Dutch Life 備忘録

オランダのミュージアム、コンサート、レストランなどについて記録するノート。日常的な雑記も…。

K's Choice Acoustic Theater Tour@Tivoli

2012-01-30 08:12:16 | Concert
最高気温は氷点下という寒い月曜の夜、K's Choiceというベルギー出身のバンドのコンサートに行ってきました。
場所は、ユトレヒトの老舗のライブハウスTivoli。ユトレヒトの駅から15分くらい歩きます。
開場時間に合わせて行ったので、ステージ前のよい椅子席に座ることができました。このコンサート、12月にブルージュで行ったK's Choiceのコンサートと同じツアーのものです。最初はベルギーでしかコンサートがなかったので、ブルージュのに行くことにしたのですが、その後、オランダでもコンサートが追加されました。
メインボーカルのSarahと、その兄でギターを担当するGertと、今回はキーボードを担当する人との3名で、オリジナルナンバーとカバーナンバーを演奏しました。Sarahの声はハスキーで、兄のGertとのハーモニーがとても良く、気持ちよく聞くことができます。すごく集中していたせいか、一曲一曲がとても短く感じられました。
「I'm so excited」や「sixteen」という曲が好きです。
Gertはギターのほかに、タンバリンやハーモニカも演奏していました。
長いツアーの最後のほうだったからか、ひじょうにまとまっていて、良いコンサートでした。
ブルージュでは伝統的な劇場でのコンサートだったのですが、今回はライブハウスだったので、もっとオープンな感じがしました。ビールを飲んでいる人も多く、酔った勢いか、曲間に声をかける人も多く、カジュアルな雰囲気でした。
この日も私の調子はいまひとつで、咳がよくでました。ロックバンドなので、音が大きく、あまり気にせずに咳をできたので良かったです。
体調はよくないんですが、一応、コンサートに行くことができたので良しとします。

ロッテルダム国際映画祭(IFFR)へ

2012-01-29 15:03:58 | Wblog:お出かけ
毎年この時期に開催されるロッテルダム国際映画祭(IFFR; International Film Festival Rotterdam)に行くことにしています。
ロッテルダムはちょっと遠いので、開催期間中の日曜日に行って、映画をいくつか見ます。ロッテルダム映画祭ではたくさんの映画が期間中にばらばらと上映されるので、日曜日と決めてしまうと見たい映画が見れなかったりします。
今回もほかに見たい日本映画があったのだけど、日曜に上映があるものから選びました。
午前中には、マーティン・スコセッシ監督の話題の3D映画「Hugo」を、午後からは日本映画の「Tokyo Playboy Club」と「Women on the Edge」を見ました。感想はあとで改めて書くつもりです。
この週末からがくんと気温が落ち、現在厳しい寒波が来ています。外気は氷点下で、風邪がまだまだ良くならない私にとってはこの寒さは身体からエネルギーを吸い取っていくかのようでした。車や地下鉄での移動で、映画館も最初の2つは同じだったので、外気に触れるのはあまり長くなかったのですが、それでも身に沁みました。風がなかったのが、せめてもの救いでした。
時間的には夜にもう一本見れたのですが、見ずに帰ってよかったです。
この映画祭、若い人からお年寄りまでいろいろな年齢層かついろいろな人種の人が見に来ていて、とても雰囲気が良いです。監督が来ている場合も多く、映画上映前に挨拶や上映後の質疑応答があったりします。
私の体調は依然としてすぐれません。今回は映画だったので、座ってじっとしているだけだったのでなんとかもったって感じです。
でも行けて見れたことだけでも良しとするべきでしょう。

本「De namen uit de Grote Zaal」

2012-01-26 13:21:23 | Book
Paul Witterman著「De namen uit de Grote Zaal」読了。Grote Zaalとは、アムステルダムにあるクラシックの殿堂コンセルトヘバウ(Concertgebouw)の大ホールのことです。そのホールは、1888年にできたもので、とても瀟洒な作りで、正面には大きなパイプオルガンがあります。そして、2階席を支えるアーチのところに作曲家たちの名前が大きく刻まれています。
初めて訪れたとき、バッハとかベートーベンとか超有名な作曲家はわかったのですが、いくつも聞いたことのない名前がありました。オランダでは有名なのかと思い、夫に聞いたのですが、知らないとのこと。同じような思いを抱いた人も多く、著者のPaul Witterman(パウル・ヴッテルマン)がその点に注目して、この小さな本を書き上げました。
小さな本と書いたのは、全体で約60ページで、簡単に読めるからです。CD付きで9.95ユーロでした。CDには、そのあまり知られていない作曲家たちの作品が収められています。
Paul Wittermanは、TVのトークショーのプレゼンテーターで、以前に偶然にクラシックコンサートでたまたま私の隣の席になったことがあり、親しみを持っていました。音楽に造詣が深い家系で、彼自身もコンセルヴァトリウム(Conservatorium;音楽専門学校)でピアノを学んだことがありました。
さて、馴染みがない名前たちですが、実はすべてオランダの作曲家でした。14名のオランダの作曲家の名前が刻まれています。
建立されたのと同時にすべての名前があったわけではなく、最初はバッハなど大作曲家の名前だけでした。そして、1925年に最近の作曲家の名前が追加されました。その中の一人は、女性(Henriette Bosmans)でした。知名度からすればあまり高くないのですが、今でいうフェミニズムの観点から少なくとも一人は女性をという意見が強く、そうなったそうです。つまり、この頃の音楽界の権力模様と政治がこの名前の選択には影響しているのです。オランダには、はっきり言って世界に名だたるような大作曲家はいません。著者は、これはどうしてなのかと疑問を呈します。そして、「しかし、ポルトガルにもスウェーデンにもスイスにもいないではないか、大作曲家というのはほんとうに稀な才能で、小さな国のオランダにいないのも不思議ではない。でも反対にイタリアにはたくさんいるなあ。なんてことだ、オランダには大作曲家を生む遺伝子が欠けているのかもしれない、不運だなあ、でもしかたない」と自嘲気味に書いています。
他に印象に残った話としては、第二次世界大戦のナチ占領下では、コンセルトヘバウの大ホールに刻まれたマーラー、ルービンシュタイン、メンデルスゾーンの名前を取り去るように命令が出たそうです。しかし予算の関係でで物理的になくすことはせず、結局はナチスの旗で覆って隠したそうです。また、コンセルトヘバウ・オーケストラの中にもユダヤ人が16名いて、最後にベートーベンの第九を演奏した後、辞職させられ、強制収容所へ連れて行かれたそうです。戦後、生きて戻ってこられなかったのは3人でした。13人も戻ってこられたのは、特別なユダヤ人として、アウシュビッツに直結した強制収容所ではなくて、別の収容所に送られたからでした。
あの壮麗なコンセルトヘバウの大ホールにナチスの旗が舞っていたことがあるなんで、なんか映画の世界のような話ですが、現実に70年くらい前にあったことなのです。ちょっと背筋が冷たくなるような気持ちがします。
この本、オランダ語ですが、読みやすく、おすすめです。
体調は、なかなか風邪が抜けなくて困っています。火曜日の夜には、39.3度まで熱が上がりました。熱が高くなるとパラセタモールを飲んでしのいでいます。今は、37.8度。これくらいだと、かなりラクです。しかし、不調なのが長いので、だんだんと疲れてきました。今週末はいろいろと忙しいのだけれど、乗り切れるか心配です。


叔母を訪ねてドレンテ州へ

2012-01-22 10:43:31 | Wblog:お出かけ
たまには映画でも観に行こうかと思っていた日曜日ですが、その前日にドレンテ州に住む叔母を訪ねることに急遽決まりました。
叔母といっても、夫の叔母なので、正式には義叔母です。クリスマスカードのやりとりはあったのですが、私は一度も会ったことがありませんでした。昨年、私たちはクリスマスカードを送ったのですが、その返事のカードが金曜日に着きました。そこには、「喉頭がんになってしまって、放射線治療でいったん消えたのですが、クリスマス頃に喉の痛みが出て、お医者さんに行ったら、あちこちに転移していて、手の施しようがないとのこと」とありました。
それで、土曜日に夫が電話をかけて、日曜日に早速訪ねることになったのです。
空はねずみ色、雨が時折降り、風の強い悪天候の中、車で約2時間。叔母の家は、オランダの北東の端のほうにあります。
夫は子ども時代にその家にときどき遊びに行ったことがあり、叔父と叔母との良い思い出があるそうです。しかし、大きくなってからは会っておらず、今回の再会は20数年ぶり。叔父は9年ほど前にがんでなくなっており、子どもがいないので、叔母は一人暮らしです。
ドレンテの小さな町からも離れた、四方に畑や放牧地があり、道に沿って街路樹が並ぶ美しいドレンテの田舎に叔母の家はありました。
叔母は笑顔で迎えてくれました。居間に通してもらい、大きな窓がテラス側にあり、その窓からの風景は絵のように美しかったです。とても大きな自然の池が二つあり、緑の芝生と放牧場が広がっています。そこには一頭の羊が草をはんでいました。叔母の話では、もう一頭いるそうですが、木々に隠れているのか見えませんでした。
居間には、暖炉があり、薪をくべて暖をとっていました。とても静かで、外から時折風の音が聞こえ、暖炉の中で木が燃えるパチパチという音が聞こえる中、コーヒーを片手に約2時間話しました。
叔母は71歳。夫の父の妹です。しかし、夫の父とは数年前から些細なことで諍いがあり音信不通。もうひとり姉が居たのですが、すでに他界しています。
医師からは余命について「2,3週間から一年、人によって違うのではっきりとは言えない」と言われたそうです。飲み物は少しなら飲めますが、食べることはできず、直接胃に流動食をカテーテルで入れているそうです。それでも、思ったより元気で、車を運転して買い物にも行けるし、普通の生活ができているとのこと。ただ、だんだんとできることができなくなり、死が今年中に訪れるのはほぼ確実なことなのです。
叔母は「とても変な気持ちだ」と繰返し言いました。最近は、今まで付けてきた日記帳を読み返し、最愛の夫との思い出を反芻したりしているようです。そして、これまで大切にしてきた思い出の品や貴重品の始末をゆっくりとしているとのこと。死後、それらがノミの市などに出てしまうことを恐れているそうです。
私も4年ほど前に病気で死を身近に感じたときに、自分の個人的な品々(メモや日記など)を捨てなければと思いました。また同時に、捨ててしまうとほんとうに死んでしまうようで躊躇もあり、身体的にも捨てたりする所作が億劫なほど弱っていたので、結局捨てずにいましたが、叔母の気持ちが痛いほどよくわかりました。
71歳といっても一人で何でもでき、年寄りという感じはしませんでした。こんな困難な状況にありながらも、涙を流すこともなく、感情的になることもなく、たんたんと冷静に受け止め、話していました。
夫が昔の思い出を語ったり、叔父の話になると、うれしそうでした。
食べ物の話にもなりましたが、叔母はもう何も食べることができません。もう何も食べられずに、死を迎えるのです。キッチンも見せてもらいましたが、大きなキッチンに大きな冷蔵庫、冷凍庫。そこにはもう食品は必要ないのです。それでも、客人のためにクッキーなどは用意してあり、私たちはそれをいただきました。
声は少ししゃがれていて、時折咳き込みますが、ふつうにしゃべっていました。当面は、食べられないこと以外は大丈夫そうなので、少し安心しました。
しかし、よくなるという希望がなく、だんだんと悪化するだけだということを受けとめなくてはならないことは、とてもとても辛いことだと思います。
私の場合は、それでも良くなるという希望があったからこそ、頑張れたのだと思います。
叔母はとても強い人だなと思いました。でも、強いとかそういうことではなく、そのような状態になったら、人はそれを受けとめる以外に他に方法はないのも真実です。
「あと1年もすれば、この家が他人の手に渡り、他の人がこの居間からこの池と羊の風景を見ているのかと思うと、不思議な気がする」と言っていました。
自分がこの世から居なくなって、自分の周りの物もすべて処分されてしまうということを見つめながら、死を待つ時間というのはどういうものなのでしょうか。まだ家族や、残された人々のことについて思いがあり、その人の中で自分は生きると思える人もいるのでしょうが、自分が死ぬことで自分とそして最愛の夫の思い出も、一緒に過ごした家も思い出の品も何もかもこの世からなくなってしまってと考えると余計に辛さが増してしまいます。
全身に転移し、痛みに苦しむようになったら、安楽死の処方も考えているそうです(これはオランダでは認められています)。そうやって、自分の死後の所持品の始末だけでなく、自分の死期までも自分で采配しなくてはいけないことに悲しさを感じないわけではないですが、それはそれで一人の人間として立派な終わりの付け方だとも思います。
オランダの老人はよく「Mooi leven(美しい人生、良い人生)を持った」と言います。だからもう死んでも後悔はないという意味合いです。私は帰りの車の中で夫に訊きました。叔母は、Mooi levenを持ったのかと。夫は、「そう思うよ。ただ、もっとKees(叔母の夫)と長く一緒に居たかったというのはあると思うけど…」
もし機会があれば、また叔母を訪ねることがあると思います。別れ際には、「Tot ziens(じゃ、またね)」と言って別れました。
今は、ひじょうに複雑な気持ちです。
体調はそこそこ良好です。まだ風邪は全快していません。


ジグソーパズル完成

2012-01-18 09:35:20 | Weblog
毎年、クリスマスから年末年始の休暇をゆっくりと家で過ごしながら、ジグソーパズルに挑戦するのが、我が家の恒例行事となっています。
今回は23日の金曜日から始めました。暇があれば、ジグソーパズルのあるテーブルへ行って、時にはワイン片手にチーズやオリーブをつまみながら、のんびりとやります。バックグラウンドには、クリスマスミュージックの流れるラジオやお気に入りのCDをかけながらです。
いろいろな家が並んでいる、やりやすい図柄のパズルを選んだはずだったので、最初のほうは好調に進みました。そして、年が明けてから私が風邪でダウンして、私は低いテーブルなのでかがみ気味にうつむくと鼻が詰まって気持ち悪くなるので、ほとんど手をつけないうちに、夫がこつこつとすすめ、あとは空の青い部分だけとなりました。しかし、この青い部分が曲者で、色の濃淡から場所を判断するのは難しく、形のみが手がかりで、でも同じようにうまくはまるピースが複数あって、なかなかうまくいきませんでした。
途中で、夫が「もう、あきらめよう」と言い出したのですが、年末年始の恒例行事を未完成で終えるのは縁起が悪いような気がして、なんとか最後までと言い張りました。
結局完成したのは、新年になって半月ほど経った頃でした。なんか、ほっとしました。今回は85%くらいは夫がやりました。
風邪でいまひとつだったけれど、ちょっと無理な姿勢でパズルをするときに、1年前よりずっと背中の痛みや身体の違和感が改善されているのを感じました。
現在の体調は風邪がまだ残っています。咳はなくなりましたが、まだくしゃみと鼻水がなくなりません。でもずいぶん身体的に楽になりました。2週連続で日曜日に家に居たのですが、今週末にはどこかに出かけたいなあと思っています。
つまらないことですが、ジグソーパズルのことを、私はずっとジグ「ゾ」ーパズルと言っていました。今回変換がうまくできないことで、気づきました。jigsawだから「ソー」なんだと思えば納得なんですけど、英語を意識する前に覚えた言葉だからしようがないですね。

レナリドミド+デキサメタゾン 第24サイクル開始

2012-01-13 16:34:21 | 医療・病気
4週間というのは長いようでかなり早いです。今日から、レナリドミド10mg+デキサメタゾン0.5mg服用の24回目のサイクルが始まりました。週三回服用し、4週目はデキサメタゾンのみの服用となります。4週間で1サイクル。
レナリドミドという薬は薬局には常備しておらず、いつも注文扱いになります。薬が来るまでに、中二日くらい待ちます。カプセルで、10mgで1カプセルなので、飲みやすいです。デキサメタゾンも0.5mg錠があるので1錠で済み、飲みやすくて助かっています。
デキサメタゾンを服用した日には、昼頃に発汗し、体温が上昇するように感じます。これによってぐったりするというようりは、元気が出るという感じです。
12月、1月と風邪をひき、発熱し、1週間くらい苦しい思いをし、その後また1週間ぐらい咳などがあとをひくという経験をしました。11月にデキサメタゾンを減量したのですが、このことが身体の抵抗力と関係しているのかなあと思ったりしています。今度の血液内科受診の際に機会があれば訊いてみようと思います。

Andreas Scholl(カウンターテナー)「Oswald」@Vredenburg(ユトレヒト)

2012-01-12 10:39:13 | Concert
カウンターテナーのAndreas Scholl(アンドレアス・ショル)のコンサートを見に行ってきました。
年間の「ワールドスター」というシリーズチケットを以前に買ったのですが、これは4つのコンサートが組みになっているもので、ピアノのニコライ・ルガンスキーやバイオリンのニコライ・ズナイダーのコンサートに魅力を感じて買ったのですが、その中にこのカウンターテナーのAndreas Schollのコンサートが付いていました。つまり、あまり興味はなかったのですが、つい一昨日のオランダの人気トーク番組「PAUL&WITTERMAN」にあこのアンドレアス・ショルがゲストに出ていて、少しバックグラウンドがわかったので、にわかに興味が上昇しました。
彼は、1967年生まれのドイツ人ですが、20歳の頃オランダのナイメーヘンに彼女ができたことで、オランダ語が上達し、番組内では訛りのないオランダ語を話していました。話す声はふつうの男性の声で、司会者が冗談で「カウンターテナーはホモと何か関係があるの?」と聞くと、笑って「ありません」と答えていました。気さくな感じの人柄で好感がもてました。
さてコンサートですが、中世の作曲家で旅行家でもあったOswald von Wolkenstein(オズワルド・フォン・ボォルケンシュタイン)の人生を辿った歌を、劇風の構成したもので、とても見応えがありました。Shield of Harmonyというハープを奏でる女性シンガー、リュート奏者、中世フィドル&リュート奏者、dulcimelos奏者などからなるグループとの共演で、背後には中世の画をコラージュした美しい映像が流れ、俳優がオランダ語でシーンの内容を独白し、それにシンクロするように歌や中世音楽が入るという構成でした。
アンドレアス・ショルの声はとても美しく、いつまでも聞いていたいと思いました。途中最後近くで、ふつうの男性の声で歌う部分もありました。歌劇のような形で、1時間15分くらいのぶっ通しのステージで、アンコールがありましたが、通常のクラシックコンサートよりは短めでした。
パンフレットによると同じ演目でアジアにもツアーに出かける予定とのこと。
私の体調ですが、風邪の咳がまだ残っていて、コンサート中もこらえるのが必死でした。咳と鼻で体力が低下気味です。あまり無理をせず、ゆっくりと過ごしています。

本「犬の力」

2012-01-09 12:20:13 | Book
ドン・ウィンズロウ著「犬の力」読了。この本、角川文庫で上・下巻に分かれており、合わせると1000ページを超える大作です。ドン・ウィンズロウのちょっとコミカルな風味のあるミステリは、ニール・ケアリーが主人公のシリーズをずっと読んでいて好きで、また「犬の力」は「このミス」の2010年の第一位にも輝いていたので、是非読んでみたいと思っていました。
原書で読むのもいいのですが、東江一紀氏の翻訳はいつもとてもクオリティが高く、ときどきニヤリとしてしまう言葉遣いも私の感性に合っているので、和訳版で読むことにしました。
最初は衝撃的なメキシコの片田舎で起こった大量の殺人現場の描写から始まります。以前のシリーズとは違って、今回は目を覆いたくなるような血まみれの場面がこれでもかこれでもかとあり、まるでマフィアとFBI捜査官の鬱々とした抗争を描く映画を見ているよう。
この本を読んで、知らなかったメキシコと合衆国をめぐる麻薬問題の深刻さを知りました。そして、メキシコだけでなく中南米の政情の不安定さと、合衆国の力の政治力の及ぼし方と麻薬犯罪のつながりの複雑奇妙さ、こういうことはなかなか短いニュースの断片からは全貌をつかむことは無理です。この本では、1975年から2004年までの実際にあった出来事の構図をなぞりながら、読み始まると最後まで読みたくなる活劇的物語展開で、複雑な麻薬マフィアを背後にした密輸、組織化、権力との癒着、抗争、政治的采配をつぶらに描いています。
主人公捜査官アート・ケラーは麻薬マフィア撲滅に彼自身の人生をかけて挑んでいきます。物語は2004年で終わりますが、最近でも、メキシコでマフィアがらみで数十人の人が殺されたというようなニュースを目にし、この麻薬マフィアの問題は2012年の今でもまだまだラテンアメリカにおける大きな問題であることが理解できます。
「犬の力」というのは、メキシコ流の言い方で、人間ではできないような「獣」がおこなうような残虐な行為をという意味です。この本の中で起こるいくつかの死は、ほんとうに人間のふつうの感性では耐えられないような酷い方法でもたらされます。こんな理不尽なと思うのですが、そんなことがある意味日常茶飯事に行なわれている世界があるのだということに戦慄しました(この本自体はフィクションですが、リアリティ感があります)。
読んでいて楽しい本ではないですが、独特の言い回しで楽しめる部分もあり、読み出したら止まらないです。
合衆国とラテンアメリカの関係、メキシコという国について、新たな眼差しが得られたという点で、読んでよかったなと思います。
スペイン語がところどころに出てきます。私はスペイン語はまったくわからないのですが、わかる人はもっと楽しめるでしょう。
体調はまだ咳と鼻水に悩まされていますが、熱は下がり、風邪は終息方向へ。ただ体力をかなり消耗したらしく、倦怠感があります。



Monnickendam(モニッケンダム)

2012-01-01 09:25:15 | Wblog:お出かけ
2012年が始まりました。
明けましておめでとうございます。
平和な一年でありますように。

元旦には自然な空気に触れたいと思うので、曇り空で少し億劫だったのですが、出かけることにしました。水辺の静かな古い町ということで、Monnickendam(もにっけんだむ)というアムステルダムの少し北にある町へ車ででかけました。
小さな港があり、大きな教会があり、鐘楼があり、昔ながらのレンガ作りの特徴的な家々が並んでいます。小一時間、ゆっくりと散策しました。教会は、街の大きさに比べてとても大きく立派なものでした。年月が経つうちに地盤が沈下したのか、少し傾いていて、そこに歴史を感じました(写真)。
お店は閉まっていて、いくつかカフェが空いているくらいで、町は静かでした。それでも、散歩を楽しむ人たちはそれなりにいて、何人かとすれ違いました。
オランダの新年の挨拶は、
Gelukkig Nieuwjaar! (=Happy New Year) か、
Beste Wensen! (=Best wishes)
です。

新年の更新がすごく遅れてしまいました。というのは、この元旦のお出かけから帰宅したら、喉の痛みを感じ、その後、風邪の症状に苦しみました。熱は38度前後だったのですが、喉、鼻、咳など気分が悪く、よく眠れず、体力を消耗しました。木曜日にCRPの値をはかってもらったら、26でした。正常値ではないけれど、すごく高いわけではないので、肺炎にはならず、このまま時間とともに治るだろうということでした。今日(1月6日)は少し良くなった感じです。