軽井沢ル・ボン・ヴィボン

10年の計画を立てました

1999年にお店を開業した時点で、10年の計画を立てていました。
「まずは1年だろ」とツッコミが入りそうですが
開業資金の調達さえできれば、お店の継続には「謎の自信」がありました。
(謎の自信どころか絶対の自信があって・笑)

10年で次のお店に。
⇛タイミングよく移転もできて、再インプットを中心に据えた意義ある10年でした。

その次の10年では集大成を。
⇛現在はここです。

当初から多店舗展開は視野に入れていませんでした。
目指せば道は開けたと思いますが、個人&地方という環境や
経済的な事情もあって、継続を優先しました。

スタート時には僕一人(家族の支えだけ)
お客様のあても無いのに集客の心配はしていませんでした。
地元でも外からでも、お店を気に入って来てくれる人がいればOK
というスタンスで始めたのですが
最初からお店は大盛況で、仲間にもお客様にも恵まれて本当に幸せでした。

1999年から起算して25年経っているので
今は集大成の10年に入っていますが
まだやり残している事があるので、集大成と言うには早いようです。
入居していたテナントの終焉、東日本大震災、自身のプライベートの問題
浅間山の噴火、大雪災害、コロナ禍 etc.
たくさんの困難を乗り越えてきたので
我ながら精神的には鍛えられたな、とは思います。

一人でやってきたように書いているけど、振り向けばいつも一人ではなかった。
いつも人の優しさに助けられ、感謝の念でいっぱいです。

こんな書き方をすると、まるで終わりのように見えますが、全然そんな事はありません。
集大成にはまだまだ早かったし、以前より10年が早く感じるので
早急に次の10年の計画を練らないと。そんな風に考えています。

話は戻りますが
現在は10年計画の「第3クール・5年目」という事になります。
この第3クールで何が変わったかと言うと、それはワイン。
とにかくワインが面白くて。
自分の中では、この10年はワインの10年と言っても過言ではないと思います。

3店舗目となる現在地の中軽井沢に移転して
大きく変わったのは「交通」です。
新幹線の軽井沢駅から近いのはもちろんのこと、タクシーや代行が普通にある。

以前はタクシーが19時台に終了し
代行も基本的に存在しませんでしたから
お客様がお酒を楽しむためには色々と制限がありました。
今はその心配が無いので、安心してワインのご案内ができます。

そして圧倒的なワインラバーのお客様の存在。
オンシーズンの軽井沢は東京と並ぶトップオブジャパンです。

僕のお店は、元々アルコールのよく出るお店ではありましたが
1999年以来「売り方のブラッシュアップ」がされていませんでした。
(古いやり方も楽しいんですけどね・・)

2010年頃だったか、南仏にある3つ星レストランで
一般的なボトルワインではなく
5種類ほどの南仏ワインペアリング付きのコースを食べて感銘を受けて以来
これからはこういうスタイルが主流になるのではと考えていました。
高級ワインからレアアイテムへ。

ワインへの興味はさらに高まり
海外渡航の目的地もワインの銘醸地を選ぶ事が多くなってきました。
「もう一度しっかり学び直さないと」
そういう想いが募り、マダムと共にワインの学習に励みました。
私は挫折しましたが、マダムはソムリエの資格を取得し
さらに、その上級資格であるソムリエ・エクセレンスの資格も取得しました。

徐々にワインリストも充実して、現在は膨大な数を保持しています。
コースのメニューも常にペアリングを意識するようになり
毎日の始業前にペアリングの方向性を確認する作業も日課になりました。

ワインは酔うために飲むんじゃない、マリアージュを愉しむために飲むのだ。
フランス料理とはワインと共に愉しむ様式美である。
マリアージュは会話のきっかけであり、スムーズな社交を促す鍵である。

しかし料理もワインも裏方であり、主役はあくまでお客様とそのゲスト。
何も語らずとも、良き料理とワインは自然に人の心を弾ませる力があります。
テーブルが華やぎ、会話が弾めば主張は控えめに。

財ばかりではなく、知も品も求められるフランス料理の世界が好き。

私は今、こんな事を考えながら日々の仕事に取り組んでいます。
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