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都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

第1期社会科部は平成21年3月12日消滅。本ブログは現在活動中の新生「社会科部」様や都立上水高校とは一切関係ありません。

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第11回

2005年12月28日 16時41分07秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
槐木
 廃線跡と遠ざかりながら、私どもは道を歩いて行った。草木に囲まれた狭い道をゆき、川にかかった橋を渡った。すると10時10分、分起点についた。しかし、右側の道は工事中で行き止まりであり、私どもは左手に進んだ。すると、目の前に「ドラえもん」の空き地にあるドラム缶のようなものがつんであった。一体これは何だ、と思いながらも私ども近づき、色々と見てみた。誰かがそれを蹴ると、「中で誰かが寝ているかもしれないぞ~。」とどこからか声が飛んだ。

※画像は一部修正しています

 こうして怪しいドラム缶のようなものを通過し、10時14分、槐木(さいかちぎ)公衆トイレに到着した。ここには休憩のためのベンチとトイレがあった。又、ベンチのところには「三河屋 宿泊 温泉 食事」という看板があり、構成員Aらが「サザエさんだ~!」とおっしゃっていた。そして私と副代表はトイレに行った。少々臭い。
 ビジターセンターで調べたのだが、ここは急な羽黒坂と檜村(ひむら)からの急坂を登り詰めたところで、槐木はサイカ草(マメ科)の木。かつては馬引き大八車の人夫などの休み場として賑わい、そのまま地名になったそうだ。そして、その向かいのアカマツの根元には「光背形馬頭観音像」があった。
 さて、しばらく休憩していると後方からも人が来たため、そろそろ出発することにした。すると、正面のうっそうとした険しい山道からおじいさんが現れ、私どもの前をすぎていった。先生は「怪しい人もいるものです。」と解説して下さった。
10時16分、私どもは予定より9分早く槐木を出発した。(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第10回

2005年12月25日 22時05分16秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
謎の廃線跡
 この日は雨が予想されたため、私どもは快速進行を心掛けていた。しかし、早々に過酷な階段登りをしてしまって体力を消耗し、10分ほどタイムロスをしてしまった。しかし、「奥多摩研修を、あきらめない。」。
 さて9時55分に出発した私どもは、引き続きむかしみちを歩いて行った。途中から登山道チックな道となり、過酷さが増していった。9時59分、地面にレールのようなものが見つかった。そのレールは東西を走っており、東側にはトンネルがあった。「むかしみち一部崩落による迂回コース案内図」で調べて見ると、これは「旧ダム建設鉄道線路」である。レールがしっかり残っており、私どもは廃線と並行して歩いて行った。すると10時4分頃、レールの方は橋を渡って川を越えていった。レールの通る橋は草がうっそうと茂っており、時の流れを感じさせてくれた。(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第9回

2005年12月22日 15時27分44秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)

 さて、佐々木さんのおうちをすぎると、あとは普通の坂である。しかし、私どもは疲労困憊であったため、ひとまず休憩することにした。私がビジターセンターでもらった「むかしみち一部崩落による迂回コース案内図」を見てみた。そして先生と協議の末、どうもこの道は日原(にっぱら)方面に続いているらしいという結論に至ったため、私どもはこの先には神社はないと考え、ただ疲れた。いったい、神社はどこにあったのか、全く持ってわからない。先生が「私が前にインターネットで調べたときも、よくわからなかったんですよね~。」と話し、「鳥居が下にありましたから、もしかしたら山自体がご神体ということもありますねー。」などと説を発表して下さったが、真相はどうも不明である。すると、道の前方から、私とともにビジターセンターで説明を聞いていたおじいさんが、むっつりとした顔で下の方へ向かって行った。先生は「あの人、私たちの後ろを着いて来ていたんですよ。私たちが登るから、着いて行ったら何かあるのかな~、ってね。そしたら何もないから、あの人怒っていたんですよ。」と解説して苦笑なさったため、私は「悪いことをしたな~。」という罪悪感にさいなまれた。
 結局、9時47分、私どもは転進を決定した。構成員Bは「何のために登ったんすか~!?」と無念そうであったが、やむをえまい。佐々木さんの家をすぎ、石段を下ろうとしたその時!誰かが、写真のような怪しい石のオブジェを発見した。

先生は「もしかして、これがお祭りしているものなのか~?」と怪しみながらも、私どもは観察した。しかし、やはり真相は不明である。結局、私どもは石段を下ることにした。
 石段は少々急であるため、私どもは転落者が生じて玉突き事故が発生しないよう、ある程度間隔を空けながら降りた。まず会長がおり、続いて全権代行、出納担当、構成員Aが降りて行った。その次は構成員Bであったが、どうもこういうのは苦手のようで、慎重に降りられて行った。その後を私、先生が続き、副代表が殿(しんがり)をつとめた。
 私の前を降りる構成員Bは大変慎重であるが、私はこうしたものは難なくいけるので、段数を数えながらホイホイ下って行った。そのため、構成員Bに追いついてしまい、先生に上方から「そんなに急がないでくださ~い。」と言われながらも、構成員Bを追い抜いた。そして階段の途中で写真を撮影し、さらにどんどん降りて行くと、山門辺りで構成員Aにも追いついてしまったため、「ちょっと早すぎるよ~。」と講義されてしまった。
 さて、こうして先ほどの公園まで着いた(9時52分頃)。その後、構成員Bと先生も降りてこられたが、殿の副代表がなかなかこない。先生によると、「副代表には段数を数えてもらっています。」とのことであった。私の調査によると、佐々木さんの自宅から一番下まで218段であった。そして、いよいよ副代表が生還した。段数は215段とのことだった。3段ずれてしまったが、約216.5段の石段を私どもは登り降りした。
 今回の特別研修旅行は、波乱の幕開けであった。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字で振り返る奥多摩研修~ 第8回

2005年12月21日 22時19分41秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
謎の羽黒三田神社 ~波乱の幕開け~(1)
 さて20メートルほど歩いて右折し、いよいよ奥多摩むかしみちに入った。早々から羽黒坂という、急な坂である。昔、木炭運びの多数の馬や大八車などが苦労した、そのような坂を登っていると、右手に石段が登場した(9時40分頃)。地図によれば、どうもこの石段の上に羽黒三田神社があるらしいので、登ることにした。
まず十数段登ると、目の前に鳥居が現れ、右手には遊具施設のある公園があった。鳥居の方を見ると、石段がまだまだ続いている。それも半端な量ではない。上が見えないぐらいと言える、恐ろしいほどの石段の数である。私どもはひとまず登って見ることにした。
 少し登ると、山門らしきものがあり、私どもはそれをくぐってさらに登った。しかし、登っても登っても、なかなか頂上に着かない。この石段は尋常では無かった。途中で、私は足が非常に疲れてきた。「足が消耗した」と言ってもよいだろう。会長は「踊り場と踊り場の間隔が異常に広いぞ。」と皮肉を言っていたが、本当に山門を越えてからは一切踊り場というようなものがなく、ただひたすら石段を登っていった。先生は苦しそうに「しょっぱなから過酷なことになりましたね~・・・・・・。」とおっしゃりながらも、私どもはただ登っていった。
 こうした過酷な環境を乗り越え、私は頂上に一番乗りした。しかし、そこには何もない。続いてやってきた会長や先生も「何だ、何もないじゃないかよ~!」と無念そうであった。しかし、よく見ると前方に、石が階段状になった上り坂があった。何と、まだ一番上ではなかったのである。そのため、私どもは再び上を目指して行った。すると、目の前に人家の門が登場。「佐々木さん」のご自宅であった。きちんと塀もあり、郵便受けも備わった門構えである。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第7回

2005年12月18日 10時28分37秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
波乱の旅の始まり
 参加構成員7名に先生を含め、今回の参加者は8名と確定し、9時27分、奥多摩ビジターセンターを出発した。
 奥多摩駅入口交差点を横断し、南へ進んでいると、左手に奥氷川神社が出現した。残念ながら今回の日程では見学しないことになっていたが、先生が「これは権現造で、江戸幕府の影響を受けたんでしょうね。」と解説をして下さった。
 ビジターセンターのおばさんから、郵便局の所で右折と教えられ、地図には生花店の所で右折と書いてあった。郵便局は道路の向こう側にあったが、生花店は少々分かりにくかった。しかし、「奥多摩むかしみち入口」と書かれたでかい看板があったので、私どもは右折をした。
 地図看板の隣には、岡田克也前民主党代表が写った、「TOKYO Manifesto2005 日本の選択in TOKYO」と書かれた民主党のポスターが2枚あった。ちょっと古いポスターではあるが、岡田さんは微笑んでおられた。たしか、この間の総選挙での民主党のキャッチコピーは「日本を、あきらめない。」であった。この日、天候はどんよりしていた。いつ雨が降るか、不安ではある。それでも、「奥多摩研修を、あきらめない。」。
 さて、会長はそのポスターの隣の看板を指差しながら、満面の笑みを浮かべておられた。その看板とは、「東京農業大学 奥多摩演習林位置図」。

どうも、「演習」というワードを見ると、血が騒ぐなどの過剰反応を示すお方である。来年の選択科目はほとんどが「演習科目」であるそうなので、1年間血圧検査等を受けないほうが良いであろうよ。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字で振り返る奥多摩研修~ 第6回

2005年12月17日 16時25分28秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
奥多摩ビジターセンター(3)
 さて、私がまたもパンフレット探索を行っていると、窓口のおばさんが「今日はどこへ行かれますか?」と尋ねてこられた。私がやはり「奥多摩むかしみちです。」と答えると、「地図とかはお持ちですか。」と再び質問。一応、JR東日本で配布している「駅からハイキング 青梅・五日市線ウォーキングマップVol.2」及び「同Vol.3」を持っていたので、「まあ持っております。」と解答した。すると、「この地図はお持ちですか。」と言いながら、棚から「むかしみち一部崩落による迂回コース案内図」というプリントを出してこられた。平成17年4月5日に発生した、むかしみちの途中、中山~水根(みずね)間での崩落に伴う迂回路を案内する地図であった。
 「鉄道トンネル通り抜け体験もできる」という、プラス思考のサブタイトルがついたこの地図を使いながらおばさんが色々と教えて下さったので、1人で来たと見られる年配の男性登山客とともにお話を聞いた。
 こうして知識を頭に蓄え、9時19分、会長・構成員B・先生・副代表の4名がやって来られた。しかし、まだ会長全権代行と構成員Cが来ていない。すると先生が「副代表がずっと改札にはり付いていましたからね~、ねえ副代表。」と言うと、「はい、(2人は)いませんでしたね。」との返事。先生が「もし間に合わなかったら、どうするんですか。」と尋ねてこられたので、私は「その場合は置いていくことになりますね~。」と答えつつも、これは一大事と考え、ひとまず全権代行に連絡を取ることにした。
 幸い、このたび緊急連絡網を整備しておいたので、副代表の携帯電話をお借りして、早速電話をした。しかし、通じない。これは困ったと一瞬思ったが、すぐに携帯電話が鳴った。声の主は、全権代行であった。今どこにいるかと尋ねると、奥多摩駅の改札で少々迷っていると言う。そのためお迎えに行くことにし、ついでに構成員Cの動静についても尋ねると、「なんか、『喘息と微熱のため欠席するかも。』とメールがありましたよ。」というお答えであった。
 とにかく私は奥多摩駅に戻り、改札で全権代行にお会いし、ともにビジターセンターへ向かった。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第5回

2005年12月13日 19時10分11秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
奥多摩ビジターセンター(2)
 さて、奥多摩駅を出て東へ進むと、奥多摩駅入口交差点にたどりついた。横断歩道の反対側には、何とも奇抜な建物がある。奥多摩ビジターセンターであった。
 8時55分、センターの入口に到着。開館時間は9時からであったため、少々様子を伺ったのだが、人が既にいるので、出納担当代表とともに中に入って行った。
 館内は2階建てである。入って右側には窓口と諸パンフレット配布ボックスがあり、私は色々とパンフレットを詮索した。
 小さなセンターであり、とくに面白い物はなかった。2階の自然情報探索コーナーという所に、奥多摩についての情報を提供するパソコンがあり、私は奥多摩むかしみちについて少々調査を行った。
 1階に降り、パンフレットを再び詮索していると、構成員Aがやって来られた(9時15分)。9時6分到着の、「JR快速川崎-奥多摩ハイキング号」で来られたそうで、副代表が改札口でご案内をやっていたとおっしゃっていた。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第4回

2005年12月09日 17時26分52秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
<筆者より>
 本連載久しぶりの更新となり、申し訳ありません。初めて見る方や内容を忘れてしまった方は、本連載第1回~第3回は「奥多摩をゆく」カテゴリーにはいっておりますので、そちらでご覧下さい。
 リンク: 第1回 第2回 第3回

奥多摩集合(2)
 1つ目の駅は牛浜駅。ここは昨年の合唱祭会場の最寄駅である。ここに住んでいる方には申し訳ないが、どうも上品でない地名であるな~。
 私にとって、これまでJR青梅線最西端駅であった牛浜駅を越え、電車は西へ西へ走っていく。
 そして8時48分、奥多摩駅に到着した。降りる時思ったのだが、ドアとホームの間のすきまが異常に空いている。駅がカーブを描いているためである。そのため、プラットホームには黄色いランプが点滅し、注意を喚起していたのだが、これはやはり気をつけなければならない。

 さて、少々写真撮影を行っていると、後方の車両から出納担当代表がやってきた。そのため、ともに改札口へ向かった。
奥多摩ビジターセンター(1)
 8時51分頃、奥多摩駅改札口を通過。駅の外に出て、駅周辺や駅の建物の外観を撮影していた。すると、青いパーカーを来たおじいさんがやってきて、「今日はどちらへ行くの。」と尋ねてこられた。私が「むかしみちです。」と答えると、「よかったら我々がガイドをするけど、どうですか。」と仰せになられた。見ると、青いパーカーを来たご老人が幾人もいらっしゃり、「むかしみちコース」や「はとのす渓谷コース」などと記したのぼりを立て、長机で受付みたいなことをやっていた。おそらく、観光客に対するガイドのボランティアであろう。どうもご苦労様です。しかし、私どもには顧問の先生という心強い「引率・ガイド」引受人がいらっしゃったため、残念ながらお断り申し上げた。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第3回

2005年11月22日 18時31分57秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
奥多摩集合(1)
 7時6分頃、何とかバス停についた。しかし、停留所に設置された、バスが到着するまでの時間を示した電光掲示板には「あと3分で到着します」とある。おかしいと思い、時刻表を調べて見ると、7時9分発となっていた。実は、私は『西武鉄道時刻表第19号』の巻末にある、西武バス時刻表で時間を調べていたのだが、そこに記された時刻は乗車するバスの始発地点の時間であり、私の自宅の最寄停留所の時刻表にするには、3分加算する必要があったのだ。しかし、見事それを行っていなかったため、このような失態を演じてしまった。
 7時10分、バスは予定より1分遅れてやって来た。車内には3人しかいない。平日の雨天時はほぼこの時間のバスを使用しているのだが、5分間隔の運行で、たくさんの人が乗っている。しかし、この日は日曜日であったため、このように少なかったのである。
 さてバスは駅へ向かって行った。このバスの路線は、途中で新青梅街道などの主要な街道を横切り、さらに走るため、平日の朝は渋滞が生じる時もある。そのため、平日朝の駅までの所要時間は7~22分と、大変幅が大きく、乗車する時はいつも遅刻の恐怖におびえている。
 だが、さすが日曜日の朝である。道路はガラガラ、乗る人もいない。あまりに順調に進んでしまったためであろうか、非常に低速での進行である。途中では誰も待っていない停留所のバスレーン(バスを止める所)に入り、後ろから来ている車をやり過ごしている。私は駅のコンビニで昼食を買うつもりであったため、「トロトロ走っていないで早く駅に着いてくれ。」という想いを募らせていたのであるが、7時17分、所要7分で駅に到着した。頑張れば7分で行ける所を、普段はこの2倍以上の時間をかけて行っていると思うと、いと口惜し。
 コンビニで昼食を迅速に購入し、電車に乗車。そして7時49分、拝島駅に到着した。
 かなり久しぶりの拝島駅で青梅線ホームに移り、7時56分発『各停:奥多摩行』に乗車したのである。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第2回

2005年11月19日 16時24分41秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
凡例
人物名は以下の通り記述します。
 ・会長→会長
 ・会長全権代行→全権代行
 ・筆者(研究関連担当代表)・特別研修旅行担当者会代表→私
 ・出納担当代表→出納担当
 ・総合統轄副代表・特別研修旅行事業担当者会副代表→副代表
 ・構成員A
 ・構成員B
 ・顧問の先生→先生
実施判断の章
 平成17年11月6日(日)、私は午前6時20分頃起床した。予定では6時15分起床のつもりであったので、5分遅延したため少々あせったが、努めて冷静さを保った。
 起床した私は、まず外を見た。非常にどんよりした天候である。悪天候の際は延期のため、実施か否か考えつつもひとまず洗面をし、パソコンをたちあげてインターネットに接続、「YAHOO!」の天気情報を見た。奥多摩町は午後3時ごろまでは曇りで、それから先は弱い雨とのことであった。しかし、私が住む、都心に近い西東京市でさえすでにどんよりし、今にも降雨がありそうであったため、ひとまず天候目視調査担当の副代表へ電話した。しかし、応答がなかった。
 そのため、私は先生の携帯へ電話し、実施についての相談をした。その結果、実施することが決定し、6時45分頃、全員へメールを送信したのである。
 そして私は朝食を開始。御飯1杯、昨晩の残りの焼き鳥1本、サラダ少々という貧相な食事をとり、6時55分、受信メールの確認を実施した。さらに7時ごろには副代表から電話があり、準備はおおむね完了した。
 この時私はあせっていた。7時6分のバスに乗る必要が予定だったからである。私は独立行政法人 都市再生機構住宅の6階に住んでいるため、停留所までは約2分かかる。7時4分、私は急いで自宅を出発した。(つづく) (執筆:研究関連担当代表)

※写真は西東京市周辺

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第1回

2005年11月06日 21時04分58秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
プロローグ
 平成17年11月6日(日)、少々危うい天候の中、第5回特別研修旅行~奥多摩むかしみち~が実施されました。欠席は2名で参加者は8名(構成員は7名)でした。参加率は約77.7%で、前回の37.5%を上回りました。
 早くも第5回目となった「特別研修旅行」。賑々しく実施された今回のイベントを、今、文字でふり返ります。
 
 尚、来年春発行の「部報 JS社会」第3号にて、この連載に準じたものが掲載される予定ですが、肖像権の関係上、この連載の内容は部報掲載予定のものより格が下がりますので、その点はご了承願います。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

 ※第2回は12日(土)頃掲載予定です。