ひろしま歴史街道散策くらぶ(雲石街道と太田川筋)に行く!
平成30-11/15日(木) JR可部線安芸長束駅 13:30 集合 15名参加
散策会 「雲石街道と太田川筋」
散策経路
雲石街道~蓮光寺~長束神社~祇園大橋~大芝水門~不動院(国宝金堂・墓所)
案内人 佐々木 卓也 指南役
好天気の中元気に出発です。
広島城藩主、福島正則が整備した「雲石街道」を歩きます。
旧長束村には雲石街道沿いに商家が点在し、芦田屋胡神社がありましたが、2年前に
撤去され、長束神社に合祀されています。
● 原爆詩人 栗原貞子さんの生家
「生ましめんかな」で有名。
● 蓮光寺 浄土真宗
創建は弘安6年(1283)で、始めは天台宗で、明応5年(1496)には
浄土真宗に改宗され、慶長4年(1599)からは連光寺と称した。
基は寺町にあり寛永7年(1630)に現在地に移設されました。
門前の「ヌルデ」 とげがあります。
※ ヌルデと書きましたが、友人からメールで「ヒイラギナンテン」だと教えてくれ
ましたので訂正します。
[訂正「ヌルデ → ヒイラギナンテン」 ]
「蓮華松」は県内でも有数の名木として知られ、黒松で樹高9m、
昭和29年(1954)広島県指定の天然記念物となっています。
「親鸞聖人像」
「本堂」に上がらせて頂きました。
「広島別院」に次ぐ高位の12坊の一つです。
● 「忠魂碑」
日清、日露戦役での戦死者の慰霊碑。
(とんこいし、と呼ばれる石を砕いての石積み)
● 「長束神社」
主祭神 : 帯仲津日子命(仲哀天皇)
品陀和気命 (応神天皇)
息長帯日売命 (神功皇后)
相殿 摂社 末社
長束神社は皇紀1523年、56代清和天皇(平安時代)の御代、定款2年(870)
長束西の大年山に御勘定になり、文政12年(1828)仁孝天皇(江戸時代)の時
現在地に移転、当初は「長束八幡宮と称す。
(丁度11月15日、七五三の日、参拝する七歳の女児あり)
「 招霊の木(おがたまのき)」の木。
「祇園水門」
太田川が水難に悩まされ、昭和42年、太田川放水路が治水のため作られました。
太田川放水路(幅300m)9kmの流路。
旧太田川(本川)と5本の川があります。
太田川放水路に尽力された「岩沢忠康像」氏の胸像。 作:圓鍔勝三
「大芝水門」
● 「不動院」
開基は行基とも伝えられるが、創建年代や由緒については諸説ある。
本尊薬師如来像の様式から平安時代には創建されていたと推察される。
足利尊氏、直義兄弟が日本64州に設立した安国寺の一つ。
安芸安国寺として、安芸国主護武田氏の菩提寺として繁栄した。
しかし、戦国時代には戦火により伽藍が焼失し武田氏も滅亡した。
毛利氏の外交僧安国寺恵瓊により復興された。
関ケ原の戦いで西軍に与した恵瓊は処刑され、毛利氏も転封後、福島正則が芸備両国の
大名とし入国し、正則の祈祷僧である宥珍が安国寺に入り、従持となった。
この時、宗派を禅宗から真言宗に改め、不動明王を本尊とし不動院と称した。
後に、浅野氏が国主として広島に入ると、浅野家歴代藩主の保護を受け明治に至った。
1958年に金堂が国宝にして押された。
墓所には、「武田刑部」「安国寺恵瓊」「豊臣秀吉の頭髪」の5輪塔がある。
「福島正則」の宝篋印塔、墓所が移転されていました。
不動院で皆さんで集合写真を撮って今日の散策は終了です。
6000歩、4,1kmの今日のスマホの歩数計です。
太田川筋を歩きましたがいつもの散歩道でもあり、気持ちよかったです。
皆さんお疲れ様でした。 END
平成30-11/15日(木) JR可部線安芸長束駅 13:30 集合 15名参加
散策会 「雲石街道と太田川筋」
散策経路
雲石街道~蓮光寺~長束神社~祇園大橋~大芝水門~不動院(国宝金堂・墓所)
案内人 佐々木 卓也 指南役
好天気の中元気に出発です。
広島城藩主、福島正則が整備した「雲石街道」を歩きます。
旧長束村には雲石街道沿いに商家が点在し、芦田屋胡神社がありましたが、2年前に
撤去され、長束神社に合祀されています。
● 原爆詩人 栗原貞子さんの生家
「生ましめんかな」で有名。
● 蓮光寺 浄土真宗
創建は弘安6年(1283)で、始めは天台宗で、明応5年(1496)には
浄土真宗に改宗され、慶長4年(1599)からは連光寺と称した。
基は寺町にあり寛永7年(1630)に現在地に移設されました。
門前の「ヌルデ」 とげがあります。
※ ヌルデと書きましたが、友人からメールで「ヒイラギナンテン」だと教えてくれ
ましたので訂正します。
[訂正「ヌルデ → ヒイラギナンテン」 ]
「蓮華松」は県内でも有数の名木として知られ、黒松で樹高9m、
昭和29年(1954)広島県指定の天然記念物となっています。
「親鸞聖人像」
「本堂」に上がらせて頂きました。
「広島別院」に次ぐ高位の12坊の一つです。
● 「忠魂碑」
日清、日露戦役での戦死者の慰霊碑。
(とんこいし、と呼ばれる石を砕いての石積み)
● 「長束神社」
主祭神 : 帯仲津日子命(仲哀天皇)
品陀和気命 (応神天皇)
息長帯日売命 (神功皇后)
相殿 摂社 末社
長束神社は皇紀1523年、56代清和天皇(平安時代)の御代、定款2年(870)
長束西の大年山に御勘定になり、文政12年(1828)仁孝天皇(江戸時代)の時
現在地に移転、当初は「長束八幡宮と称す。
(丁度11月15日、七五三の日、参拝する七歳の女児あり)
「 招霊の木(おがたまのき)」の木。
「祇園水門」
太田川が水難に悩まされ、昭和42年、太田川放水路が治水のため作られました。
太田川放水路(幅300m)9kmの流路。
旧太田川(本川)と5本の川があります。
太田川放水路に尽力された「岩沢忠康像」氏の胸像。 作:圓鍔勝三
「大芝水門」
● 「不動院」
開基は行基とも伝えられるが、創建年代や由緒については諸説ある。
本尊薬師如来像の様式から平安時代には創建されていたと推察される。
足利尊氏、直義兄弟が日本64州に設立した安国寺の一つ。
安芸安国寺として、安芸国主護武田氏の菩提寺として繁栄した。
しかし、戦国時代には戦火により伽藍が焼失し武田氏も滅亡した。
毛利氏の外交僧安国寺恵瓊により復興された。
関ケ原の戦いで西軍に与した恵瓊は処刑され、毛利氏も転封後、福島正則が芸備両国の
大名とし入国し、正則の祈祷僧である宥珍が安国寺に入り、従持となった。
この時、宗派を禅宗から真言宗に改め、不動明王を本尊とし不動院と称した。
後に、浅野氏が国主として広島に入ると、浅野家歴代藩主の保護を受け明治に至った。
1958年に金堂が国宝にして押された。
墓所には、「武田刑部」「安国寺恵瓊」「豊臣秀吉の頭髪」の5輪塔がある。
「福島正則」の宝篋印塔、墓所が移転されていました。
不動院で皆さんで集合写真を撮って今日の散策は終了です。
6000歩、4,1kmの今日のスマホの歩数計です。
太田川筋を歩きましたがいつもの散歩道でもあり、気持ちよかったです。
皆さんお疲れ様でした。 END