かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

初期の古墳は山頂に造られた

2013-05-25 14:59:00 | かごめかごめの真実とは

2013年5月25日(土)

 JR六甲道駅の改札口を出た正面に、古本が売られていたので見て目に止まった本が、「日本古墳の研究」斎藤忠著。

棚から抜き出してケースに書かれていた ¥2、000 を見て、「これ下さい!」と本を差し出すと、おもむろにケースから本を取り出して本の裏側を開いたレジ係の男性は、「4000円です」と言うので、「エッ、2000円ではないんですか」と言う私に、「かなり古い本ですし、今は手に入りませんから4000円になっています」と。

一瞬ためらった私でしたが、財布の中に5000円札がチラリと見えたので買うことに。

古本を一度も買ったことの無かった私は、古本屋さんが成立つ理由がちょっと分かったような・・、でも自分の中で、「最初から4000円の値札が付いていたら買わなかったよなぁ・・」と思っても仕方ないことで、読むことに。

   なんと著者は、明治41年(1908年)生まれで、昭和40年東大教授。43年稲荷山古墳発掘を指導など権威あるご立派なお方。

ふむふむ・・

 で、読みだすと・・ 古墳は、「山というような概念の中に入れてよいような場所に築かれている場合が多い」と書いています。

播磨国風土記にある「朝日夕日の陰らざるの地に墓を造る」という記事も同じくこのような高燥の地に墓をつくるという通念を伝えたのであろうと書いて居られます。

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生野(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。

 九里きて、栗行って、九里もどる。

 朝日かがやき、夕日が照らす。ない椿の禰に照らす。

 生野の谷から何が来た。

 恵比寿、大黒、積みや降ろした。

 伊勢の御宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。

 生野の空から、御竜車が三つ下る。

・・・

 おお~!、イヤ地方の謎の伝承にも、朝日夕日の陰らざるの地に墓を造ったことを伝承していましたね。

 兵庫県神崎郡神河町の婀月山(あづきやま)が、全くその情景の場所です。

そして、その場所は綿密に設計されつくされたポイントで、その場所に行くと、葺き石(栗石)で奇麗に被われていました。

 我が国で最初にして最後の779mの山頂に築かれた、墳丘長さ150m 後円部径100m、上円部径50m 高さ15m の帆立貝形古墳、又は前方後円墳でした。

  そうです、 邪馬壹国の女王卑弥呼のお墓です。

卑弥呼おばさんのお墓は山頂に見事なまでのラインの曲線で葺き石が葺かれています。

それにしても、今の考古学者の人達は、「山の上にはお墓は無い」といつの頃から言いだしたのでしょう。 立派な先輩博士はキッチリと「山頂にある」と言ってるのに・・・。

  白いカラスも現れたのに・・・

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