ちょうど一週間前、田中泯さんの独舞「透体脱落」を観に行った。彼の踊りは、観てすぐに言葉にして解釈できるような類いではない。大抵は、すごかったね、なんて具合で会話にもならない。だから残像も消えて、何か手触りのような感覚だけが残ってから、あれやこれやと考える方が多い。実はその時間がとても好きだったりする。
山を前にすると自分の身体は透体脱落していく。なのに山水が残っている。それが私である。これを山水一如の思想と言うそうですが、ここにある世界そのもののような踊り、生き様。彼の師土方巽は「私はまだ生まれていない」という言い方をする。こうしてなんだか狐につままれたまま雲をつかむような世界へ連れていってくれるんです。
大きな劇場での踊りは「透体脱落」が最後となってしまった。
山を前にすると自分の身体は透体脱落していく。なのに山水が残っている。それが私である。これを山水一如の思想と言うそうですが、ここにある世界そのもののような踊り、生き様。彼の師土方巽は「私はまだ生まれていない」という言い方をする。こうしてなんだか狐につままれたまま雲をつかむような世界へ連れていってくれるんです。
大きな劇場での踊りは「透体脱落」が最後となってしまった。