世界200カ国近い国々で行われている柔道が、嘉納師範の考えられた柔道であり続けるためには、確固とした理念が必要である。これがしっかりと受け継がれていけば、国によって技やスタイルが多少変わったとしてもそれは大きな問題ではない
現在、柔道に足りないのはその核となる「理念」の共有ができていないことにあると思われる。柔道の理念は「精力善用、自他共栄」だといえるだろうが、そのことを全ての柔道家が日本国内だけをみても本当に理解し、実践しているといえるだろうか
ある先生が言われていたのは「柔道を道場でやったからといって柔道の精神が学べるものではない。確かに柔道の修行によって強いからだ、我慢強さ、何かに向かっていく強い気持ちなどは身についていくかもしれない。しかし、それと同時に柔道の精神は何であるのか。何を大切にしていかなければならないのか、といったことは言葉によって教育していかなければならず、柔道をやったから自然と身についていくものではない。今の指導者はその部分を理解していない。」と言われていた。
福田敬子先生(講道館女子9段、アメリカ在住)にお目にかかったときに「嘉納師範はいつも’精力善用、自他共栄’とおっしゃられていたので、話が始まると’また始まった’という顔をしている人もいました。本当に耳にタコができるぐらいお話をされていましたから。」という話をしてくれた。
確かに様々な大会において偉い先生方がされる挨拶のなかにも「精力善用、自他共栄」という言葉を聞くことはあまりないことに気がつく
同じく福田先生が「なぜ柔道ルネッサンスなんですか?精力善用、自他共栄と言わないのですか?」と言われていた。柔道ルネッサンスは柔道が競技としての側面が強くなり、勝利至上主義になったことを危惧して柔道の教育的な理念を再認識しようと始まった講道館、全柔連の合同事業である。これまで考えたことはなかったが、福田先生の言われるとおり、「精力善用、自他共栄」という言葉の中に柔道の教育理念が全て含まれているのだから、その言葉をなぜ使わないのかとも思う
一般の人にも、子供にもわかりやすくという配慮だったのかとも思うが、柔道家にはこの言葉だけで十分なはずである。逆に言えば、この言葉で説明できないことに問題がある
組織である以上、運営や経営も大事な部分である。以前にサッカー協会の取り組みについて書いたが、彼らの経営能力は非常に高い。審判や指導者資格などが資金の一つの核となっている。そういった資金によって新たなサービスが提供できる。しかしながら、たかが子供のサッカーの審判をするのに、指導をするのに資格が必要なのか?といった議論も当然あるはずである。ユニフォームにも細かい規則があって、「メーカーと結託しているのでは?」と感じる部分もある。が、しかし、そういった全ての問いに答えるのが彼らの掲げる理念「百年構想」なのである。この大きな理念のもとに皆が同じ方向に向かって進んでいけるのである
柔道には残念ながら理念も経営もどちらも不十分だ。柔道の理念は「金メダルをとること」なのか?おそらく多くの人は違うというだろう。であれば、金メダルを取ったからといって、強いからといって許されないこともあるし、戒めるべきところがあるはずだ
ガッツポーズの問題ひとつとっても、論理的に良いか悪いかを説明できる指導者がいるだろうか。おそらく嘉納師範であれば言えたはずである。「正しい柔道」とは具体的にはどんな柔道なのですか?と聞かれたらなんと答えるのか
柔道が国際化したことによって日本はそれに対応しなければならないというが国際柔道連盟の動きに対応するのはマネジメント力があれば対応できる。マネジメント力に長けた人材はその気になって探せば大勢いる
理念を語れるリーダーを探すことは難しい。自分の言葉で理念を語り、伝え、納得させることができるかどうかが重要だ。ある種のカリスマ性も必要だし、何より柔道への情熱がその人から感じられることが重要だ。日本は柔道の創始国でありながら世界のリーダーになれていない理由もそこにあるような気がする
少し前までは、いい意味での「柔道馬鹿」がたくさんいた。私は最近、孤独を感じることが多い柔道を熱く語ると自分が浮いているのを感じる。まわりの雰囲気が「この人何一人で熱くなっているの?」なのだ。そして最後には「なるようになるんだからしょうがないんじゃない」といった言葉で終わってしまう(また愚痴っぽくなってしまった)
とにかく、言いたいことは、教育(理念)と経営は柔道の両輪であり、どちらも大事であることは間違いない。きれいごとだけでは進まないこともある。だからこそ、柔道界には二人のリーダーが必要だろうということである。なぜなら役割が全く違ってくるからである。父親を支える母親のような関係だろうか
柔道界を良く見れば、この役割を果たす人材がちゃんといる理念や夢を語ることに長けた教育者タイプと実務能力に長けた管理職タイプ。その人たちの能力がどんなに高くても適材適所でなければ発揮されない
このブログにいただいたご意見の中で、「けんかしないで仲良く」といったものがあったが、まさにその通りである。権力が集中しすぎれば歪みを生み、争いもおこりやすいそれぞれが自分の能力のある部分で頑張ること、そして自分の能力を過信しすぎて欲張らないこと、皆で力を合わせて頑張る柔道界であるべきだまさに自他共栄の精神で
現在、柔道に足りないのはその核となる「理念」の共有ができていないことにあると思われる。柔道の理念は「精力善用、自他共栄」だといえるだろうが、そのことを全ての柔道家が日本国内だけをみても本当に理解し、実践しているといえるだろうか
ある先生が言われていたのは「柔道を道場でやったからといって柔道の精神が学べるものではない。確かに柔道の修行によって強いからだ、我慢強さ、何かに向かっていく強い気持ちなどは身についていくかもしれない。しかし、それと同時に柔道の精神は何であるのか。何を大切にしていかなければならないのか、といったことは言葉によって教育していかなければならず、柔道をやったから自然と身についていくものではない。今の指導者はその部分を理解していない。」と言われていた。
福田敬子先生(講道館女子9段、アメリカ在住)にお目にかかったときに「嘉納師範はいつも’精力善用、自他共栄’とおっしゃられていたので、話が始まると’また始まった’という顔をしている人もいました。本当に耳にタコができるぐらいお話をされていましたから。」という話をしてくれた。
確かに様々な大会において偉い先生方がされる挨拶のなかにも「精力善用、自他共栄」という言葉を聞くことはあまりないことに気がつく
同じく福田先生が「なぜ柔道ルネッサンスなんですか?精力善用、自他共栄と言わないのですか?」と言われていた。柔道ルネッサンスは柔道が競技としての側面が強くなり、勝利至上主義になったことを危惧して柔道の教育的な理念を再認識しようと始まった講道館、全柔連の合同事業である。これまで考えたことはなかったが、福田先生の言われるとおり、「精力善用、自他共栄」という言葉の中に柔道の教育理念が全て含まれているのだから、その言葉をなぜ使わないのかとも思う
一般の人にも、子供にもわかりやすくという配慮だったのかとも思うが、柔道家にはこの言葉だけで十分なはずである。逆に言えば、この言葉で説明できないことに問題がある
組織である以上、運営や経営も大事な部分である。以前にサッカー協会の取り組みについて書いたが、彼らの経営能力は非常に高い。審判や指導者資格などが資金の一つの核となっている。そういった資金によって新たなサービスが提供できる。しかしながら、たかが子供のサッカーの審判をするのに、指導をするのに資格が必要なのか?といった議論も当然あるはずである。ユニフォームにも細かい規則があって、「メーカーと結託しているのでは?」と感じる部分もある。が、しかし、そういった全ての問いに答えるのが彼らの掲げる理念「百年構想」なのである。この大きな理念のもとに皆が同じ方向に向かって進んでいけるのである
柔道には残念ながら理念も経営もどちらも不十分だ。柔道の理念は「金メダルをとること」なのか?おそらく多くの人は違うというだろう。であれば、金メダルを取ったからといって、強いからといって許されないこともあるし、戒めるべきところがあるはずだ
ガッツポーズの問題ひとつとっても、論理的に良いか悪いかを説明できる指導者がいるだろうか。おそらく嘉納師範であれば言えたはずである。「正しい柔道」とは具体的にはどんな柔道なのですか?と聞かれたらなんと答えるのか
柔道が国際化したことによって日本はそれに対応しなければならないというが国際柔道連盟の動きに対応するのはマネジメント力があれば対応できる。マネジメント力に長けた人材はその気になって探せば大勢いる
理念を語れるリーダーを探すことは難しい。自分の言葉で理念を語り、伝え、納得させることができるかどうかが重要だ。ある種のカリスマ性も必要だし、何より柔道への情熱がその人から感じられることが重要だ。日本は柔道の創始国でありながら世界のリーダーになれていない理由もそこにあるような気がする
少し前までは、いい意味での「柔道馬鹿」がたくさんいた。私は最近、孤独を感じることが多い柔道を熱く語ると自分が浮いているのを感じる。まわりの雰囲気が「この人何一人で熱くなっているの?」なのだ。そして最後には「なるようになるんだからしょうがないんじゃない」といった言葉で終わってしまう(また愚痴っぽくなってしまった)
とにかく、言いたいことは、教育(理念)と経営は柔道の両輪であり、どちらも大事であることは間違いない。きれいごとだけでは進まないこともある。だからこそ、柔道界には二人のリーダーが必要だろうということである。なぜなら役割が全く違ってくるからである。父親を支える母親のような関係だろうか
柔道界を良く見れば、この役割を果たす人材がちゃんといる理念や夢を語ることに長けた教育者タイプと実務能力に長けた管理職タイプ。その人たちの能力がどんなに高くても適材適所でなければ発揮されない
このブログにいただいたご意見の中で、「けんかしないで仲良く」といったものがあったが、まさにその通りである。権力が集中しすぎれば歪みを生み、争いもおこりやすいそれぞれが自分の能力のある部分で頑張ること、そして自分の能力を過信しすぎて欲張らないこと、皆で力を合わせて頑張る柔道界であるべきだまさに自他共栄の精神で
という訳ですでに「百年構想」のサッカーに勝っています(コラ、勝ち負けではない!)
中学校で武道が必修となります この素晴らしい教えがもっと広まることを心から願います