鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

・画像生成AIのHolara、DALL-E3と合作しています。

・第58話「千古の商都とレマリアの道」(その5・完)更新! 2024/06/24

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第58)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

主人公とメインヒロインの最新ボツ画像集!?(笑)

え!? ルキアンとエレオノーアが……。さすが、本ブログの連載小説『アルフェリオン』の主人公とメインヒロイン? いや、これは盛りすぎでしょう(笑)。

はい、実は、先日の彼ら二人の画像を生成する際、例によっていくつかのボツ作品が生まれたのです。これらのボツ作品の中には、出来が悪いからボツになった画像だけではなく、むしろ「良すぎて」ボツになった画像も混じっています。この美形ルキアン&エレオノーアも、そういう意味でのボツ画像の一部です。しかし、勿体ないので、これまた例によってルキアンとエレオノーアの最新ボツ画像集を公開です。ちなみに今回については、いずれの画像も、AIのHolaraさんに生成してもらったものです。

それにしても、ルキアンとエレオノーア、似ていますね。髪型まで同じですし(笑)。恋人?のような関係の二人でありながらも、それ以上に兄妹という印象です。その背徳感がまた……(おい! 笑)。さらに、元々の設定では、ルキアンは女の子っぽい顔つきの少年、エレオノーアはボーイッシュな少女。男と女、兄と妹、色んな要素がねじれて絡み合って、まさに一心同体の二人を反映した姿を生み出しているのでした。

 

さて、採用版のルキアンの画像はこちらでした。

なんだか、微妙な感じでまさにルキアンです。

それに対して、タイトル画像に出てきた美形ルキアン(?)はこちら。まぁ、方向性の上では、採用版とそんなにズレていなくもないですが。

さらに、ルキアンのボツ画像を。

いや、これはボツというより、補欠でしょうか。かなりルキアンらしい面持ちです。

これは、ちょっと違いますね。でもルキアンって、描き方次第では時々、かっこいい(?)んです(苦笑)。常にカッコ良いのではないところが、ポイントですね。見る角度とか、表情によっては素敵……それがいい。

これも、悪くはないのですが……。ちょっと神経質すぎるような感もありますね。

次の画像も同じ系統です。

笑笑々々々……。

これはルキアンというよりは、彼に非常に似ていたという先代の闇の御子、エインザール博士っぽいかもです。

こ、これは……(苦笑)。

 

本作の主人公ルキアンに続いては、同じくメインヒロインのエレオノーアの最新画像、採用版です。

いいですね~(笑)。いかにもエレオノーアっぽいです。

これに対して、再び今回のタイトル画像から、美形エレオノーアの絵を。


本来なら、エレオノーアって「闇の御子」ですから……こんなクールな雰囲気の、ちょっとサイボーグっぽい銀髪美少女として描かれる方が似合っていたのかもしれません(いや、まさにその手の銀髪キャラの役回りは、レイシアがすでに先取りしていますが)。

しかし実際は、自分の想いに常に正直な(笑)、何事も直球勝負の潔い子になりました。そういう意味では、このボツ画像は、エレオノーアの雰囲気に合っていると思うのですが、ただ、ちょっと少年っぽい要素が強すぎる感じもします。

ただ、エレオノーアに関する限り、生成AIのHolaraさんは、もうあまりブレなくなってきました。どんなプロンプトで伝えればエレオノーアらしい画像を生成してもらえるのか、依頼する私の方もかなり把握できてきました(!?)。

それでも何だか微妙に違うボツ画像たち。

 


これはボツですが、エレオノーアは、時々、こんな表情もするように思えるんですよね。


ちょっと洗練され過ぎたエレオノーア?(苦笑) これはこれで素敵なのですが、かつ、エレオノーアの形式的な特徴は一通りおさえているのですが、雰囲気が、とにかく雰囲気が、色々と違います。

 

いや、最近……現実世界での余裕が無さすぎて、ブログのコンテンツが微妙にやっつけになってしまって、質が下がっているかもしれません。公私とも、色々とやるべきことが私個人の許容量を超えて限界ギリギリなんですけど……それで時間も余裕もないのに、そういうときほど、これまたブログを更新したくなってしまうのですよね。なんでこんなときに、我慢できないのだろうかと(笑)。そういう経験って、ありませんか。それは一種の現実逃避? しかし、こんなんでよく生きてるなぁと思います。

ただ、そんな厳しい状況のときに、自分の中の基準を満たすに至らないコンテンツを無理に公開しなくてよいのが(いくらでも時間をかけてよいのが)、本来ならアマチュアの良いところであり、またそれこそが「プロのアマチュア」(「アマチュアのプロ」ではない)の矜持だとは思います。その反面、たとえ質に不満はあろうとも、限られた条件の中で、そのときそのときに自分なりにできるものを、それなりの水準でもよいからとにかく発信すべきではないかとも……思ったりするのです。

何故か。そうですね。とても勝手なことを申し上げますと、まずもって誰かに見せるという以上に、自分自身が表現したいのです。かつ、その表現というのは、時間も余裕もないのでAIの力を借りてやっと成り立つ程度のものになっていますが。でも、それをもし誰かが見てくれたら、もっといいだろうなって。子供の頃、公園の砂場でやたら大きい砂のお城を作ったり、小学校の休み時間に自分の考えたイラストを描いたり、近所の子供たちの集まりがちな広場で自分の考えたヒーローの必殺技のポーズを何度も繰り返したり(少し問題のある子供だ。笑)していました。すると、それを見に来る他の友達たちがいて、それがうれしかったのと同様かもしれません。あくまで、私は自分が創りたいから創っているのだけれど、それにもかかわらず、そんな自己完結したふるまいに対し、面白がって見てくれる人がいるなんて何と幸せなことだろうかと、それを子供ながらに、おそらく幼稚園児の頃から私は意識していたと思います。それがいまだに抜けないのですね。

根本は自己満足なのだけど、でもその自己満足を多少なりとも、たとえ部分的であっても共有してくれる方々が、この世界にいるということ。それはそれで、どんなに自己中心的な人間にとっても、嬉しいことなのですよ、きっと。

本日も鏡海亭にお越しいただき、ありがとうございました!
次回もお待ちしております。週末まであと一日ありますが、頑張って(頑張りすぎない程度に)乗り切りましょう。そして、良い週末をお過ごしください。

ではまた!

 

鏡海

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