世田谷美術館関係者の知人よりお知らせをもらって知った、横尾忠則展と教育委員会で起こっている出来事の続報が届いた。以下、転載。
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横尾忠則展をめぐる問題について、東京新聞が続報しています。
作家に対する教委の姿勢が、世田谷区議会でも問われたようです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20080528/CK2008052802000099.html
また、今回の問題には直接関連しませんが、「ほぼ日刊イトイ新聞」が展覧会場での横尾忠則&糸井重里のトークを連載しています。
http://www.1101.com/boukenooooo/
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これと近い感じの問題が、他にも色々起きているらしい。それだけに、この件は結構反響があり、またその反応が早いみたいだ。変な、大きな規模の対立構造にならずに、早めに、先生たちとの直接のお話が実現したらいいのにな。
で、kananagaは今日は「コウタゴウタプロジェクト」のはずだったんだけど、ゴウタが風邪をひいて、キャンセル。あとで聞いたんだけど、2人は、前の日に「明日kananagaちゃん来るよ」と聞いていて、そのつもりでいたので、「kananagaちゃんと遊ぶ~」と、泣いて怒っていたらしい。うへ~、嬉しい~。
なので、その分の時間があいたので、横尾忠則展を観に行ってみた。
世田谷美術館って、いつ行っても駅から遠い。でも、その道のりが、いい。公園の中を通っていく、霧雨が、気持ちいい。
さて、展覧会を観た感想、ひと言でいうと、横尾さんの近年の作品は、中学生のようだった。これは、ほめてるとかけなしてるとかいう感じではなくて、kananaga的には状況をそのまま説明している。なんていうかな、中学生くらいの感じの、毒とかアイロニーの出方をしてるんだ。表現内容もそうだし、表現方法も、変に飾らないというか、素直な感じ。それは、ある種のかっこ悪さが出ているんだけど、そこにためらいがないのは、すごいな、と思う。
kananagaが、美術の先生の教育実習のため中学校に行ったときのことを、一気にリアルに思い出した。ある男の子が描いていた「お友達の顔」は、ナイフとか刺さってて血が出てたり、でも顔とか全体の感じはアホアホで、なんだか笑えてしまう仕上がりになっていた。脇に、もそもそと書いてある、アイロニカルな言葉も、なんだかおかしいのだ。それをみてkananagaが思わず笑っていたら、そばにいた女の子が「え、先生、これ、いいの、、、?」とたずねてきた。kananagaは確か、「え?、、、だって、面白いじゃん」と答えた。いいも悪いも知らない。それって、先生としてはダメなんだろうか。でも、先生というより、kananagaはkananaga個人として、思ったことを言った。そのときのkananagaには、その絵をダメという根拠がなかった。
それぞれの集合において、紋切り型にダメ、と、押さえてしまわれがちな事象は、そこに内包されている面白い部分やデリケートで大事なことまで、そもそも見ないことにされてしまうことがある。それこそが、あとあとまで引くひずみやトラウマを生んでしまったり、可能性を潰してしまったりすることになっているんじゃないかしら、と思う。ダメ、と思うことがあったときは、なんでダメなのか、自分は、何故、今、ダメと思ったのか、と、自分に問いたいと思う。
横尾忠則展には、親子連れもたくさん来ていた。
教育委員会が、区の小学校全部の展覧会行きを中止するに至ったのが、なんとなくわかった。その発端は、たぶん数人の先生が「教育上ふさわしくない」と思って、それを言葉にしたからなんだけど、その、おそらく数人の先生は、ある意味どんぴしゃのところをつかれてしまったんだろうなと思う。こどもに、あまり考えもせず「ダメ」と押し付けていたことが、成立しなくなる「危険」があることを、察知したんだろうと思う。でもそこは、そんなに「危険」じゃないと思うし、そんなに面倒でもないと思うよ。子どもたちと、ひとつひとつ、丁寧に関係を作っていったら、そのほうがたぶん、話早いし、心地いいと思うよ。
ところで、展覧会図録をぱらぱらと見ていたら、kananagaが、横尾さんの近年の作品を中学生、と感じたことを、もっとわかりやすく解説してくれていると思えた文章が載っていた。それと、横尾さんの本で「隠居宣言」というのを買ってみたら、そこにも、あー、なるほど、と思うことがいっぱい書いてあった。実に、しっくりくる。
世田谷美術館の帰り道の公園で。途中、大きな犬と目があった。でも、飼い主さんがいるし、かわいー、と思いつつ、そのまま通りすぎようとしたところ、その犬がちょっとうっとりした顔でじりじり寄ってこようとしてくれた。なので、飼い主さんと顔を合わせて、にこっ、と。ちょっと、なでなでさせてもらう。その犬は、顔がブサイクタイプでかわいいわんこ。kananagaの実家の近くに以前飼われていたゴンちゃんに似てるなあ、と思ったら、なんと、この犬は、もんちゃんと言うそうな。名前が、近いねー。もんじろう、で、もんちゃん。かわいい、かわいい。
霧雨と、もんちゃんと、野球の練習と。美術館帰りの公園の風景が、視覚聴覚プラス皮膚感覚として、残る。そういえば、美術館って、公園とセットになってるとこ、多いな。美術館に行くことで、強制的に公園を体験できる。っていうか、こんなに気持ちいいんだから、普段から、もっと普通に公園に行くといいなあ。森にも行きたい。
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横尾忠則展をめぐる問題について、東京新聞が続報しています。
作家に対する教委の姿勢が、世田谷区議会でも問われたようです。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20080528/CK2008052802000099.html
また、今回の問題には直接関連しませんが、「ほぼ日刊イトイ新聞」が展覧会場での横尾忠則&糸井重里のトークを連載しています。
http://www.1101.com/boukenooooo/
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これと近い感じの問題が、他にも色々起きているらしい。それだけに、この件は結構反響があり、またその反応が早いみたいだ。変な、大きな規模の対立構造にならずに、早めに、先生たちとの直接のお話が実現したらいいのにな。
で、kananagaは今日は「コウタゴウタプロジェクト」のはずだったんだけど、ゴウタが風邪をひいて、キャンセル。あとで聞いたんだけど、2人は、前の日に「明日kananagaちゃん来るよ」と聞いていて、そのつもりでいたので、「kananagaちゃんと遊ぶ~」と、泣いて怒っていたらしい。うへ~、嬉しい~。
なので、その分の時間があいたので、横尾忠則展を観に行ってみた。
世田谷美術館って、いつ行っても駅から遠い。でも、その道のりが、いい。公園の中を通っていく、霧雨が、気持ちいい。
さて、展覧会を観た感想、ひと言でいうと、横尾さんの近年の作品は、中学生のようだった。これは、ほめてるとかけなしてるとかいう感じではなくて、kananaga的には状況をそのまま説明している。なんていうかな、中学生くらいの感じの、毒とかアイロニーの出方をしてるんだ。表現内容もそうだし、表現方法も、変に飾らないというか、素直な感じ。それは、ある種のかっこ悪さが出ているんだけど、そこにためらいがないのは、すごいな、と思う。
kananagaが、美術の先生の教育実習のため中学校に行ったときのことを、一気にリアルに思い出した。ある男の子が描いていた「お友達の顔」は、ナイフとか刺さってて血が出てたり、でも顔とか全体の感じはアホアホで、なんだか笑えてしまう仕上がりになっていた。脇に、もそもそと書いてある、アイロニカルな言葉も、なんだかおかしいのだ。それをみてkananagaが思わず笑っていたら、そばにいた女の子が「え、先生、これ、いいの、、、?」とたずねてきた。kananagaは確か、「え?、、、だって、面白いじゃん」と答えた。いいも悪いも知らない。それって、先生としてはダメなんだろうか。でも、先生というより、kananagaはkananaga個人として、思ったことを言った。そのときのkananagaには、その絵をダメという根拠がなかった。
それぞれの集合において、紋切り型にダメ、と、押さえてしまわれがちな事象は、そこに内包されている面白い部分やデリケートで大事なことまで、そもそも見ないことにされてしまうことがある。それこそが、あとあとまで引くひずみやトラウマを生んでしまったり、可能性を潰してしまったりすることになっているんじゃないかしら、と思う。ダメ、と思うことがあったときは、なんでダメなのか、自分は、何故、今、ダメと思ったのか、と、自分に問いたいと思う。
横尾忠則展には、親子連れもたくさん来ていた。
教育委員会が、区の小学校全部の展覧会行きを中止するに至ったのが、なんとなくわかった。その発端は、たぶん数人の先生が「教育上ふさわしくない」と思って、それを言葉にしたからなんだけど、その、おそらく数人の先生は、ある意味どんぴしゃのところをつかれてしまったんだろうなと思う。こどもに、あまり考えもせず「ダメ」と押し付けていたことが、成立しなくなる「危険」があることを、察知したんだろうと思う。でもそこは、そんなに「危険」じゃないと思うし、そんなに面倒でもないと思うよ。子どもたちと、ひとつひとつ、丁寧に関係を作っていったら、そのほうがたぶん、話早いし、心地いいと思うよ。
ところで、展覧会図録をぱらぱらと見ていたら、kananagaが、横尾さんの近年の作品を中学生、と感じたことを、もっとわかりやすく解説してくれていると思えた文章が載っていた。それと、横尾さんの本で「隠居宣言」というのを買ってみたら、そこにも、あー、なるほど、と思うことがいっぱい書いてあった。実に、しっくりくる。
世田谷美術館の帰り道の公園で。途中、大きな犬と目があった。でも、飼い主さんがいるし、かわいー、と思いつつ、そのまま通りすぎようとしたところ、その犬がちょっとうっとりした顔でじりじり寄ってこようとしてくれた。なので、飼い主さんと顔を合わせて、にこっ、と。ちょっと、なでなでさせてもらう。その犬は、顔がブサイクタイプでかわいいわんこ。kananagaの実家の近くに以前飼われていたゴンちゃんに似てるなあ、と思ったら、なんと、この犬は、もんちゃんと言うそうな。名前が、近いねー。もんじろう、で、もんちゃん。かわいい、かわいい。
霧雨と、もんちゃんと、野球の練習と。美術館帰りの公園の風景が、視覚聴覚プラス皮膚感覚として、残る。そういえば、美術館って、公園とセットになってるとこ、多いな。美術館に行くことで、強制的に公園を体験できる。っていうか、こんなに気持ちいいんだから、普段から、もっと普通に公園に行くといいなあ。森にも行きたい。