2019年6月11日(火) 吉野宮へ その2
8日(土) 武部さんとの待ち合わせ時間は、夕方の6:00に吉野神宮駅でした。
私たちは、神戸を15時頃に出てJRを乗り継いて、大阪阿倍野橋から近鉄南大阪線特急・吉野行に乗って、吉野神宮駅に着いたのは17:23分でした。
改札口を出ると、もう武部さんが待ってくれていました。
「武部さん、途中でコンビニに寄ってもらいたいんですが・・」と私。
翌日、天武天皇の墓と母、斉明天皇の本当の墓に行くのに、墓守をしている方々に日本酒と甘いものでも持って行かなくては・・、忘れては大変です。
コンビニに寄ってから、準備万端で武部さんが運転する車は、目指すお宿の広々とした駐車場へと吸い込まれる様にして止まりました。
泊まったお宿は 宮滝温泉 まつや さんでした。 これもドラマの設定のお宿だったようです。
「先にゆっくりお風呂に入られるでしょうから、その後7時から夕食になります」・・と、2階へと上がって右手の「滝」の間へと案内されました。
田中さんはその右手の「鴨」の間でした。
私は、窓から見える景色のどのあたりの先に天武天皇の墓が位置するのか、又、かすかに山の頭頂部だけでも見えないかと、楽しみにしていました。
・・ので、部屋に入るなり少々興奮気味に外を眺め、リュックから愛用のコンパスグラスを出して、事前に地理院地図から求めていた凡そ100度の方角を見つめました。
「ああ~~、やっぱり山影になっているなぁ・・」。
・・でも、それまで数日、雨模様が続き、その日もどんより曇り空でした。
それが、突然私たちを祝福するかのように、おそらくその日初めてで最後の光を天武天皇の墓を遮っている山あたりに、明るい陽射しで照らしてくれました。
自然のいとなみにも意志があるといつも思う私です。
感動の瞬間でした。
そしてその風景を又又、お風呂から静かに眺めていました。
「明日、そちらへ向かいます・・」と。
食事は、新鮮な、アユ、あゆ、鮎料理。
泊りの客は、私たちだけで、でも整然と並んだテーブルとイスを見ていると、あたかも共に過去の人たちが並んで座っているような気になりました。
屏風が立てられた前の席には天皇が座っていて、私たちは宴席に呼ばれているような・・、武将たちがずらりと並んでいるような・・。
「お料理はお口にあいますでしょうか」
「とっておきの地酒もご用意させました。八咫烏です、どうぞどうぞ・・」
「いや~~、実に美味しいですねぇ!私は鮎が大好物でして・・」
「それは好かったぁ、どうぞおかわりを!」
「甘えて良いんですか!?」
「どうぞどうぞ、いくらでも召し上がってくだされ沢山用意していますから・・」と聞こえてくるようで、私たちは天皇の宴席に招かれたようでした。
・・すると突然女将さんが、
女将さん:「ここには昔、宮がありましてね、持統天皇も31回ほど通われているんですよ」
私 :「えっ! 持統天皇が31回もですか!」
女将さん:「そうなんです、近くに宮滝遺跡もありますよ」
私 :「そうだったんですかぁ!私たちは、天武天皇のお墓参りに来たんです」
女将さん:「???????」
私 :「天武天皇のお墓は、ここから東に見える谷合の向こうの山の裏にあるんです。持統天皇が何度も来られたことも納得できます」
女将さん:「そうなんですかぁ、謎がいっぺんに繋がりました」
・・事前に宮滝がどんな歴史ある舞台とも何も知らずに来て、凄い情報を聞かされて、感動が確信となってゆく素晴らしい瞬間でした。
女将さん:「ではごゆっくりと・・朝食は7時にご用意させていただきます」
・・と、その後突然、私が箸入れに書かれていた歌の内容をいろいろ聞いていたのでと、
ご主人 :「有名な先生が作られた歌です、私が歌わせていただきます」
・・と、それこそ昔は宴席には歌はつきもので、間違いなく古代天皇たちの宴席に呼ばれたようでした。
そのような思いで周りを眺めると、間違いなく向こうの中央には天皇が居て、武官たちが居並んでいて・・、静かな山深い宮滝の里に、いつもと違う明かりが灯り川の流れの音に弾んだ宴の声が響きあっていたことでしょう。 つづく
まつや さんの家紋は、日本十大家紋と呼ばれる有名な家紋の一つの「片喰紋(かたばみもん)」から派生した「丸に剣片喰紋」でしたね。