楽譜、CD、スーツケース、化粧品などなど、勝手知ったる江戸でてきぱきと買い物を済ませ、ザウルスと待ち合わせて、渋谷のNHKへ。
NHK教育テレビで放送中の「あいのて」のリハに、見学に?いや、手伝いに?いや、一緒に遊んできた(笑)。あいのてリハに顔を出すのは初。ほんとにこれ、仕事なのか、と思うくらい楽しく、そして同時に、こんな長時間、こんな集中力を要する探求が続くのか、という、めっぽうハードな仕事場だった。
リハーサル室を開けるなり、床に乾燥大豆が落ちていた。あ~、豆まきね。。。さっきまで風船をやっていたらしい。次は豆。大豆でさんざん遊ぶ、大豆で曲を作ってみる。それから、コンビニ袋で遊ぶ、コンビニ袋で曲を作ってみる。あまり詳しく書くと、番組を見る楽しみを減らしてしまうといけないので、控えめに書いておこう。写真は、あいのてリハ現場。
先日、あいのての、ものさしの回に苦情が来て、確かたった1回の放送でものさしの回はお蔵入りとなった。が、その苦情はたった3件だったらしい。たった3件の苦情で、、、あきれて言葉を失った。どんだけのひとが観て喜んでくれてると思ってるんだ!と同時に、そうか、そうなんだ、と思うことがある。
つまりテレビとか、ホールとかそういうところは、「面倒の起きないこと」をやりたかったりするひとが、内容をあまり観ない位置にいることがある、ということ。それから、面白い、すごい、と思っている何百人のひとがいても、たった3件の苦情しか、実際問題彼らには届いていないということ。そういうこともあってか、来年あいのてが継続されるかどうかは、今の段階でまーだ決まってないらしい。
そう、絶賛の声を、わざわざNHKに電話したりメールしたりするひとは、あんまりいないのだ。ものごとを否定するひとのパワーは、実際に苦情のメールを送る、という行動を起こさせている。否定するのは楽だから、その分あっという間に行動にパワーをまわせてしまう。あいのてを楽しみにしている、愛しているひとたちの声は、直接も、ネット上でも、相当たくさん聞いているが(しかも、NHK教育の新番組では、初めて「お母さんといっしょ」の視聴率を抜いたらしいし)、もう一段踏み込んだ行動を起こさなければ、いいほうに状況を継続することは難しいのだと、気づかざるを得ない。
あいのてを楽しんでいて、続いてほしいと思っている方がおられたら、もう一段踏み込んだ意思表示を、ぜひしていただけたら、と思う。そして、このことは、なにもあいのてに限っていない。
ひとやものを否定・批判・叱責することなんて、簡単だ。文句言うなんて、誰にだってできると思う。それはたぶん、頭の中のほんの一部分しか使わなくてもできることだから、経験がなくても、思考やイメージを掘り下げなくても、あまり真実をよく見ようとしなくても、反射だけで起こせる行動だから。そして、自分で責任とらなくていいから。kananaga自身を振り返れば、よくわかるよ。
いいと思うものをちゃんと誉めること、これでいいのだと言うこと、更なる方向性を提示すること、許し受け入れること、これらは、文句を言うのよりは難しい。自分で判断しなければならず、責任がかかってくるから。でも、できるだけ多くのひとが、これを、しなきゃ。。。まずは、kananagaからだ。。。。
そうすることの方法、大きくわけて2つ思いついた。ひとつめ、思考やイメージを辛抱強く掘り下げて、用心深く且つ大胆に行動を起こす。ふたつめ、何があっても、いい、と、どーんと構えて、覚悟を決めて直感で行くことにして、愛をもって受け入れる。でも結局、これだって集中力を必要とする。「そうじゃない」ということに対して否定する形をとってしまっては解決しないのだから、言葉や、行動の積み重ねで、辛抱強くやって行くことになる。2つ思いついたつもりだったが、結局今のところひとつなのかもしれない。
言葉上矛盾するかもしれないが、戦争を起こさないための、辛抱強い静かな戦いが、あるし、いるんだと思う。
以前、外交政治のドキュメントをテレビで見た。外交官のひとが、本当に、辛抱強く、細かい根回しをしていた。言い回しをすごく工夫したり、色々な提案を持ちかけ、他国との関係をよくするために、戦争が起きないために、とても静かなかけひき(戦い)をしていたのだ。すごく、尊敬した。ものすごい地道な、殆ど表にはあらわれないところで、多くのひとが、「戦争」を起こさないための「静かな戦い」をしている。こんな地味な作業をあんな風にドキュメントにまとめたひとは、えらい(そのひとは、ちょっと知ってるひとだったりする)。
ドキュメンタリー映画監督の鎌ちゃんこと鎌仲ひとみさんのことを思い出す。「ヒバクシャー世界の終わりに」は、見事だった。あの作品から、多くのことが始まって欲しい。kananagaには何ができるのか、ってことが、頭の片隅からいつも離れない。小さいことしかできないかもしれないけど、そのひとつひとつが積み重なってやっと、世界がちょっとずつ変わっていくんだから、と自分に言い聞かす。そういえば、「六ヶ所村ラプソディー」、もうじき大阪や東京でやるな、やっと観れる、とても楽しみにしてる。
「六ヶ所村ラプソディー」は全国色々なところで上映予定のようですので、皆様どうぞおでかけください。
『六ヶ所村ラプソディー』オフィシャルブログはこちら
「幸せ」や「喜び」は、「あたりまえ」にどうしてもなりやすい、忘れちゃいやすい。でもそれは実は、「誰か」が頑張ってくれていることで、維持されていると思う。それはもちろん政治だけではなく、なんでも。芸術でも、そう。
kananagaは、「誰か」たちだけに、孤独な思いをさせたくない(そして、色々な種類の「戦争を起こさないための静かな戦い」をしているひとの、足を引っ張らないよう、気をつけたい)。ぜひ、一緒に、静かに戦うよ。お願い、みんな、土俵にあがって。もし、あまりに準備ができてないのなら、ゆっくりで、ちょっとずつで、いいよ。それはそれで、いいんだよ。でも、いつかはあがるつもりでいて欲しいし、応援もして欲しい。準備できてるはずなのに、なんでか自信がなく躊躇しているひとは、どうか、怖れずにすぐ、どんどん行動してみて欲しい(準備できてるのに気づいてないひとは、自分はひょっとしてできるのかも、という目で、自分を見つめ直してみて欲しい)。行動して経験が積み重なってこそ、自信はできてくるものだと思うし、求めるものも、より見えてくると思うから。世界を、地球をいいふうに変えていく、きっとできるから、多少失敗してもどうにかなるもんだし、何か文句言われたってそれで終わったりしないし、参考にして改善したらいいだけだし、大丈夫だから。目をそらさずに、なかったことにせず、本気で向き合ったものを見せてください。これを、まずは、kananagaさんに言おう。