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都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

第1期社会科部は平成21年3月12日消滅。本ブログは現在活動中の新生「社会科部」様や都立上水高校とは一切関係ありません。

合唱祭近し

2006年06月05日 17時26分55秒 | Weblog
 久しぶりの更新です。
さて、本日は学校より更新致します。ちょうど放課後の時間なのですが、各クラスの合唱祭練習が日を追う事に忙しくなっています。
 本日も、放課後の練習時間が過ぎているにもかかわらず、練習を続けているクラスもありました。(さすがに終わったみたいですが…)
 その合唱祭と言うものは、6月8日・・・そうです、3日後に迫っています。私のクラスも例外ではなく、連日練習があります。各クラスが狙うのは、当然金賞。そしてその上にある、18学級中たった1クラスのみに授けられる最優秀賞です。すなわち、実力しだいでは、下克上も起きるので、下級生でもあきらめてはいけません。現に昨年は当時の2年次生を打ち破り、1年次生が最優秀賞を取りました。ということは、我々も油断をしてはいけないと言うことでもあります。(…到底そんなことはしませんが。)
 今年は、福生市民会館で実施されます。もしお時間がありましたら覗いてみて下さい。
                                 (おわり)
                       著者:研究関連担当代表(続投)

あヽ吉野家 復活への道

2006年05月24日 22時41分29秒 | Weblog
3月のキャンペーンでゲットした吉ブーストラップ

 2004年2月11日の吉野家牛丼販売停止からはや2年。今年2月には再開されるとみられたが、アメリカのとんでもない対応により再び延期に。無念、そして絶望・・・。吉野家ファンだれもがそう感じたことであろう。その思いは、我々社会科部構成員一部も同じである。

 しかし今、7月ごろの米国産牛肉輸入再開へむけて、いよいよ動き出そうとしている。吉野家は牛丼販売再開に前向きであり、輸入再開後1・2ヶ月で販売できる見込みだという。となると、Xデーは8~9月。昨年末に結成されたものの解散していた私的団体「久しぶりに『吉野家』の牛丼を味わう会」もそろそろ再結成されるだろう。
 だが、牛丼のない吉野家の輝きは今も失われていない。豚丼は売れているそうだが、私には少々あわない。私のお気に入りは「豚生姜焼定食(480円)」である。牛丼が復活するまでもうしばらく、豚生姜焼定食を食べる事が続くだろう。

豚生姜焼定食(持ち帰り版:味噌汁なし)

  (執筆:元三代目会長)

うごきだす

2006年05月21日 21時57分03秒 | Weblog
 最近、本ブログの更新が滞りがちで、申し訳なく思っております。5月上旬の3年生勇退(引退ではありません)とともにテスト期間に入ったため、社会科部の活動は行われておりません。そのため、新しく主役となった1・2年生の方々にとってはなかなかブログのネタが無く、又、時間も無いため更新が厳しいようです。
 しかし現在、部長は第10回特別研修旅行実施や上水祭にむけて、色々と検討を始めているそうです。特別研修旅行の場所をめぐっては、現在一部構成員が提唱している候補地をめぐって、決定まで大論争が予想されますが、テスト終了とともに新生社会科部が「うごきだす」ことが期待されます。それに伴って、本ブログも更新されていくと思いますので、温かいご支援・ご愛読をお願いします。(執筆:元三代目会長)

新部活動社会科

2006年05月18日 21時51分26秒 | Weblog
画像は同好会時代のバナー(今までの苦労は無にしません)

 3年次の皆さん、これまでの活動ご苦労様でした。
さて、活動の主権が2年次渡りはや2週間が経ちました。
来週の前半は定期考査のため、水曜日より本格的に始動していきます。
初代部長(構成員C)は右も左も分からぬままに部長という大役を引き受けていただいたので、我々ベテラン?勢がそのアシストをしていきます。
ただ、昨年までの主要メンバーは、ほぼ現3年次であり、その3年次が事実上の引退(実際に引退されてしまったら、同好会に逆戻り…。)をしてしまった今、我々2年次がどれだけ活躍できるかが社会科部の運命を握っています。
 これからもこの社会科部に大いなる声援をお願い申し上げます。
                                (おわり)
                         著者:元研究関連担当代表

PS.これまで毎日更新をしておりましたが、構成員多忙のため、更新頻度は控えめにさせていただきます。
頻度は落ちますが、社会科部クオリティーは維持いたしますので、これからもご愛読の程をよろしくお願い申し上げます。

社会科部昇格記念祝賀会・式典を開催!

2006年05月14日 17時09分59秒 | Weblog
 平成18年5月11日(木)放課後、「社会科部昇格記念式典」兼「3年生勇退記念セレモニー」兼「1年生歓迎記念祝賀会」兼「社会科部昇格記念祝賀会」を実施しました。
 当日は部員8名(4名欠席)と顧問、又、昨年の高文祭や上水祭でお世話になった放送部部長ら来賓3名が参加しました。
 式典と祝賀会は4時25分より同時並行で行われ、顧問による乾杯の音頭のあと、社会科部部長のあいさつや勇退する3年生のあいさつ、さらに来賓の方々からご挨拶を頂きました。多少の脚色は混じっているでしょうが、どの方の挨拶も素晴らしいものでした。
 そして、顧問よりご挨拶を頂きました。3年生の活動の成果や部を取り巻く現在の状況について話された後、「これまでの良い部分を活かしつつ、それにとらわれることなく活動をして行こう。」と1・2年生の方々を鼓舞されるなど、非常に感動する内容でありました。
 そして最後に、顧問の音頭のもと三本締めを行い、一次会は終了しました。

 5時ごろより、二次会(ゲーム大会)が行われました。12人が参加してウノを行いました。大変白熱しましたが、人数が多すぎて1回戦うだけで20~30分かかってしまいました。

上水カラー「グリーングリーン」

 こうして午後6時、大盛況の中祝賀会は終了しました。(執筆:元三代目会長)

社会科部に栄光あれ

2006年05月10日 15時22分49秒 | Weblog
 先日就任された初代部長(旧同好会のT会長に続き、かなり優秀な人です。)のブログ書き込みにもあったように、部長はまだ入部してから1ヶ月ぐらいしか経っていません。通常であれば、年功序列式で部長などが選出されるのでしょうが、社会科部は能力・人脈などがあれば、在籍年数に関係なく部長を投票で選出するような空気があります。はっきり言ってしまえば、『自由主義』が社会科部のことを良く表す言葉だと思います。それ故、上水高校の中では異彩を放っていることと思いますが、むしろ上水高校内で堂々と『自由主義』を貫くことは尊いことだと思います。
 私は旧社会科同好会の設立当時から、この団体に参加していたので社会科部から引退することは、かなりの寂しさを感じざるを得ないのですが、2年次部員がかなり優秀なので、安心して社会科部を任せることが出来ます。
 これからは、たまにぷらっと活動場所に寄るのがせいぜいだとは思いますが、その時はよろしくお願いしますよ。執筆:元渉外担当代表
 ※「第二生徒部になった生徒会」は、後日お送りいたします。

第二生徒部になった生徒会2

2006年05月04日 21時36分49秒 | Weblog
 先日、上水高校で行われた『生徒総会』の中で、いまいちピリッとしない生徒会役員達と対照的に元気だったのが文化祭実行委員会の委員長でした。
 委員長は今年の活動方針説明の場面で、もし学校側が今年も文化祭に対して多くの規制をかけるようとするのであれば、それに対して生徒が納得のいくような説明を求めると説明しました。この委員長の発言に対しては、私を含めて生徒達も感嘆を隠しきれませんでした。さすが文化祭実行委員長になるだけはあって、腹の括り方が違います。
 そもそも、生徒会役員の中には『推薦入試』でポイントになるという理由で立候補する不逞の輩がたまにいます。そんな輩は先ず100%の確立で学校側に対して意見を言うようなことはしませんし、学校長の顔色を損ねたらそれこそ一大事です。
 話はそれましたが、文化祭実行委員長の発言に呼応したような形で、3年次のある生徒がマイクの前に立ちました。
 その生徒は、マイクの前に立ちますとマイクの向きを生徒会役員の方向ではなく、体育館の後方で見守る先生方の方向に向けました。
 すると、その生徒は先生方に直接訴えるかのように発言をし始めました。
 発言の内容としては、自分達3年次の生徒は1年次のころから、文化祭に関して様々な理由で規制をかけられ、『飲食店・模擬店』などの出店をすることが出来なかった。今年は自分達は受験があるので、練習等が大変なクラス劇・ダンスなどだけを文化祭でやらせるのではなく、比較的に負担の軽い『飲食店・模擬店』も許可してほしい。生徒の発言は以上のようなものでした。
 私の考えでは確かに過去2年間、私達生徒は文化祭において『飲食店・模擬店』が一切許可されないので、クラス単位で劇・ダンスを強制的にやらされることが多かったのです。これではまるで、私達は北朝鮮の如く学校側に対しての『喜び組』とならざるを得ませんでした。(つづく) 執筆:旧社会科同好会渉外担当代表

第二生徒部になった生徒会1

2006年05月03日 21時45分38秒 | Weblog
 去る5月1日、世間で言うところの『メーデー』でありますが、上水高校では年に1度の『生徒総会』が行われました。今年の生徒総会では、社会科同好会が社会科部へ昇格することが承認され、めでたく上水高校社会科部になることが出来ました。社会科同好会の活動に対して、皆さんのご理解を賜ったことを大変感謝いたします。
 その『生徒総会』での議論は過去2年間のものとは違い、かなり踏み込んだ内容となりました。生徒会役員の人達が、生徒会意見箱に寄せられた各種要望に対しての回答が壇上で行われました。
 
 ※※再現(要約)※※ 『A.』は生徒会役員の発言
 Q.ポロシャツの着用(学校での)を可能にしてください。
 A.現状では無理です。着用を認めると服装が乱れる可能性もあります
 
 他にも様々な意見が意見箱に寄せられていたようですが、それらに対する答えは「無理です。」「規則によりますと・・・。」などといったような、まるで生徒部(いわゆる生徒指導部)の代理人のような回答が行われていました。
 生徒会役員による回答の後は、回答に対する質疑応答でした。

 ※※再現(記憶が曖昧ですが要約)※※
 Q.ポロシャツのほうが様々な面でメリットが多いのでは・・・?
 A.やはり、着用を認めると服装が華美になる恐れがあります。

 Q.華美かどうかはどのように判断するのか。基準が無い。
 A.基準は無いので各自で考えてください。

 Q.関係ないのだが、部活のときはジャージ登校を認めてほしい。
 A.むりです。

 実際はこんなにも単刀直入な言い方ではなく、いろいろと前置きをした上での回答でした。しかし、このような回答をしていたのでは、とても生徒の利益を守るどころではありません。
 私としてはここで一言発言しなくて、社会科部員としての本領は果たせないなと思い、挙手をした後にマイクの前に立ちました。

 ※※再現(記憶が曖昧ですが要約)※※
 私の発言.先ほどから、「無理です。」とか「規則の問題で出来ません。」とか言っていますが、はじめからそのようにあきらめるのではなく、可能性は低くても何らかの行動をして、例えば校長室にかち込むぐらいの勢いが必要なのではないでしょうか。
 A.話し合った末の回答です。

 何となくつれない回答です。その後の展開については続編をご覧ください。(つづく)  執筆:旧社会科同好会渉外担当代表

 

難関大学めぐりふたたび<下>

2006年04月23日 22時35分26秒 | Weblog
(4)学習院大学目白キャンパス
 学習院大学には都電荒川線で、早稲田駅の次の次の学習院下駅が最寄のようだが、二駅だけの乗車では物足りないので、次の鬼子母神前駅で降りた。周辺は昔懐かしい、独特の雰囲気が醸し出されており、歩いていて何だか良い心地がした。
 そうした町並みとはうって変わった明治通りに出て、学習院大学を目指していった。そして目白通りに入ると、左手には学習院の敷地が現れた。胸の鼓動が高まる中、ふと右手を見ると何と目白警察署があった。

さすが学習院だけあって、警備体制はしっかりしている。さらにその左隣には豊島消防署目白出張所もあり、万全である。
 さて中等科・高等科の門を越えると、ついに左手に正門が現れた!さすが厳かな雰囲気が醸し出されている。くぐろうと思ったが、門の内側に守衛さんが見えた。学習院だけに、制止されるかなと危惧したが、無事通り抜けることが出来た。ただ、後で西門を通った際、そこには「構内に入る方は守衛に申し出てください」という旨の看板がでかでかと掲げられていたので、本来は守衛さんにひとこと告げた方が良いと思われる。
 さてさて、学習院構内に入り、あちこち見ながら歩いていたのだが、何だか、非常に独特な雰囲気が感じられる。キャンパスの建物や人々、さらに木々などが高貴な感じがするのである。古語の「やむごとなし」や「あてなり」などという言葉がふさわしい。ある程度の先入観が働いているのは否めないが、非常に格式高い空気に満ちているように思われた。
 地図を見て、ひとまずキャンパスのあちらこちらを回ることにした。キャンパス内には色々と史跡・碑があるそうで、「マラソンAコース」というものをたどっていくと回れるようなので道なりに歩いた。
 どんどん奥まっていくと、「血洗いの池」が現れた。

江戸時代には灌漑として使われていたが、明治時代になって、赤穂四十七士の堀部安兵衛が血刀を洗ったという伝説が生まれたそうだ。木々に囲まれていて、大変静かであった。とても都心の中とは思えない。そんな中、野球のユニフォームを着た少年たちが池沿いの道を走って行った。おそらく、中等科か高等科の野球部の方々と思われる。マラソンAコースは有効活用されているようだ。
 さて、そのまま歩いて行くと、少々山道の感じがした。ここを走るのは大変だと思いながら歩いていると、左手に「富士見茶屋跡」が現れた。江戸時代には眺望の最も優れたところだったそうで、松尾芭蕉の句碑もあった。
 「目にかヽる 時や殊更 五月富士」

 マラソンAコースをはずれると、「乃木館」という木造の小屋があった。明治四十一年に建てられた学生寄宿舎総寮部の一部を移設したもので、全寮制であった当時、乃木希典学習院院長は学生とともに寝食をここでともにしたそうだ。
 又、この隣には「御榊壇」があった。

中央には1本の榊が植えてあり、明治天皇がご覧になったそうで、学習院の清浄境域とされているそうだ。ただ、何ももっていない怪しいお兄さんが周りの石垣や碑を長い間じっと、べたべたまといつくように見ていた。何か、調査でもしているのであろうか。又、後方の西1号館の建物脇で、アベックがずっともつれあっていたのが気になった。清浄の地の近くなのにな~。
 さらに進むと、馬場と厩舎もあった。馬は見えなかったが、昨年前期連続テレビ小説「ファイト」を見たものとしては、厩舎を見るだけで舞い上がってしまう。

都会の中の馬場

 さて、その後もあっちこっち見た後、大学のパンフレットをもらえる場所を探すことにした。しかし、どこで配布しているのか地図では全く分からないので、西5号館(本部)へ行った。受付に聞くと、その人はいきなり電話をとってどこかに連絡をした。すると、「西門に余っているそうなので、そちらへ行って下さい。」とのことだったので、目白駅目の前の西門へ向かった。しかし守衛所しかないので、守衛さんに聞いて見ると、守衛所からパンフレット類を持ってきて渡して下さった。守衛所でパンフレットを配布している大学は、初めてである。やはり学習院は違う。
 その後、目白駅前でパンフレット類を確認した後、目白通りを東に歩いて再び正門から中に入った。正門左手に学習院幼稚園があるからである。ここは前日に愛子さまがご入園された所だ。敷地は狭いが、建物は厳かである。

 こうして、学習院大学を出発し、帰宅することにした。将来、もし通うことになった時を想定して、池袋駅まで歩くことにした。迷路のようであるが、1キロ程度しかないので近かった。
 こうして、難関大学めぐりふたたびは終了した。執筆の日があいたため、今回だけ常体(~である、~だ調)になってしまった。<完>(執筆:会長)
 

難関大学めぐりふたたび<中>

2006年04月16日 22時09分40秒 | Weblog
(2)穴八幡宮
 本題とずれますが、ついでに取り上げます。
 前回書いたように、昼食の前にすぐ近くの馬場下町交差点沿いにある穴八幡宮に行きました。ここは商売繁盛の神様と言われています。境内は広く、建物もきれいでした。




 入口の石段の脇には流鏑馬の様子をかたどった像があります。新宿区教育委員会設置看板によると、徳川吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のために流鏑馬を奉納したのがはじまりで、現在は10月10日にすぐ近くの都立戸山公園で行われているそうです。
 又、江戸時代、早稲田村はミョウガの産地として知られていたそうで、お隣には「早稲田のミョウガ」という、JA東京グループ設置看板がありました。

(3)都電荒川線
 昼食後、戸山キャンパスを出発し、目白の学習院大学を目指しました。高田馬場駅隣の目白駅からすぐの所にあるのですが、都電荒川線を使っていくことにしました。先日訪れた西早稲田キャンパスを何とか抜けると、都電が見えます。私は十うん年ぶりの乗車であったので、大変懐かしく思いました。大人160円の均一料金は安いな~。

 私の自宅周辺は西武バスの勢力下で度々利用しますが、渋滞ですぐ遅れるバスをやめて、チンチン電車を導入して欲しいと個人的に改めて思いました。(つづく)(執筆:会長) 

難関大学めぐりふたたび<上>

2006年04月15日 22時01分02秒 | Weblog
 4月になり、私ども3年生にとってはいよいよ大学入試が現実のものになりつつあり、そろそろ志望校を決定する時期となっています。春休み、私は諸事情により大学訪問が出来なかったため、本日、大学訪問を実施することとしました。
 今年の1月、社会科同好会の有志メンバーである私的団体「みんなで本校推薦入試の日に平日の難関大学を見学する構成員の会」で早稲田大学(西早稲田キャンパス)、明治大学(駿河台キャンパス)、慶応大学(三田キャンパス)、青山学院大学(青山キャンパス)を訪問しましたが、そのとき訪れられなかった大学キャンパスを今回は1人で訪問してきました。
 今回訪れた早稲田大学(戸山キャンパス)と学習院大学(目白キャンパス)。難関大学訪問記ふたたびをお届けします。
※難関大学訪問記(1月実施)はこちら
 ・上 早稲田大学(西早稲田)
 ・下 明治大学(駿河台)、慶応大学(三田)、青山学院大学(青山)
 ※当時の会長などは現在とは異なります。

(1)早稲田大学戸山キャンパス
 戸山キャンパスは、西早稲田キャンパスから歩いて5分ほどの所にあります。第一・第二文学部があり、かつては早稲田学院があったそうですが、1928年頃以降から大学文学部のキャンパスに転用されたそうです。
 今回も前回同様、高田馬場駅から行きましたが、もし通うことになった時のことを考え、キャンパスまで歩くことにしました。若干のアップダウンはありますが、そこまで大変ではありませんでした。途中に吉野家が2軒もあり、感動しました。
 早稲田通りを歩き、馬場下町交差点を曲がるとすぐに戸山キャンパス。約15分ほどでありました。
 今回もやはり前回同様、月2回開催のキャンパスツアーに参加しました。私の他、高3生3名と貴婦人1名の計5名で、法学部3年生の方にご案内していただきました。
 戸山キャンパスには学生会館が併設してあります。戸山キャンパスから直接行くことは出来なく、一旦キャンパスの外に出て外を回って行かなければならないという不便さがありますが、驚くほど綺麗でした。1950年代と60年代に第一・第二学生会館が建てられたそうですが、老朽化により2001年、現・学生会館を新築したとのことです。

 館内にはサークルの部室があります。しかし、早稲田大学には約3000のサークルがあるのに対して約320の部室しかなく、全部が部屋を持つことは到底不可能です。そのため、ほんの一部のサークルを除いて、曜日ごとに部室を使用しているそうです。どこも厳しいな~。
 又、セブンイレブンやカフェテリアもあります。

 学生会館を見学した後、戸山キャンパスへ移動し見て回りました。全体的にそこまで綺麗でなければ、著しく汚くもないという感じです。第一・第二文学部だけのキャンパスですので、あまり広くありません。しかし、西早稲田と大久保キャンパスも近くにありますので、困ることはないでしょう。
 
 こうして1時間半のツアーは終了しましたが、時刻が12時ちょっとすぎでカフェテリアが混雑していたため、馬場下町交差点にある穴八幡宮を見物しに行きました。
 その後、ふたたび大学に戻り、カフェテリアで昼食を食べました。



 ハンバーグはいまいちですが、から揚げはとても美味しいですね~。(つづく)(執筆:会長)

吉野家支持者多数 ~ソースカツ丼を食べて~

2006年04月07日 15時17分28秒 | Weblog
 本日の昼食は吉野家の「ソースカツ丼」でした。本日は上水高校の入学式であったため、2・3年次の生徒は登校を免除されていましたが、新入生を部活動に勧誘することが許可されていたため、登校してくる2・3年次の生徒も多かったです。
 私を含めて社会科同好会員3名も、新入生を勧誘するために登校し、声かけや看板などで勧誘を行いました。
 新入生がほぼ全員下校するまで勧誘は続き、勧誘が終了したのは午後1時ごろ。 ちょうどお昼時でした。そこで私は同好会の後輩とともに、お昼を吉野家で取ることにいたしました。同好会会長も、自宅付近の吉野家でお昼を取ると言っていたので、社会科同好会は吉野家の一大消費団体といえましょう。
 私が会長との雑談の中で、「(吉野家の)立川店ぐらいでしかソースカツ丼は食べられないから、今日のお昼は豚丼ではなくソースカツ丼を食べようかな。」と発言いたしますと、会長は「あまりおいしそうなメニューではありませんね。」と言っていました。しかし、私は吉野家の『ソースカツ丼』に対する興味を、打ち消すことが出来ませんでした。実は、足を伸ばせる範囲で『ソースカツ丼』を提供している吉野家は、立川店ぐらいでありました。
 後輩と立川の吉野家前で待ち合わせをし、満を持して入店いたしますと、店内には10人前後の客がおりました。私達が着席して、私は『ソースカツ丼大盛り』、後輩は『鶏炭火焼丼』を注文いたしました。すると、1分もしないうちに両方とも出てきました。ソースカツ丼は、ご飯の上にキャベツとソースのかかったトンカツが乗せられていると、吉野家公式HPに記載されていたので、私としてはカツがとても薄くて、キャベツでどんぶりの具を埋め合わせたものが出てくるのではないかと戦々恐々としていましたが、実際に出てきたのはなかなかボリュームがありそうなカツとキャベツの乗っかったおいしそうな丼でした。
 付けあわせとして、納豆パックに入っているような練からしが付いてきました。
 実際に食してみますと、見た目以上にジューシーであり、若干薄めのソースがご飯とキャベツにも絡んで、おいしいハーモニーを奏でていました。
 新たにおいしいメニューを発見できてうれしかったと同時に、社会科同好会も吉野家の如く、主力を欠いた状態でも多彩なおいしいメニューで勝負できるような団体であることを願うばかりです。※写真は私が撮影した『ソースカツ丼』ではありません。執筆:渉外担当代表

新宿探訪<下>

2006年04月05日 17時30分27秒 | Weblog

 都庁周辺はかつて淀橋浄水場でしたが、現在、その名残はありません。しかし、都庁近くにある新宿住友ビルには「東京都水道発祥の地」というプレートがあります。又、その前には淀橋浄水場で使用されていた「内径1000 ミリメートル蝶型弁」というものが展示されています。ここは連続テレビ小説「ファイト」の1シーンのロケ地でもあり、感動しました。

  さて、ついでに新宿駅東口にも行きました。

 昨年、社会科同好会で東京都水道歴史館(文京区)を訪れた際、「馬水槽」というもののレプリカが展示されていました。これは明治39年にロンドン市馬水槽協会から寄贈されたものなのですが、本物がここ新宿駅東口にあるのです。

  近くには「愛の義援金」を集めるライオンの像もありました。類似品ですね。

 メトロポリス東京にも、よく探して見るとかつてをしのぶことの出来るものが残されています。(執筆:会長)

新宿探訪<上>

2006年04月04日 16時21分10秒 | Weblog

 先週の30日(木)、諸事情により西新宿へ行って参りました。同様の事情により定期的に西新宿へ行くのですが、なかなか気が起こらず、東京都のシンボル・都庁などをこれまで訪れていなかったので、この度ついでに訪れることにしました。 少し前の新聞によると、都庁はかなり奇抜な建物としたために、完成からわずか15年で雨漏りがひどいなど、大変なことになっているそうですが、やはり見た目は斬新です。中に入るのが初めてでしたが、なかなか近代的なつくりで驚きました。

 

地上45階の北展望室へエレベーターで行きました。メトロポリス東京を実感します。

又、売店にはうわさの「東京水(とうきょうみず)」のペットボトル(100円)が売っていました。

 さて、1階へ戻り、地域物産コーナーを訪れました。ここには東京都内の区市町村の観光ガイドパンフレットや博物館等のパンフレットが大量にあり、色々と頂戴してきました。社会科同好会にとって、宝の山ですな。(つづく)(執筆:会長)


小金井公園の桜

2006年04月02日 22時43分55秒 | Weblog
 先週29日(水)、近くの都立小金井公園へ行って参りました。桜を見物し、写真撮影をすることが目的であったのですが、あいにくどんよりした曇り空でした。しかし、帰ろうかとした時になって天候が回復して青空となり、美しい桜を見ることが出来ました。


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 このブログも桜のデザインが施されていますが、やはり桜は良いですね~。感動します。
 公園の南の五日市街道と玉川上水沿いも、この時期はなかなか美しい桜並木になるのですが、残念ながらそこまで開花していませんでした。本日は雨が降っており、桜が散ってしまいそうです。(執筆:会長)