けったらかまえる

ひとりごと

閣下殿

2013年03月20日 | Weblog
広島出身だったとは。
ソロ活動で、ヒロシマを唄った。
ヒロシマを直接唄う機会を造った。
同じ国の中で認識の差が出てしまって
いることに驚いたという。

一時代を築いたスタイルは説教ロック
だったらしい。
ビジュアルだけが印象にあった。

その後、存在価値を問うことも。
映画を学びにLAにも飛んだ。
ミュージカルにも。

高い声も出るし、低い声も味がある。
エンターテイメントを目指すのか。
こだわりやその定義がしっかりとある。

昨年、福島を唄った曲も。
曲を作る力はかなりある。

相撲はかなり詳しい。
我輩がやらなければ、という人格や思いが
強く出るらしい。
それはヒロシマ時代からのようだ。

クラスの人気者だった、らしい。
当時から目立つ子は自ら切り開いていく
のかもしれない。

朝早くからの放映だった。