本当は約1ヶ月遅れている日記を追いつかせてからと思っていたけど、さっき見た番組があまりにすごかったので、もうとばして今日の日記を書いてしまうことにした。
NHKのクローズアップ現代で、福島の原発から20km圏内で避難指示の出ている浪江町のひとたちのことが紹介されていた。すごかった。すごい情報量を伝えているVTRだったが、言葉にするのがかなり難しい。でも、忘れないうちにメモしておきたいと思った。町の方々が言っていたことに、kananagaの解釈が多少加わってしまうけど。
この町にとって原発は雇用を生んで経済を活性化させてくれた存在でもある。しかしそれは国や東京電力がとなえてきた「安全」が保障されれてこそ享受できてきたものだった。
今は、原発そのものも含め、恐れや憤りを感じている。
いつになったら浪江町に戻れるのか、それとも当分戻れないのか、とにかく情報をくれないと。恐らく多くの方がこの町に戻りたいと思っている、当然のことだ。でも、ここに住めなくなるひとも絶対出てくるだろう。
ほかの地域ではそれぞれ復興が始まっている。でも浪江町では、いつ戻れるのか=いつになったら放射性物質による汚染が生活できるレベルになるのか⇒1ヶ月?1年か2年?いやいや、一生戻れないかもしれない?それがわからないから何も始められない。
そもそもこの地域、今どのくらい汚染されているのかも「計測不能」状態。
普段クレーンを操縦する仕事をしているひとが、なるべく早く町に戻りたいから⇒元の浪江町として生活したいから、原発に入って瓦礫の撤去などの作業を手伝っている。1日で1.5ミリシーベルトの被曝。でもやらなきゃ、って言ってた。
鉄工所経営者の方は、家も流されてしまった従業員のために何とか助成金を得ようとするが、申請には従業員たちのタイムカードなどの書類が必要だと言われる。今は立ち入り禁止になってて書類をとりにいけない。役所のひとたちも板挟みだろうけど、つらい。こういうところに迅速に国の救済措置が入らなければいけないでしょう。
海辺の地域の安否確認担当の渡邊文星さん(わたなべの字があっているかどうかわからない)の言ってたことや表情が、深く脳裏に刻まれた。地震津波直後から捜索隊が向かう準備はできていたが、原発が爆発して町が立ち入り禁止になり行かれなくなった。今もまだ行かれない。安否不明が(確か)180人くらい。その名簿を見ながら「全員の顔を知っているんですよ。(名簿を)こうやって見てると、全員の顔が浮かんでくるんですよ」と言っていた。その口調や表情を、どう言い表していいかわからない。怒りや悔しさや悲しみがないまぜになっているんだけど、はっきりと前を向いている、地に足のついた、覚悟のできている顔だ。絶対忘れられない顔だ。
捜索隊が行かれなかったの、つらかっただろうな。すぐに行けたら助けられたひともいたかもしれない、と、考えてしまうと思う。
何人かの町民が、長時間被曝を避けるため90分間限定で自衛隊員とともに町に入るが、あっと言う間に時間がたち、安否確認は全く進まない。
現在の浪江町の風景がまた、なんて言葉にしていいかわからない。時が止まってる、なんて言葉ではなんか違う。まるで標本になってしまったかのような。
チェルノブイリ事故による患者の治療にもずっと携わってきた医師の鎌田實さんがコメンテーター。渡邊文星さんが今求めることとして言っていたのが「とにかく今どれくらい空気、水、土壌が汚染されているのか、また農業や漁業ができるようになるのか、など、そういうことの情報が必要。」それを受けて鎌田さんは「そのくらいの調査だったらできるはずだ」と言っていた。
番組のメモはこのくらいで。ああ、全然ダメだ、kananaga。言葉に全然できていない。
kananagaの素朴な疑問なんだけど、何故浪江町を含めた福島の原発近隣の放射性物質量は計測不能なんだ?機械がこわれているから?持ち込めるだろう。隠してるの?隠してどうなるものでもないだろう。都知事選で原発推進派のひとが当選するまでふせてるのか?それともなんなの?
ちなみにkananagaは、引っ越してすぐなので今回の選挙権がない。悔しい、本当に悔しい、行きたかった、この選挙は本当に行きたかった。東京は年配の方に保守が多い多いほんとに多い。だから、たぶん原発推進派が勝ってしまうんだろう、虚しい。今どうこうできることじゃない、これまでやってこれなかった自分たちの責任だ。若い人の投票率をあげることをもっとやっていかないといけない。若い人、必ず選挙に行って!
原発のこと、かなり複雑な構造になっていて、それを突き崩すのはひじょうに大変なこともわかった。でも、それでも世界を変えて行こう。
あ、ちなみに、kananagaには5ヶ月の娘がいるが、今のところ東京に留まっている。数値と状況を見ながらの対処。その判断材料になっている情報源とか、kananagaの考え方とか、また後日にまとめてみるつもりでいる。
首都圏で、被災地のショッキングな映像などを見てるうちに精神的に不安定になってしまうケースが沢山出て来てるらしい、特に子どもとか。それ、たぶんパニック障害だろうと思う。今起きてないのに予期不安でやられてるわけだから。
パニック障害は、認知のゆがみによって現れる予期不安からパニック発作を起こす病気で、感情の病気ではなく思考のゆがみが原因の病気。kananagaは産後2週間でパニック障害を発症した。母乳を続けられる薬をとりつつ、2ヶ月たったところで認知行動療法やら瞑想やらを実践して強いほうの薬を抜き、3ヶ月半くらいでもうひとつの薬もやめて、今ではすっかり発作は起きていない。
地震後の、テレビ、ラジオ、新聞、ネットなどからの情報にさらされているが、もう正体もコントロールの仕方もわかっているので発作は起こらない。図らずもこの大災害の前に発症と治癒を経験させてもらえたことに感謝。
まとまりない日記。日記だからいいか。。
日記を仕上げようとしたそのときに、また地震!3月11日以降で一番大きい!また東北地方が震源、いたたまれない。どんなに不安だろう。新たな被害が心配だ。
あまりにプレートが激しく動いたんで、地球の自転が速くなっちゃったんだってね!「地球」に、何が起きているんだろうね。
今夜の地震のとき合歓は寝てて、起きなかった。よかった。
NHKのクローズアップ現代で、福島の原発から20km圏内で避難指示の出ている浪江町のひとたちのことが紹介されていた。すごかった。すごい情報量を伝えているVTRだったが、言葉にするのがかなり難しい。でも、忘れないうちにメモしておきたいと思った。町の方々が言っていたことに、kananagaの解釈が多少加わってしまうけど。
この町にとって原発は雇用を生んで経済を活性化させてくれた存在でもある。しかしそれは国や東京電力がとなえてきた「安全」が保障されれてこそ享受できてきたものだった。
今は、原発そのものも含め、恐れや憤りを感じている。
いつになったら浪江町に戻れるのか、それとも当分戻れないのか、とにかく情報をくれないと。恐らく多くの方がこの町に戻りたいと思っている、当然のことだ。でも、ここに住めなくなるひとも絶対出てくるだろう。
ほかの地域ではそれぞれ復興が始まっている。でも浪江町では、いつ戻れるのか=いつになったら放射性物質による汚染が生活できるレベルになるのか⇒1ヶ月?1年か2年?いやいや、一生戻れないかもしれない?それがわからないから何も始められない。
そもそもこの地域、今どのくらい汚染されているのかも「計測不能」状態。
普段クレーンを操縦する仕事をしているひとが、なるべく早く町に戻りたいから⇒元の浪江町として生活したいから、原発に入って瓦礫の撤去などの作業を手伝っている。1日で1.5ミリシーベルトの被曝。でもやらなきゃ、って言ってた。
鉄工所経営者の方は、家も流されてしまった従業員のために何とか助成金を得ようとするが、申請には従業員たちのタイムカードなどの書類が必要だと言われる。今は立ち入り禁止になってて書類をとりにいけない。役所のひとたちも板挟みだろうけど、つらい。こういうところに迅速に国の救済措置が入らなければいけないでしょう。
海辺の地域の安否確認担当の渡邊文星さん(わたなべの字があっているかどうかわからない)の言ってたことや表情が、深く脳裏に刻まれた。地震津波直後から捜索隊が向かう準備はできていたが、原発が爆発して町が立ち入り禁止になり行かれなくなった。今もまだ行かれない。安否不明が(確か)180人くらい。その名簿を見ながら「全員の顔を知っているんですよ。(名簿を)こうやって見てると、全員の顔が浮かんでくるんですよ」と言っていた。その口調や表情を、どう言い表していいかわからない。怒りや悔しさや悲しみがないまぜになっているんだけど、はっきりと前を向いている、地に足のついた、覚悟のできている顔だ。絶対忘れられない顔だ。
捜索隊が行かれなかったの、つらかっただろうな。すぐに行けたら助けられたひともいたかもしれない、と、考えてしまうと思う。
何人かの町民が、長時間被曝を避けるため90分間限定で自衛隊員とともに町に入るが、あっと言う間に時間がたち、安否確認は全く進まない。
現在の浪江町の風景がまた、なんて言葉にしていいかわからない。時が止まってる、なんて言葉ではなんか違う。まるで標本になってしまったかのような。
チェルノブイリ事故による患者の治療にもずっと携わってきた医師の鎌田實さんがコメンテーター。渡邊文星さんが今求めることとして言っていたのが「とにかく今どれくらい空気、水、土壌が汚染されているのか、また農業や漁業ができるようになるのか、など、そういうことの情報が必要。」それを受けて鎌田さんは「そのくらいの調査だったらできるはずだ」と言っていた。
番組のメモはこのくらいで。ああ、全然ダメだ、kananaga。言葉に全然できていない。
kananagaの素朴な疑問なんだけど、何故浪江町を含めた福島の原発近隣の放射性物質量は計測不能なんだ?機械がこわれているから?持ち込めるだろう。隠してるの?隠してどうなるものでもないだろう。都知事選で原発推進派のひとが当選するまでふせてるのか?それともなんなの?
ちなみにkananagaは、引っ越してすぐなので今回の選挙権がない。悔しい、本当に悔しい、行きたかった、この選挙は本当に行きたかった。東京は年配の方に保守が多い多いほんとに多い。だから、たぶん原発推進派が勝ってしまうんだろう、虚しい。今どうこうできることじゃない、これまでやってこれなかった自分たちの責任だ。若い人の投票率をあげることをもっとやっていかないといけない。若い人、必ず選挙に行って!
原発のこと、かなり複雑な構造になっていて、それを突き崩すのはひじょうに大変なこともわかった。でも、それでも世界を変えて行こう。
あ、ちなみに、kananagaには5ヶ月の娘がいるが、今のところ東京に留まっている。数値と状況を見ながらの対処。その判断材料になっている情報源とか、kananagaの考え方とか、また後日にまとめてみるつもりでいる。
首都圏で、被災地のショッキングな映像などを見てるうちに精神的に不安定になってしまうケースが沢山出て来てるらしい、特に子どもとか。それ、たぶんパニック障害だろうと思う。今起きてないのに予期不安でやられてるわけだから。
パニック障害は、認知のゆがみによって現れる予期不安からパニック発作を起こす病気で、感情の病気ではなく思考のゆがみが原因の病気。kananagaは産後2週間でパニック障害を発症した。母乳を続けられる薬をとりつつ、2ヶ月たったところで認知行動療法やら瞑想やらを実践して強いほうの薬を抜き、3ヶ月半くらいでもうひとつの薬もやめて、今ではすっかり発作は起きていない。
地震後の、テレビ、ラジオ、新聞、ネットなどからの情報にさらされているが、もう正体もコントロールの仕方もわかっているので発作は起こらない。図らずもこの大災害の前に発症と治癒を経験させてもらえたことに感謝。
まとまりない日記。日記だからいいか。。
日記を仕上げようとしたそのときに、また地震!3月11日以降で一番大きい!また東北地方が震源、いたたまれない。どんなに不安だろう。新たな被害が心配だ。
あまりにプレートが激しく動いたんで、地球の自転が速くなっちゃったんだってね!「地球」に、何が起きているんだろうね。
今夜の地震のとき合歓は寝てて、起きなかった。よかった。
ちょっとこの日記のコメントには不似合いなんだけど、友人が、森の木琴というのを教えてくれて( 森の木琴
http://www.youtube.com/watch?v=C_CDLBTJD4M&feature=youtu.be )
久しぶりに心が穏やかになって、あー、なんてすてきなのかと思っていたら、この動画のあとに、YOU-TUBEの画面に、野村さんと北斎の企画のCMが出ていて、お!と思ってまたうっとりと聴いて、そうだ!かなちゃん!と思ってここにきてみたの。
大丈夫そうでよかったです。私は主婦だから、予定もいろいろあるけど、動けるときもおおいので、何か必要なことがあったらぜひ言ってね。大田区ならきっとあまり遠くないので(私は川崎市中原区:武蔵小杉あたり)
私もこの番組、みていました。苦しかったな。もう圧縮できないくらいにぎゅーっと、、それとも脳みそがつねられたみたいか、、。
前回もみていました。前回は、南相馬市で開業しているお医者さんがこの町に戻って診療を続けていて、その方とスタジオの女性キャスターが電話で喋る、というシーンがありました。
(4/1の私の日記に書きましたが)
ずっと考えていたのですが、かなちゃんがこの時にこちらにきて、そして地震、なんだかとてもとてもふしぎでした。
話したいこといろいろ。でもこのへんで。
元気そうでよかったな、、、
お久しぶりです!
この番組みたんだね、すごかったよね。
でも、あまりまともにくらわないように、ちょっと情報をセーブしたほうがいいこともあるので、気をつけてね。今の自分が受け止めきれる内容かしっかり勘を働かせて判断して、無理そうなものはパスすることが大事だと思います。日記にも書いたけど、パニック障害とかって、一般に思われているよりもずっとずーっと身近な病気ですよ。
> ずっと考えていたのですが、かなちゃんがこの時にこちらにきて、そして地震、なんだかとてもとてもふしぎでした。
一瞬(爆)考えました、私のミッションはなんだろうと。でも、私よりももっと意味を探したくなる状況のひとは沢山いるし、本当は意味なんてないかもしれないから、すぐシフトしちゃいました。んで、私は私にできることをしてると、ちゃんと認めてあげようと思いました。
川崎なんだね、近い!ぜひ近々お会いしましょう~。