2022年9月16日(金)
ホテルでの朝食は、8:00からでお願いしていました。
そして9:00過ぎには、ホテルを出発しました。
前日往復した道をもう一度、武部さんの運転で道鏡の墓へと向かいました。
切り立った高い山と山との間を縫うように40分前後の時間を擁して、前日入口当たりを調査するために停めた狭いスペースにピタリと道路際ギリギリに武部さんは車を停めました。
そしてそこから山へと入る身支度をして、沢の横の道を登って行きました。 林道は工事車両で搬出できるように整備されていて、30分ほどで山頂に着くことができました。
早速私はリユックからコアロッドを取り出して、先ずは空洞探査を試みました。
結果、2m×3mほどの石室をキャッチ。 次に金の探査をしましたが、これも同じ広さに反応しました。
計測が終わってから、いつものように武部さんと皆さんで、君が代とかごめの唄を歌ってもらいました。
現場での地底探査では地下の石室は、通路の方向から見て20度に向けて造営されています。
帰ってから地理院地図にそのラインを伸ばすと・・、そこには岐阜にある孝謙天皇の墓に向けて造られていることが分かりました。
そのラインに直角方向には、役行者堂とさらにその先には、広島の弘法山です。これはもう偶然ではなく必然でしょう。
そのようなことで、間違いなく大変な道鏡さまの遺構が眠っているという証拠です。