BikeRide&Climbing
クライミングと自転車。
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国立近代美術館に於いて
隈研吾展開催中。9/26まで。

国立競技場を設計した隈研吾。
オリンピックが終わるにあたり、この建築の”今”における意味の再考。
コロナがくる前の設計でありながら、自然採光と換気を実現していた先見性と時代性。

今、隈研吾展で展開されている氏の独自の
建築感。観。が、非常に興味深い。

建築とは、建造物の”中”に入る、存在する、生きる。
と、いうこと。
それは違うのでは。、という視点。

ナカにいては、ツマラナイだろう。という。視点。
現在は在宅であったり、サテライトであったり、ナカの存在感は希薄になり
どこでも働ける環境は整ってきた。

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〇 クマは思う、都市の未来はネコに学べ、と 第2会場 (隈研吾展 解説から引用)

丹下健三は前回の東京オリンピック前の1961年に、《東京計画1960》という、東京湾に海上都市をつくる案を建築雑誌に発表しました。その大胆なアイデアは、模型を俯瞰して撮った写真とともに伝説となっています。今回、隈は、そんな丹下の《東京計画1960》への応答として、《東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則》を美術館での展覧会で発表します。対照的なのは、都市へと向かう視点。丹下の、海上の人工都市を俯瞰から見る視点に対して、隈が選んだのは、なんと地面に近いネコの視点。一箇所に定まらずテンテンと暮らし、スキマに入り込んで自らノラミチをつくっていくネコの生態に、コロナ禍以降の人々は学ぶべきだと隈は問いかけます。このほっこりとしつつも大胆なプレゼンテーションは、日本を代表するデザイン・イノベーション・ファームであるTakramとの協働により実現しました。

な、なんと、ネコの視点だという。

ネコロジカル・シティ
石川初(慶應義塾大学環境情報学部教授)

私が特に楽しんだのは第2会場だった。こちらは「東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則」というタイトルが掲げられている。東京計画といいつつ展示内容は計画案ではなく、CGアニメーションやプロジェクションマッピングを用いて、ネコの視点から街を見直してみるというものだ。これが、街の隙間にいるネコの様子を巧みに捉えていて、じつによくできている。挙げられている「5656原則」は「テンテン」「ザラザラ」「シゲミ」「シルシ」「スキマ」「ミチ」というものだ。それぞれの「原則」について、猫の視点から映し出された街の様子が並んでいる。「テンテン」はネコに取り付けたGPS受信機の軌跡のマッピングである。「スキマ」はプロジェクションマッピングを使って再現されている、建物の裏を上り下りするネコの様子である。体の影や足あとだけで描かれた、飛び降りたり歩いたりするネコの動きはまるで本物のようで、ネコ好きの人なら声を上げるだろう。「ザラザラ」は、ツルツルな既存のコンクリート壁と、ザラザラの仕上げが施されてネコが上り下りできるようになった壁とが対比的に描かれているCG動画である。ネコに手がかり(というか足がかり)を与えるものとして木製ルーバーが使われていてちょっと笑ってしまったのだが、なるほど、隈建築はネコ・フレンドリーな表層をしているのだった。第1会場の建築模型には所々に添景としてネコが置かれていたのだが、その伏線がこのように第2会場で回収されるわけである。


一度でも飼ったことがある人なら知っていることだが、ネコはじつに、私たちヒトの思惑から自立した生き物である。しつけや訓練でネコをヒトの生活に合わせることはできない。トイレも寝場所も、ヒトがネコに合わせて環境を整える必要がある。ネコは呼んでも来ないが、望むときはこちらの仕事を邪魔して注意を引こうとする。ネコと暮らすことはネコの生き方にヒトの生活や環境を合わせて調整していくことである。ネコとヒトの関わりは古く紀元前8000年頃まで遡るが、ネコはヒトに捕まって家畜化されたのではなく、ネコ自らがヒトと共生することを選んだらしい。野生のヤマネコとイエネコの遺伝子にはほとんど違いがないことが知られている。ネコは1万年にわたって、あくまでもネコの勝手でヒトのそばに暮らしているのである。


つまり、ネコは身近な他者である。ネコの振る舞いを通して眺める街の風景が私たちの見慣れた都市風景を揺さぶるのはそのためだ。だから、ネコにいいことはヒトに快適なことばかりではない。細い木製ルーバーで覆ったコンクリートには土埃が溜まり草が生え、虫も湧くような湿った壁になるだろう。それは私たちが街から排除してきたものであるし、今後も排除し続けるだろう。そして、建築はたとえネコ・フレンドリーな様子を帯びたとしても、その排除の役割を負い続けるだろう。


 しかし、ネコの始末に負えない点は、見た目が可愛いということである。私たちはなぜか、ネコを愛しむ感性をもっている。私たちのネコへの接し方は、住居に勝手に住みついている他の生物、たとえばゴキブリなどへのそれとはずいぶん違う。ネコはままならない他者でありつつ、憎めない好ましい存在である。この点において、街を見直す補助線としてネコを選ぶのはなかなか巧妙である。ままならなさと好ましさを併せもつものとして、建築物に載せられる「植物」にも似ている。と、ネコを飼いながら園芸も嗜む私は思ってしまうのだ。

******国立近代美術館  隈研吾展  より **********


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