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化けくらべ (5)和尚の説教

2009年12月27日 | 民話
かわづら(かわつら)の寺のおっさまぁ(和尚)、大館の法事さ  えて戻りぁ しかみじ(近道)して、平城まで来たば、なえが話し声ぁしるけど、なえだべ ど思て どで(土手)コ陰がら見たば 四人(四匹)のぬしだちのあぢばり(集まり)だけでを

「ははあ、こねぇだ(この間)がら わりごど(悪いこと)起ぎるど、心べぇ(心配) してだば やはり このやがら(輩) でぁたが、この儘(まま)えしておげば しょげん(世間)の為ぇならねぇ」

て、この日ぁ寺さぁ戻たけど して ちぎ(次)の日、四人どご呼ばりぢげだ(よびつけ)でを、四人な こねぇだ(この間) 花まぢりぁおわたばり(花祭り終わったばかり)だえ、なえが余りおの ける(あげる)なだべど、とで はね(飛んで)で来たおだけど、して、えっちも(いつも)庫裏のほさ えてらなだおで そちゃえぎがげだば(そっちほうさ行きかけたば)本堂のほがら 和尚の大声だけでを 

「こりぁ そごの四人、こごさこえ(こっちへ来い)」

て、本堂のめぇ(前)さ、ねま(座)らされだでを、

「しかごろ(近頃)、えぐねぇ(良くない)ごどぁ おぎでるな、度々耳えしてえたが、そなだ達のしわざ(仕業)でぁた。んでねぁ(そうではない)どは言わしぇね、きんにゃ(昨日)平城のごどぁ、ちゃんと調べぇちでる。
 
このぼんぢぁ(和尚)ちね日ごろ、きがしぇでえだごど(話してた約束事)破て、この悪行ぁ なぢした(何とした)ごどだ。
あちこちの人さめやぐかげで、このちぐねぇ(償い)なぢしる(何とする)(謝って)。えま迄のごどぁ(今までのこと)その しとだぢ(人達)どさこの和尚ど しとぢえ(一緒)いわげであげるして、今後こえだだごどぁあたぢぎぁ(こういうことがあれば) こちにを了見ある、返答しでぇで、今日にをマタギだぢえ 来てもらて 皆ぶて(撃ち殺す)しまうが、
 
えゝがっ 俺の言うごど えぐえぐ(よくよく)聞げよ。只止めろて言うなでねっ 村村の人だぢを、んがだどこ(お前たちを)見れば なえ (何)をしねぇだて ぼたぐて(叩く)しまうどごぁある。そえだごどぁ(そんなこと) さしぇねぇ (やらせない)し、やらしぇねぇ たまにゃアブラゲを、喰でぐなるきもぢぁ(気持)えぐわがる。
だえで(だから)、人のおの(物)騙して取て、えゝ法ぁねぇ その代わり 月えにんど(二度)  にんみゃ(二枚)のアブラゲ各々さける、それででげるが どうだっ 若し断わり言えば、んが(お前たち)だばかりでねぇ、
 
一家郎党 皆、ぶだれるごどえなる それでを、ええがっ、性根しえで、返答しろっ。

て、こどわげ(事訳)での しえっきょ(説教)だけでを、連中ぁ寺がらなば、たえした ふたまえなて(迷惑をかけて)で、わらしぁだ けば(来ると)、しとぢえ あし(遊ぶ)でけだり、ものけだり、此の親だたて、マダギえ ぼわれ(追われて)で寺さねげで(逃げて)来て、おっさ(和尚)の衣の袖で かぐして貰て、たしかた(助かった)ごどぁ何遍を あぁあた(あった)おの、法・理・情のしえっきょえ震え上がてしまて、ちぢ(土)さ頭こして・

「おっさまあおらだわりがた(和尚さん俺らが悪かった)、これがらぁ決してしねえがら、何とが御免してけろ」て、涙ぼろぼろ こぼして、いわげだけど…。

それがらあ、まえちぎ(毎月)の はぢめ(始め)ど、ぢゆうごんち(十五日)にやぁ、アブラゲコ にんめえ(二枚)ぢじ(づつ)・森コにやあ おどコ(お堂)のめえさ、切崖にやぁ新堰の橋さ、平城にやあ エボ橋さ、舘にぁあ上がり口のえし(石)さ 誰が置えだでをねえぐ(誰ともなく)、置えであるをだけど…:

それがらあ、えま迄えな、わりごどあ起ぎねえぐなたおだけどせえ。

おめえだ(お前たち)をそのあだり あれぐぢ(歩く時)ぎ、アブラゲコにんめえ置えでるな、ぢんぢょ(きっと)見でるべぉん、して、えぢのまえ(いつの間にか)が、ねえぐなて(無くなって)るなを なあ……。

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