かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

帯方郡の比定地は韓国の仁川である

2015-05-11 17:48:40 | 邪馬壹国

2015年5月11日(月)

邪馬壹国(邪馬台国)の帯方郡とは韓国の仁川(インチョン)である。

仁川から乗り込んだ人達は、現在のソウルから対馬・壱岐を経由して呼子(佐賀県)へと到着して下船します。

それから、吉 岡 津へとわざわざ陸路を行かされ、福津から船に乗せられて関門海峡を南下して宇佐八幡の神様にお参りして、中国山脈を南行して20日で着く港が山の大門です。 

そこからさらに中国山脈を東へ南行して着く最終港が西宮です。その西宮の北に甲山という目印になる綺麗な山があり、その東の裾野に仁川という町があります。

町の名前をよくぞ現在まで守っていただきました。 先人達に深々と感謝するばかりです。

仁川から仁川へと来られたんですね

そしてそれから女王卑弥呼さまが居られる聖地である栗(神崎郡神河町)までの陸路一か月のルートは、仁川を出発して、宝塚 三田 篠山 春日を通って知山。そこから西へと行って粟鹿から南下して生野、神河へと大黒様や恵比須様たち福の神御一行様がやって来られましたとさ。・・というお話です。

どうして確信もってそれが言えるかと申しますと、昨年私は、5月4日に中国の千山の山に登りましたが、遠くに人工的な三角の山を観ることができ、そこからコンパスグラスでその角度を記録していました。

そしてそれから丁度1年経った今年5日は、対馬で巨大な方位石である立亀岩を教えられまして、その亀岩が教えているのは、千山と呼子を結ぶラインでした。

・・・それで、韓国を通るそのライン上に必ず帯方郡が位置しているだろうと推測し、検討を付けた場所に関西の方ならご存知の仁川という同じ二文字が目に入りました。

そしてグーグルの3Dのストリートビューで映し出される山の風景を見ると、まさに人工的な三角の山が見えました。

対馬でも人工的な三角の山がたくさんありましたが、千山から対馬・呼子の方角に韓国でも同じように一直線に並んでいることでしょう。

私は一度も韓国に行ったことがありませんが、

ひょっとして仁川(インチョル)のあたりにも、西宮の甲山と同じような形の綺麗な目印の山があるのではと推測します。

誰か、韓国の仁川(インチョル)に詳しい方が居られましたら、情報をください。 

  よろしくお願いいたします! 間違いなく何か目印になるものが「ある!」と信じています。

もうそろそろ邪馬台国論争に終止符が打たれる時が来たようです。

神河町にある卑弥呼さんのお墓の立証を一日も早くしなければ大変なことになります。 大変なことに・・。

(奈良の箸墓古墳は卑弥呼さんと5歳違いの妹である倭姫様のお墓でしたね)

   

 

 

 

 今、卑弥呼さまが全てを教えてくれます。

 

 この世とあの世を繋ぐゼロ磁場発生装置テラファイト卑弥呼を作ってから、一気に隠された真実を教えられているようです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

対馬を南から北まで・・

2015-05-11 10:39:08 | 邪馬壹国

2015年5月11日(月)

5日に対馬空港(福岡経由)に降り立ち、レンタカーを借りて初日は南へと行きました。

万松院・アカハラダカ観測地へと行きました。

 

        

    

宿泊地は厳原にて

翌日6日は、白嶽登山口まで行って引き返し、そこから金田城跡へ行って、山頂まで歩きました。

 

 

               

 金田城跡山頂からの眺めです。

それから・・、

西の漕手へと行って

峰町の山へと行って

西の漕手の弘法壇へと行って、上対馬町のお宿へと車をはしらせました。

翌日朝からは北の端にある韓国展望所へと行きました。

           

   

間違いなく神様に呼ばれてた二泊三日の対馬の旅でしたが、道中すばらしい古代の人達からの贈り物も見せていただきました。 

日本の歴史を語る時、間違いなく対馬の歴史を知らずして語ることができないことが行ってよ~~く理解できました。

魏志倭人伝に記された女王国へのルートの詳細を教えられた旅のようでした。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする