Dutch Life 備忘録

オランダのミュージアム、コンサート、レストランなどについて記録するノート。日常的な雑記も…。

義母の目の手術@オランダ

2012-03-29 10:00:15 | 医療・病気
義母は70歳を超えていますが、まだまだ自転車で色んなところへ出かけるくらい元気です。しかし、目の調子が悪いというころで、今年2月の始めに地方の総合病院の眼科の診察を受けました。目の状態は、右眼の視界にところどころ黒い点が見えてぼやけて見えるというのと、左眼の視界の真ん中あたりがごそっと何も見えないということでした。片眼ごとで見るとだめですが、両眼で見るとだいたいちゃんと見ることができ、テレビを見たり、車の運転もふつうに行っていました。本人は、白内障だと思っていたそうです。
地方の総合病院の眼科でいろいろ検査してもらった結果、右眼は白内障で、左眼は網膜はく離という診断が下りました。この病院では手術はできないので、その地方の大学病院の眼科に行くようにと言われ、早速診察の予約を取ったのですが、その予約日は2月29日でした。
そして、2月29日に大学病院の眼科の診察を受けたところ、手術が決定し、手術方法の説明や薬の服薬や手術後のことなどの説明を受け、手術日はあとで連絡するとのことでした。その後1週間ほどして連絡がきて、手術日は4月12日に決まりました。
網膜はく離に関する手術の情報が入ったファイルを病院からもらっており、そこに手術日前日に点眼しなければいけない薬のスケジュールなどわかりやすく載っていました。患者は、自分で薬局に行って、その薬や手術後に家で取り替える包帯などを入手して、用意しなければいけません。そして、手術は当日、病院へ行って、その日のうちに家に帰され、翌日また病院を訪れて、経過確認の診察を受け、すぐ家に帰るというものですが、眼に針をさしてガスを充填させて網膜はく離部分の網膜を正しい場所にまた貼り付けるという手術なので、ガスがちょうど患部に当たっているように、手術後は3日ほど、顔を下に向けてうつむいた状態でいなくてはいけません。就寝時には、顔が下になっても呼吸できるように、真ん中が空いたドーナツ型のクッションを使用しますが、これも自分で手配あるいは自製しなくてはいけません。
私がちょっと驚いたのは、診察を受けてから手術日までの長さです。最初の診察からは約2ヶ月半かかっています。これでも地方なので待ち時間は短い方かと思います。大学病院の医師からは6ヶ月以内に手術しなくてはいけないと言われたそうです。しかし、ネットなどでは、網膜はく離の場合、手術は早ければ早い方がよいという記述をよく見かけます。また、日本の病院の場合、網膜はく離だと入院して、術後は病院で3、4日過ごすようです。
オランダの病院は、確かにあまり長く入院させてくれません。「回復は家で」という感じです。私が自己の末梢血幹細胞移植を行った時にも、入院してすぐセミ隔離病室(二人部屋で同時に同じ治療をする男性と同室、入室時には皆マスクを着用)に入って、3週間後に白血球値が4.7になった途端、普通病室に移されることなく即退院となりました。同じ処置をした日本の病院の患者さんのブログなどを読んでいると、かなり長く入院されている場合が多く、オランダとは違うなあと思いました。
オランダでは、緊急な場合は別ですが、普通の手術だと、癌であれ、扁桃腺であれ、予約して手術を待ちます。その待ち時間は日本より長く、何ヶ月か待たされるのはよくあることです。
家庭医制度ですので、眼科や歯科は別ですが、それ以外だと家庭医からの紹介状がないと、専門医の診察を受けることはできません。日本のように、××胃腸科とか××神経外科とか××整形外科という医院はなく、専門医は総合病院の中にいます。日本だと、自己判断で医院を選んで専門医の判断をいくらでも受けられますが、オランダでは家庭医の良し悪しによってなかなか紹介状がもらえず、またもらえても病気の発端となっている専門のところではないところの科の紹介状だったためにその科では病気が発見できず、問題なしと返され、そうなると行くところはまた同じ家庭医しかなく、痛み止めなどでごまかして時間が経っていくうちに手遅れという場合もあると思います。
オランダの医療の良い部分は、医療費が無料(自己負担なし)ということです。もちろん、毎月医療保険を払っていますが、払っている限り、医療費は無料です。無料と言ってもほんとうにすべて無料かというとそうではなくて、痛み止めのパラセタモールや睡眠を助ける薬など、一部の薬の費用は自己負担しなくてはいけない場合があります。義母の場合は、包帯が自己負担(3ユーロ)でしたが、それ以外はすべて無料です。入院費はもちろん、入院中の食事代もろもろすべてです。ただ、そうなると日本で言う差額ベッド代なんていうものもない代わりに、ベッドを選ぶこともできません。医師の判断で、大部屋、少人数部屋、一人部屋が決められます。
長くなりましたが、オランダと日本では医療の面で違う部分がところどころありますので、気がついたときに書いていきたいと思います。
体調は良好です。

Klee+Cobra@cobra museum(Amstelveenオランダ)

2012-03-25 10:23:41 | Wblog:お出かけMuseum
晴天の日曜日、アムステルフェーンにあるCobra Museumに行ってきました。このミュージアムで、「Klee+Cobra」という展覧会を開催中で、クレーは私の好きな画家なので、興味を持ちました。
アムステルフェーンは、オランダでは日本人がたくさん住んでいるところで、アムステルダムの少し南にあります。日本食料品店や日本食レストランもところどころにあるのですが、私はあまり縁がなく、以前にCobra Museumに一度行ったことがあるだけでした。今回は、日本食レストランでお昼を軽く食べて、その足で美術館へ行きました。前回行ったときは、冬で、一面のガラス張りの壁から見える池には凍りが張っていたのですが、今回は青い空と緑。急に暖かくなったからか、木々はまだ緑の葉をつけていません。しかし、春らしい空気と陽光は感じられます。車の中や陽のあたる室内は暑いくらいでしたが、日陰はまだまだ寒い感じがしました。
さて、このCobra Museum、Cobraという1948年に設立されたヨーロッパの芸術グループに焦点を当てたミュージアムです。Cobraという名前は、グループの中心人物がコペンハーゲン、ブリュセッル、アムステルダムにいるということで、その頭の文字をとって付けられました。
オランダでは、その後有名になったアーティストのカレル・アペル(Karel Appel)が所属していたということで、Cobraはとても有名です。他に、オランダではコンスタン(Constant)、コルネイユ(Corneille)、ベルギーではピエール・アレシンスキー(Pierre Alechinsky)、デンマークではAsger Jornなどがメンバーでした。
カレル・アペルを知ったのはオランダに来てからですが、何かクレーに似ているなと思ったことがあります。奔放なタッチと、子どもが書くような線の絵だからです。そして、今回の展覧会は、クレーの絵がこのCobraグループの人の作品に影響を与えていたのがわかるように展示されていました。クレーは1940年に亡くなっており、1948年にアムステルダムでクレーの展覧会が行われています。同じ1948年に設立されたCobraグループのメンバーの多くがこの展覧会に訪れています。
Cobra Museumの2階全体を使ったかなり広いスペースにはたくさんの作品が、子ども、動物、マスク、アクロバットなどのテーマに分けて、展示されていました。かなり人気があるようで、人が多かったです。
面白かったのは、Cobraについてのドキュメンタリーフィルムで、その中で、カレル・アペルが「Cobraって言われても、それは若い頃にたった2年くらい所属していただけで、それが何か影響を与えたかっていうと、特にない。ただその頃は作品を発表する場がなかったから、Cobraに属することで発表しやすくなるから所属していただけで。40年も経った今、Cobraって言われても、ずっと忘れていたからね。」という感じで、かなり冷淡な対応でした。このドキュメンタリーは1988年のもので、多分その頃から、有名になった作家が以前Cobraという芸術グループに所属していたことを一種のブランドのようにマスコミで取り上げるようになったのでしょう。実際にCobraは1948年に設立、1951年には解散しており、その間に多数のメンバーを勧誘しています。画家だけでなく、詩人も参加しており、Cobraという名前をつけたのは、べルギーの詩人クリスチャン・ドートルモン(Christian Dotremont)です。現在、美術マーケットでCobraの作家の作品は高値で取引されていますが、たった3年間での、それも緩い活動グループであったことを思えば、そこに所属していただけでCobraブランドを付けてさも重要な作品のように売るのは、ちょっと資本主義的すぎる気もします。そもそもこのCobraの芸術家たちは、当時ある意味前衛的で、社会主義的理想を持っていた人々が多いのですから、何となく変な気もしてしまいます。
クレーの作品も多く展示されていましたが、私の好きなタイプのものはあまりありませんでした。クレーの風景画的なものがどちらかというと好きなのです。
約130ものクレー作品、約120のCobraの作家の作品が展示されています。開催は、4月22日まで。
写真は、カレル・アペルの「Animal under stars」です。
体調は良好です。

本「ル・コルビュジエを見る」

2012-03-21 13:00:49 | Book
越後島研一著「ル・コルビュジエを見る」を読了。副題は「20世紀最高の建築家、創造の軌跡」とあります。
建築物を見るのは好きなんですが、今までちゃんとした建築についての本を読んでことがありませんでした。この本は、新書で、私の興味のある建築家ル・コルビュジエについてだったので、読みやすいかと思い挑戦しました。読み出したら、わかりやすく、内容も興味深く、難なく読み終えることができました。結果として、ますますル・コルビュジエや建築に興味が沸きました。
ル・コルビュジエの作品は、日本には上野の国立西洋美術館しかありませんが、フランスにはサヴォア邸、マルセーユのユニテ、ロンシャン教会堂、ラ・トゥーレット修道院があり、一度訪れて実際に見てみたいなあと思いました。しかし、魅力のあるロンシャン教会堂とラ・トゥーレット修道院はちょっと行きにくそう…。
以前、オランダのロッテルダムでル・コルビュジエについての大きな展覧会に行ったことがあり、そこで模型や写真なども多く見ていたのですが、本で読むと、いっそう理解が深まりました。
まず、ル・コルビュジエというのは本名ではないのですね。そして、彼はスイス生まれで現地の美術学校を出ただけで、大学教育などは受けておらず、その後パリに出て、独自のアイデアとそれを突きつめる思考で、どんどんと斬新な建築物を創造していったのです。ル・コルビュジエといえは、白い箱型の建築を思い出しますが、それは初期の頃のもので、後期にはロンシャン教会堂のようにダイナミックな有機的な感じの曲線も用いた彫刻のような建築物を作っています。彼の大きな魅力は、その建築の大きな変遷でもあります。どうしてそういうふうに建築が変わっていったのかがよくわかるように本の中では説明されています。
また、日本の有名な建築家たちがどうのようにル・コルビュジエに影響を受けているかの説明もとてもわかりやすく、面白かったです。
この本を読んで、建築物を新たな視点で見ることができるようになりました。例えば、西洋は20世紀以前はレンガを積んで作る建築物でしたから、四方の外壁が屋根や上層階の床を支える構造となっています。しかし、ル・コルビュジエが提唱したように柱が屋根や床を支える構造にすることで、外壁が支える役目から自由になって、窓を自由に配置したり、外壁に極端な凹凸をつけることができるようになったのです。文字での説明ではわかりにくいですが、本にはたくさん写真が入っており、視覚的にもわかるようになっていて、とてもよかったです。
体調は良好です。

Restaurant:Mijn Keuken@Wouw(オランダ)

2012-03-11 12:51:10 | Restaurant/Cafe
DiningCityのレストランウィークにはいつもどこかへ出かけているのですが、今回、なかなかお目当てのレストランがとれず、結局、日曜日のランチに北ブラバント州にあるWouwという小さな村のミシュランスター1つ星レストラン「Mijn Keuken」まで足を伸ばすことにしました。家からは車で1時間強の距離です。
予約したのは12時15分。しかし、少し早く着いてしまいました。大きな教会と広場をぐるりと散歩して、12時すぎにレストランへ。私たちが最初のお客でした。窓側の眺めがよい席に案内され、食前酒をすすめられ、夫はそれを注文し、私は前回のこともあってお酒は慎もうと思い、スパークリングウォーターにしました。
レストランウィークなので、メニューは固定です。でも、エクストラでいくつか注文することができ、温前菜のエビと柚子風味の厚切りベーコンが美味しそうだったので、それを追加しました。いつものように夫は、それぞれの料理に合ったワインのコースを注文しましたが、フルグラスだと飲みすぎになってしまうので、半グラスでお願いしました。私は、前菜に合うワインを1杯のみ、テーブルの賑やかしに注文しました。美味しいワインでしたが、少し飲むだけにとどめました。
まず、食前酒を飲んでいるときに、それに合うよう、パリパリに薄くやいた4種類の味のパイ生地、サラダポッキーのようなもの、トマトディップ、チーズクラッカーが出てきました。どれもとても美味しかったです。
そして、アミューズ。ビーフタルタル、ポテトピューレ(ナッツ入り)、上にクルトンのようなカリカリのポテトと、うずらの生卵がのっています。口のなかで、いろいろな味と食感(柔らかい~硬い)が混ざり合い、楽しむことのできる味でした。
前菜は、写真のように、とても美しい一品。右の四角のものは、燻製鰻のムースを固めたもので、赤い部分は果物(ブラッドグレープフルーツ)のゼリーで、これがもうとっても美味しかったです。左側の野菜と少し混ぜて食べるとまた格別です。私は、この料理、見た目もきれいでとても気にいったのですが、夫は、何かデザートみたいで違和感があるとのこと。そんなことありません!とても良い一品だと思います。
追加した温前菜は、大きなエビのグリルと、ベーコンのお味がとてもよく、添えられている野菜のコンビネーションも良くて、よかったです。夫はこの一品がいちばん好きだったそうです。
メインは、鴨でした。回りには、エンリギや野菜がきれいに添えられています。鴨は、皮の脂身のような部分が美味しくて好きなのですが、好み的にはこの部分がもっと焦げるくらいに焼けているほうが良かったです。温前菜のベーコンも脂身たっぷりだったので、また脂身かとも思いました。前日のランチのメインは鳩だったそうで、このほうが、全体のバランスとしてはよかったかも。でも、おいしかったですよ。
デザートは、ローリエのアイスクリーム、チョコレートのスフレのようなものなどで、ローリエのアイスクリームが初めての経験で、面白い味でした。スフレのようなものは、私にとっては甘すぎて、残してしまいました。
この後、夫はエスプレッソ、私は紅茶で、一息つきます。この時にスイーツがサーブされ、トレイにのった5種類から、好きなものを選ぶことができます。5種類全部選んでもよいのですが、そこはちょっと慎み深く3種類だけにしました。チョコレートトリュフ、マドレーヌなどですが、小ぶりで、私にはちょうど良かったです。
レストランは、お客さんが次々に入ってきて、ほぼ満員になりました。天井は高いですが、声がちょっと反響してうるさい感じはしました。
レストランでは、一品一品、給仕さんが下げるときに「お味はどうでしたか?」ときくところが多いのですが、このレストランではそういうことはありませんでした。それが、私たちには気持ちよかったです。それから、ワインをついだ後にワインの説明をするのがふつうなのですが、このレストランでは、私たちが話しているとわかると、注いだあとワインをテーブルに置いて立ち去ります。そして、頃合を見て、戻ってきて、説明をしてくれます。
天気の良い日で、窓からの眺めもよく、とても心地よい時間が流れていました。
レストランを跡にしたのは、3時40分。3時間半くらい、ゆっくりと食事を楽しんだわけです。私たちが特にゆっくりしていたというわけではなく、みんなそんな感じです。
時間をかけて食べたせいか、お腹がパンパンにいっぱいということにはならず、気持ちの良い満腹感でした。私には良かったけれど、たくさん食べる人にはもしかしたら物足りないかもしれません。
家からはちょっと遠いので、また行くことがあるかどうかわかりませんが、とても良いレストラン体験でした。おすすめです。
体調は良好です。
更新が遅れていますが、この日はあの大震災の日から丸一年でした。あの日の衝撃を思い、亡くなられた多数の方々のご冥福を心からお祈りします。オランダでもニュースやレポートで取り上げられていて、被災された方々の不自由な生活がなるべく早く良い方向へ落ち着くことを願わずにはいられません。




レナリドミド+デキサメタゾン 第26サイクル開始

2012-03-09 12:56:23 | 医療・病気
4週間ってほんとうに早いです。たいしたことをしていないからかなぁ。
何をともあれ、レナリドミド10mgとデキサメタゾン0.5mgの第26サイクルが始まりました。
レナリドミドについては、飲んだ日と飲まない日の差はもう何も感じません。デキサメタゾンを飲んだ日は、夜眠りにくいです。デキサメタゾンは減量してから、朝方まで眠れないことはなくなりましたが、朝寝坊をして飲むのが9時頃になってしまうと、夜2時頃まで眠れません。朝、ちゃんと起きて、7時頃に飲むと、12時頃には眠くなります。だから、デキサメタゾンを飲む日は、きちんと朝早く起きなくちゃと思うのですが、時にはどうしても起きれない日もあります。
薬は、食事中に飲みます。朝食を食べている最中です。朝はパン(チーズかハム)と果物少しとヨーグルトドリンクとコーヒーなんですが、デキサメタゾンを服用する日は、パンは2枚食べるようにしています(それ以外の日は1枚)。ちょっと多めに食べるほうが胃にいいかなーと思ってですが、実際のところはどうか知りません。
体調は良好です。一時中断していましたが、身体を動かすためにWIIをまたやり始めました。テニスばかりしています。現在レベルは、PROになりました。右利きなので、右ばかり鍛えているように思えて、左利きのMiiも作って、左でもやり始めました。そしたら、即、左腕の筋肉痛です。でも、毎日できるだけ続けようと思っています。


Concert:Within Temptation 「Sanctuary Tour」@ユトレヒト

2012-03-07 10:30:15 | Concert
オランダ出身の世界的に有名なバンドの一つだということで、興味を持ってコンサートに行ってきました。場所も行きなれているVredenburgという椅子つきの大きなホールで、通常はクラシックコンサートをよく行うところです。Within Temptation(ウィズイン・テンプテーション )というバンドは、シャロンという女性ボーカルと、その公私とものパートーナーでギタリストのロバートが中心となってできていて、メンバーはいろいろ入れ替わっていますが、現在は6人組(多分)です。音楽の種類は、シンフォニック・ゴシックメタル。黒尽くめの服を着て、ヘビーなt音で荘厳な音楽をがんがん…という感じです。
1997年にレコードデビューして、その後、順調にマーケットを広げています。ヨーロッパはもちろん、米国でも人気があるそうです。歌詞はすべて英語。
今回、昨年発売されたアルバム「The Unforgiving」を聞いて、その付属のDVDも見て、コンサートの準備をしていました。「The Unforgiving」はとてもよいアルバムで、シンフォニー感があって、またメタル的な音の強さもあって、またシャロンの美しく、魅惑的な声のボーカルも好きで、かなり気に入っていました。DVDでシャロンが曲のミュージックビデオを作るのを紹介しているのですが、気取らない、感じがよい人で、そこにも好感を持ちました。
二部構成で、第一部はコンセプトが1880年頃のスコットランドで、そこで少年が高熱をだして、生死をさまよっているときに誰かと取引をして、生き返ってというようなストーリーが背景にあって、それにちなんだ感じの曲が次々に歌われていきます。背後には大きなスクリーンがあって、スコットランドの荒涼とした風景と話に合ったシーンの映像が流れています。アコースティックギターやチェロが演奏されていて、それにシャロンの独特な力強いハイトーンな歌声がのります。彼女の声はとても特徴があって、この声こそが、Within Temptationというバンドのカラーを決めていると思います。
まあ、第一部は私にとって知らない曲が多く、ちょっとスローで、アコースティック感が強くて、いまひとつでした。
そして第二部、ここからはアコースティック感がなくなり、メタル感いっぱいで、「The Unforgiving」からの曲や過去のヒット曲をがんがん演奏してくれて、お客さんも総立ちで、音楽に満たされて、身体を揺らして、気持ちよくエキサイトすることができました。
ヒット曲のIce QueenやFaster、Sineadなどの曲が好きです。
観客は、若い人から、白髪頭の人まで、様々で、男女も半々くらいでした。親子で来ている人もいました。ゴシックメタルと聞いて、怖い感じの人たちが多いのかなと思いましたが、ぜんぜんそんなことなかったです。衣装に凝っ手いる人もほんの一部いましたが、あとはふつーな感じの人たちでした。
オランダでは14箇所ツアーします。ユトレヒトは2箇所目でした。
たまには、こういうメタル系の音のコンサートも良いですね。ライブハウスのほうがもっと雰囲気が良いと思うのですけど、椅子があるというのは体調がいまいちのときはありがたいし…。今回私の席は前の方だったんですが、座席部分が上にたためない椅子で、隣の人が大きな人だったので、皆が総立ちになった後、ちょっと窮屈な感じがしました。
体調はまだ喉の調子がいまひとつですが、元気になりました。暖かくなってくれたことが、いちばん身体にとって良かったと思います。

本「一般意志2.0」

2012-03-05 10:54:07 | Book
東浩紀著「一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル」を読了。
この著者は、会社を立ち上げて「思想地図β」という雑誌を年2回出し始めて、その雑誌が興味深かったのと、twitterの発言などを読んでいて、他の文化人とは違うフットワークの軽さと自由さとある意味の正直さに魅かれるところがありました。思想家、哲学者という立場で書いた本がいくつかありますが、難しそうだったので、そちらには手をだせずにいました。しかし、今回、この本は学術本ではなくエッセイだということなので、読みやすいと思い、手を出しました。結果として、最後まで読み通せたので、よかったです。
この本は、未来社会についてです。インターネットが普及した社会で、その技術を使って、どのような政治形態が可能かということについて、書かれています。それは、誰でも考えそうな電子投票やネット政党というものではありません。もっと今の仕組みとは違った画期的なものです。未来の仕組みを提案するとともに、現在の民主主義政治がうまくいかない理由も、歴史上の偉大な学者の名前を出しながら解説しています。言語が平易で、繰返し手取り足取り噛み砕いて説明してくれるので、わかりやすいです。
著者はこう書いています。
「あと半世紀もすれば、日本文化や中国文化、イスラム文化といった呼称は、もはや伝統芸能にしか用いられなくなっているだろう。東京の住民も上海の住民もカイロの住民も、ニューヨークやパリの住民と同じ本を読み、同じ音楽を聴き、同じブランドの服に身を包み、同じネットサービスを使う。」
50年後の世界に私はもう存在していないですが、50年後の世界がどうなっているか考えることはある意味面白いことです。これくらい先の視点を、思想家とか政治家とか国家や民について語る人はしっかり持ってもらいたいです。
さて、著者のいう未来の仕組みは、ネット内で人が動物的に反応してしまう無意識の部分をすくい上げて、政治に反映するものです。これは、みんながネットを通じて政策決定に直接関与する「直接民主主義」ではなく、またネットの中に蓄えられた膨大な個人情報を用いた「データーベース民主主義」でもありません。みんなが感情的に思っていることがネットの力で現前化され、それを政策を決定する際に大いに参考にされるということです。感情的に思っていることとはつまりその人の意見であって、みんなの感情にそった政策こそ、民意を反映した民主主義的決定に基づいたものになるはずです。また、これは、大衆に政策決定をまかせるという衆愚政治のようですが、あくまでもみんなの感情意見を参考にするということで、政策の作成および決定は専門家が主導します。これまで、みんなの感情意見をうまく現前化する仕組みがなかったのですが、それがネットの力で可能になりそうで、また議論の中にその現前化したものを取り込んでいくことができる仕組みもなんとかできるのではないかということなのです。
著者は書いています。「人間は論理で世界全体を捉えられるほどには賢くない。」「わたしたちは、言葉の力、議論の力を過信することをやめなくてはならない。いくら言葉を尽くしても決して説得できない相手はこの世界に存在し、そしてわたしたちは、彼らとも共存していかなければならないのだ。」
熟議では実際には埒があかないことがあり、また民意を反映していないことがままあります。動物的に人がもつ共感というパワーこそが、世界をまとめて、先に進めていくカギではないかということです。
ところどころ難しいところもあり、ちゃんと理解しているかわかりませんが、未来について想像力が広がる本でした。同著者の他の本も読んでみたいと思います。
体調は、咳があまりでなくなり、快方に向かっているのが実感できました。暖かくなるにつれ、体力も復活し、完治に向かうでしょう。久しぶりに昨日の日曜日は街へショッピングへ出かけました。