先日、ある学校の先生と話をしていたら、中国の有名大学の付属中学校、高校の先生が視察に来ていたときの話をしてくれた。中国では受験戦争が加熱して通常学校のカリキュラムにおかれている体育の授業を他の科目に置き換えて授業を行っている学校が多いという。
この付属学校はエリートスクールであることから将来の中国を背負う人材育成を担っているという。そんな状況で勉強ばかりさせていて人格的にその任を担う人物が育つのかという漠然とした疑問を持っており、日本の体育・スポーツ環境を視察に来たそうである。
放課後であったために、体育館、校庭はもちろん、通路などあちらこちらで熱心にスポーツに取り組んでいる風景をみてビックリしていたという。そして質問したのは
「指導されている先生達に学校はどのぐらい指導料を支払っているのか。」
これに対して
「放課後の課外活動は教育活動の一貫だから特別な支給はしていない」と答えたという。
相手はこの答えにとても驚いたという。そこで日本の先生は
「この先生方は自分たちが生徒だった時にも熱心な先生に教えてもらっていたに違いない。そして、そういった先生方に憧れもあって先生になり、クラブを指導するのは当たり前という感覚があるのだと思う」と答えた。
中国の先生は「まあ、そういうことなのか」と答えながらも納得していなかったようである。
年配の方々に言わせれば昔の先生は聖職であり、素晴らしい先生が多かったが最近では・・・となるのかもしれない。しかし、私の知る限り、多くの先生方は心血を注いで指導をされている。夏休みは合宿、試合の季節である。先生は生徒達の交通費を浮かすためにバスを運転して全国どこにでも行く。試合に勝ったり、強い選手を育てれば自分の名誉にもなるが、「名誉をあげるからやれ」と言われても断りたくなるような過酷な毎日である。お金をもらうどころか、出ていくことのほうが多い。
熱心なあまり「やりすぎ」てしまう指導者もいる。それでも、選手をいじめるためにやっている指導者などいない。指導のやり方について間違っているところは矯正していく必要はある。しかし、指導法についていえば「これが正しい」という方法もない。
私の持論は「良い指導者は、さらに良い指導者を生む」である。熱心な指導者に教わった選手は、将来自らも指導者になりたいと思うということである。熱心に、愛情をかけて教わった生徒達は自分が指導者になったとき、同じように生徒達に愛情を注ぐ。
日本の柔道が長い歴史の中で競技力を維持しながら脈々とつながってきたことは、指導者の力が大きい。指導者が次の指導者(選手)にタスキを渡してきたからである。その原動力は選手を強く逞しく育てたいと思う「情熱」である。
相撲界がそうであるように柔道界にも「柔道界の常識は世間の非常識?」と思えるようなことがないとはいえない。専門的な世界には少なからずあるはずだ。狭い見識で伝統という隠れ蓑に甘んじてきたところもあるだろう。もっと外部の人にも入ってもらってご意見をいただき、耳を傾けなければならない。
変革すべきところは積極的に取り組むべきである。ただし、自虐的にばかりなる必要もない。日本には世界に誇るべき指導者が大勢いる。強い道場、強い学校に限らない。暑くても寒くても毎日道場に立っている指導者が日本の柔道を支えている。私はそんな指導者こそ財産であると思うし、心から誇りに思う。
この付属学校はエリートスクールであることから将来の中国を背負う人材育成を担っているという。そんな状況で勉強ばかりさせていて人格的にその任を担う人物が育つのかという漠然とした疑問を持っており、日本の体育・スポーツ環境を視察に来たそうである。
放課後であったために、体育館、校庭はもちろん、通路などあちらこちらで熱心にスポーツに取り組んでいる風景をみてビックリしていたという。そして質問したのは
「指導されている先生達に学校はどのぐらい指導料を支払っているのか。」
これに対して
「放課後の課外活動は教育活動の一貫だから特別な支給はしていない」と答えたという。
相手はこの答えにとても驚いたという。そこで日本の先生は
「この先生方は自分たちが生徒だった時にも熱心な先生に教えてもらっていたに違いない。そして、そういった先生方に憧れもあって先生になり、クラブを指導するのは当たり前という感覚があるのだと思う」と答えた。
中国の先生は「まあ、そういうことなのか」と答えながらも納得していなかったようである。
年配の方々に言わせれば昔の先生は聖職であり、素晴らしい先生が多かったが最近では・・・となるのかもしれない。しかし、私の知る限り、多くの先生方は心血を注いで指導をされている。夏休みは合宿、試合の季節である。先生は生徒達の交通費を浮かすためにバスを運転して全国どこにでも行く。試合に勝ったり、強い選手を育てれば自分の名誉にもなるが、「名誉をあげるからやれ」と言われても断りたくなるような過酷な毎日である。お金をもらうどころか、出ていくことのほうが多い。
熱心なあまり「やりすぎ」てしまう指導者もいる。それでも、選手をいじめるためにやっている指導者などいない。指導のやり方について間違っているところは矯正していく必要はある。しかし、指導法についていえば「これが正しい」という方法もない。
私の持論は「良い指導者は、さらに良い指導者を生む」である。熱心な指導者に教わった選手は、将来自らも指導者になりたいと思うということである。熱心に、愛情をかけて教わった生徒達は自分が指導者になったとき、同じように生徒達に愛情を注ぐ。
日本の柔道が長い歴史の中で競技力を維持しながら脈々とつながってきたことは、指導者の力が大きい。指導者が次の指導者(選手)にタスキを渡してきたからである。その原動力は選手を強く逞しく育てたいと思う「情熱」である。
相撲界がそうであるように柔道界にも「柔道界の常識は世間の非常識?」と思えるようなことがないとはいえない。専門的な世界には少なからずあるはずだ。狭い見識で伝統という隠れ蓑に甘んじてきたところもあるだろう。もっと外部の人にも入ってもらってご意見をいただき、耳を傾けなければならない。
変革すべきところは積極的に取り組むべきである。ただし、自虐的にばかりなる必要もない。日本には世界に誇るべき指導者が大勢いる。強い道場、強い学校に限らない。暑くても寒くても毎日道場に立っている指導者が日本の柔道を支えている。私はそんな指導者こそ財産であると思うし、心から誇りに思う。
自らの休日、時間、体力、神経を使い、仕事をこなしながら指導する。しかし責任だけを追わせ、何かあれば指導者のせいにする。
献身的が日本の美徳とされていますが、これを何らかの形で讃える事は全柔連としてできないものですかね。
維持し発展させたが弱体化させ柔道指導者を、学校が利用する事で腐敗もさせています。なにかというとボランテヤで利用しようと学校側はするので教員以外は柔道指導者のなりてが減る一方。柔道人気の低下に繫がっています。
教員も肝心の授業準備に時間が取れず報告書と授業以外に時間をとられています。どんな事でも相応の予算報酬は必要です。
名誉と報酬の課題につきましては何らかの規程は設定すべきかと思います。応援や支援に関しては人各々の意味合いがあれども行き着く所は同じかと思います。変革につきましては少しずつの取り組みで、なおかつ
少しずつでも一つ一つ
確実に深く重い物にまた、慎重に進めて行くのがベストと思います。しかし、昔、神戸のユニバーシアード時に山口先生とお会いして無ければ
今、柔道をやってなかったと思います。先生!
本当にありがとうございます。
学校の勉強や社会常識を勉強する暇があったら練習させる。オリンピック選手のインタビューを聞いて恥ずかしいと思うのは俺だけじゃないはず。また頭が悪いからというより勉強してないから試験がやたら苦手、だから引退したら就職にこまる選手は多い。
大きい選手を集めて巻き込みや足取りばっかりやらせるのも自分が監督のうちに勝ちたいから。そんな技世界に出ても通用しないとわかっていても関係ない。彼らは今、優勝監督になりたいんだよ。
結局監督も自分の為にやっているんだよ。道楽なんだよ。そうでなきゃタダであんなきついことできないよ。
道楽に給料はいらないよ。
道楽と仕事は全く別物だ。そこだけは強調しておく。
世の中情熱だけで金を払う奴なんかいない、ちゃんと金を払う価値のあるものにしか払わない。
今の指導者にそんな価値があるやつがどれだけいるだろうか?
高校以上は大体が柔道・体育教師でしょう。
特に私立校は結果がわる
「キッズ柔道」のタイトルで放送があったと思います。どこかで手に入りませんか? 拝見したいので。
また、Uチューブにでも載せればお子様方に対する指導の手本になると思いますが……
いつも思います。
何の報酬もなく、学生の成績がおちたら
学校によばれ・・・。
自分の仕事が終わってからすぐに走ってきて
練習に入る。
頭がさがります。
自分たちもそうしてもらっていたから・・・と一生懸命です。
何か方法はないものかと思うばかりです。
部活だけに限らず、先生として一番の仕事である、生徒に勉強を教えることでさえ、まじめにしてもしなくても報酬は一緒。
生徒の成績を本当にあげようと思っている教師が今どれくらいいるのか。
生徒の成績があがらなくても誰からも責められない。特に公務員ならなおさらだ(私立校でないという意。)
まじめにする方がバカを見る世界であるが、教師という仕事は、数少ない、子供に夢や将来を与えることができる仕事である。
部活でいえば、先生の報酬はお金では買えない感動を得ることができるのだが…
正直、子供には部活で頑張ってくれている先生の大変さは分からない。一生懸命にやってくれている先生に「たまには休みをくれ!」と恨んでみたくなるほどである。だからこそ、親が理解をしめし、バックアップをしなければならないと思うが、昨今のニュースを見ているとふがいないバカな親が増えていると嘆きたくなる。