていた。
   そもそも、メールがやり取りされていたのは、2005年6月~07年6月までのことだ。報道などによると、その相手は、山口組系暴力団の相談役だった元プロボクシング世界王者の渡辺二郎被告(56)(恐喝未遂罪で実刑判決を受け上告中)だった。紳助さんは十数年前、渡辺被告から紹介されたこの暴力団の組長にトラブルを解決してもらい、以降2人と親密な関係を続けていたという。
   紳助さんの黒い交際のうわさは、数年前からも度々週刊誌に報じられている。最近では、週刊現代が11年5月7・14日合併号で、この暴力団組長が05年6月に家宅捜索を受けたときに、紳助さんの手紙や写真が多数見つかったと指摘した。
   それが、11年8月20日になって、外部から吉本興業に情報提供があって発覚したというのだ。
   事情に詳しい芸能関係者は、真相は分からないものの、警察の動きが何か関係しているのではないかと推測する。
*大阪府警の思惑が絡んでいる?
 「渡辺二郎被告らには、1審で無罪判決が出ています。そこで、有罪にしたいと考えた大阪府警が、吉本興行側に情報提供した可能性もあると思います」
   報道によると、渡辺被告からのメールは、府警が2007年6月に渡辺被告を逮捕したときに、押収した携帯電話を解析して分かった。こうしたことからも、府警提供説が出るわけだ。
   島田紳助さんが引退したのは、吉本興業側の事情もあったのではないかと芸能関係者はみる。
「コンプライアンスを重視するようになった吉本は、会社として何が得かと考え、暴力団とのうわさのある紳助さんを切りたいと思ったのでしょう。紳助さんのレギュラー番組の視聴率が低下し、タレントの賞味期限を考えたこともあると思います」
   一方、紳助さんにも事情があったようだ。
「バッシングなどで芸能活動の先行きが見え、情熱を失っていたようです。ですから、引退のタイミングをうかがっていたはずですよ。テレビ局には迷惑をかけることになり、吉本とは円満退社したとは言えません」
   そんな両者がそろって会見したのは、落としどころが見つかったためではないかと芸能関係者はみている。
   吉本の社外取締役をしている原田裕弁護士は、取材に対し、「引退は、解雇よりも重いということです」と説明している。
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シンポジウム「検察、世論、冤罪 Ⅱ」渡辺二郎・羽賀研二被告の裁判〉

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警察庁 安藤隆春長官「芸能界と暴力団との関係を断ち切るために 警察は必要な支援を行いたい」
和田アキ子 島田紳助さん/うらぶれて袖に涙のかかるとき人の心の奥ぞ知らるる/士は己を知る者の為に死す
島田紳助引退/警察庁「山口組壊滅作戦」安藤隆春長官は個性と信念で暴力団排除に走ってきたが
島田紳助「暴力団との関係を不問にして欲しい」/捜査当局「渡辺二郎を起点に橋本会長に辿り着きたい」 
  府警の刑事がしきりにケンちゃんに聞いてきたのが紳助のことだった・・・ 
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余録:紳助さん突然の引退
 金遣いの荒さで知られた喜劇役者の藤山寛美は、暴力団絡みの金銭トラブルで松竹をクビになったことがある。復帰の後も楽屋にはその筋の借金取りが毎日押しかけたが、「私を働かせな、貸した金は取れまへんで」と見事あしらってみせた▲なかでもある組長には毎月わずかな額を返し続けた。見かねた人が「これくらい一度に払えばいい」というと寛美は答えた。「そうすると、あの親分との縁がのうなる」(矢野誠一著「昭和の藝人 千夜一夜」文春新書)▲人気芸人も闇社会との結びつきの中で、したたかに振る舞っていたかつての芸能界だった。だが暴力団の反社会性が厳しく糾弾される今日である。民放テレビで週6番組にレギュラー出演する国民的人気者が怪しげな「縁」を温存していては即時引退もやむをえない▲誰しも驚いたタレント、島田紳助さんの突然の会見だ。引退理由とされる暴力団との関係の実態、それが明るみに出た経緯にはよく分からない点もある。ただ「(関係は)セーフと思ったがアウトと知り、自分で一番重い決断をした」と引退が自らの意思と強調した▲不良を気取った少年時代、「学校のゴミ」呼ばわりされた紳助さんが芸人で成功して母校を訪ねた時だ。一転「学校の誇り」と言われたのに「ゴミとホコリやったら変わらへん」。自分をさらけだし、世の常識を巧みにすり抜ける話芸で座を仕切った紳助さんだった▲「ゴミ」も「誇り」もありのままの自分--今回もそういいたげな紳助さんだが、自身も言うように次世代に継がせてはならぬ「縁」もある。芸能界の闇の負債はこの際一気に返さねばならない。毎日新聞 2011年8月25日 0時11分
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検察は謙虚になるべきだ 「伝説の鬼検事」田中森一氏 

       


2 コメント

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Unknown (rice_shower)
2011-08-24 22:35:19
紳助の引退が不自然に映るのは、そこに虚偽、作為があると言う事です。
(自称闇社会ウォッチャーとしては)“安藤”警察庁と吉本興業の間で、大きな“deal”が為された、ということだと推測。 何年か前、フジが突然“PRIDE”から下りた(当時ドル箱だった格闘技。 主催者が暴力団系だった)、相撲界が野球賭博を切っ掛けに“浄化”を強いられた(弘道会問題が入り口)、のと同じ構図。 
警察の、「暴力団との公然の秘密的な永年の関係を切らないのなら立件する」との威嚇に屈した、或いはこれを奇禍として、闇社会との関係を切るべく一歩踏み出した。
野球賭博、八百長問題の折、春霞さんのところにもコメントしたのですが、警察が使命感から敢えて踏み込んだのなら良いのですが、利権臭芬々なのです。
吉本に警察官僚天下り枠が出来るのではないのでしょうか。(もうあるのかな?)
芸能界は警備会社と不可分、そしてそこは警察官僚にとっての天下り金城湯池なのですね。 東電問題とも通底する.....、つくづくこの国が嫌になります。
貴女におかれれは、何と言っても地元名古屋ですから、弘道会を応援して下さい!!!  

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Unknown (ゆうこ)
2011-08-25 22:06:36
rice_showerさん
 コメント、ありがとう。
 2007年に出版された田中森一さんの『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』を4年ぶりになりますか、書棚から出してみました。収監前に書かれたもので、重厚な内容です。当時、一所懸命読んだのですが、今ちょっと意欲がわかない。
>つくづくこの国が嫌になります。
 田中さん、三井環さん、宗男さん、佐藤優さん、石川議員・・・日本中枢の崩壊が始まっているのでしょう。
 本日は意欲がわきませんが、囁くものがあります。
 「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ18,20) 「わたしたちは、---希望は失望に終わることがないことを知っている」(ロマ書5,4)
 『反転』のあとがき、末尾に田中さんは次のように書いています。
“石橋産業事件で逮捕・起訴されたときには、元の同僚検事や弁護士がえらく心配してくれた。
「おまえは利用されただけなのだから、許永中と分かれて公判に臨むべきだ。こっちで弁護団を組むからな」(略)
 だが、私は許永中に詐欺行為はない、という立証方針で公判を闘った。その結果、懲役3年の実刑判決を受けた。それは甘んじて受け入れなければならない。
 なぜそうまでして彼をかばおうとしたのか。よくそう聞かれる。
 その理由は私にもわからない。あえて言えば、
「田中森一はあれだけ親密にしていた永中を裏切った」
 世間からそう云われるのが嫌だった。彼からもそう思われるのが我慢ならなかった。それは、私の弱さでもあり、限界なのだろう。そういう生き方を選択してしまった代償が、懲役3年の実刑である。いまはそう自分を納得させている。”

裏切りたくない、と思います。心意気に感じて生きていきたい、そう思うのです。司法も行政も、部分でしかない、と。
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