オウム 中川智正死刑囚が俳句同人誌 独房の内省詠む

2012-11-09 | オウム真理教事件

オウム中川死刑囚が俳句同人誌 独房の内省詠む
東京新聞2012年11月4日 朝刊
 地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件を主導した元教団代表・麻原彰晃死刑囚(57)=本名・松本智津夫=の側近だった中川智正死刑囚(50)が、俳人の江里昭彦さん(62)と二人だけの俳句同人誌「ジャム・セッション」を創刊した。拘置所の独房で日々を過ごす中川死刑囚は、セミや花に心境を託した句など十八句を寄せている。(石井敬)
 「この小誌を『ジャム・セッション』と名づける。同人は中川智正氏と私のふたりだけである」
 冒頭、江里さんの「創刊に当たって」に、こうある。「ジャム・セッション」とは、ジャズなどで打ち合わせなしに始める即興演奏のこと。死刑が確定して面会禁止となった中川死刑囚とは「ぶっつけ本番」にならざるを得ないためだ。
 ふたりの出会いは、江里さんが京都府立医科大の職員だった一九八六年にさかのぼる。大学祭の実行委員長だった中川死刑囚が学生課によく出入りし、顔見知りとなった。
 一時は疎遠となったが、逮捕を知って驚いた江里さんが中川死刑囚の家族に連絡。本人の求めに応じて本を差し入れてきた。
 二〇〇六年秋、約二十年ぶりに東京拘置所で面会。裁判の法廷に出て、障害者のボランティアをするなど温厚で誠実だった学生時代の印象を述べた。
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 拘置所で俳句などを作っていた中川死刑囚は、死刑が確定すると面会禁止になる直前、歳時記の差し入れを求めた。詩歌を作り続ける意思表示と受け止めた江里さんは、昨年暮れの最後の面会で「ふたりだけで同人誌を出そう」と提案した。
 歌手の美空ひばりさんの評伝「ひばり伝」などで知られる俳人の斎藤慎爾さん(73)も趣旨に賛同し、ゲストとして十句を出した。
 刑決まり去私には遠く漱石忌
 中川死刑囚のこの句には「二〇一一年一二月九日に、最高裁から判決訂正申立書の棄却決定書が届く。刑確定。この日は夏目漱石没後九五年の命日」との説明が付いている。私心を捨て去る「則天去私」は、漱石が「理想の境地」とした言葉。刑の確定に揺れる心境が読み取れる。
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 春一番吹かず十七年目の忌
 これは地下鉄サリン事件から十七年の一二年三月二十日に詠んだ句だ。
 金網の殻見事なり蝉(せみ)生きよ
 運動場の小さい穴を見て、羽化したセミに思いをはせる句も。
 同人誌は今後、年二回発行の予定。江里さんは取材の申し込みに対し、書簡で「中川氏のために『考察と自己凝視の場』として同人誌が必要だと考えた」と説明。ただ「オウム真理教への拒絶感情はいまも強烈であり、かつての被告が文章や詩歌を発信することそのものを不快視する人は少なくない」と面会での取材には応じなかった。
 <中川智正死刑囚とオウム真理教事件> オウム真理教は、麻原彰晃死刑囚の主導で坂本堤弁護士一家殺人事件(1989年)、松本サリン事件(94年)、地下鉄サリン事件(95年)など相次いで事件を引き起こし、27人の命を奪った。中川智正死刑囚(50)は麻原死刑囚の主治医を務めた側近で、自らも両サリン事件などで殺人罪などに問われ、昨年12月に死刑が確定した。法廷では「一人の人間として、医師として、宗教者として失格でした」と述べ、罪を認めた。
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恐ろしき 事なす時の 我が顔を 見たはずの月 今夜も静(さや)けし/元オウム中川智正被告 18日上告審判決 
 「恐ろしき 事なす時の 我が顔を…」 元オウム幹部の中川被告が短歌3首 最高裁で18日判決
産経ニュース2011.11.17 19:35 [殺人・殺人未遂]
 地下鉄、松本両サリン事件や、坂本堤弁護士一家殺害事件などで殺人罪などに問われ、1、2審で死刑とされた元オウム真理教幹部、中川智正被告(49)が17日、弁護人を通じて短歌を発表した。最高裁は18日、中川被告に上告審判決を言い渡す。
 短歌は「恐ろしき 事なす時の 我が顔を 見たはずの月 今夜も静(さや)けし」など3首。
 「りんご樹を この世の底で 今植える あす朝罪で 身は滅ぶとも」という1首は、死刑執行への覚悟をうかがわせる。
 また、「遺(のこ)しおく その言の葉に 身を替えて 第二の我に 語りかけたし」という1首について、弁護人は「(中川被告は)自分のような者を出さないために、精神科医などの協力を得て手記を書いている」との解説を加えている。
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オウム裁判終結へ、中川被告からの手紙
 あわせて189人が起訴されたオウム真理教による一連の事件は、まもなくすべての刑事裁判が終わります。サリン製造の中心的な役割を果たし、一審、二審で死刑を宣告され、18日、最高裁判決を受ける元幹部が反省の気持ちと、一方で今も抱える教祖への割り切れない思いを手紙に綴りました。
 「被害者の方々、ご遺族の方々にはこの場をお借りいたしまして、心からおわび申し上げます。誠に申し訳ございませんでした」(中川被告の手紙)
 中川智正被告(49)。京都の医大に在学中にオウムに入信。麻原彰晃、本名、松本智津夫死刑囚の主治医として仕え、サリンの製造などで中心的な役割を果たしたとして、11の事件で殺人などの罪に問われ、一審と二審で死刑を言い渡されました。
 「ただ、ただ、頭を下げて、おわび申し上げるだけでございます」(中川被告の手紙)
 17日、弁護士を通してJNNの記者に届けられた中川被告からの手紙には、ただひたすら謝罪の言葉が重ねられていました。
 その中川被告と、事件の被害者という立場にありながら、ずっと向き合ってきた男性がいます。オウム真理教家族の会・会長の永岡弘行さん(73)。
 永岡さんは16年前、オウム真理教に入信した長男を脱会させようと奔走していた矢先、猛毒のVXガスを背後から吹き付けられ、意識不明の重体となりました。その後、長男は教団から脱会しましたが、永岡さんの体は今も右半身がマヒしたままです。
 「(中川被告に恨みは?) 恨みはない。本当にそうなんです。大人である我々が(事件を)阻止することができなかった」(永岡弘行さん)
 永岡さんを襲ったVXガスを製造した男。それこそが中川被告でした。中川被告は、なぜ犯罪に手を染めたのでしょうか。永岡さんは法廷を傍聴し、拘置所での面会を続けて来ましたが、最後の判決を目前にした中川被告の変化に驚いたといいます。
 「大きく変わったのは最後。穏やかな顔つきになっていた」(永岡弘行さん)
 しかし、かつての教祖、松本死刑囚に対しては、今も割り切れない思いを抱いています。
 「麻原氏が何も話さずに裁判を終えてしまったことは、個人的な感情を抜きにしても、同じような事件を2度と起こさないという目的からして、残念でしょうがありません。彼しか分からないことが沢山あったのです」(中川被告の手紙)
 教団への本格捜査から16年余り。松本死刑囚は何も語らぬまま、これまでに11人の死刑が確定しました。
 「何よりも罪の重さを自覚しつつ、自己を見失わずに残りの人生を終わりたいと思います」(中川被告の手紙)
 来週、月曜日の元幹部の裁判で、一連のオウム裁判は事実上終結します。(TBS News 17日16:51)
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