仙波東照宮
予定より5分早い8時45分に私どもは本川越駅を出発した。8時48分、国道229号線と東照宮中院通りの交差点にかかったが、クロス式の横断歩道であったため、私どもは感動した。又、歩行者用信号も発光ダイオードのものであったため、感動は2倍である。尚、会長は発光ダイオード訴訟和解の際の中村教授の物まねをなさっていた。
9時、仙波東照宮に到着した。外にある説明板を読み、正面入口から中へ入った。随身門をくぐると、東照宮というイメージにしては華やかでなく、とても小さいのに驚いた。
石鳥居をくぐって右手には屋外休憩所があり、自動販売機とベンチやテーブルが置いてあった。『開運だんご』というのれんをつけた店もあったが、開店していなかった。時間が早かったためであろうか。又、左手にはご年配の方々が何人かいらっしゃり、ゲートボールを楽しんでいらした。時々ボールを打つ音が聞こえ、のどかなひと時であった。
石階段の右の「沿革碑」を眺め、私どもは石階段を上った。おじいさんが健康のためであろうか、石階段を使ってトレーニングをなさっていた。ちなみに、この石階段の段数は約50段だそうである。
一番上につくと、「葵」の紋章がついている正門があった。そこを通ると、目の前は拝殿である。その手前には狛犬があり、拝殿を囲むようにして歴代川越藩主が献納した「石燈籠」があった。これより先は閉まっており、残念ながらいけなかったが、私どもは拝殿を眺めたり、石燈籠に刻まれている文字を読んだりした。
その時、掃除をしていたおじいさんが拝殿へお賽銭を投げ、拝んだのち、私どもへ目をやって話しかけてこられた。そのおじいさんは、私どもに仙波東照宮について解説してくださった。
右手の「狛犬」と「正門」の間にある「手水鉢(ちょうずばち)」は、もとは江戸城にあったもので、寛永14年にこちらに移築されたもの。手水鉢の正面に、『御本城』と書いてあり、それは江戸城を指すからであるという。又、右手狛犬と拝殿の間にある石燈籠は、柳沢吉保が献納したものであるが、そこに刻まれている日付は『元禄15年12月16日』で、赤穂浪士討ち入りの2日後のことで、討ち入りの時にはもう完成していたのだろう、とおっしゃっていた。さらに拝殿内部のものについて等、さまざまなことをお話しして下さり、非常にためになった。
おじいさんにお礼を申し上げ、しばらく見た後に、私どもは出発した(9時25分)。石階段を降り、左に曲がり進むと、弁財天厳島神社が見えた。太鼓橋の先には小さな鳥居があった。
9時28分、私どもはそこを立った。(つづく)(執筆:会長)
予定より5分早い8時45分に私どもは本川越駅を出発した。8時48分、国道229号線と東照宮中院通りの交差点にかかったが、クロス式の横断歩道であったため、私どもは感動した。又、歩行者用信号も発光ダイオードのものであったため、感動は2倍である。尚、会長は発光ダイオード訴訟和解の際の中村教授の物まねをなさっていた。
9時、仙波東照宮に到着した。外にある説明板を読み、正面入口から中へ入った。随身門をくぐると、東照宮というイメージにしては華やかでなく、とても小さいのに驚いた。
石鳥居をくぐって右手には屋外休憩所があり、自動販売機とベンチやテーブルが置いてあった。『開運だんご』というのれんをつけた店もあったが、開店していなかった。時間が早かったためであろうか。又、左手にはご年配の方々が何人かいらっしゃり、ゲートボールを楽しんでいらした。時々ボールを打つ音が聞こえ、のどかなひと時であった。
石階段の右の「沿革碑」を眺め、私どもは石階段を上った。おじいさんが健康のためであろうか、石階段を使ってトレーニングをなさっていた。ちなみに、この石階段の段数は約50段だそうである。
一番上につくと、「葵」の紋章がついている正門があった。そこを通ると、目の前は拝殿である。その手前には狛犬があり、拝殿を囲むようにして歴代川越藩主が献納した「石燈籠」があった。これより先は閉まっており、残念ながらいけなかったが、私どもは拝殿を眺めたり、石燈籠に刻まれている文字を読んだりした。
その時、掃除をしていたおじいさんが拝殿へお賽銭を投げ、拝んだのち、私どもへ目をやって話しかけてこられた。そのおじいさんは、私どもに仙波東照宮について解説してくださった。
右手の「狛犬」と「正門」の間にある「手水鉢(ちょうずばち)」は、もとは江戸城にあったもので、寛永14年にこちらに移築されたもの。手水鉢の正面に、『御本城』と書いてあり、それは江戸城を指すからであるという。又、右手狛犬と拝殿の間にある石燈籠は、柳沢吉保が献納したものであるが、そこに刻まれている日付は『元禄15年12月16日』で、赤穂浪士討ち入りの2日後のことで、討ち入りの時にはもう完成していたのだろう、とおっしゃっていた。さらに拝殿内部のものについて等、さまざまなことをお話しして下さり、非常にためになった。
おじいさんにお礼を申し上げ、しばらく見た後に、私どもは出発した(9時25分)。石階段を降り、左に曲がり進むと、弁財天厳島神社が見えた。太鼓橋の先には小さな鳥居があった。
9時28分、私どもはそこを立った。(つづく)(執筆:会長)