T木いわく、、次号のロクスノで
白河の岩場が遂に発表されるという。
わしがもともと知っているのは聖が岩だ。が、、この岩も、、
さいきんは発表されて既にのぼられていた。
が、聖が岩は、、、ど、すらぶ。。ん??
わしの知っている聖が岩は、、ものスゴイスケール。
高さ20m その上部は大ハング。だ。
もともと観光名所で、駐車場からも、、激近。
どうも、、聖が岩の、部分名称で、、「不動岩」らしい。
あの岩なら、、、、ぐぞ。開拓という、、”社会的手続き” を、どうやったんだ???
相手は??白河市?いや、、天栄村??? しかし、ここ聖が岩は立派なキャンプ場が
あるのだ。シチュエーションは最高ではないか。。
不動岩。。わしがミタ岩はこれにマチガイないだろう。
Youtubeに、H田tatu̪氏の動画がUpされている。やはり被ったスケールのおおきな岩である。全体像が、ミエナイ。が
*******
Tきも、両親が白河?
わしも、白河は第二の故郷。(だった。)過去形。
白河ラーメンの旨さは人気になる以前から、、もちろん知っていた。
トラはなんども、、、ハナブサは、、、記憶にないが、、行ってる。だろう
すずき食堂が、、なぜか、、いけずじまい。(実家本家から、100mも、、離れてイナイのに、、、)
あとは、、茶釜食堂。ん、、~名前かわってないか???ばしょは、ここだ。
もともと白河は高原気候なので晴天率が高い。
夏の気温も低い。
わしが行き始めたころは、、かみさんの実家にはエアコンはなかった。
ほぼ、どこの家にもなかった。夏の暑い時期なぞ、ものの数週間なのだ。
9月末、10月のはじめには、、、こたつが入っていた。
天文のメッカ。だった。
藤井旭という、天文の大御所が ナカマと共に開いた白河天体観測所。
は、マニアにとっては憧れの地であったのだ。
どこにあるのだろう。??わりと、さんざん探した。地元民にもいろいろ聞いた。
おそらく、、、、あのあたり。と、いう程度にしか、、、特定はできなかった。が
***************************************
ここからは、、
時間限定? かな、、、、
+++++++
初めて白河を訪れたのは
5月だった
都内は初夏の陽気
ポロシャツだ。ひっかける上着も、、、なし。で
昼下がり~午後は がくっと気温が下がる。
このショニチに上着を借りるという、、洗礼を、、、、、
+++++
そして、、まあ、通いなれるコトになるのだが
長男が生まれたときだったか
初めて新幹線で行った。新白河からタクシーで
通いなれたもんだ、、、そこを左、そして、、そこを。。。。。
着いたら・・・・・・・
「なんだ、Tさんちじゃねーか、さいしょっからそう言ってくれれば。」
「・・・・・・・」
M製紙の街だった。。。。。のだ、、、白河でも筆頭の、、、、
★★★★~~~~
あるとき
泉崎で自転車レースがあった。
泉崎は白河市のトナリ。そして、親戚のNさん一家がいる。
JCRCの初戦。クラス分けレース。泉崎戦は初開催である。
工業団地があるので、そこを周回する秀逸なコース。だが、、、じつは
激下り&登りがあるコースだった。
カミさんこれないので、わしと目楽で実家泊。んで、ヨクジツレース。
前夜おやっさんと、けっこうしこたま飲んだ。
おやっさんは、、南伊豆のヒトだけど、、ここ白河の奥さんとイッショになった。
青森~白河に戻ってきた、、。
「目楽くん、きみはどこの出身だね?」
もう、、、目楽はあの話術でヒトタラシは抜群。
「ワタシは山口県です。!」
と¥・・・・・・・・・
「き、キサマは長州かーーーーーー!!」
くらいの、、、、、、、、
わしと目楽
「あ。。。」
*************************
この逸話は、、白河談義のなかでは、、ぶっ飛んだダントツ
き、きさまは、、、トハいって、、ナイ。(ハズ。)だけど、
きみは長州か!
って、おそらくいったんだろう。
その瞬間、、、、、、わしと目楽は固まった。
昭和町の本家へも わしは 当然しょっちゅういっている。
白虎隊のハナシとか、、、白河の関へ向かう途中の累々たる屍のハナシも
白河のひとたちはそれでも
敵味方関係なく きちんと みな 葬ったそうだ。
-----------
この時はまだ
白河市と山口は 断絶同然の関係が続いていた。驚くべきことに
後年、、ようやく白河市と山口が ”国交回復” にこぎつけたというNewsが
その、、、因縁 おそるべし
玉実家は、、大挙しておしよせてもトマレルか??
わしゃ、、カミさんじっかをねらって、、おるのだが・・・
(宿泊施設として、、、)