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日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた 第11章工業化の時代②

2022-12-17 10:21:38 | 日記

日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた 第11章工業化の時代②

 この著者の魅力は、絶対に好き嫌いや価値があるとか価値が落ちるとかを書かないで、また優れたところは控えめに書くけれどいけないところは絶対に書かない姿勢を通しているところにある。多分著者がお医者さんで自然科学の論文を書く要領で文学史を書くとこうなるんだと思う。だから読後こちらの気分がすっきりしている。私は文学史の本を他に読んだことはないけど、こういうものはだれが書いても好き嫌いが出るものだと思う。

 特に驚くのは、文芸の分析力の高さである。中里介山の「大菩薩峠」は日本史上最長の小説とされているが、大衆娯楽小説であり当時娯楽が無かったからこれが流行ったそれだけで書くことは終わると思うのだが。この本の中ではこのように分析されている。「大衆が歓迎したのは虚無主義的剣客であり、一時代の日本の民俗の一部と化した。それは第一次大戦後の社会的変化の中で中下層の中産階級に広がっていた心理状態を鋭く反映していたに違いない。…体制への一般的な反抗の気分があった。」

 そういえば昭和40年代にはまだ柴田錬三郎の虚無的な剣客の小説が盛んに売れていた。司馬遼太郎の初期の作品にも虚無的な剣客が出ていた気がする。虚無的な剣客になりきって読む読者が多くいたことは間違いない。それが読者のおかれた社会的状況からくる心理状態を反映するとは、大変な卓見だと思う。周囲に上層中間層または上層に上るかもしれない仲間がいるところで、どうあがいても上層に上がれそうにないが自分には上がるだけの能力あり(ただし運と気力には恵まれていないかも)と自負する層は、格好いい虚無主義に走るのかもしれない。昔柴田錬三郎の小説を少しは愛読したしたことがあるので、身につまされるものがある。

 当時のテレビや映画にもこういう虚無主義的な剣客が登場することが多かった気がする。社会現象であったのだろう。または当時はやった学生運動の心理的な背景もこれであったのかもしれない。どうせ自分たちは上に上がれない。だったら格好よくニヒルに行こうということか。学生運動は、それに関係しなかった者から見るとニヒルとは言えないが、格好いいものと映っていた。学生運動華やかな時代、私は柴田錬三郎の剣客に格好よさを見出しただけかもしれない。もう大昔のことで取り返しがつかないことかもしれないが、昔のことを反省する糸口になった。自分はこんだけやっているのになんでこうなんだというやけくそな気分が私だけではなく私の周囲に蔓延していたのかもしれない。自分は社会の流れからは超然としているんだという誇りがあったが、その超然そのものが諦めの気持ち反抗気持ちの表現であったのかもしれない。

 今だったら、このような反応は小説ではなくコミックに表れているのではないか。あるいはまったく別な反応になっているのか。

 文学史を読んで自分のことを反省することができるとは意外なことであった。当時加藤周一のこの部分に接していて自分のことを反省することができれば、自分の人生が変わっていたかもしれないと思うところがある。



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