オウム元幹部 死刑執行直前の様子 「誰も恨まず、自分のしたことの結果」中川智正元死刑囚

2018-08-26 | オウム真理教事件

「したことの結果」オウム元死刑囚、直前の様子
  2018年8月26日 14時8分 読売新聞     
 一連のオウム真理教事件で死刑が確定した教団元幹部13人の刑の執行が終了してから、26日で1か月となる。
 教祖の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚(執行時63歳)の指示で凶行に及んだ元死刑囚たちの執行直前の様子が関係者の話で明らかになってきた。一方、未曽有の被害をもたらした事件の教訓を次代に伝える取り組みも始まっている。
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 「触られなくても自分で行けます」。関係者によると、中川智正元死刑囚(同55歳)は先月6日朝、広島拘置所の居室から刑場に歩いて向かう際、傍らの刑務官にそう申し出た。「誰も恨まず、自分のしたことの結果だと考えています」と遺言を刑務官に伝えてコップ2杯のお茶を飲み、落ち着いた様子で執行に臨んだ。
  読売新聞

 ◎上記事は[livedoor NEWS]からの転載・引用です
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「裁判は真実を究明する場ではない」 中川元死刑囚と論文を共同執筆 アンソニー・トゥー教授インタビュー
 毒性学の世界的権威が語る
 「文春オンライン」編集部 2018/8/26
 2018年7月6日、オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫やその他5人とともに元オウム真理教幹部・中川智正元死刑囚が刑に処され、亡くなった。毒性学の世界的権威であり、死刑確定後の中川元死刑囚の面会相手であったコロラド州立大学のアンソニー・トゥー名誉教授が7月26日に『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』(KADOKAWA)を上梓した。
 トゥー教授のオウムとの奇妙な縁は1994年にはじまる。その年、学術誌「現代化学」上でトゥー教授が化学兵器についての論文を発表すると、悪用を恐れたためにかなり簡略化された内容だったにもかかわらず、教団はこの論文をヒントにVXガスを作り、会社員VX殺害事件などを起こしたのだ。松本サリン事件が起こった後には、トゥー教授が科学警察研究所に協力し、山梨県旧上九一色村の教団施設付近の土壌からサリン残留物が検出された経緯がある。
 トゥー教授は、化学兵器開発に関与した元医師の中川元死刑囚に2011年から計15回面会した。著書と、中川元死刑囚と過ごした時間について聞いた。
■死刑確定の二週間前に開始した文通をきっかけに面会へ
 4年前に「サリン事件: 科学者の目でテロの真相に迫る」という本を出版したのですが、科学的な見地からオウムが起こした一連の事件について書いたもので、一般の方にとって読みやすいものではありませんでした。
 そして、中川さんからは、生きている間は面会中の発言や手紙のやり取りを出版するのは基本的に控えてほしいというお願いがあった。そういった経緯で、今回中川さんが亡くなられた後にこの本を出版したわけです。
 そもそも中川さんとお話をするようになったのは、オウムがどのようにしてサリンやVXガスなどの化学兵器を製造するに至ったかを知りたかったためです。
 日本では、死刑判決が確定すると、死刑囚は判決以前から接触のあった人としかやり取りすることができません。幸い、私は中川さんの死刑が確定する2週間前に中川さんとの文通を開始しました。その後、法務省の特別許可を得て面会しています。
■VXガスでの注目をきっかけに、論文執筆へ熱意を傾けた
 面会を重ねていく中で、中川さんしか知りえないような話はたくさん出ましたから、それを世間に発表してはどうかとすすめました。2016年には「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」という題で「現代化学」11月号に中川さんの手記が掲載されました。
 昨年2月に、北朝鮮の金正男暗殺事件があったときは、中川さんがマレーシア警察の発表の1日前に、自身の体験から「使われたのはVXガスにちがいない」と弁護士を通じてメールしてきてくれました。それを私が毎日新聞の記者に伝え、夕刊の一面に掲載される、大きなニュースになったことがあります。
 自身の経験が他の人の役に立ったことを、中川さんは非常に喜んだようです。その後、自身の経験を活かし、VXガスについて英語で論文を書きたいと言っていたので、私も手伝いましたよ。ただし、途中で中川さんが広島拘置所に移されたので、共同執筆の作業は大変でした。広島拘置所には英語で検閲できる方がいらっしゃらず、論文は一旦大阪拘置所の検閲に回されていたそうです。
 英語で論文が書き上がってからも、なかなか査読が通りませんでしたが、今年の5月、ついに日本法中毒学会の「Forensic Toxicology」電子版にてLetter to the Editor欄に掲載されました。
 さらに、今年の6月から同じテーマで日本語論文を執筆していたのですが、これは「現代化学」2018年8月号に掲載されました。お医者さんというより化学者が書いたような、充実した化学論文でした。非常に頭のいい方なので、専門外の分野でも「やろう」と決めるとすぐにできてしまうのです。
 この論文が掲載された号を見る前に亡くなってしまったので、残念だったろうと思います。
■独房に暮らした中川元死刑囚の楽しみ
 特別許可を得て面会をしている身分ですから、主に化学兵器や生物兵器について伺うことにしていました。25分そういった話をして、「ご家族はどうされていますか」といった世間話を5分くらいする、という具合です。そういった面会であるにもかかわらず、非常に楽しみにしてくれていたみたいで、独房で暮らす中川さんの寂しさを感じることはありました。
 逃走していた三人の被疑者、平田信さん、高橋克也さん、菊地直子さん(のちに無罪確定)の裁判に中川さんが証人として出廷したのですが、その際の警備のものものしさを語る中川さんは笑顔でした。やはり外に出られて嬉しかったのでしょう。移動中にスカイツリーを見られるかと期待したけれども、車窓が締め切られていて見ることができなかったという話もしていました。
■最後の面会では5キロ痩せ、「先生もお元気で」と声をかけた
 最後にお会いしたのは今年の4月、広島拘置所です。バスでの広島への移送が身体に応えて5キロ痩せたこと、移送の際に故郷の岡山の山々を見ることができて懐かしかったことなどを話していました。
 別れ際は、「先生もお元気で。これが最後の面会かもしれません」「英語の論文では大変お世話になりました」と声をかけてくれました。なにか悟っていたのでしょう。
 彼が犯した罪は非常に重いと思います。ただ、それと同時に亡くなって寂しいという気持ちはありますよね。朗らかで、好感の持てる方でした。
■中川元死刑囚が明かした、オウムの生物兵器テロ計画
 中川さんとお話しすることで、初めて明らかになったことがいくつもありました。
 たとえば、当初「一宗教団体がサリンを作れるはずがない」という先入観があり、米国では「オウムはロシアからなんらかの援助を受けていたのではないか」との見方が主流でした。私も、中川さんとの面会で一番始めに聞いた質問は、化学兵器開発にあたってロシアの援助があったかどうかでした。
 しかし、中川さんによれば主に土谷正実元死刑囚(教団内では第二厚生省大臣)が、私の論文やその他の文献にあたって、自力でサリンやVXを作っていたわけです。
 もうひとつ、中川さんと話して初めて明らかになったのは、オウムが化学兵器開発の前に、かなり本気で生物兵器に取り組んでいたということです。
 遠藤誠一元死刑囚(教団内では第一厚生省大臣)が中心となって、ボツリヌス菌や炭疽菌を使ったテロを計画していました。1990年にオウムが衆議院選挙で惨敗した直後、教団の運営を立て直すために石垣島で開催されたと見られていた合宿勉強会ですが(石垣島セミナー)、実は信者を石垣島に集めている間、東京でボツリヌス菌によるテロを起こすことが目的だったのです。
 幸いにも遠藤元死刑囚が主導して作った生物兵器は精度が悪く、テロは失敗しました。オウムはその後、化学兵器開発へと路線変更をしていきます。
■裁判は罪を裁く場であり、真実を究明する場ではない
 地下鉄サリン事件で使われたサリンは、教団内に残っていたサリンの中間物質であるメチルホスホン酸ジフロライド(裁判内での通称は「ジフロ」)を使って作られたことはすでに知られています。しかし、読売新聞が1995年の元旦に報じたスクープ(「サリン残留物を検出 山梨の山ろく『松本事件』直後 関連解明急ぐ 長野・山梨県警合同で」)をきっかけに化学兵器開発の発覚を恐れ、サリンをはじめとする化学兵器を一旦すべて廃棄していた教団が、なぜ大量の「ジフロ」を隠し持っていたのかは中川さんを通して初めて知ることができました。中川さんが語ったその詳しい事情は本に書いています。
 廃棄されなかったジフロを管理していたのは誰か、サリンは本当に第7サティアンで作られていたのか。裁判を経ても曖昧なことは多々あります。
 本にも書きましたが、裁判は罪を裁く場であり、すべての真実を究明する場ではありません。警察にしたって、彼らの役目は犯罪を調べることですから、結局犯罪に使われなかった生物兵器については調べようがありません。ですから、研究者として真相解明に少しでも役立ててよかったと考えています。
 中川さんは、「日本ではもうサリン事件は起こらないだろう」という見方をしていましたが、私も同感です。というのも、教団内でサリンを製造した際も、100人ほどの人手が必要なくらい、大がかりなプロジェクトだったそうです。今後国家が主導する開発はありえても、民間人が開発する可能性は低いのではないかと思うのです。
 今のテロは、過激な主張に共感した個人が世界各地でバラバラにテロを起こす「ローンウルフ型」が主流で、これまで以上に誰がどこでなにをするか、予想がつきません。
 ですので、いざテロが起きてしまったときのための準備を進めることが大事だと考えています。米国では、病院や大学の理科系棟では各階に除染シャワーがあります。警察に知らせれば、途端に全員退去がおこなわれる、その町の消防車が短時間で何台も来る体制をつくる、そういったインフラを整えるのが大事ではないかと思います。

 ◎上記事は「文春オンライン」からの転載・引用です
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